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2019.03.25 (Mon)

フェイクニュースの日本のルーツ  手本が実在していた?

朝日、毎日、中日、東京、信濃毎日、北海道、沖縄の二紙に、偏向捏造記事を書く記者、創作記事を書く記者が集中していることは、保守ネット界の常識?であるが、偏向捏造報道の手本となった可能性が強い記者について、あまり語られることはない。

「サンカの真実」(筒井功)という本にて紹介される、三角寛(本名三浦守)なる人物は、大正15年に朝日新聞に入社し、記者時代は派手な飛ばし記事で人気を博したとする情報がある。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%AF%9B

1926年(大正15年)3月、記者の手伝いをする雇員(非正規採用)待遇で朝日新聞社に入社し[4]、サツ回り担当(取材記者)となる。説教強盗の報道で話題となる[5]。このとき、取材先の刑事から「犯人は足が速いからサンカかもしれない」という言葉を聞き、サンカに興味を持つ[6][7]。記者時代は派手な飛ばし記事で人気を博す一方、上司から警戒もされていた[8]。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

経歴詐称情報もある。

―― 参考情報 ――――――――――

三角寛
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E5%AF%9B

―――――――――――――――――

「サンカの真実」という本の171~195頁において、その人物詳細が記されている。

特に印象に残った箇所について、転載させていただく。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

サンカの真実
筒井功


4頁
三角サンカ論への疑念

わたしに関していえば、三角のサンカ研究には、そのまま事実と受け取って差しつかえない部分は、ほとんどないとの立場をとっている。

5頁

だが、そこで語られていることから虚構、作為の部分を一つひとつはぎ取っていくと、あとには何も残らないといっても過言でないくらい、三角の著作はつくりごとで埋めつくされている。


179~181頁

3 サツ回り時代の仕事と生活

三浦記者と飛ばし

外回りの記者が特ダネ情報を上げてきたからといって、本社が人を派して、その真偽をいちいち確かめさせるなどということは、ふつうにはまずないはずである。いくら特ダネでも、気づいているのが常に自社だけとはかぎらない。いつ他社へ漏れるかわからず、また一刻を争う場合も少なくあるまい。そのたびに「これは本当か」と疑っていたら、まともな新聞製作などできるものではない、現場を信用するしかないのだ。

その結果として、まれまれ虚報が発生する。朝日では、例えば昭和二十五年九月の「伊藤律架空会見記」がある。これは、当時、連合国軍総司令部から追放処分を受けて地下に潜行していた日本共産党の幹部の一人、伊藤律に会見できたとして、ある記者が「一問一答」を含む記事を捏造した事件である。日本の新聞界における歴史的な虚報として知られており、朝日新聞の縮刷版では、その部分がすべて削除され、白刷になっている。しかし、こんなことは、実際にはめったに起きない。
一方、事実には過剰な味つけをこらしたり、針小棒大に伝えたりする。いわば演出、操作を加えた記事は、昔も今も珍しくない。例えば「乱闘」でけがをした人間が数人いたら、その数を十数人とか数十人に膨らませることが、それに当たる。業界内では「飛ばし」と呼び、そういう癖の強い記者のことを「飛ばし屋」といっている。

先に引用した「私は何度も、それ(記事の真偽の検証作業)にひっかかった」との、さりげない一節は、実は三角の情報に、しばしば度を超した「飛ばし」があったことを語るものにほかならない。

「三浦には気をつけろ」
そういう評価が社内にあったからこそ、「真偽を検討」されたのである。

朝日の出版部に所属し、三角の「サンカ社会の研究」の出版を担当した斎藤良輔は、「同僚や後輩に人気がなく、上司には、なぜか評判が良かった。」と語っている。三角の人となりの一端がうかがわれる。

斎藤は三角の社会部の後輩である。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

三角寛は、新聞記者になった後、小説家として文壇デビューしたそうだ。

当時の人たちは、飛ばし記事を書く記者を珍重、創作能力があると広く認められ人気小説家となり、執筆依頼が殺到したそうである。

雑誌では、「婦人サロン」や「昭和讀物号」にて連載があったとされる。

こうした経緯を知ると、とりあえず三角某は、戦前に朝日新聞を退社した人物であるものの、戦前の一時期「飛ばし屋」として名を馳せたことで、戦後のマスコミ界における、偏向捏造報道のルーツと言えそうである。


そこで、「とんでもない記事を書く記者」の扱いについて、考えなくてはならない。


特に問題とすべきは、「派手な飛ばし記事を書く記者」を持て囃した時代があり、その後、面白い創作ものを書く小説家としても多忙となり新聞社を辞職、その後は流行作家として引っ張りだこだったことである。


小説家というのは、その創作スキルと意欲のせいで、とかく、あることないこと、書きなぐる職業的習性がある。これは仕方がない。ただ、あることないこと書きなぐることは、政治的に愛国であろうが、共産主義者だろうが、関係ないような気がする。歴史小説家として一世を風靡した、司馬遼太郎の書いた文章も、よくよく読めば、論理的に不正確な文章が結構あった。

文章的に創作好きで面白い文章を書きたがる物書き(三角寛のような記者、小説家の類)に、社会的に影響ある分野(特に政治)を扱わせてはならないのである。

以上

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テーマ : 報道・マスコミ - ジャンル : 政治・経済

タグ : 偏向報道

06:28  |  政府機関  |  コメント(0)

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