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2018.12.09 (Sun)

韓国、韓国人を知るという事

徴用工賠償判決事案を受けて、我々は、韓国人が民族としてどのような思考回路の人たちなのか、歴史的経緯を踏まえ、正確に把握する必要が出てきた。



とりあえず本稿では、
韓国人の人間関係の基本
外来思想としての儒教をどう受入れ消化したのか
儒教思想の欠陥
事大主義と事大主義がもたらす近隣諸国との外交関係
歴代政権を政治的に牽引する?暴力団的性格を持つ労組組織
韓国人は洗脳されやすい民族
について、納得するレベルの記述について文献等から引用させていただく。



■韓国人の人間関係の基本

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朝鮮民族を読み解く 北と南に共通するもの
古田博司

19頁
よく日本人は韓国人を人情の民族だという。韓国に出向いたときにとても良くしてくれるのでそう思うのである。しかしこれには反対給付が伴わなければならない。むこうが来たときには同じような歓待があることが前提にされているのである。なぜならば、彼の地では他人との間に絶望的な亀裂があるので、お互いにそうしなければ信頼関係が保てないのである。先方が良くしてくれた分だけ、あるいはそれを超える心遣いがない限り信頼関係が築けない社会なのである。一言でいえば、人間関係において密着か疎遠かのどちらかの態度しかとれないこと。

92~93頁

すでに述べたように儒教とは死者とともにこの世の暮らす宗教である。死者は生きているように生者に養われ、飯を食うと観念される。そしてこの死者はその血筋の子孫が呼ばないと応じないし、逆に死者は子孫を産んでおかないと飯の食いあげになる。この生者と死者の総務関係の責任を、すべて生者の規範として負わせたものが、本来の意味の孝行の道徳、「孝」である。そしてこの道徳に基づき、血筋で過去・現在・未来とつながった一団が、生死にかかわりなくこの世に連綿と続くことが期待されるのであり、この一団を宗族というのである。

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■外来思想としての儒教をどう受入れ消化したのか

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朝鮮民族を読み解く 北と南に共通するもの
古田博司

98頁
とにかく外来思想が極端まで実践されるのが朝鮮である。

101~102頁
最近ではよく韓国は儒教の国だという人が増えてきたが、かの国は以上のような、なまやさしくない儒教教化の歴史をもつ国なのである。朝鮮の儒教が自然普及型ではなく、人為強制型であったことは注目してよい事実である。

中略

しかし李朝時代の孝行者とは次のようなわざとらしい者たちをいったのである。

平安道監司の李元翼が報告致します。泰川居住の科挙未合格者の金麟祥は誠孝(孝行の精誠)が天に抜きんでています。母親が生前病気のときに、きじが食べたいと思うと、きじが自然に部屋に入ってきました。母の死後喪に服して、骨が砕けるほど哀しみ、墓を守って三年、昼夜号泣しました。保人の李夢龍はその父の病を治そうと、香をたき、どうか自分を身代わりにしてくれよといのりました。父の糞を嘗め吉凶をしらべました。(糞甘ければ死し、苦ければ生きると考えられ、これを行うことは孝行者の真骨頂とされたー筆者)。両名の孝行もやはり故人に恥じません。論賞の沙汰、よろしく。(『宣祖実録』巻四七、宣祖二七年正月甲午条)

もっとも、このようなことは「無識の輩(つまり民衆)が互いに嘘をついて、そのことを誇張し、名目として、村人を集めて村の役所に提示し、ついには中央に報告されるのだ」(『寿谷集』巻九)と、一七世紀から一八世紀を生きた金柱臣という儒者が言っている。民衆はこのわざとらしい人為の所作を利用して、表彰品のたかりに精を出していたのが真相であった。




■儒教思想の欠陥

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『帰化日本人だから解る日本人の美点、弱点』
黄文雄、呉善花、石平

