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2019.04.01 (Mon)

新「元号」選定の歴史的意味

本稿は、下記記事「新元号への安倍首相の願い」について、「古代史」の視点からその正当性について述べるもの。

―― 参考情報 ――――――――――

新元号への安倍首相の願いは正しい
http://ponko69.blog118.fc2.com/blog-entry-5251.html

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中川八洋は元号法の瑕疵について述べている。

―― 参考情報 ――――――――――

安倍晋三の“狂気”「俺様が元号制定権を持つ」を断罪し、元号制定大権を天皇に奉還しよう!──共産党製「元号法」を全面改正せねば、天皇制度は自壊する
http://nakagawayatsuhiro.com/?p=529

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私の主張は、元号法を改正しない前提での話となる。




私個人は、古代史をこういう視点でみている。



古代は、暦を支配する者が時間を支配した時代とされる。元号があることは、時間を支配した組織、統治者がいたことを意味する。制度としての元号が続く限り、天皇が統治者である証左となる。実際に、元号は制度的に継続された。

古事記、日本書紀を編纂したのは、当時の統治者が、独立国家であること、固有の文化・歴史を有する国家であること、を意識、決断した結果と解する。
一方、古事記、日本書紀が、現代における歴史学と同じ目線ではないからと言って、唯物史観の歴史学者のように?意味がないと決めつける必要はない。しかしながら、歴史は、ともすれば為政者によって改竄されるジンクスを有するものと受け止めている。
古事記が長らく埋もれていた時代があったこと(=公開されない時代があったこと)は、日本書紀の方が都合が良かった政治勢力が、古事記が書かれた時代に居た証左であろうと私はみる。(根拠はない)編纂者の都合もあったかもしれない。

元号は、「中国の古典に由来する言葉」から長らく選択してきたとされる。それは、我が国の知識階級が伝統的に四書五経を教育教材として選択してきたことと関係している。
最近はそうではないが、安岡正篤という言論人が居た時代までは、中国哲学を絶賛する風潮が続いた。
時代は変わり、最近は、孔子、孟子、荘子、老子の信奉者は減りつつある気がする。それでも、孫子は別格の存在。中共の軍事的脅威が増大しているためである。

中共が、我が国に対する領土的野心を捨てず、アメリカに代わり覇権国家を目指しているならなおさら、日本国の「元号」が「支那の古典」に準拠することは、日本が支那の精神的属国である証左となる。




そういう見方をするがゆえに、「元号」は、「日本の書物に由来する言葉」である必要がある。



安倍首相が、元号検討、選定に際し、「日本で書かれた書物がいい」と発言した?のであれば、元号制定した「古代の統治者世代」からみれば、歴史的に正しい選択をしたと解することができるのである。

つけ加えて言うのであれば、保守系言論界は、新元号制定を以って、「中国」と言わず、「支那」と意識して呼称変更すべきなのである。

元号法の瑕疵があったにせよ、法改正よりも先に、日本国の「元号」が「支那の古典」に準拠する「悪しき慣習」を止める決断の方が優先されるべきであり、「支那の古典」に準拠する「悪しき慣習」を止めない限り、「戦後レジーム」支配は続いていると解するのである。



「平成」を以って、戦後は終わららせなくてはならない。
「謝罪外交」が続いた「時代」、「戦後レジーム」が支配した「時代」は終わらなくてはならないのである!



以上

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