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2017.06.26 (Mon)

凶暴な女たち  豊田真由子はなぜああなったのか?

※「第一稿にて、石田ゆり、と表記した箇所について、コメント頂いた方から「石田ゆり子」の間違いではないかと指摘」があり、管理人の錯誤であったことを確認、6月26日15時50分当該箇所訂正しました。

※「助長する」という動詞について、コメント頂いた方からの指摘により、6月27日6時25分削除しました。



本稿、女性批判記事である関係で、いらぬ批判を受けることを回避すべく、男については男、女については女性と表記する。




自民党豊田議員のことがネット界で話題になっている。

―― 参考情報 ――――――――――

豊田真由子の最凶伝説がヤバすぎる…【音声あり】秘書が20人辞める 夫や子供
https://saisin-news.com/toyotamayuko-saikyoudennsetu/

―――――――――――――――――

経歴的には素晴らしい、が言行は、とんでもない。そういう評価となった。
もはや公職を得ることは不可能だろう。

豊田真由子
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E7%9C%9F%E7%94%B1%E5%AD%90

小坪しんや議員は、他にもトンデモナイ事案があるとしている。

―― 参考情報 ――――――――――

【暴露ネタ】豊田真由子の、まだメディアに出ていない新情報【許せなかったらシェア】
https://samurai20.jp/2017/06/toyoda/

―――――――――――――――――

森友、加計に続く、一騒動になりそうな気がする。


が、私は、弁護する気はない。起きるべくして起きたと解している。なぜそうなったか。
これまで咎められ、叱責され、素直に反省する機会がなかった、ということである。
ファーストレデイと言われる方の中にもそういう傾向のある人はいる。
彼女も、叱られたことがない、育ちはいいが………………

ただ、私は、彼女の眼の形をみて、やはりそうかと思った。
名前に、「真」という漢字もある。「真」は半島系の方に多い名だそうだ。


会社に、名前に「真」がついた、先輩がいた。パワハラ常習者だった。その先輩は、同じ大学で、馬鹿で酒癖が悪い、あんな馬鹿にどうして大学はあの会社に推薦状を出したのか。別の先輩から在学中に何度も聞かされたほど、学生時代から悪名高い人物だった。
この悪名高い先輩、頭の形、仕事への取り組み、上司に媚びへつらう一方部下には凶暴であった。特徴ある、名前の文字などから、血筋的に日本人ではなさそうだとみている。

さて、私の幼馴染に一人、凶暴な女の子がいた。突然ヒステリーをおこし、所構わず、ハサミやナイフを振り回すのである。私も一度被害を受け、それ以降その女の子には話かけることはなかった。兄弟もいたが、暴力主義的傾向があり、母親に暴力を振るい、小遣いをせびったと近所で噂されていた。その父親は酒癖が悪く、案の上、母親は早死に、良い人ほど薄命、という結果となった。彼女は、教師をやっている。私は、彼女の本性を知っているので、生徒たちが気の毒でならない。

こんな女学生もいた。
出身は女子高。成績はピカ一。学科は理系。容姿的には美人、スタイルもいい。育ちもいい。だが、同年代で交際相手に名乗り出る者はいない。彼女は暴力的では決してない。が、左程情報通でなかった私でさえ、あまりにキツ過ぎる言動があった、女子高時代の噂を聞いて知っていたのだ。彼女は結婚相手に対して、いつか、刺すような言葉を吐くであろうことを、それが言われる立場において致命的な一言となるであろうことを、世の男たちは予期していたはずだ。そんな彼女も一度だけ、ある男と交際していたが、長続きせず、彼女は、誰もが知る有名企業に就職、今は海外の研究所にいるはずだ。おそらく独身だろう。


話題を変えたい。

あまりテレビを見ることはないが、肉食系の女性ばかりが目立つ昨今、私は、石田ゆり子出演のCMを眺めてほっとする自分を発見している。

―― 参考情報 ――――――――――

パナソニックリフォーム 「あたらしい物語が、つづく。」
http://cm-watch.net/panasonic-reform2017/

おじさん心くすぐる… 石田ゆり子の「もっと、ゆるもぉ」にドキッとする
https://feely.jp/62733/

―――――――――――――――――

私は、石田ゆり子をまったく知らない。が、CMタレントとしての石田ゆり子は、素晴らしいと言わざるを得ない。女性の歳のことは話題にすべきではないかもしれないが、47歳だそうだ。妻には、そうあって欲しいと願っている。

決して派手さはないが、彼女は、世の男が女性に求める、あるいは、日本女性に失われつつある、何気ない親しさを示す、挙動を演技することに、誰よりも成功しているのではないか?(彼女の本性が本当にそうであるのか、そうでないのかはここでは問題ではない!)


さて、男の場合は、多少凶暴なのは、チンピラみたいな人生を送る人を除き、概ね是正される。極一部を除き、そういう社会である。

ところが、女性の場合は、それが容認されると本人が錯覚するようだ。
無作法、マナーの悪さ、約束を破ったことを指摘しても、なかなか認めようとしない頑固な人がいるが、概して、女性にその傾向が強い。
交通違反を検挙したパトカーの警官が、違反車両に近づき話かけようとする際、ドアをロックしてなかなか開けようとしない車両を何度か目撃したことがあるが、その種の車のドライバー、女性ドライバーが多かった印象がある。

私は、一部の女性が示す、ある傾向を書いている。
問いつめても返事がない。それでいて逆恨みする。困ったものだ。

最近、私は道を塞ぐような運転をする女性ドライバーに憤慨したことがある。
道路横断する車両が、意図して道路を塞ぎ、会釈一つしないで通過するのである。

一方通行道路を塞ぐように逆進してきても、過ちを認めなかった、女性ドライバーもいた。

男の中にも運転マナーの悪いのはいる。それは、車両の種類、色、ナンバーで一見してわかる。

しかし、女性の場合は、見分けがつかない。それゆえ、時に不快な気分になるのだ。
ただ、蓮舫のように襟にアクセントがある、カチっとしたファッションの女性には気をつけるようにしている。