道徳

119頁
呉善花
韓国の道徳は裏ではどうなっているか。その実態の一つを表しているのが、道徳に反する犯罪が韓国にはとても多いという事実です。
なにしろ、韓国の犯罪発生率のトップが詐欺事件ですね。
日本は本格的な道徳教育をしていない代表みたいなものですが、韓国は本格的な道徳教育をしている国の最たるものでしょう。その結果がこれです。

121頁
石平
儒教ということでいうと、語っていることのほとんどが道徳倫理です。つまり、「仁」とか「義」とか「信」とかの徳目です。それなのに、中国では本当の意味での道徳心が育ってきませんでした。なぜかというと、道徳の根拠が何も示されていないからです。問題はまさにここにあります。
「仁」や「義」などの儒教が語る徳目の根拠は何かということ、これを儒教は明らかにしていません。人間はなぜ道徳を守らなければならないのか、動機付けがなくてはなりませんが、儒教はこれを与えていないんです。

122頁
石平
儒教は言葉で事を解決しますが、道徳は心を育てます。日本の伝統文化にはそういう心があったんです。

123~124頁
黄文雄
儒教道徳の「仁」とか「義」とかは外的に強制していくものです。仁たれ、義たれと外から強制的に押し付けるのが儒教思想です。
私の体験でいえば、外的な強制は親からの圧力と社会の圧力でした。そうして生み出される社会道徳というのは、非常に偽善的で形式的なものです。外的な強制が強ければ強いほど、人というのはやむを得ず偽善者になっていく。中華思想の教育を受けた人間ならば、独善的に考えるようになってしまうでしょう。
つまり、外的強制をすればするほど、人間の良心が奪われてしまうんですよ。儒教道徳の強制は、日本の国学者もいっているように、人間本来の良心を奪ってしまうんです。

124頁
黄文雄
老荘思想には、儒教の道徳を否定する考えがあります。荘子は儒教道徳の仁義を批判して、警察には警察の仁義があるし、泥棒には泥棒の仁義がある、それぞれ違うものだ、同じ一つの仁義ではない、ということをいったんで。つまり、儒教には仁義とは何かという概念規定がないわけです。
中略
ようするに、儒教がいう徳目というのは、それぞれの独自で解釈して構わないという考えなんです。

131~132頁
黄文雄
中国の殷(前十六世紀頃~前十一世紀頃)の時代には、道徳というよりも宗教的なお告げみたいなこと、たとえば売らないなどを大事にしていました。周(前一一○○頃~前二五六)の時代になって礼を強調するようになります。人間関係では、どういう時代にどういう礼をすればいいのかが、段々定まっていきます。時代を下ると、礼だけでは社会秩序がうまく保てなくなって、家族主義の社会でしたから、特に家族をめぐる精神的な規律としての道徳が唱えはじめられていきます。そうして、孔子が仁を強調し、孟子が義を強調するようになっていきます。
しかし、戦国時代(前四○三~前二二一)になると、礼と徳でも不十分、もうどうにもならなくなって、ついに法が出てきたわけです。法の規制がないと社会秩序を保てないまでになったんですね。そこで出てきたのが、戦国末期の韓非(~前二三三頃)らの法家思想です。

138頁
黄文雄
儒教道徳がカバーし得る範囲は結局のところ家族だということです。

風習

207頁
呉善花
韓国の美風といえば、何をおいても孝をつくすことです。両親、祖父母、祖先をはじめとする一族の目上の人に孝を尽くすことです。これが長幼の序として社会にも適用され、年上の者に礼を尽くすことになります。そして、国民としては国家に忠を尽くすこと、国家としては宗主国としての中国に臣下の礼を尽くすこと、これが伝統的に美風とされていました。歴史的にこれを自慢として、自ら「東方の礼儀の国」と誇ってきました。

208頁
黄文雄
「東方礼儀の国」というのは、ようするに、中国の属国として認められているということを意味するんです。韓国ではこれを美化して、我が国は礼儀正しい国だと誇ったんです。


270頁
呉善花
韓国の売国奴というのは、基本的に親日派の別名なんです。親中、新米だとはいっても、売国奴だとは誰もいいません。民族の敵としてあった日本、いまなおそのことを根本的に反省していない日本、そういう日本が戦前に我が国に対してやったことを、少しでも評価する者----それが売国奴なんです。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||




