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2018.01.01 (Mon)

[ベトナム戦争・日韓基本条約・米中接近・ロッキード事件・慰安婦問題]根っこはみな同じ?

本稿では、戦後アメリカ外交の中枢に深く関与していると噂される一人のユダヤ系アメリカ人に焦点を当てて、推論を試みる。

その人物とはあのキッシンジャーである。
政界入りする前はスパイ学校の教官だったそうだ。

■キッシンジャー スパイ学校の教官が政界入りした

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC

軍歴
第二次世界大戦中の1943年、大学での学業を中断してアメリカ陸軍に入隊する。陸軍ではドイツ語の能力を生かしヨーロッパ戦線の対諜報部隊軍曹として従軍した。すなわち、アレン・ダレスの部下としてOSSに配属されたのである。1945年5月のヨーロッパ戦線の終戦後はかつての母国ドイツに駐留し、多くのドイツ軍戦犯の処遇にあたった。これにあたって、多くのユダヤ人のアメリカ陸軍兵士が戦犯への激しい憎悪をむき出しにしていた中でキッシンジャーは「報復しようとは考えなかった。彼らがどうしてこのようなことをしたのかを知りたかった」と発言している。その洞察力を買われ、キッシンジャーはNATOスパイ学校の教官となった。ベトナム戦争時代には国家安全保障会議に「諜報委員会」を設けて自ら議長となった。

ハーバード大学院
1946年に復員し、ハーバード大学に入学。1950年、政治学の学士学位を取得し最優等で同大学を卒業する。引き続き同大学大学院に進学し、ウィリアム・ヤンデル・エリオット(英語版)の指導のもと19世紀のヨーロッパ外交史を研究し、1952年に修士学位を、1954年にはウィーン体制についての研究で博士学位を取得する[1]。

この論文では、その後の100年間 欧州で大きな戦争が防がれた国際秩序がどのようにして作られたかが論じられている。その要因の一つとして、敗れたナポレオンのフランスに対して、メッテルニヒやカスルリーらが、懲罰よりも力の均衡の回復を重視したことを上げている。

1951年には日米学生会議に参加している。大学院生時には指導教授の庇護を受け、世界各国の有望な若手指導者をハーバード大学に集めて国際情勢について講義や議論を行うサマー・セミナーの幹事役となり、国内外にその後のワシントン入りにも繋がる人脈を形成した。日本からの参加者としては、中曽根康弘などがいる。

外交問題評議会参加
ハーバード大学院における博士課程修了後に、同大学政治学部で教鞭をとっていたが、外交問題評議会への参加を通じて、同時代の外交政策にも積極的な提言をはじめる。

特にキッシンジャーはアイゼンハワー政権の採用した核戦略(「大量報復戦略」)の硬直性を辛辣に批判し、のちのケネディ政権が採用する「柔軟反応戦略」のひな型ともいえる、核兵器・通常兵器の段階的な運用による制限戦争の展開を主張した[2]。1960年代にはケネディ政権の外交政策立案に一時的に関与することとなる[3]。

政権入り   ニクソン政権

ニクソン大統領、フォード副大統領とヘイグ首席補佐官とともに(1973年)
1968年の大統領選挙では共和党の大統領候補指名選に立候補したネルソン・ロックフェラーの外交顧問を務めていた。しかしロックフェラーの敗北後に、アイゼンハワー政権の副大統領であったリチャード・ニクソンから直々のスカウトを受け、政権誕生とともに国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢に入り、ニクソン外交を取り仕切る。キッシンジャーの大統領補佐官指名は、国務長官、国防長官の指名の前になされた。ここにニクソンのキッシンジャーへの期待を読み取る論者も少なくない。

