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2019.03.03 (Sun)

三島由紀夫を裏切った人たち  ホンモノとニセモノの違い

本稿は、

ドナルド・キーンは本当に「日本文学と日本文化研究の第一人者」なのか?
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1315.html

の続編。

まず、西さんのコメントを参照したい。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1315.html#comment1930

三島の自決が理解できなかった時点で

川端康成、安部公房らは三島の自決をそれなりに「総括」していたようなところがありましたが、ドナルド・キーンには、「三島の自決が理解できなかった」というような趣旨の発言をしていたようで、それならば、氏の長年の三島らとの交流は何だったのか、これで日本文学の第一人者だったと言えるのか、と思うところがありましたね(文学者では無いですが、三島と交流のあった中曽根康弘も保守と言われていましたが、三島の自決に関してはコメントを避けていたところがあった為、馬脚を現した感じがありましたね)。

外国人でありながら日本の文学に通じていた人物としては、明治期の「ギリシャ生まれの日本育ちの小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)」がいますが(氏は夏目漱石らと交流があったようです)、それを除けば、ドナルド・キーンくらいしか知られていませんでしたが、その中でも「ノーベル文学賞」というのは、日本の「文学界」というのが、外国人から見た場合にどれ程の地位にあり、そしてどれ程の「レベル」に達していたのか、という一種の指標でしたが、こういった事情を鑑みると、文学として十分評価されていた人物であったとしても、何らかの「政治的力」が働いて、「除け者」にされてきたのだろうな、と悲観したくなりますね。

一体、それならばいつになったら「戦後レジーム」を終わらせられるのだろうか、三島由紀夫ですら「理不尽」な扱いを受け続けた(嫌がらせ、奴隷的な差別主義に近い)のだから、並大抵のものではないのだろうな、と思いますね。

米国の対日エージェントと目される、ドナルド・キーンが死去したと言っても、戦後支配を続ける、次の「対日エージェント」が何らかの形で定まっているのでしょうね。

それが続く限り、我々は「戦後レジーム」を脱却するのは困難であると見た方が良いと思います。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

中曽根は、三島の自決後、掌返しした。


当時、中曽根康弘は防衛大臣。中曽根大臣と三島由紀夫は親交があったことが知られている。
こういう指摘がある。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

「田母神「自衛隊問答」 国防の「壁」を打ち破る!」(田母神 俊雄、拳骨拓史)

120頁
三島事件で抱いた猪木校長や中曽根さんへの違和感

拳骨
三島事件が起きたとき、中曽根康弘さんが猪木さんに「三島を否定しろ」という指示を出したともいわれます。それまで中曽根さんも三島由紀夫を仲が良かったのに、いきなり手のひらを返した。それに対し、「何で手のひらを返すんだ」とクレームをつける人もいたけれど、自身はそんなことは気にしなかったと、中曽根さんは回顧録で誇らしげに語っています。

田母神
まあ、あの人は自分が何をやったかもわかっていない人ですから。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

三島由紀夫生前時は、愛国者を装い、防衛大臣ポストを得た。掌を返す意味おわかりであろう。防衛大臣になるために、、、
そして、中曽根が政界で今も影響力を行使し続ける理由、ロッキード事件等を含め政治的に無傷であり続けたのはなぜであろうか?中曽根は、アメリカの意図に敏感に反応し、キッシンジャーに忠実に従った可能性はないのか?



「新参者」さんからも情報提供をいただいた。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://melma.com/backnumber_45206_6792560/

(読者の声1)三島文学のよき理解者ドナルド・キーン先生が亡くなりました。96歳、この享年は、木内信胤、中河與一先生等と同じでした。
随分とテレビは好意的に扱っています。とくに晩年は新潟に転居され、日本人に帰化されたほどでした。宮崎正弘先生もおつきあいがあったと思われますのでご感想を聞かせていただけると幸いです。
   (HD生、新潟県燕市)


(宮崎正弘のコメント)お目にかかったことは数回しかなく、ですからコメントする立場にはありません。作品のなかでは徳岡孝夫氏との『悼友紀行』を印象深く覚えています。三島さんゆかりの地を二人で旅行して、おりおりに対談された記録です。
 キーンさんの発言では「日本のオリジナリティのないムラカミハルキには興味がない」とした評価には賛同します。
小生がキーンさんを担当した作品では、村松剛先生と日本文化論の対談を二度ほどやっていただきました。45年ほど前の雑誌『浪漫』に掲載されたのですが、単行本未収録です。
三島憂国忌のおりは控え室には来られましたが、何回かお願いしても演壇には立たれませんでした。
 小生が思いますに、三島さんの思い入れが強かったわりに、キーン氏は、一方で安部公房、大江健三郎を称える人、つまり「文壇政治」と心得た人だった。サイデンステッカー先生がいつぞや呟いておられましたが、キーンさんが展開していることは『政治ですよ』という一言で、殆どが了解できます。
それはともかく日本文学を世界に広めていただいた功績は大きく、日本は大いに顕彰するべき人です。合掌。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


三島は、小説界から裏切られ(裏切りの主犯は、ドナルド・キーン?)、政界からも裏切られたということ。(裏切りの主犯は中曽根首相?、当時の防衛大臣)


