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2017.12.14 (Thu)

「政治学・哲学」関係の大学教官・教科書執筆者・教科書検定官を総入れ替えしなくていいのか

拙ブログは、大学文系学部の教官の95%をリストラすべきとの視点から出稿を続けている。

既に、歴史学、憲法学については、95%の大学教官は社会的に不要であろうとの結論に達している。



まず、政治学・哲学の分野の大学教官の大半をリストラする根拠を、中川八洋の文章の中に見出したので紹介させていただく。


||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

絵解き ルソーの哲学

206~209頁

解説 中川八洋

近代政治思想は、二つの巨大山脈を生んだ。一つがフランスのデカルトの理性(人間の智力)至上主義に、人格改造と文明破壊を伴うルソーの全体主義体制主義を複合させた哲学体系である。しかし、もう一つ、思想の巨大山脈ある。マグナ・カルタ(1215年)からコークの『イギリス法提要』(1628~41年)を経て、ブラックストーンの『イギリス法釈義』(1765~69年)とバークの『フランス革命の省察』(1790年)で大成された英国の保守主義の哲学である。この保守主義の哲学は、米国の「建国の父」G・ワシントン/A・ハミルトン/J・アダムスらによって(バークを除き)米国にそっくり継承された。「米国とはマグナ・カルタ/コーク/権利章典/ブラックストーンの冷蔵庫である」、ともしばしば言われるが、米国憲法とその系譜こそは、英国保守主義という英国の”自由の哲学”を後世に守りつづける正統な嫡男である。
ところが日本では、この巨大な山脈である英米の保守主義をばっさりと抹殺した。代わりに、「ホッブス→ベンサム/ミル」の非英国的な英国の異端思想や、クロムウエルの革命派の残党で英国思想の傍流にすぎないロックをもって、「英国を代表する哲学」という偽りを繰り返し宣伝してきたのである。あるいは、功利主義のベンサムが日本に人気があるのも、何か裏がある。ベンサムとは、英国では「哲学的過激派(philosohical radicals)として忌避され、唯物論者で無神論のエルヴェシウスなどのフランス啓蒙思想を継承するその直系である。ベンサムは、フランス革命思想にどっぶりと汚染された。英国の伝統的思想をまったく欠く人物であった。だから、ベンサムの保護下でオーウエンのような社会主義者が生まれたり、マルクスを本質的に変わらぬ(表面的には穏やかな)社会主義イデオローグのJ・S・ミルという愛弟子が誕生したのである。

米国思想に対しても同様で、日本の学界のなした歪曲と捜査は目に余る。まず、J・ロックを下敷きに書かれた米国の独立宣言(1776年)は米国思想とはならず一時的な徒花としてすぐ枯れて完全に棄てられた。なのに、これをもって米国憲法の思想などという真っ赤な嘘は東大法学部ですら「常識」である。あるいは、フランス革命を称賛するような英国のペイン(『人間の権利』の著者)は、『コモン・センス』で米国の独立戦争に多大な影響を与えたにもかかわらず、「建国の父」ワシントンらが最も嫌悪した人物であり、あるいはその墓を米国につくることを米国民は許さず遺骨まで”国外追放”になった事実は日本では教えられていない。

米億の主流で正統派の思想は、あくまでも、コークとブラックストーンであって、建国が200年以上経た今日においても不動である。英国のコークとブラックストーンの継承者たるA・ハミルトンが米国憲法起草のリーダーであり、米国憲法を解釈する際の「聖典」となっている『ザ・フェデラリスト』はこのハミルトンがマデイソンとジェイと共同執筆したものである。

米国の憲法思想の一つとして誰でも知っている「司法の違憲立法審査権」は、このハミルトンが『ザ・フェデラリスト』で理論化したものであるのに、ハミルトンの名を知らない日本人は極度に多い。トーマス・ジェファーソンの名を知りながら、ハミルトンの名を知らないという偏りの事実こそ、日本におけるマルクス主義が独占する学界と教育界が、英国の保守主義の法思想の嫡流である米国思想を歪曲することに全力をあげてきた証拠である。
米国における「ルソーの不在」は、正統の保守主義思想家であるワシントン/ハミルトン/J・アダムスたちがいかに主流であり強固のものであるかと端的に物語っていよう。デモクラシー派の巨頭ジェファーソンすら、フランスの啓蒙思想に一時は傾斜していたことすら公言できなかったほど、米国はルソーを100%排除した。このように「米国はルソーがいない」事実ほど、米国思想の正しい実像を無言で語ってくれるものはないだろう。