ジョンソン政権までの外交政策は、国務長官が決定権を握り、国家安全保障担当補佐官は調整役とされてきた。しかしニクソンとキッシンジャーは国家安全保障会議(NSC)が外交政策の決定権を握るべきだと考えていた。ニクソンの命を受けたキッシンジャーはNSCのスタッフ(特別補佐官)に若手の外交官、軍将校、国際政治学者をスカウトして組織した。キッシンジャーからNSC特別補佐官にスカウトされた人物には、アンソニー・レイク、ローレンス・イーグルバーガー、アレクサンダー・ヘイグ、ブレント・スコウクロフトなどがいる。

キッシンジャーは、国務省などと激しい権力闘争を行い、ニクソン政権ではNSCが外交政策の決定権を独占することとなる[4]。特にウィリアム・P・ロジャーズ国務長官を重要な外交政策から排除してしまった。キッシンジャーは、NSC特別補佐官のほかに大使、駐在武官、CIA支局長などをNSCの手足として用いていた。

後述する1971年の極秘訪中の際も、キッシンジャーはロジャース国務長官と国務省に一切知らせずに、フランス、ルーマニア、パキスタンなどに勤務している駐在武官やCIA支局長を利用して秘密裏に北京に到着した。北京では、中華人民共和国側の英語通訳に依存して交渉が行われた。

冷戦政策の再構築を意図したニクソン政権期の外交の中で、キッシンジャーは重要な役割を果たした。1971年にはニクソンの「密使」として、当時ソ連との関係悪化が進んでいた中華人民共和国を極秘に二度訪問。周恩来と直接会談を行い、米中和解への道筋をつける[5]。一方で、この中華人民共和国との和解を交渉カードとして、ベトナム戦争終結に向けた北ベトナムとの秘密停戦交渉や、ソ連とも第一次戦略兵器制限条約(SALT1)を締結するなどデタント政策を推進した。

またこのような大国間関係の動きと連動して、ニクソンとキッシンジャーは1960年代から1970年代初頭のアメリカにとって最大の外交問題であったベトナム戦争の終結にも成果を納めた。アメリカが中ソと関係改善を行い、その結果、ベトナム戦争において中ソ両国の支援を受けてアメリカと対峙していた北ベトナムを外交的に孤立させ、同時に大規模な北爆の再開や機雷封鎖などで軍事的にも追い込み、アメリカはジョンソン政権時代の1968年5月よりパリで暗礁に乗り上げてきた和平交渉妥結に成功した。ニクソンの訪中から3か月後に行われたこの北爆再開と海上封鎖も中国の了解を得たとされ、ベトナム共産党書記局員で党機関紙編集長も務めたホアン・トゥンは「中国は『中国を攻撃さえしなければよい』と米国に言った」と証言している[6]。1973年にはパリ協定が調印され、ベトナム戦争終結への道筋をつけることとなった[7]。これを功績としてアメリカ交渉団の代表であったキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞する[8]。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


政界入りし、世界の外交を主導した時代、日本の位置づけはどうだったか?

キッシンジャー外交路線は、日本にとってはGHQ支配に代わる間接支配を目論んだと推定。

■キッシンジャー外交の本質 日本を韓国に間接支配させ中国に覇権を一部付与する?

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http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-800.html

ここで、日韓議員連盟なる仕掛けを編み出した、腹黒い動機の存在?についてシナリオ化しておく必要がある。

中略

日韓議員連盟は、「1972年にアメリカの意向で発足した日韓議員懇親会」であることに私は注目している。
日韓議員連盟は、キッシンジャー外交の一手段として編み出されたツールではないか?

