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2017.06.24 (Sat)

男系男子皇位継承永続 まず男女共同企画から廃棄されるべきだ

中川八洋の著書「皇統断絶 女性天皇は、皇室の終焉」に、男系男子皇位継承を確実なものとするために、男女共同企画を破棄すべきとの見解が示されている。

男女共同企画問題について、中川八洋の著書以上に、論理的に詳述した本がない。
保守系言論人が、批判を躊躇ってきた領域である。

以下に、中川八洋の本から、転載させていただく。
いささか長文で難解な文章が続くが、それもこれも男系男子皇位継承を永続させるためである。

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■なぜ男系男子継承が絶対条件なのか

3~5頁
まえがき

皇統を軽んじる日本はいま、かつてのローマ帝国の末路を再現していないだろうか。最後の繁栄を享楽するなかで、その内実は、着実に衰亡への道を転落しているのを、少しは気づきながら、ひたすら眼を瞑り無視しているように思える。

国家の光輝と高貴は、その歴史とその伝統を尊重する美しき崇高な精神に生命を得てはじめて永遠の煌めきをうる。子孫として、祖先の叡智と伝統的制度への敬仰こそが祖先の叡智と伝統的制度への謙虚な義務感こそが、自国の未来への生命源を新たにしうる。
皇室は尊貴である以上に、皇室がなぜ日本の悠久性の淵源であるのかの理由は
これであろう。国民が皇室を戴き崇敬する、その精神と至誠において、”日本国の魂”が顕現され、”日本国の生命”が若返り再生されるからである。国家が栄光に燦然と永続していく力も、国民の自由と倫理を高め、それを擁護する働きも、日本の場合、皇室のご存在と、皇室への国民の精神が、その中核をなしている。

皇室は、永遠の”世襲”である。われら国民の、皇室への尊崇と至誠もまた、永遠の”世襲”である。祖国たる日本に生まれたが故に定まっている”世襲”において、人智をこえた”不文の義務”をわれわれ日本国民は歓喜をもって果たさなければならない。法規することができる権利とは異なって、義務は放棄することはできないから、日本国民である以上、祖先より相続した”世襲の義務”の神聖において、至誠をもって皇室の安泰を祈り、皇室を尊崇できる光栄を感謝するのである。
翻っていま、皇統はまさに絶えんとしている。このようなけーすは、二千年の歴史において、希なる”日本の危機”であり、この危機を回避する方法は、ただ過去の叡智を「発見」し、それに従うしかない。もし、それ以外の道をとれば、危機は必ず拡大し、破滅が決定的になる。過去の叡智を”保守する精神”だけが皇統を救う。
皇統の断絶は、例えば、称徳天皇の御代の終わりにあって、僧・道鏡に皇位
を譲らんとした危機が発生したが、我が身の死を覚悟して「必ず皇緒を立てよ」の宇佐八幡宮の神託を持ち帰って復奏した和気清麻呂という真正の勇者の精神と尊皇の至誠ことは、この過去の叡智の最たるものであろう。

そして、今日の「宇佐八幡宮の神託」とは、いうまでもなく、井上毅が起草した『皇室典範』であり、「必ず男系男子を立てよ」の皇統の大原則である。この「必ず男系男子を立てよ」の皇統永続の絶対原理を護るのに、いま、日本国民は命を惜しんではならない。

神武天皇から今上陛下にいたる一二五代の天皇は、すべて「男系」であられた。女性天皇は八名おられたが、女性天皇として皇誌・皇女をお産みになられたケースは皆無で、このため、「女系の皇胤」はまったく存在しない。女性天皇のなかで、「皇儲→皇太子→天皇」となられたのは、孝謙(称徳)天皇お一方しかおられず、それこそが皇統の危機を招いたのである。「男系による万世一系」が「男系男子による万世一系」に発展したのは、この不幸な歴史に学んでの先祖の慎慮である。現・皇室典範第一条の「男系男子への皇位」の限定は、皇統維持の一大原則である。