運転免許更新の際に、無事故・無違反のドライバーは、女性のペーパードライバーたちが多いはずだ。
だが、彼女たちが、道を譲られた際に、会釈の一つもしないドライバーたちが過半であることに私は気づいている。実際そうなのだ。
男の場合は、9割方、会釈するか手を振るか、ハザードランプで示す。仕事上の礼儀みたいなものだ。

豊田議員は確かにおかしい。
しかし、おかしいのは、豊田議員だけではない、と言いたい。

が、一部女性ドライバーたちの、礼儀をわきまえないマナーの悪さ、男女共同企画だの、女性の活用など、十分過ぎる施策が執られてきているのに、女性たちは、それを既得権だと錯覚しているのであれば、残念でならない。

安倍首相は、女性活用拡大を言い過ぎた。また、安倍首相は昭恵夫人を放任し過ぎた。
そういう認識である。

女性軽視(蔑視)の視点から書いているのではない。
また、世の中には、見るからに(心やさしき)大和撫子がいることも、欧米社会において、格言みたいなレベルで「結婚するなら日本女性」という言伝えがあることも知っている。

が、身近な女性たちは、より肉食系で多分に草食系の私からみて、箍が外れたように映る、それが豊田議員の現象となって表面化した、という見立てとなるのである。

そして、そういう殺伐たる世相であるがゆえに、石田ゆり子が出演するCMを見ている瞬間だけ「癒されるオジサン」化した自分を発見するのである。

以上

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12:15  |  社会認識  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

2017.06.25 (Sun)

保守偽装の問題  読むよりも書いて思考整理する大切さについて

田母神俊雄の最新刊、保守偽装の問題を取り上げている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

日本の敵

「日本の敵」田母神俊雄

判決後、初の著作で「日本派保守」のために
田母神はすべてを書き綴った

田母神俊雄は、自分の信念を曲げずに自衛隊をクビになった男である。
つまり、初めから賢くなど生きられなかったバカな男なのだ。
だったら、ここでも自分の信念に従って愚直に生きる。
私は、私自身に与えられた使命をこれからも全うするだけである(本文より)

田母神はこう言った
「残りの人生を賭けて日本の敵と戦うことを宣言する」と
本来政治は現場のためにある。弱い者のためにある。
にもかかわらずこの四半世紀、「改革」の名のもとに盤石であった日本社会は徹底的に
ぶっ壊されてしまった。日本の現場の声と反対を無視して強行された「改革」で、
中流階層は、貧困・格差問題に晒され、
盤石だった終身雇用や年功序列も崩れた。
安心から不安への「改革」で日本社会は弱体化されたのではないだろうか。
では、政府はいったい誰のために「改革」を行ったのか。
はっきり、わかっているのは私たち国民のためではないばかりか、むしろ、日本の国益を
脅かし、自主独立を阻む勢力=「日本の敵」のための改革だったということだ。
本書は、日本の長きにわたる文化を破壊し、国民を死地に陥れる「真の敵」と向き合い、
より良き日本を「取り戻す」ための論考である。
勾留169日の間、獄中で考えに考え尽くしたこと、それは、田母神自身の思想の原点に立つことであり、
日本の自主独立のための真摯な省察である。


≪目次≫
はじめに
第1章 偽装保守
第2章 敗戦利得者
第3章 グローバリズムと改革バカ
第4章 韓国と北朝鮮と中国
第5章 憲法9条
第6章 マスメディア
第7章 我、獄中より生還せり
補遺 田母神判決の真実
おわりに

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

錯乱癖ある言論人は、どう反撃するか?
今まで共産主義者だった人が、ある日突然愛国者だと語り始めた経緯、周知の事実となりつつある。

一方、中川八洋は、最新稿にて、産経が「退位特例法」の「退位」を宮内庁や内閣法制局の赤い官僚たちと結託して、これを「生前譲位」であるとし、健全な産経読者に対する目くらまし報道を行った、と酷評した。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2017/06/23/142056

結論を先に言えば、「退位」を冠する特例法に対する批判を封殺するために、産経新聞は“共産革命語「退位」隠し”という犯罪報道を徹底的に行った。さほど教養がなくとも、まともな日本人なら、(1945年9月2日の)英米への降伏後に、天皇制廃止のための昭和天皇退位論をキャンペーンすべく新しく造語された悪意芬々の二文字「退位」が、コミンテルン(共産革命)語であることは何となく気付く。多少でも皇室護持の心意気を持つ日本人にとって、「退位」は、狂った天皇制廃止スローガンだと喝破できる。少なくとも暴語「退位」には嫌悪感情が湧き、「排斥せねば」と真正の日本国民なら義務意識が燃えてくる。

 そこで、共産党だけでなく、宮内庁や内閣法制局の赤い官僚たちは、「退位」という二文字から、特例法が天皇制廃止準備法となっていることを見破られるのではないかと冷や冷やビクビクだった。特に、「退位」という二文字から特例法が天皇制廃止準備法であることを見破る日本国民がいるとしたら、それは産経新聞の一部の読者(=健全な日本人)であろうし、産経新聞がこの読者に呼応して、「退位」の二文字を正しい伝統語「譲位」にせよと大キャンペーンするかも知れないと怖れた。

 ところが産経新聞は、内閣官房等の赤い官僚群の怖れとは逆さに、総理官邸/宮内庁/内閣法制局の赤い高官と謀議して、“共産革命語「退位」隠し”の役目を買って出た。産経新聞は、今般の特例法に限っては、天皇制廃止狂の本心(=カムフラージュ産経イデオロギー)を剥き出しにした。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

拙ブログは、産経報道「生前譲位」の趣旨が何であるか検証せずに、タイトル的には、「生前譲位」で通した。

理由は、皇室敬語的判断でそうした。
中川八洋は拙ブログを酷評するだろう。私は受け入れるつもりだ。

さて、拙ブログ管理人は、ノンポリ、にわか保守であるとしている。
もちろん、人は、生まれた時において、すでに、愛国保守、真正保守ではない。

言論界には、頼まれてもいないのに、自らを真正保守だの、愛国者だの、武士道だの、
大和魂だの、草莽崛起だの………………昨今は、この種の形容詞的表現を散りばめ、流麗な文章で読者に思い込ませようとする輩が続出している。

