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2018.01.09 (Tue)

ホンモノとニセモノはどの程度違うのか?

本稿では、いくつかのジャンルにおいて、ホンモノとニセモノがどの程度違うのか、その違いについて、思うところを述べさせていただく。

■音楽の世界

ある女性歌手の歌を比較して聴いてみたい。

中島みゆき作詞作曲の「時代」
中島みゆきが歌うとカラオケ向きの流行歌である。同窓会の二次会で歌うにはいいだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=BpHk8Sjy7Vs

だが、ヘイリーが歌うと芸術になる。
https://www.youtube.com/watch?v=df48XL4PLCs

「春よ,来い」もそうだ。松任谷由美が歌うと、感傷的な流行歌という評価である。
https://www.youtube.com/watch?v=gol5dFrv4Ao
3月になると、一度はこの曲が聞きたくなる。

この歌も、ヘイリーが歌うと芸術になる。
https://www.youtube.com/watch?v=Lykhh52NEXk

一方が流行歌の次元、一方が芸術、何かが違うと思う。中島みゆき、松任谷由美がニセモノだと決めつけるつもりは毛頭ない。が、売るために作詞作曲されたことであることは確かだ。



■暴力相撲(プロレス相撲)と神技としての相撲の違い

貴乃花親方が掲げ理想とする相撲道がホンモノだとすれば、それ以外の力士は、完全なニセモノということになる。

http://takanohana.net/message/index.html

貴乃花部屋

野球界では、巨人の伝説の遊撃手広岡達郎がそういう人だった。彼は、とことん極めるタイプで、当時の川上監督と対立。
今の貴乃花親方の境遇と似ている。広岡達郎の本には、結構凄いことが書いてある。川上監督がダメだと書いているのではない。広岡達郎は川上野球よりももっと上を目指していたから対立したという意味である。広岡達郎は、西武という球団でそれを実践した。ソフトバンク、西武、楽天などのチームは、今も広岡野球を継承しているような気がする。

話を相撲に戻したい。
モンゴル力士、たとえば、横綱白鵬を育てたとされる親方などはニセモノの代表格と言えるだろう。横綱審議委員たちや池坊が代表する評議員たちも相撲道のなんたるかを知らない可能性が強い。
そして、そのニセモノの象徴的存在が横綱白鵬ではないのか?

実は、相撲は英訳すると「Sumo wrestling(スモウレスリング)」と翻訳されることがある。横綱白鵬は、日本に来る前に、神技としての相撲ではなく、プロレスラーになるつもりで来日したのであろう。
それが間違いであると師匠が教えられなかった……………
そこに相撲界の劣化を見るのである。




■骨董品の世界

骨董の鑑定士、中島誠之助の書籍から、ホンモノがどの程度凄いのか?ホンモノとニセモノの見た目の違いに係わる、骨董界のウンチク(骨董界で通じるセオリー)から、なるほどそうだと思えるものについて引用させていただく。


||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

「ニセモノはなぜ、人を騙すのか?」

21~22頁
ホンモノには、善意のラインがある。善意でもって人の幸せのため、あるいは自分の人生を納得させるために作り上げたものだからひたむきさがある。仮にそれが下手であっても、そこには無我夢中という精神がラインに表現されている。
ところがニセモノには厭味なラインが伴うものだ。人をひっかけよう、騙そうという、悪意が根底にあるから、いくら夢中でやろうとも、ラインがその下心が浮かび上がって、ラインが崩れるか硬くなってしまう。要は自然体の勢いがないのだ。
ひっかからないためには、その善意と悪意のラインの違いを、見抜けるかどうかということになる。前にもいったように「知識」が先立ち「欲」がそれを支えれば、ラインの違いは絶対にわからない。

中略

つまり、ホンモノとニセモノの見た目にどう違いがあるかというと、「ライン」と「次第」に表現されているといえよう。
この「ライン」と「次第」を見抜く目がある人を目利きという。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||




■言論活動におけるホンモノとニセモノの違い~まとめ

中島誠之助のこの言葉から、私はある言論人の文章を思い出した。
名前は書かない。その方は今朝日新聞と戦っている。顔の表情からして非常に誠実な方、暴言を吐かず、きちんとした文章を書かれ、言葉に力があえる言論人だと思っている。
井沢元彦は、逆説の日本史にて、言霊論を展開している。何を言いたいか。暴言を吐く癖のある言論人は、感情に溺れ、言霊なき言論活動をしているように見えるのだ。

実は、今、こうして原稿を書きながら、ある指揮者の交響曲を聞いている。
多くのクラシック通は、カラヤンは凄いと言うかもしれない。どの曲も水準以上に仕上げ、現代人受けし、凝縮された音楽表現であることは確かなのであるが、なるほどと思うことはあまりない。それでもあのアダージョシリーズは良いと思う。ジョージ・セルの指揮は精緻過ぎて興ざめすることがある。カール・ベームは凄いと思う半分、眠たくなってしまう点で枯れ過ぎている。協奏曲には向いているかもしれない。その点、クラウデイオ・アバドの指揮は、若々しく勢いがある。
ジェリーニは無機質ではなく、ハイライトを際立たせるテクニックに優れている。

この中でホンモノはどれか?
私は、ジェリーニやアバドを選んでいる。カラヤンも嫌いではない。



保守活動において、我々に足りないものは何であろうか?

善意のひたむきさと強い意志、言葉の力、計画性ではないかと思いつつある。

善意のひたむきさがある言論人かそうでないか、見分ける方法が一つある。

―― 参考情報 ――――――――――

三橋貴明の逮捕情報の拡散に熱心な言論人、冷静に分析した言論人、無反応な言論人
http://yamatonoibuki.seesaa.net/article/456065694.html

―――――――――――――――――

批判しかしない、批判しかできない言論人に決定的に欠けているもの、それは提言スキルだけでなく「善意のひたむきさ」ではないのか!

ちなみに、拙ブログは、三橋貴明氏の復活を想定し、提言ものを予定している。人が逮捕されてざまあみろという感覚は同志としてやはりおかしい。私は、三橋貴明氏のブログ記事に100%賛同はしないものの、参議院選挙の演説を聞きに行った視点から、どこをどう直せばいいかくらいは気がついている。三橋貴明ファンの方、暫くお待ちいただきたい。



同じ発想で相撲の世界を眺めると、横綱白鵬が取る「張り手やカチ上げ」に善意のひたむきさはあるのだろうか?
勝てばいい、勝ち続けて横綱になり、横綱として記録更新すれば何をやってもいい。そんな相撲でいいのか?白鵬を筆頭とする相撲、私にはまだプロレスの方が、ファンに面白くショーを見えるという点で、善意のひたむきさがあると思うことがある。
宴席の場で、自身の横で、傷害事件が起きているのを黙ってみている横綱白鵬が、日本の相撲道を正しく理解、実践しているはずがないのである!

相撲協会もそうだ。売り上げさえ伸びればいい。ひょっとすると、横綱審議委員も評議会も国体も神技も理解できない、程度の人だらけではないのか?
ニセモノの相撲やニセモノを咎めない、横綱審議委員、評議委員で満足するのか?
こんな汚らわしい、汚い相撲界でいいはずがないのである!

貴乃花親方の生きざまを知る機会はまったくないが、貴乃花部屋に掲げられた訓辞の如く「善意のひたむきさ」を貴乃花親方が実践しているのであれば、とにもかくにも、それぞれの持ち場で貴乃花親方を応援すべきとの結論に達するのである!

以上

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18:48  |  社会認識  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

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