中略

日韓友好議員連盟を通じた、日本支配のツールは3つ。
一つは、C●Aのエージェント指令による支配。
残り二つは、日本国内のパチンコマネー、日本から韓国への経済援助のリベートの還流
それらのマネーを介在させるために、日本の国会議員に対し、1対1で韓国の国会議員をあてがい、新韓政策を加速させようとしたのであろう。

その結果、韓国のサムソン、現代自動車、ポスコなど、各工業分野での躍進があり、韓国に投資した、アメリカ資本(ユダヤ国際金融資本)が、最終的にボロ儲けしたのではないか。

中略

すなわち、この図では、日本を攻撃する韓国の動きの黒幕は中共であるように描かれているが、その後ろにあるもの、それは、GHQあるいはそれを引き継いだ在日●軍もしくはC●Aではないか?そういう仮説を立てる必要がある。

支那事変の時代、蒋介石のスポンサーは英米であったことが(歴史書的には)明るみになっているが、日韓議員連盟は手法的にはソフトではあるものの、
歴史的には、①日本弱体化、②日本の間接支配、③韓国に投資した米国資本の利益追求を目的としていたのではないのか?、とキッシンジャーに質問する価値はあるだろうと考えるのである。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

直近で、キッシンジャーは何を目指しているのか?

田母神俊雄の告発、逮捕に続く措置だと位置づければ、板垣英憲の情報は、嘘ではないのかもしれない。

■キッシンジャーが安倍政権打倒のために東京地検に指令を出した?

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http://magazine.livedoor.com/press/19080

東京地検特捜部(森本宏特捜部長)は、安倍晋三首相をターゲットにして徹底捜査、背後に米キッシンジャー博士がいる
2017年12月28日発行
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板垣英憲(いたがきえいけん)情報局 ~マスコミに出ない政治経済の裏話~

  2017年12月28日

◆─── - - -                    - - - - - ───◆

世界の政治・軍事・経済・金融を支配するパワーエリートの動きやその底流で
行われている様々な仕掛けなどを中心に、重要情報(特ダネ)をキャッチして速
報する。板垣英憲の過去著書も連載します。
                         政治評論家 板垣英憲

◆─── - - -                    - - - - - ───◆

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東京地検特捜部(森本宏特捜部長)は、安倍晋三首相をターゲットにして徹底
捜査、背後に米キッシンジャー博士がいる
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◆〔特別情報1〕
 東京地検特捜部(森本宏特捜部長=名古屋大学法学部卒)は、安倍晋三首相
をターゲットにして、徹底捜査中だ。具体的には、大阪市の「森友学園」をめ
ぐる「国有地格安払い下げ・土地ころがし事件」(籠池泰典前理事長・妻の籠
池諄子夫人=詐欺罪で起訴・拘留中、財務省近畿財務局、国土交通省大阪航空
局を取調べ中)、岡山市の「加計学園」岡山理科大学獣医学部新設をめぐる加
計孝太郎理事長と安倍晋三首相との「贈収賄容疑」、スーパーコンピューター
の開発を手掛けるベンチャー企業をめぐる国の助成金不正受給事件(「PEZ
Y(ペジー) Computing(コンピューティング)」社長の斉藤元章
容疑者(49)と元事業開発部長の鈴木大介容疑者(47)を起訴、リニア中
央新幹線の建設工事をめぐるゼネコン大手4社の談合事件で、大林組、大成建
設、鹿島建設、清水建設を強制捜査、リニアをJR東海の事業から国策事業に
すべくJR東海の葛西敬之代表取締役名誉会長と接触した安倍晋三首相、菅義
偉官房長官との関係を解明中だ。東京地検特捜部・大阪地検特捜部を背後で動
かしているのは、米トランプ大統領の指南役・忍者外交のプロであるキッシン
ジャー博士の指示を受けた米CIA(ロスチャイルド派)である。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


上記情報が真実とすると、田母神告発した者、検察関係者、いずれもC●Aのエージェントということになる。

となると、韓国で足止めをくらっている、奥氏の件、韓国当局独自判断ではなく、指令を受けてそうした可能性がある。

―― 参考情報 ――――――――――

奥茂治さんを励ます会報告
http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53262966.html

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目的は何か?
安倍政権の支持基盤(簡単に言うと政権の親衛隊的存在)の勢力を削ぎ、保守陣営の勢力分散を狙いとしているのではなかろうか?