そういう輩に共通していることがある。

中川八洋は、上記最新稿で、保守偽装者たちの存在を指摘している。
本当にそうなのか、そうでないのか、私は、中川八洋ほど極めておらず、かつそれぞれの身辺情報がないのでそう判断するに足る詳細情報を得ていない。

が、保守偽装なら、偽装すると判断されても仕方がない、傾向というか状況証拠はある。

それは、言論活動における行動様式で見破れるのではないかと、私は考える。

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「保守偽装」言論人を見破るための方法=「保守偽装」言論人の行動様式の一例

●そもそも結果を出す気がない
●批判文しか書けない(書かない)
●提言がないか、提言がまったく具体的でない
●書いてあることに、シナリオ・手順がない
●ボランテイアを嫌う(原稿料、出演料を欲しがる)
●その人なりの専門領域がない(テーマは日替わり)
●表現スタイル的に独自性がない(論理的に空疎である)
●ビジネス文書形式でなく、手紙文ないし小説スタイルの文面のものが多い
●そもそもオリジナルでないか、初心者対象としている
●感情論で結論を急ぎ過ぎている
●何かにつけて寄付を求めたり、本を買えという話題が多い

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

このような見分け方があることに気がついたのは、錯乱癖ある方を含め、そういう疑いが濃厚な人物の言動、文章を観察、分析した結果である。

かくいう私は、大学入学時点で、偏差値的価値観を捨て、現在に至っている。

偏差値的価値観を捨てるというのは、簡単に言うとこういうことである。
知識偏重ではなく、自分で考え、その考えを作文し、思考整理を通じて、ものの良し悪しを判断することに切り替えた、ということだ。

世の中には、東大受験、司法試験、国家公務員上級試験、難関と言われる試験は多い。が、これらの試験は、知識とそれなりの思考力がないと突破できない。
そういう試験突破者に、共通していることがある。思考回路が柔軟でなく紋切型に近い印象がある。

彼らは優秀だ。彼ら自身がそう思っている。が、それは、自らの作文、論文を提示し、そう認められたのではない。他人が書いた作文、情報、知識をうまく格納、脳みそからうまく取り出せた結果としての評価である。私は、負け惜しみで書いているのではない。

また、我々日本人は、新聞を隅から隅まで読む気真面目な習性があり、他人の書いたものを無防備に受入れ、知識欲ある人ほど、その情報・知識の大部分が操作されているかそうでないのか分からずに吸収してしまう傾向にある。

世の中には、優秀な人が存在することも知っている、東大医学部に現役で合格、司法試験に一発で合格するような人たちは、頭の回路が常人とは異なる部分があることは知っている。そういうレベルの方々が同級生に居たのでわかる。

では、極めて優秀と言われている、彼らと私で何が違うのか?
より創造的な作品を通じて評価されたい、学生時代、そう考えたのである。

同時に、いくら頭が良い人でも、その思考の根源、源泉が他人の書いた知識の集合体でいいものか?借り物の思考はホンモノと言えるのか?

一方で、すべてを破壊する革命を肯定するような政治思想をどうして肯定できようか?
私の疑問点はそこから始まっている。

大学時代は、渡部昇一先生がそうであったように、専攻分野以外の勉強も私はやった。渡部昇一先生は、学生時代、かなり読書されたそうだが、私は、多くの専攻外の単位を取得。最初は評価は芳しくなかったが、その後意図しないのに成績はぐんぐん伸びた。卒業時、学科の多くの教官から成績急上昇したことを褒められた。

中川八洋の政治思想・哲学本は、答えを求め続けていた私にとって、いささか難解な部分はあるが、暗闇の中の一筋の松明みたいな存在となりつつある。

大学入学時点で、偏差値的価値観を捨てた、と書いたのは、他人が書いた作文、情報、知識を自分の思考の原点とするのではなく、自分の意志で考え、その考えを作文し、思考整理を通じて、ものの良し悪しを判断することに切り替えたいという、内なる欲求によるものであった。

つまり、拙ブログのスタンスは、大学入学時点で決定されたものなのである。

かくいう私は、ノンポリでにわか保守である。
ノンポリでにわか保守だと書いて恥じることはない。

都合が悪くなると、元共産主義者なのを隠し、真正保守だと豪語している言論人がたくさん存在しているではないか?
たくさんの人が集まった会合で、元共産主義者だったとプライベートな経緯を紹介される方もおられる。本当に都合が悪いなら、そう紹介するはずはない。

そして、保守言論界、中川八洋の言う部分に極論は含まれているにせよ、かように保守偽装者だらけか?その疑いが濃厚である者が続出しているではないか?
同じ傾向はブログ界においても起きている可能性はないのか?

学生時代、提出レポートが予定よりも早く完成し、時間が空いた時に、大学図書館にある、マルクス・エンゲルスの本や政治思想本を読んだ。当時の私には、論理となるはずもないことが論理だと書いている、膨大な文章量にしては空疎な印象があった。私は、共産主義に被れずに済んだのだった。

就職後は、早稲田大学雄弁会OBで正論等を熟読する上司から、「公開情報から分析」し、その結果を中立的な視点から文章化、対策提言する文章作法等を徹底的に叩きこまれた。
その上司から、書いた調査レポートについて、結論を急ぎ過ぎている、と何度も叱責された。

ノンポリ・にわか保守の期間が長く続き、下手に政治的に被れておらず、かつての上司から対象を中立的に眺めることを叩き込まれてきたので、政治ブログを続けつつも、保守偽装の特徴、傾向を上記にリストアップできたかもしれない。

中川八洋からみて、拙ブログは吹けば飛ぶような、いい加減な、にわか保守のブログかもしれない。

そんな私でも、自分で考え思考整理しその結果を作文すること、そして公開情報から分析することに、仕事上こだわった。中川八洋と業種は異なるが、職場においても、前例がない創造的な仕事に誰よりもこだわった。それらは職場のキャビネットに保管され私は今も「作品」だと思っていることを告白し、本稿を終える。