英国がルソーを危険思想として排除し忌避する思想的基盤は、「マグナ・カルタ→コーク→ヘイル→権利章典→ブラックストーン」の「法の支配」を絶対的な憲法原理と考える法曹界の伝統とともに、エドマンド・バークによってルソーなどのフランス啓蒙哲学を全否定する”保守主義の政治イデオロギー”が理論家されたからである。フランス革命の真因であるルソー/ヴォルテール/エルヴェシウス/デイドロら啓蒙哲学全体を一つ残らずすべて徹底的に否定した。
そして、エドマンド・バークは、現在でも”英国最大の天才鉄人”として英国思想界に君臨しつづける”永遠の巨星”である。英国において「ルソー批判」「ルソー否定」は絶対多数の英国人の常識となったのは、このように、バークの功績である。ルソー文学から手厳しく批評したバビット教授(ハーバード大学)の『ルソーと空想主義(ロマン主義)』(1919年)などの例外はあるが、「ルソー不在」の米国よりも、英国は「ルソー否定」を積極的に展開し、それを正統思想としている。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



手順的には、「哲学・政治学」の大学教官に対し、上記の文章について反論を課すことで、当該大学教官の実力がどの程度か、どの程度学問的に偏向しているか、どの程度学問的に無知か、どの程度系譜的に押さえていないか、を確認することになるだろう。

上記の情報は、有能かつ勉強熱心な大学生にとって、大学教官に対し質問する格好の素材となるだろう。



ここで、ドイツ思想・哲学に精通している、西尾幹二について取り上げたい。
その理由は、紀伊国屋書店に行けば、哲学書コーナーにて、福田恆存評論集と並んで西尾幹二全集が並んでいるからだ。
福田恆存は日本の保守思想の砦であり続けているが故人である。
西尾幹二は出版ビジネス的には、権威と見なされてきた方のようである。

中川八洋は、西尾幹二を徹底批判している。やり過ぎだというレベルだが、上記の引用した文章を読んでいくと、西尾幹二は、専門とするドイツ思想・哲学について、中川八洋のように学術的・体系的・論理的に把握そして論文記述しているのかという疑問がわく。

その前提で、西尾幹二のブログ記事を読んでみたい。

―― 参考情報 ――――――――――

九月「保守の真贋」の出版(一)
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2221

九月「保守の真贋」の出版(二)
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2226

―――――――――――――――――



西尾幹二のブログ記事と上記中川八洋の文章を比較いただきたい。

どちらの文章が、学術的で体系的で論理的なのか、一目瞭然であろう。

西尾幹二はどうか?
政権批判するくらいなら誰でもできる。別に、学術的である必要はない。が、政治思想・哲学の権威なら、学術的・体系的・論理的な作法が要求されるのは当然のことだ。

この程度の書きぶりなら、中川八洋と専門領域で論争して………………だろうと予想する。

西尾幹二全集には、中川八洋が書いたような、上述の政治思想・哲学の系譜が記されているのか、それともバラバラで独立したものとして書かれているのか?私は興味がある。



それによって、学者として、学問対象を体系的に捉えているのかそうでないのかを判断することになる。

おそらく、上記で紹介したブログ記事の文章から察するに、中川八洋の上述の書きぶりほど、学術的・体系的・論理的ではないのかもしれない?と推定する。




ただし、本稿で紹介した、中川八洋の説が100%そのとおりかどうか、しかるべき学術書をすべて読破した訳ではないので、確信は持てない。
それでも高校1年生の時、書店の文庫本で数十冊の哲学書を買込み、読破を試みた。その中に、ルソー、カント、デカルトなどが含まれていた。最終的にニーチェ、ヒルテイ、アラン、ギリシア哲学は手元に残したが、他は読み捨てた。
要するに、比較的健全・有益と思われる思想・哲学がどれなのか、高校生の判断で選んだことになる。
当時、読み捨てた理由を明確に文章化することはできなかったが、中川八洋の解説を読んで納得した。

―― 参考情報 ――――――――――

戦後の文系学者の大半が「意味のない研究」をしてきたのではないのか?
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-752.html

―――――――――――――――――

さて、ノンポリであると表明したことで批判を受けたことがあるので弁明しておきたい。私個人については、正確に表現すると、政治思想・哲学書を高校1年生の時から読んでいる点において、政治思想とその系譜には無関心ではなく、現実の政治については無関心(ノンポリ)だった、と書き直したいと思っているところである。




本稿のまとめに入りたい。

簡単に書くと、こうなる。

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本稿のまとめ

・政治思想・哲学の領域において、国家、国民にとって有害なものばかり扱う学者が大部分なのであれば、政治思想・哲学を扱う学者の大半はリストラされるべきだ
・政治経済、倫理社会の教科書から、国家、国民にとって有害な思想家、哲学者の記述は除かれるべきだ
・教科書執筆者や教科書検定官のリストラ、総入れ替えを進めるべきだ
・高校の倫理社会の授業は、有能な講師にYOUTUBE動画で行なわせることで、教員の人件費コストの大幅削減が可能である

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本稿の検討から、歴史学、憲法学、哲学、政治学の分野にて、大部分の学者をリストラする論理的根拠を見出した関係で、今後は、経済学、法学等の分野での文系学者の大規模リストラのロジック・シナリオを見出すべく、調査検討を進める所存である。


以上

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テーマ : 保守主義 - ジャンル : 政治・経済

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