また、親王家や宮家は、”男系男子の皇胤”を保存するフェイル・セーフの制度である以上、その当主は必ず男性でなくてはならない。昨今の「女性宮家」論とは、この男系男子の皇胤保存システムを破壊して、皇室の生物学的な自壊を促進すべく、巧妙に考案されたものである。皇統を護持しようとする善き日本人すら軽薄にも洗脳されていて、「女性宮家」論を吹聴する始末であるが、ゆめゆめその謀略に乗ってはならない。”女性宮家は宮家でない”。「女性宮家」こそ、皇胤絶滅への確実な第一歩である。現・皇室典範第十二条の「後続女子の婚姻による臣籍降下」は、皇統維持の絶対原則である。


201~202頁

三 皇位継承は偉大なる”法”、男女共同参画社会は「世紀の狂気」

「男女共同参画社会」などという「世紀の狂気」を、日本の中心にご存在される天皇の皇位継承制度に適用することなど、いかに狂愚かはもはや明白であろう。皇位継承は、二千年近い歴史と伝統に基づく、日本国にとって最高の偉大なる”法”である。一方、「男女共同参画社会」は、唯物論とマルクス・レーニン主義に冒された精神異常者や性的変質者のその重症の病がうんだ狂気であり妄想である。「世紀の虚構」である。ソ連邦崩壊に伴ない、ソ連軍の侵略と占領による社共政権を樹立する道を失なった日本の極左勢力が、考えに考え抜いて発案した、この日本にユートピア「共産社会」を実現するための革命戦術である。日本国民を、国を喪失した「地球人」に改造するための、狂気の外科手術である。つまり、一日も早くこの日本から切除・廃止すべき”悪の法律”である。


一方、天皇も皇室も、そのご存在は、日本国の悠久と日本国民の自由を顕現する制度である。自由の擁護において、目に見えない(invisible)憲法的機能を絶大なパワーで発揮する制度である。すなわち、英国のコーク卿の理論に従えば、皇位継承は、われわれ日本国民がひたすら守りつづける後代に遺していくべき、あらゆる法律、あらゆる思惟・思考・思想を超越した、永遠にして不易の”法”である。


■日本における男女平等思想の源流

202~204頁

第二節「狂人」フーリエと「スターリン教徒」ベアテ嬢 -日本の「男女平等」の源流

一 日本を蝕むベアテ・シロタの「憲法第二四条」

日本における「男女平等」は、GHQが強制した憲法第二四条によって、伝統や慣習および常識を無視した形で、由緒正しい日本の社会に闖入してきた。さらに、この憲法第二四条に沿って、民法が改正され(一九四六年末)、「本質的な男女平等」という、”科学”との一致を見ない異様なドクマ(宗教的教理)が日本人の脳を完全に支配することになった。男女には、生物学的・医学的にもそれぞれ男と女に峻別できる性差が厳として存在するのであって、参政権・財産権・教育権を除き、「本質的」な”平等”はいかなる形でも成立せず僅かも存在しない。
男女が平等でないのは、また男女を平等に扱うことの非合理は、便所や浴場における男女区別だけでも明らかではないか。また、オリンピックにおいては、男女は区別されるだけでなく、女性に対する逆差別において、徹底的に差別されている。陸上競技にしても水泳にしても女性アスリートの記録は男性に及ばない。しかし、男性と同じく、金・銀・銅のメダルを、彼女たちはこの男女差別というルールにおいて手にしている。また、男女それぞれ別種目とした男女区別と、競技記録における女性に対する逆差別のオリンピックの人気は全人類を四年ごとに昂奮に包む。男女差別こそ、普遍的に健全で正常であるからである。文明社会も、人間が人間らしく生きているのも、男女差別が果たしている働きが大きく貢献している。