以上










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    12:06  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

    2017.06.24 (Sat)

    男系男子皇位継承永続 まず男女共同企画から廃棄されるべきだ

    中川八洋の著書「皇統断絶 女性天皇は、皇室の終焉」に、男系男子皇位継承を確実なものとするために、男女共同企画を破棄すべきとの見解が示されている。

    男女共同企画問題について、中川八洋の著書以上に、論理的に詳述した本がない。
    保守系言論人が、批判を躊躇ってきた領域である。

    以下に、中川八洋の本から、転載させていただく。
    いささか長文で難解な文章が続くが、それもこれも男系男子皇位継承を永続させるためである。

    ||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

    ■なぜ男系男子継承が絶対条件なのか

    3~5頁
    まえがき

    皇統を軽んじる日本はいま、かつてのローマ帝国の末路を再現していないだろうか。最後の繁栄を享楽するなかで、その内実は、着実に衰亡への道を転落しているのを、少しは気づきながら、ひたすら眼を瞑り無視しているように思える。

    国家の光輝と高貴は、その歴史とその伝統を尊重する美しき崇高な精神に生命を得てはじめて永遠の煌めきをうる。子孫として、祖先の叡智と伝統的制度への敬仰こそが祖先の叡智と伝統的制度への謙虚な義務感こそが、自国の未来への生命源を新たにしうる。
    皇室は尊貴である以上に、皇室がなぜ日本の悠久性の淵源であるのかの理由は
    これであろう。国民が皇室を戴き崇敬する、その精神と至誠において、”日本国の魂”が顕現され、”日本国の生命”が若返り再生されるからである。国家が栄光に燦然と永続していく力も、国民の自由と倫理を高め、それを擁護する働きも、日本の場合、皇室のご存在と、皇室への国民の精神が、その中核をなしている。

    皇室は、永遠の”世襲”である。われら国民の、皇室への尊崇と至誠もまた、永遠の”世襲”である。祖国たる日本に生まれたが故に定まっている”世襲”において、人智をこえた”不文の義務”をわれわれ日本国民は歓喜をもって果たさなければならない。法規することができる権利とは異なって、義務は放棄することはできないから、日本国民である以上、祖先より相続した”世襲の義務”の神聖において、至誠をもって皇室の安泰を祈り、皇室を尊崇できる光栄を感謝するのである。
    翻っていま、皇統はまさに絶えんとしている。このようなけーすは、二千年の歴史において、希なる”日本の危機”であり、この危機を回避する方法は、ただ過去の叡智を「発見」し、それに従うしかない。もし、それ以外の道をとれば、危機は必ず拡大し、破滅が決定的になる。過去の叡智を”保守する精神”だけが皇統を救う。
    皇統の断絶は、例えば、称徳天皇の御代の終わりにあって、僧・道鏡に皇位
    を譲らんとした危機が発生したが、我が身の死を覚悟して「必ず皇緒を立てよ」の宇佐八幡宮の神託を持ち帰って復奏した和気清麻呂という真正の勇者の精神と尊皇の至誠ことは、この過去の叡智の最たるものであろう。

    そして、今日の「宇佐八幡宮の神託」とは、いうまでもなく、井上毅が起草した『皇室典範』であり、「必ず男系男子を立てよ」の皇統の大原則である。この「必ず男系男子を立てよ」の皇統永続の絶対原理を護るのに、いま、日本国民は命を惜しんではならない。

    神武天皇から今上陛下にいたる一二五代の天皇は、すべて「男系」であられた。女性天皇は八名おられたが、女性天皇として皇誌・皇女をお産みになられたケースは皆無で、このため、「女系の皇胤」はまったく存在しない。女性天皇のなかで、「皇儲→皇太子→天皇」となられたのは、孝謙(称徳)天皇お一方しかおられず、それこそが皇統の危機を招いたのである。「男系による万世一系」が「男系男子による万世一系」に発展したのは、この不幸な歴史に学んでの先祖の慎慮である。現・皇室典範第一条の「男系男子への皇位」の限定は、皇統維持の一大原則である。

    また、親王家や宮家は、”男系男子の皇胤”を保存するフェイル・セーフの制度である以上、その当主は必ず男性でなくてはならない。昨今の「女性宮家」論とは、この男系男子の皇胤保存システムを破壊して、皇室の生物学的な自壊を促進すべく、巧妙に考案されたものである。皇統を護持しようとする善き日本人すら軽薄にも洗脳されていて、「女性宮家」論を吹聴する始末であるが、ゆめゆめその謀略に乗ってはならない。”女性宮家は宮家でない”。「女性宮家」こそ、皇胤絶滅への確実な第一歩である。現・皇室典範第十二条の「後続女子の婚姻による臣籍降下」は、皇統維持の絶対原則である。


    201~202頁

    三 皇位継承は偉大なる”法”、男女共同参画社会は「世紀の狂気」

    「男女共同参画社会」などという「世紀の狂気」を、日本の中心にご存在される天皇の皇位継承制度に適用することなど、いかに狂愚かはもはや明白であろう。皇位継承は、二千年近い歴史と伝統に基づく、日本国にとって最高の偉大なる”法”である。一方、「男女共同参画社会」は、唯物論とマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者や性的変質者のその重症の病がうんだ狂気であり妄想である。「世紀の虚構」である。ソ連邦崩壊に伴ない、ソ連軍の侵略と占領による社共政権を樹立する道を失なった日本の極左勢力が、考えに考え抜いて発案した、この日本にユートピア「共産社会」を実現するための革命戦術である。日本国民を、国を喪失した「地球人」に改造するための、狂気の外科手術である。つまり、一日も早くこの日本から切除・廃止すべき”悪の法律”である。


    一方、天皇も皇室も、そのご存在は、日本国の悠久と日本国民の自由を顕現する制度である。自由の擁護において、目に見えない(invisible)憲法的機能を絶大なパワーで発揮する制度である。すなわち、英国のコーク卿の理論に従えば、皇位継承は、われわれ日本国民がひたすら守りつづける後代に遺していくべき、あらゆる法律、あらゆる思惟・思考・思想を超越した、永遠にして不易の”法”である。


