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2019.02.07 (Thu)

韓国との人的交流を継続させてはならない!

本稿は、平和ボケした、韓流に洗脳された、あるいは性接待を受け韓国びいきとなった、自治体関係者向けの提言。

自治体関係者は、日韓の外交関係が多少こじれても、交流継続できると考えているかもしれないので、警鐘を鳴らす意味で出稿することとした。

少し古いニュースとなるが、ソウル市長は、日韓の自治体交流は、外交問題と区別して継続すべきだとしている。

―― 参考情報 ――――――――――

【ソウル市長】日韓の自治体交流継続を=「外交問題と区別」
http://hosyusokuhou.jp/archives/48829100.html

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ここで、国際交流の本質的な意味について、少なくとも、相手国の言語に詳しい語学屋が担当する次元のものではないと考える、いくつかの事例を紹介したい。


||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

「韓国人の歴史観」黒田勝弘

228~229頁

あとがき

たとえば日本は韓国(朝鮮)支配の歴史の中で王妃・閔妃暗殺事件を引き起こし、さらに五百年続いた朝鮮王朝(李朝)までもなくしてしまった。その王族の一人だった李鍝殿下は日本の敗戦直前、広島にあった第二総軍司令部の教育参謀(陸軍中佐)で八月六日朝、出勤途中、原爆に遭遇し翌日、死亡する。この朝、たまたま出勤に動向できず難をのがれたお付きの武官の吉成弘中佐は通夜を済ませ八日朝、出棺を見送った後、殿下が被爆した朝の出勤にお供できなかった責任意識から自決した。

中略

ところが死亡した李鍝の遺体は八日午後、広島にあった吉島飛行場から陸軍の双発練習機で玄海灘を飛び故国の京城(ソウル)に運ばれ、雲峴宮(留守宅)の夫人のもとに届けられた。葬儀は陸軍葬として八月十五日、正午の天皇陛下の終戦を告げる放送があった後、午後一時から東大門運動場で阿部信行総督以下、各界要人が参列してとり行われた。
日本は自ら亡国の瀬戸際にありながら、韓国の王族に精一杯の礼を尽くしたのである。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


これは受け入れた日本側のケース。

日本という国を信じ、期待し支えてくれた方も相手国にいることが、以下に紹介されている。


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http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

日本という太陽が世界を照らす
    Date : 2019/01/07 (Mon)
 6年前に、セルビア共和国のアダモヴィッチ・ボヤナ大使によって、大使館に昼食に招かれた。

 私は挨拶を終えると、すぐに第一次世界大戦後のパリ講和会議において、日本全権団が戦後世界を管理する国際機構となる国際連盟憲章に、「人種平等条項」をうたうように提案したのに対して、セルビアが賛成票を投じてくれたことに、御礼を述べた。

 すると、女性の大使が驚いて、「着任してから、このことについて御礼をいわれたのは、はじめてです」といって、喜んでくれた。

 11月に、パプア・ニューギニアでAPEC(アジア太平洋経済協力機構)サミットが開催され、安倍首相も参加した。

 3年前に、私は都内の夕食会で、パプア・ニューギニアのガブリエル・J・K・ドゥサバ大使と同席した。すると、大使が「私の父親は先の大戦中、日本軍の連隊を助けて、密林のなかを、オーストラリア軍と戦いました。日本のおかげで、独立を達成することができました」といって、連隊長の名と連隊番号をあげて、感謝した。

 ニューギニア島は東半分がオーストラリア、西半分がオランダによって、領有されていた。

 パリ会議は、ヴェルサイユ会議としても知られるが、1919年2月に日本全権団が「人種平等条項」を提案したところ、11票対5票で採択されそうになったが、議長をつとめていたウィルソン・アメリカ大統領が、「このような重要な案件については、全会一致でなければならない」といって、日本案を葬った。