■事大主義と事大主義がもたらす近隣諸国との外交関係

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朝鮮民族を読み解く 北と南に共通するもの
古田博司

180頁
朝鮮の中国に対する事大意識というものが、中国の強大な武力を恐れるとか、その経済力を恐れるといったような現実的な力に対するものではなかったということである。もちろんそのような要素も皆無とはいえないが、その重要な部分はもっとナイーブなものである。

中華文明の師であり、上国である中国に侮辱されたくない。自分たちは、出身は東方の野蛮国ではあるが、中華の礼儀を身につけ、東方礼儀の国と呼ばれるようになった。そのように漢族から常に賞賛されたいというプライドの問題なのである。我々が日本語の語感そのままの「事大」と思うと大きな間違いになる。

181頁
このコンプレクスを解消するために朝鮮民族が選んだ道は、すでに第三章の「儒教の社会改造と宗教」の項で述べた中華の礼教を激しくも暴力的に教化し、実践する道であった。『朱子家礼』そのままに葬礼、喪礼、祭祀などを実践し、そして族譜をつくり、宗族を固め、再婚女を拷問し、不葬者を斬り殺し、喪に服さぬ者を百叩きにして、中国に胸を張って「東方礼儀の国」を自称したのである。

205頁
伝統的な華夷秩序のなかでは倭(日本)や女真(清国)は最下層の「夷狄」であった。そしてそれらは華夷秩序の頂点に立った礼儀・道徳の雄、「小中華」の朝鮮に膝を屈しなければならないはずなのである。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||




■歴代政権を政治的に牽引する?暴力団的性格を持つ労組組織

―― 参考情報 ――――――――――

まさに「暴治」国家…韓国労組は政権の“暴力団” 文政権における「ウリ」と「ナム」の概念
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/181206/soc1812060005-n1.html

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■韓国人は洗脳されやすい民族

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『帰化日本人だから解る日本人の美点、弱点』
黄文雄、呉善花、石平


24頁
呉善花
テレビでいっていたことが、ほとんど真実となって国民の間に信じられていくのが、韓国の言論問題の大きな特徴です。

25頁
呉善花
韓国人は伝統的に、映像や音声という感覚的な手段で訴えてくる力に弱いといえるように思います。

25頁
呉善花
韓国人はとくに直接的な刺激に弱いので、テレビが演出する疑似リアリテイをとても信じやすいんです。

26頁
呉善花
マスコミの役割というものが、まったくはき違えられていて、真実を報道するのではなく、自分たちが「こうあるべきだ」と考えることを、いかにももっともらしく上手に伝えるかが、多くのテレビマンたちの狙いになってしまっているんです。

27頁
呉善花
韓国では書かれた言葉よりも話された言葉を信じる傾向が強いんです。「言葉さえうまければ千両の借金も返す」ということわざがあるようにね。

27頁
呉善花
上手な話は信じるに値するということで、話が上手であればその内容はそのまま信じてよいという傾向が伝統的にあるんです。

28頁
呉善花
テレビでは、それこそ話のプロたちが巧みな話術でアピールするものですから、テレビの影響は日本などとは比較にならないほど大きいんです。「テレビでそういっていたよ」といわれれば、多くの人が疑いの余地もないくらい信じてしまうんです。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||




これらの分析、知見などから、韓国、韓国企業、韓国人と係わる必要がないこと、韓国と係わって良いことなどないことが予見されるはずと思う。
福沢諭吉の脱亜入欧論は、時代を越えてもなお正しかった、と言わなくてはならない。

さて、保守ネット界や一部政党においては、「日韓断交実現」と声高らかに語っている方を見かける。
私も徴用工賠償判決を契機に、断交派となった。
ただし、精緻な分析を経て、何をどのように、どういう手順で断交を実現するのか、完全断交なのか、不完全断交なのか、きちんと「経済交流、外交などに係わる、形態としての断交」の定義をしなければ断交を主張したことにはならないと考える。




以上



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