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2018.08.05 (Sun)

複眼思考について

本稿は、「複眼思考」に係わる私の体験談である。



若い頃、上司の中に、早稲田法学部卒業、雄弁会出身の方がいた。雄弁会出身の森喜朗元首相とも面識があり、森元首相の後輩だった方である。

―― 参考情報 ――――――――――

小渕恵三元首相も雄弁会所属議員だったそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B8%95%E6%81%B5%E4%B8%89

―――――――――――――――――

小渕恵三については、「正義の正体」という本にて、あの佐藤優が、自身の良き理解者として紹介している。そうであろうと思う。
また、小渕恵三が、首相になる前の大臣時代に、ある通産官僚OBの葬儀会場にて目撃、大変眼光鋭い政治家だったと記憶している。佐藤優がイメージする政治家小渕恵三は、人間味と凄みが同居した政治家だったようだ。





ここで、私が尊敬する上司について説明しておきたい。

私は、この上司から、仕事を通じて、ものの見方・考え方、酒の飲み方等々、ご指導いただいた。多くの先輩、同僚は、この上司の指導を嫌い、避け、この上司は「嫌われる上司の代表的存在」となった人物だった。が、私は受け入れた。

この上司は、私に対し、常に「複眼思考であれ」と述べた。
しかし、当時の私は、この意味がよくわからなかった。辞書にも納得できる説明がなかったようだ。




よって、「複眼思考」という言葉は、その時代以降、自分で定義するしかない言葉となった。




現時点で、複眼思考の意味について、イメージしていることを述べたい。
上司が述べた複眼思考の意味は、「対立する二つの要素について、感情を挟まずに、比較検討する行為を含む、冷静な思考態度である」と解している。
対立する二つの要素とは、具体的には、関係者が相対立する、利害関係が発生しているケースを想定いただきたい。(二つの要素ではないケースの場合、全方位的に扱うことになる。)




では、複眼思考で考えて、何をどう実現するか?という課題が発生する。

ビジネス社会においては、処理の基本は、稟議書決裁して、予算執行(工事予算等)、組織改正・人事異動等実施することとなる。そのために、必要な調査、比較検討、計画策定等、文章化を伴うものであることは自明。要するに、稟議書をイメージし、文章化する作業が多方面で発生する。

稟議書とは、簡潔明瞭かつ論理的な文章であることが求められる。
見方によっては、理系的世界であるような気がする。




拙ブログは、ジャーナリスト、学者等、文系の言論人たちの言論活動の甘さ(批判中心、文章的には流麗だが中身がない、提言部分が皆無)と何度も指摘してきた。ジャーナリスト、学者たちは、稟議書レベルの、「精緻かつ骨太の論理」を駆使して活動する、「実務社会の経験・スキル」を有さないことが原因であろうと考えている。

ジャーナリスト、学者出身を馬鹿にしているのではない。彼らとて、意識して取り組めば、身につくスキルである。しかし、売れっ子になると、「精緻な文章」よりも「流麗な文章」で稼ぐ方に流れている。(ように見える)精緻な文章は短文となる傾向があり、流麗な文章は長文になりやすいと考えれば、字数が多い方が原稿料は増える、、、ということである。




一例を挙げたい。
この上司から受けた日常業務指導の一端を紹介する。

この上司による、文章の推敲は凄まじいものだった。ある重要な稟議書の本文、仮に二百字くらいだったとして、その二百字の文章を、半年間、徹底的に日々手入れすることを、毎朝のように私に指示した。

上司の言い分はこうだった。この本文に、〇〇の要素を加味して組み直して欲しい……………
たった二百字の文章をキーワードを入れ替えつつ組み直し、三十回は修正、上司に文書提出したような気がする。

A4二頁になった場合は、長すぎるといつも却下された。
私は、胃に穴があきそうになり、国語辞典の他に、類語辞典を買い、一人、酒を飲みつつ考えた。しかし、上司が望むレベルにはなかなか達しない。
その上司は、部下指導の合間、どうしていたか?稟議書の本文をイメージしつつ、役員や重要な関係者と水面下で協議していた。つまり、その上司は、プロジェクトを成就・実現させるべく、水面下での協議を通じて、稟議書の重要な本文(二百字前後)の中に、有効なキーワードを探し出してきては埋め込み、どう配列し直せば論理的で説得力あるものとなるか、日々悩み、新たに発掘したキーワードの効力を試していたようなのだ。(対役員、対事業部長、対労組幹部)

私への指導は、社内協議のための試行錯誤の一環、延々と続いた。私はしごかれたことになる。
それまでは、稟議書の作文、そんなものは、絵に描いた餅であり、形骸化された言葉を羅列すれば事足りると考えていたが、最終的には組織として最終意思決定する際の、重要なキーワードが過不足なく入り、それらが「一本の筋が通った論理」で繋がる仕上がりとなったと記憶する。

すなわち、そのプロジェクトは、二年くらいの入念な事前協議を経て、稟議書の本文(約二百字)を全文読みあげるだけで役員会議にて了承され、稟議書にて最終決裁され、実行された。
その上司の下で働いたのは約二年間、その上司は鬼籍に入られた。この上司から頂いたご指導は政治ブログを維持するのに必要なスキルとなり、私の中で今も生きている。
少なくとも、この上司のものの考え方は、会社の中では誰よりも私が踏襲している、と自負している。
拙ブログは、この上司との出会いがなかったら、維持できなかった。そういう意味で、私は、早稲田雄弁会「準」OBとさせていただきたいと思っている。




そういう経験をしているので、民間企業においては、稟議書が書けない人、稟議書の重要さに気づかない人は、肝心な時に役に立たず、同時に、稟議書本文は陳情書の本文と似ており、稟議書が書けない人に行政機関への陳情効果は見込めないとの見解となる。




官界(特に、官邸スタッフ)は、精緻な稟議書にて決裁しているだろうと推定している。
憲法改正に係わる稟議書は特にそうだ。

ふわふわした作文しかできない言論人(たとえば、小説を書くことが本職の言論人)に、行政文書の記録文書として求められ相当期間保存される、稟議書に求められる論理性、精緻な文章表現の意味がわかるはずはない。極論すると、稟議書と小説はまったく異質の文書なのである。

従って、陳情行為を通じて何かを変えたい場合、官界が稟議書で決裁することを想定した陳情書でなくてはならないのであり、問題だー、問題だー、何とかしてくれー式の陳情書や抗議活動では、まったくお話にならないのである。


以上

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テーマ : これからの日本 - ジャンル : 政治・経済

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