見方を変えて、三島由紀夫が取り組んだ文学的テーマに関する記事を参照したい。

―― 参考情報 ――――――――――

『生きている大日本帝国』第一章 日本人とヒトラー
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/archives/55802706.html

―――――――――――――――――

当代きっての小説家なら、しかるべき歴史家なら、当然見えている話であろう。


田中英道は「日本国史」にて、三島由紀夫の自決について、こう述べている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

296~297頁

三島由紀夫の死と日本人のあるべき生き方

谷崎潤一郎や川端と比べると、三島由紀夫の小説には、濃密な日本の伝統文化の社会が描かれていません。戦後は特にそうした過去が否定される時代でもありました。三島由紀夫には、自分の小説でそれに代わる新たな世界を構築することは不可能と感じられたのです。そのことが小説家をつづけられないという絶望につながったはずです。その絶望がなければ、これだけの小説家が死を選ぶはずはないのです。
もう一ついえば、戦後の天皇が、人間宣言により神としてではなく一人の人間として見られるようになったことへの失望があったと思います。天皇の神格化によって支えられていた日本がそれを失ったという絶望感が重なっていたと見ることができます。

あらゆるタイプの小説が書かれてしまって、もはや新たな世界をつくれないという小説家の絶望感は、過去の多くの小説を知る知性的な三島には、切実な問題であったはずです。芸術の形式の成熟と没落は、すべての芸術に共通します。ですから、三島がもう小説の時代ではないと自覚したことは正しかったと思います。その根底には、日本の伝統と文化が失われてしまったという嘆きがあったでしょう。伝統と文化が新しい状況に対応して常に変わっていくということに期待をもてなかったのでしょう。


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

「もはや新たな世界をつくれないという小説家の絶望感、もう小説の時代ではないと自覚したこと」は、今回ノーベル文学賞受賞機会を逃すと、小説家として名声を得る機会(小説家としての国際的な活動を通じた?日本復活運動?)が失われることを意味する。

それゆえ三島は、ノーベル文学賞受賞を渇望していたはずなのだ。



が、「文壇政治界」の裏切り?により、望みは絶たれ、田中英道の解釈によれば、小説家としての絶望感がより深刻になったしまったゆえに、自ら主導する運動の世界に活路を見出そうとしたのではないか。
三島自決事件は、自身を戯曲の主人公に見立て、準備された筋書き通り実行されたものだったという見方ができる。


ここで、三島と親交があったある外国人が、三島由紀夫の死を悼み、皇国史観派の視点で書かれた本を紹介したい。

タイトルは「高貴なる敗北」。アイヴァン・モリスの淡々とした筆致は、三島文学の背後にある悠久の世界を見事に表現している。著者は、まえがきにて、「三島の霊に捧げる」と書いている。
死者に代わり、代弁しているということ。能のシナリオ本みたいな書きぶりに近い?


それと比較すると、三島と親交があったことがなぜか強調され続ける?、ドナルド・キーンが三島文学の神髄を理解していたとは思えない。彼は、戦時中はGHQの通訳であり、帰化後はキッシンジャーへのご注進係?に過ぎない。(と私はみている)ドナルド・キーンの最晩年の発言は、疑惑を逸らすための言い訳ではないか。

―― 参考情報 ――――――――――

三島由紀夫がノーベル文学賞を逃した理由
http://histori-ai.net/archives/1403

―――――――――――――――――

日本では、ドナルド・キーンの方が有名だ。



が、「高貴なる敗北」という本とドナルド・キーンの書いたもの、どれでもいいので比較いただきたい。
どちらが、日本の古典の真髄を理解し、三島の霊に肉薄していたか。
ホンモノとニセモノくらいの差があるように思う。


確かに、三島は敗北した。(一見敗北したようにみえる)
ドナルド・キーンは、日本の良き理解者であると装い、三島ではなく川端にノーベル文学賞をもたらすという役割を果たした。日本復活を恐れるアメリカ支配層の意向を優先したためであろう。

私は、ドナルド・キーンを全否定するものではないが、トリッキーな言い廻しが多いことに気がつき始めている。特に、最晩年に、数十年前に起きたことについての言い訳みたいなことをすることは、余程後ろめたいことをした証左と解するのである。

三島は、「高貴なる敗北」を選択したことによって、存在は、皇国史観派にとって、通史書にて永遠に語り伝えられるべき小説家となった。トップバッターとして、田中英道が、「日本国史」にて三島由紀夫の自決について述べた。



これで、皇国史観派の歴史家は、三島由紀夫の自決について避けて通れなくなった。



もちろん、皇国史観派の小説家を標榜することは、必然的に三島由紀夫の伝記小説を出すという命題があることを認めることに繋がる。

皇国史観派の真摯な小説家にとって、三島がかつて「もはや新たな世界をつくれないという小説家の絶望感、もう小説の時代ではないと自覚したこと」は、(三島という偉大な存在を意識すればするほど、小説家としての)「生死に係わる命題」となりえるはずである。


すなわち、三島由紀夫というフィルターを通して、時代の流れを眺めていくと
日本文学の良き理解者だと喧伝され続けた、ドナルド・キーンは一流でもなんでもなく
また、売文目的の中途半端な小説家が多すぎるという(直面する劣化社会の)現実が見えてくるのである。


以上

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テーマ : このままで、いいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

07:10  |  言論人  |  コメント(0)

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