    ■日本における男女平等思想の源流

    202~204頁

    第二節「狂人」フーリエと「スターリン教徒」ベアテ嬢 -日本の「男女平等」の源流

    一 日本を蝕むベアテ・シロタの「憲法第二四条」

    日本における「男女平等」は、GHQが強制した憲法第二四条によって、伝統や慣習および常識を無視した形で、由緒正しい日本の社会に闖入してきた。さらに、この憲法第二四条に沿って、民法が改正され(一九四六年末)、「本質的な男女平等」という、”科学”との一致を見ない異様なドクマ(宗教的教理)が日本人の脳を完全に支配することになった。男女には、生物学的・医学的にもそれぞれ男と女に峻別できる性差が厳として存在するのであって、参政権・財産権・教育権を除き、「本質的」な”平等”はいかなる形でも成立せず僅かも存在しない。
    男女が平等でないのは、また男女を平等に扱うことの非合理は、便所や浴場における男女区別だけでも明らかではないか。また、オリンピックにおいては、男女は区別されるだけでなく、女性に対する逆差別において、徹底的に差別されている。陸上競技にしても水泳にしても女性アスリートの記録は男性に及ばない。しかし、男性と同じく、金・銀・銅のメダルを、彼女たちはこの男女差別というルールにおいて手にしている。また、男女それぞれ別種目とした男女区別と、競技記録における女性に対する逆差別のオリンピックの人気は全人類を四年ごとに昂奮に包む。男女差別こそ、普遍的に健全で正常であるからである。文明社会も、人間が人間らしく生きているのも、男女差別が果たしている働きが大きく貢献している。

    ところで、GHQが日本を占領している頃の米国には、”男女平等”という思想はまだなかった。この憲法二四条は、それを起草したGHQ民政局に勤務していた二十二歳のタイピストであったベアテ・シロタ嬢の個人的色彩の濃い作品であった。このベアテ・シロタ嬢が、ロシア系ユダヤ教徒で、共産主義者だと広く知られるようになったのは、一九九〇年代に入ってからのことであった。

    ベアテ・シロタ嬢の父は、亡命ロシア人で東京芸大のピアノ科の教授であるが、ゾルゲらと同じ、「ソ連の工作員」であっただろう。スターリン憲法(一九三六年)に最大の敬意を払ってそれを参考にして第二十四条を起草したという、本人の回想からしても、ベアテ嬢は共産主義主義者とみて間違いはなかろう。特に「……スターリン憲法は私を夢中にさせた」(ベアテ・シロタ『一九四五年のクリスマス』一五一頁)とある。さらに一九九〇年代に何度も来日して講演しているが、その主催者もその会場で拍手をする「赤いオバサン」たちも、すべて日本共産党の関係者のみであった。

    ■先進諸国における男女平等思想の取り扱い

    204~206頁

    米国も日本に送れること三十年、一九七二年に「男女平等」条項を憲法に定めようとしたことがある。いわゆるERA(Equal Rights Amendment)である。しかし、「反・男女平等」の保守系の主婦たちが立ち上がって、それ一気にをつぶしてしまった。この憲法改正は、一九八二年に法的に失効し、「反・男女平等」側の全面勝利となった。米国の選手が「男女平等」を拒絶するのは、米国が「自由」の旗のもとで「平等」を否定する思想で建国されたからである。米国憲法そのものが、「反・平等」主義を、基軸にしている。なお、自由と平等は両立しない。平等の追求は自由を侵害するから、ゼロ・サムゲームとも言いうる、一方、事由は不平等の追求だから、自由を絶対視する米国では平等が嫌悪されるのである。

    日本は、米国と相違して、憲法に「男女平等」が規定され、「男女平等」は絶対的な真理になり、これを上衣にまとう「革命の教理」フェミニズムは静かに日本全体を思想汚染している。そして、この汚染度は、ますますひどくなっている。

    「男女平等」という外来思想が日本に定着したのは、「スターリン教徒」ベアテ・シロタの極左思考を、占領軍のGHQが憲法として強制したからであるが、それ以前に明治時代から
    「人間の平等」という”ルソーの宗教”が受容されていて、日本には「平等主義」の下地ができていた影響も大きい。ルソーは、英国や米国などの国々では今も受容されず拒絶されている。が、日本では、ルソー排除のこの事実すらも知られていない。

    ルソーを高邁な哲学者として崇めているのは、十九世紀からの、日本とドイツだけに限られた珍しい現象である。「ジュネーブの人」ルソーの「母国」フランスでは、その受容と拒絶は半々で、フランス革命はルソー信仰が決定的な働きをして起爆したが、十九世紀に入ってからはトラヴィルやテーヌその他、フランス知識人のちょうど半分がルソーへの嫌悪を拒絶をあrわにし、ルソーは大学の学者の世界に封印された。

    米国では、ルソーは、学界でも教育界でも存在していない。アメリカ人の関心の枠内にルソーはおらず、完全に無視されている、一方、英国では激しくルソーを非難し、英国人がルソーに思想汚染されないよう絶えず警戒している、英国随意つの”不朽の世界的名著”エドマンド・バークの『フランス革命の省察』(一七九〇年)は、ルソー思想の英国への上陸を阻止せよと、その排撃を訴えたものでもあった。

    米国において、その過半数が「男女平等」という四文字に直ちに拒否反応を示すのは、米国全体がルソーの「人間の平等」を正しくカルト宗教の教理としか見なさず軽蔑して無視する土壌があるからである。また、「反ルソー」「反・平等」のエオマンド・バークの『フランス革命の省察』は、一九五〇年の朝鮮戦争以降であるが、全米のいかなる大学であれ、すべての政治学科で講義されている。


    ■男女共同参画法は、憲法違反の法律である

    194~196頁
    第一節 マルクス・レーニン主義の革命としての「男女共同参画社会」

    一 「天皇制廃止運動を煽る第四条」-憲法違反の男女共同参画社会基本法

    「第四条……社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択において及ぼす影響ができる限り中立なものとするように配慮されなければならない」