 小国が賛成票を投じたのに対して、アメリカはフィリピンを領有し、国内で黒人を差別していたが、英仏などの植民地帝国が反対した。

 今年は、日本全権団が「人種平等条項」を提案してから、百周年に当たる。

 日本は先の大戦で、大きな犠牲を払って戦って敗れたが、西洋が数百年にわたり支配していたアジア諸民族を解放し、その高波がアフリカ大陸も洗って、次々と独立していった。

 その結果、日本の力によって、長い人類の歴史における最大の革命となった、人種平等の理想の世界が、はじめて招来された。

 不平等条約改正と、人種平等の世界を創ることが、幕末からの日本国民の大きな夢だった。

 日本という太陽が昇って、世界を隅々まで照らした。

 私事になるが、オノヨーコが私の従兄姉に当たるので、ジョン・レノンとも親しかった。今年がジョンとヨーコが結婚してから、50周年に当たるために、内外でさまざまなイベントが催される。

 ジョンは『イマジン』の曲で有名だが、日本が先の戦争によって、戦争前に誰も想像(イマジン)すらできなかった、人種平等の世界を創ったことを高く評価して、ヨーコと2人で靖国神社に参拝している。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



日英においては、同盟時代からの交流が続いている自治体がある。

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https://www.sankei.com/column/news/190206/clm1902060003-n1.html

【ロンドンの甃】呉市長の心温まるメッセージ

2019.2.6 07:40|コラム|その他
 
 「ペンブロークの皆さまに歴史を遡(さかのぼ)ってお礼申し上げたい」。東郷平八郎元帥ゆかりの銀杏(いちょう)の苗木を日本に“里帰り”させる運動を進めている英南西部ペンブロークの人たちに、広島県呉市の新原芳明(しんはら・よしあけ)市長から心温まるメッセージが届いた。

 英海軍工廠があったペンブロークで明治草創期の軍艦、初代「比叡」が建造された。また日本海海戦(1905年)で勝利した東郷が滞在したことから「わが街こそ日本海軍発祥の地なり」と言い伝えられていると報じた小欄を読んだ新原市長が、苗木の受け入れを申し出た。

 新原市長は「東郷元帥が第2代参謀長として着任した旧呉鎮守府が開庁130年の今年、東郷旧居跡などへ植樹したい」と応じた。これを伝え聞いたペンブローク市民からは、呉市と姉妹都市提携の意見も出た。

 「英国の人に育てていただいたことに感謝」。東郷を祭神とする東郷神社(東京都渋谷区)も名乗りを上げ、今秋以降に“里帰り”が実現する見通しだ。

 ただ英国で育てた苗木を、土壌の違う日本に根付かせるには一定期間、日本の植物園で育成する必要がある。英国人が東郷元帥を「東洋のネルソン提督」と敬意を表して育てた銀杏の苗木を、手弁当で育ててくれる植物園が見つかることを期待してやまない。(岡部伸)

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



TPP交渉過程で、信頼された異色の外務省職員情報もある。

―― 参考情報 ――――――――――

TPP交渉でわが国が得たもの
https://ameblo.jp/akiran1969/entry-12434533313.html

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こうした情報を積み重ね、自治体国際交流業務担当者諸君、特に韓国の自治体との交流窓口業務に携われている方に申しあげたい。
交流それ自体、交流窓口担当者間で、酒を飲んだり、文通することが目的ではない。

当たり前のことだ。

自国のために、そして信義ある交流維持のために、自己犠牲の覚悟がおありだろうか?


私がみるところ、そんな奇特な地方公務員はまずいない。
比較的仕事が楽で、倒産の心配がない、ハズレくじがない職場という感じである。

もし、受け入れた相手国要人の(一時的な)付き人(通訳兼世話係)だったして、要人の不慮の事故死に際して、自決して償うだけの覚悟はあるだろうか?
私個人は、責任を負えると言い切れる自信はない。

すなわち、「覚悟がそもそもない?」自治体首長ならびに自治体職員に、韓国との交流を継続する資格はあるのだろうか、極論すると自治体関係者において、「非常識な対応を繰り返す韓国政府ならびに韓国政府職員に対し、翻意を促し、対応を改めさせるだけの覚悟と準備とスキルがあるのか」ということなのである。


以上


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テーマ : 韓国について - ジャンル : 政治・経済

05:02  |  外交  |  コメント(0)

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