スパイ学校の教官出身者なら、考えそうなことではなかろうか?

万が一、ロッキード事件のような事態となった場合、時節柄、東京地検等はC●Aエージェントとして指令を受け、操られた存在であることが知れ渡ることになるであろう。

また、希望の党の立ち上げに係わり落選した若狭某
愛知の不倫特区から再選した山尾某
いずれも検察官出身。

一連の田母神裁判において、検察審査会マターにしてもよさそうな、言動的に未熟な検察官もいた。

山尾某などは、精神的に人として破綻しているような部分がある。

すなわち、検察の世界が、もし、スパイ学校の教官出身者に今も操られているのであれば、
司法試験制度に何らかの細工が施され、裏口で合格できるようなシステムになっているのではないか?

若狭某、山尾某を眺めているうちに、板垣英憲の記事は、案外真実なのではないか?と思いつつある。

ここで、1970年前後に起きたことで時系列的に眺めてみたい。
日韓基本条約(1965年)
ニクソン大統領の中国訪問(1972年2月)
日中国交再開(1972年9月)
日韓友好議員連盟(1972年)
ベトナム戦争終結(1975年)
ロッキード事件(1976年)

日韓基本条約は、ベトナム戦争に参戦した韓国軍に対する、アメリカのご褒美として、スパイ学校の教官出身者が編み出された可能性はないのか?

日本政府は、憲法上の制約からベトナム戦争に参加しなかったので、日韓基本条約を呑まされた可能性はないのか?(吉田茂在命は1967年まで)

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http://www.asahi.com/international/history/chapter08/02.html

韓国は南ベトナムを支援するため、派兵した。64年から73年までベトナム中部を中心にのべ約32万人。医療部隊から始まり、猛虎、白馬、青竜と、勇ましい名前の精鋭部隊が次々と送られ、その規模は主役のアメリカに次ぐ。兵士以外にも、軍関係の仕事で出稼ぎに行き、故郷に立派な家を建てた人も少なくないという。

 ソウルの戦争記念館は、制服姿の軍人らでにぎわっていた。そこでは、ベトナムへの派兵について「共産侵略者と戦う自由ベトナムへの支援は、集団安保のための国土防衛策の一環だった」と説明されている。洞窟(どうくつ)に潜んでいる「ベトコン」(南ベトナム解放民族戦線)をいかに掃討したかを、図入りで誇らしげに示している。

 「ベトコンは米兵とは戦ったが、韓国兵を見たら恐ろしくて逃げたんだ」。高校生を引率した教師の声が聞こえた

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

日韓友好議員連盟は、憲法上の制約から日本がベトナム戦争に不参加としたことに対する、アメリカによる政治的報復であり、日本を弱体化させ韓国を通じて間接支配する目的で編み出した側面はないのか?

田中角栄首相が、アメリカが反発することを承知で日中国交再開を強行したのは、アメリカの対日外交の意図を読み取り先手番をとろうとした結果であり、東京地検特捜部が前例のない無理筋で公判維持したロッキード事件は、戦後続いた日本政界の支配構造を一旦リセットし日韓議員連盟を通じて支配するべく、編み出されたものではないのか?

その後、田中真紀子が親中派に寝返り、小渕優子も親中派に属していると言われるのは、アメリカに、実父を抹殺された末の決断…………………

私は、(愛国者?)田中角栄再評価論のシナリオを導こうとしているのかもしれない。

そのうえで、慰安婦問題の再燃も昨今のマスコミ偏向捏造報道も、森友・加計騒動も安倍政権に対する国連レベルでの批判も、韓国や日韓友好議員連盟を通じた日本の間接支配失敗に続く、追加措置の位置づけなのではないか。悪い方に考えれば、悪い方に考えるほど、推論はどこまでも続くのである………

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テーマ : アメリカお家事情 - ジャンル : 政治・経済

20:24  |  アメリカ  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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