    男女共同企画社会基本法第四条は、このように、『社会の制度・慣行の中立化』を定めている。皇室や天皇制をもってこの「社会の制度」に該当すると解釈するのは、法律学的に限定すれば無理であるし、もしそう解釈すれば、この基本法自体が憲法第一条の違反になるから、そう解釈している(したい)者も口に出すことはない。

    しかし、この第四条は社会主義者・共産主義者の基本信条(イデオロギー)の明文化である以上、法律理論をいったん脇におけば、つまり政治思想として見れば、天皇制廃止を含む内容である。つまり、法理としてではなく思想論としては、男女共同参画社会基本法は、皇位を男系男子に定めるそのことを理由に天皇制廃止を言挙げすることを特段に元気づける法律である。
    しかも、この男女共同参画社会基本法の存在におそれをなして、国会議員が、皇位継承を「男系女子」に拡大し、さらには「女系」も可とするように皇室典範を改定すれば、皇室も天皇制も一気に崩れて自壊するから、男女共同参画社会基本法の第四条は、水面下では、天皇制廃止に向って絶大な力を発揮している。
    しかし、この第四条は、次の理由において、明白な憲法違反であるから、男女共同企画社会基本法を直ちに廃止することができる。国会で「………を廃止する」とのたった一行の法律を制定すれば済むのである。

    「社会の制度や慣行」とは、政治哲学者F・フォン・ハイエク(ノーベル経済学賞受賞者)がいう「自然的に発展した制度」-国家、市場、言語、道徳などーのことである。そして、日本などの”自由な社会”は、この「自然的に発展した諸制度」によって成立しているのであるから、その無為化(凍結)を意味する「中立化」(Neutralization)をすれば、”自由な社会”は息の根をとめられ一気に機能停止し、社会主義体制か共産主義体制に移行するしかない。
    が、日本国憲法は”自由社会の日本”を定めており、この意味において、第四条が存在する男女共同参画社会基本法そのものが憲法違反であるのは明白である。米国であれば、司法による違憲立法審査を通じて、こんな法律は瞬時に”無効”となる。男女共同参画社会基本法は、憲法第八九条(備考を参照)に違反する「私学助成」の政策とともに、日本の「二大憲法違反」の法律・政策であり、直ちに廃止しなければならない。
    (備考)公金その他の公の財産は………公の支配にぞくしない…教育……の事業に対し、これを支出し……てはならない。


    ■皇位継承に関して、憲法第二四条は、憲法違反である

    213~214頁
    皇位は光輝にして高貴な”法”、「男女平等」狂人カルト宗教上の教理

    米国憲法が、「平等」のドグマも、「男女平等」という狂気も、完全に排除しているのは、国体(Constituition)という法(Law)の明文化である憲法の本性からして正統である。日本は、”憲法”に反する「男女平等」の第二四条を、その憲法から削除する必要がある。
    また、日本の天皇も皇室も、古来からの”国体”(Constituition)であり、”法(Law)”である。この故に、十八世紀のフランスで「狂人ルソー」が妄想した「平等」のドグマや、十九世紀フランスがうんだもう一人の「狂人フーリエ」の妄想を源流とする、単に狂気にすぎないフェミニズムをもって、二千年近い光輝な伝統をもつ、高貴にして偉大なこの日本の”法”に対して、何らの働きもさせてはならない。つまり、皇位継承に関しては、憲法第二四条は、”憲法(国体)”違反である。顔を出すことも禁じられている。


    ■皇位継承について学問的に研究している言論人はまったくいない?(皇位継承と男女共同参画を区別して論じることができる言論人がいない?)

    267~268頁

    あとがき

    イギリスにおいて、憲法(Constituition)の語義は、”国体”のことです。当然、憲法学とは”国体”を”保守する”学ということになります。しかし、戦後日本の大学では、フランス革命時の「革命の教理」をもって「憲法学」として構築していますから、その内容もその理論も、反・憲法の「転倒した知」になっています。

    「国体の保守」が”憲法学”であるとする正統な学においては、皇室は国体の中でも最も精華な部分をなすものですから、皇室を護持するというてーまこそは、必然的に憲法学の中核となるべきでしょう。しかし、日本の憲法学には、皇統の護持を論じたものはほとんどありません。むしろ、皇統の断絶をふくむ天皇(皇室)の制度の消滅を措定し理論かした詭弁と狂気が、大学の憲法学の九十五パーセントを占めています。日本の憲法学は、”反・憲法”の極みであり、オウム真理教と酷似したカルト宗教のようなものになっています。

    このため、皇統が風前の灯火になった今日のような危機の状況が出現しますと、この危機を解消させる方向の理論も出版物も一つもあらわれずに、いやが上にも危機を拡大させていくものだけが大流行します。しかも、この危機から皇統を護らんとする大多数の国民の側には、そのための”正しい知”がまったく欠けていますから、この「転倒した知」を排除する能力はありません。また、反・天皇の「転倒した知」に対抗して、この”正しい知”を提供する知識人が日本にはもはや一人も存在しないというのが現実です。

    一方、この皇統の危機を好機とばかりに、その自然消滅を確実にすべく革命の情熱を注ぐ「非国民」側には、「憲法学」があらゆる策謀と悪の理論をふんだんに提供してくれています。


    ||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

    我々は、男系男子行為継承を永続すべく、智慧となりえる武器を必要としている。
    中川八洋の文章には、それがある。

    多くの言論人は、中川八洋ほど勉強していないような印象がある。文章的には流麗であっても、論理的でない、中身がない、提言がないものが大部分。
    特に、皇位継承、男女共同企画関連に、それが続出している。
    もちろん、初心者をターゲットにしている言論人は戦力にならない。

    左程実績を出していないのに、寄付を募る団体が増えてきている昨今、寄付をされる方におかれては、中川八洋が繰り出す論理の幹の太さ、精緻さと比較しつつ、当該団体に対し、確実に成果を出すにはどうすべきか、シナリオと手順で以て示すことも、寄付される方の義務ではないか、と思いつつある。

    かくいう私は、以前は、平泉澄、渡部昇一の本中心で購入してきたが、最近は、その辺の初心者目当ての講習会に参加することをやめ、中川八洋の絶版古書を中心に購入する頻度が増えたことを報告し、本稿を終える。

    以上











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      16:12  |  皇室  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

      2017.06.24 (Sat)

      都議選告示  公職選挙法違反を見逃すな!

      都議選が告示された。

      私は、ある候補がどれだけ票を獲得できるか、注目している。

      ―― 参考情報 ――――――――――

      都議選始まる、日本第一党は岡村幹雄候補
      http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53238574.html

      ―――――――――――――――――

      こう書くと怒られるかもしれないが、絶滅危惧種みたいな清廉な印象の方のようだ。
      昨今は、帰化した日本人なりすまし議員、利権議員、労組天下り議員だらけであるが、、今時珍しいタイプのお人柄、雰囲気の方であるように見える。

      さて、これは容認できないことなのだが、各党候補者、選挙違反を堂々と繰り返しているそうである。

      ||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

      http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/53238574.html

       昨日の夜で一党員としての街宣活動は最後の日となった。他の候補者はタスキをかけ名前の入った旗や写真をおいての、所謂事前活動をしている中で、日本第一党だけが、公職選挙法を遵守して岡村幹雄さんの名前も一切語らず、封印しながらの闘いでした。

       今日からは堂々と候補者の名前を言って紹介することが出来ます。聞けばこの2ヶ月間八王子市内の駅前や繁華街などに立ち続け演説をやってきた。大政党の立候補予定者が写真や名前を堂々と出して訴えてきたのに、我々日本第一党の候補者はそれをせずに頑張ってきた。

       随分と歯がゆい思いをしたのではないか。しかし、2ヶ月間「日本第一党」の旗と日本の国旗「日の丸」を掲げて戦ってきたこの2ヶ月間は決して無駄ではなかった。そのことを昨夜実感しました。

      ||||| ここまで引用 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

      私は、その現場を目撃した訳ではないが、いつもいつも、不満だと表明しても何も解決しない。
      拙ブログは、提言型そして、実現することを模索する方である。

      実は、最近、ある方法を執ることで、この種の違法行為について止めさせることができるとの感触を得た。

      その手法とは、

      違反行為の文書での通報
      違反行為が常態的に放置されていることへの行政機関への苦情

      である。

      具体的なやり方を述べる。

      文書送付先は、普通は二か所思いつくが、違反が常態化していることから、三箇所とするのである。


      東京都選挙管理委員会 | 東京都
      http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/

      警視庁 情報提供先一覧
      http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/about_mpd/johoteikyo/anket/

      そして、もう一つある。ここがポイント。

      ―― 参考情報 ――――――――――

      東京行政評価事務所 - 総務省
      http://www.soumu.go.jp/kanku/kanto/tokyo.html

      行政相談の受付窓口
      http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/hyouka/soudan_n/soudan_uketuke.html

      ―――――――――――――――――

      行政評価局に、東京都選挙管理委員会が選挙違反の常態化を長年放置している実態を文書で通報、東京都選挙管理委員会の選挙管理業務等が適正に実施されているか評価いただくのである。

      東京の行政評価局に通報する際は、東京都選挙管理委員会に通報したことも付け加えるのである。

      それでも動かない場合の措置はどうするか?東京都の場合は監査事務局第3課に文書で通報。対応経緯を説明し、選挙管理委員会を監査いただき、放置しているとみなし処分いただく様、お願いするのである。

      ―― 参考情報 ――――――――――

      東京都監査事務局
      http://www.kansa.metro.tokyo.jp/11sonota1st/kansaiin.html

      ―――――――――――――――――

      総務大臣(事務所)に陳情という手段も残されている。高市大臣の携帯電話会社三社との行政指導攻防戦、気づいている方ならわかる話である。高市大臣は、食いついたら離さないタイプかもしれない。

      選挙違反が、民進党、共産党、社民党に集中していることが確定的であれば、この手段は有効だ。ただし、証拠ないし証拠となりえる具体的な情報を揃えて提出する必要はある。



      田母神俊雄が、公職選挙法に係わる、あのような微罪で逮捕、長期拘留されたことに憤り、一方で、各党候補者による悪質な選挙違反が放置されていることに気づかれているなら、行政当局における確実な措置を促すべく、陳情・要請行動をとるべきだ。

      一番確実なのは文書。
      電話でも対応可能だ。ポイントは、東京の行政評価事務所に通報することだ。

      この手法を執ることで、選挙管理委員会は、選挙違反を放置しにくくなる、と私はみている。



      それでは諸君、成功を祈る!



      以上

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      05:00  |  政府機関  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

      2017.06.23 (Fri)

      最終的には「独立自尊」の言論人を目指すべきだ

      世知辛い世の中、保守・左翼問わず、原稿収入、番組出演料、講演収入、印税、寄付呼びかけ等、蓄財に走る言論人が多いなかで、渡部昇一先生は別格の存在であったようだ。

      で、一般の言論人の実力はどうかというと、特に中川八洋が書いた本を熟読されている方は知っていることであるが、言論人の相当数が、素晴らしい肩書のわりに、実力が伴っていないようである。

      ただ、ここでは、言論人個体の実力の程度まで示すつもりはない。

      実力がない、言い換えると結果を出せない言論人を見分ける方法は簡単だ。その人なりの言論活動上の専門領域があるか、表現スタイル的に独自性があるか、ビジネス文書形式でオリジナルでの提言が含まれるか、初心者対象本だらけでないか、批判文だらけでないか、感情論で結論を急ぎ過ぎていないか、寄付を求めたり本を買えという話だらけでないか、肩書を抜きにしても内容に十分参考になる点があるか、などである。

      話題を変えたい。

      私は、ある言論人の、左程有名でないサイトを訪問するようにしている。
      加瀬英明、ネット的には超有名人というほどではないが、歴史認識問題に詳しい方なら、また、ストークスという英国人ジャーナリストの本を読んでいる人なら知っている名前である。

      ―― 参考情報 ――――――――――

      渡部昇一先生を野辺へ送って
      http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

      ―――――――――――――――――

      ここに掲載される情報、私にとっては、普段知り得ない「ナマ」の情報が書かれる。
      加瀬英明は、例によって淡々とした筆致でそれを表現する。
      今回は、先般逝去された渡部昇一先生のことが書いてあった。

      渡部昇一先生の私生活での交流、普段のちょっとした心遣いが書いてある。
      聞くところによると、加瀬英明が知る、渡部昇一先生は、「先生は江戸の粋を身につけられていた。和服姿が似合われた。ときおり馴染みの洋食や、和食の食堂に誘って下さったが、そのつど帰る時に、店主に小さな祝儀袋に入れた心付けを、渡された。」とある。

      馴染みの料亭が何軒かあるのは、有名人なので当然だとして、帰り際に、御礼の意味を兼ねて祝儀袋を渡す、普通の人にはマネできない。

      私ができるのは、ここだと決めた店に、それなりの頻度で足繁く通い、美味しそうにペロリと食べ、帰り際に素直に「御馳走ざまでした」と言うことくらいである。

      それだけではない。加瀬英明によると、さらに凄いことが書いてある。
      私があっ!と驚いた箇所を転載させていただく。

      ||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

      http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

      いまから18年前に、先生は私との対談本『立て! 日本』(高木書房)のあとがきで、こう書いて下さった。

       「加瀬さんは私より年下だが、ジャーナリズムに登場されたのは、私よりもずっと早い。そしてユニークなのは就職先を示す肩書きがないことである。外交や政治や歴史の評論をする人は、たいてい大学で教えているとか、いたとか、新聞記者だとか、だったとか、何かしら給料をもらう仕事についている人、あるいはついていた人が多い。しかし、私の知る限り、加瀬さんは大学教授とか助教授とかの肩書きをつけたことがない。(略)」

       「大学であれ、新聞社であれ、研究所であれ、役所であれ、そこに勤めることは給料をもらう。給料のみで生きる人を、英語ではデペンデントであるといい、左翼的用語で言えばプロレタリアートである。これと反対に、どこかに勤めるという形で自分の労働(知的労働であれ、肉体的労働であれ)を売る必要のない人は、有産階級、英語で言えばインデペンデントな人ということになる。よき時代のイギリスには、こういうインデペンデントな思想家・著述家が、たくさんいた。

       独立自尊の活動

       われわれが知っている19世紀から20世紀にかけての有名なイギリスの著述家・思想家の名前をあげると、そこに大学教授の肩書きのある人がほとんど一人も見つからないことに気付く。(略)こういう人が多くいたことが、イギリス文明の世紀を作ったと言える。インデペンデントな身分で学問し著作する人を――詩や小説の分野は別であるが――ジェントルマン・スカラーと言う。インデペンデントだから、インデペンデント(独立自尊)な知的活動ができる。この意味で加瀬さんは現在日本では、ほとんど唯一人のジェントルマン・スカラーであると言えるかも知れない。(略)

       加瀬さんは極めて豊かな人脈、情報源を国の内外に持ち、またよく勉強し続けてこられて、その思考は常にインデペンデントであった。時流におもねることなく、信ずることを述べてこられたように見える。長い言論人としての生活において、加瀬さんが取り消さなければならない過去の発言は、おそらく皆無であろう。(略)」

      ||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

      さて、英国の新聞で「The Independent」という高級紙がある。

      インデペンデント
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%88

      経営難故、紙媒体ではなくなったそうだ。
      「The Independent」は、新聞社の心意気を示すのにふさわしい言葉だと思う。日本の新聞社に、そんな気概がある社は何社あるだろうか。

      同様に、それは、日本の言論人についても当てはまる。

      言論界は寄付を求める言論人で溢れている。不思議なことに、彼らは、寄付の交換条件として、目に見える結果を出すことを公約としてはいない。立場上、どんなに辛くても逃げられない仕事が世の中には、たくさんあることを知っていれば、結果を出さないで寄付を求め続けようとする発想は甘いと言わざるを得ない。デモや街宣やるならそれなりのカネがかかるのはわかる。

      ところが、渡部昇一先生は、金をくれという立場でなかったようだ。加瀬英明の記述から、カネをばら撒く方に位置していたようなのだ。

      渡部昇一先生の共著の相手(加瀬英明)を励ますような「書きぶり」、褒められた方はうれしい気持ちになる。渡部昇一先生は、分け隔てなく、温かい心を示す方だったようだ。

      ここで、渡部昇一先生が、ブログの可能性について、以下に言及している、というか、私はそう解した箇所を再掲させていただく。

      ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

      「よき時代のイギリスには、こういうインデペンデントな思想家・著述家が、たくさんいた。(中略)われわれが知っている19世紀から20世紀にかけての有名なイギリスの著述家・思想家の名前をあげると、そこに大学教授の肩書きのある人がほとんど一人も見つからないことに気付く。(略)こういう人が多くいたことが、イギリス文明の世紀を作ったと言える。インデペンデントな身分で学問し著作する人を――詩や小説の分野は別であるが――ジェントルマン・スカラーと言う。インデペンデントだから、インデペンデント(独立自尊)な知的活動ができる。」

      ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

      今の日本はどうだろう。経済力はかつてほどではないにせよ、第二次安倍政権の下で、外交力が強化され、100年後の日本人は、この時代を素晴らしい時代だった、と評価するかもしれない。

      あの時代、上智大学を受験・入学していれば、渡部昇一先生のところに弟子入りする機会は得られであろうこと、同時に、若い頃、渡部昇一先生だと気がつかずに、本や英語雑誌を読んできたような気がしている。

      最後に、ここ数年間で渡部昇一先生の本は50冊くらいは読んだが、まだ読んでいない、特に専門の英語学関係の本には、老後の道標になるような意外なことがきっと書いてある、そう確信している。

      以上











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