ところで、GHQが日本を占領している頃の米国には、”男女平等”という思想はまだなかった。この憲法二四条は、それを起草したGHQ民政局に勤務していた二十二歳のタイピストであったベアテ・シロタ嬢の個人的色彩の濃い作品であった。このベアテ・シロタ嬢が、ロシア系ユダヤ教徒で、共産主義者だと広く知られるようになったのは、一九九〇年代に入ってからのことであった。

ベアテ・シロタ嬢の父は、亡命ロシア人で東京芸大のピアノ科の教授であるが、ゾルゲらと同じ、「ソ連の工作員」であっただろう。スターリン憲法(一九三六年)に最大の敬意を払ってそれを参考にして第二十四条を起草したという、本人の回想からしても、ベアテ嬢は共産主義主義者とみて間違いはなかろう。特に「……スターリン憲法は私を夢中にさせた」(ベアテ・シロタ『一九四五年のクリスマス』一五一頁)とある。さらに一九九〇年代に何度も来日して講演しているが、その主催者もその会場で拍手をする「赤いオバサン」たちも、すべて日本共産党の関係者のみであった。

■先進諸国における男女平等思想の取り扱い

204~206頁

米国も日本に送れること三十年、一九七二年に「男女平等」条項を憲法に定めようとしたことがある。いわゆるERA(Equal Rights Amendment)である。しかし、「反・男女平等」の保守系の主婦たちが立ち上がって、それ一気にをつぶしてしまった。この憲法改正は、一九八二年に法的に失効し、「反・男女平等」側の全面勝利となった。米国の選手が「男女平等」を拒絶するのは、米国が「自由」の旗のもとで「平等」を否定する思想で建国されたからである。米国憲法そのものが、「反・平等」主義を、基軸にしている。なお、自由と平等は両立しない。平等の追求は自由を侵害するから、ゼロ・サムゲームとも言いうる、一方、事由は不平等の追求だから、自由を絶対視する米国では平等が嫌悪されるのである。

日本は、米国と相違して、憲法に「男女平等」が規定され、「男女平等」は絶対的な真理になり、これを上衣にまとう「革命の教理」フェミニズムは静かに日本全体を思想汚染している。そして、この汚染度は、ますますひどくなっている。

「男女平等」という外来思想が日本に定着したのは、「スターリン教徒」ベアテ・シロタの極左思考を、占領軍のGHQが憲法として強制したからであるが、それ以前に明治時代から
「人間の平等」という”ルソーの宗教”が受容されていて、日本には「平等主義」の下地ができていた影響も大きい。ルソーは、英国や米国などの国々では今も受容されず拒絶されている。が、日本では、ルソー排除のこの事実すらも知られていない。

ルソーを高邁な哲学者として崇めているのは、十九世紀からの、日本とドイツだけに限られた珍しい現象である。「ジュネーブの人」ルソーの「母国」フランスでは、その受容と拒絶は半々で、フランス革命はルソー信仰が決定的な働きをして起爆したが、十九世紀に入ってからはトラヴィルやテーヌその他、フランス知識人のちょうど半分がルソーへの嫌悪を拒絶をあrわにし、ルソーは大学の学者の世界に封印された。

米国では、ルソーは、学界でも教育界でも存在していない。アメリカ人の関心の枠内にルソーはおらず、完全に無視されている、一方、英国では激しくルソーを非難し、英国人がルソーに思想汚染されないよう絶えず警戒している、英国随意つの”不朽の世界的名著”エドマンド・バークの『フランス革命の省察』(一七九〇年)は、ルソー思想の英国への上陸を阻止せよと、その排撃を訴えたものでもあった。

米国において、その過半数が「男女平等」という四文字に直ちに拒否反応を示すのは、米国全体がルソーの「人間の平等」を正しくカルト宗教の教理としか見なさず軽蔑して無視する土壌があるからである。また、「反ルソー」「反・平等」のエオマンド・バークの『フランス革命の省察』は、一九五〇年の朝鮮戦争以降であるが、全米のいかなる大学であれ、すべての政治学科で講義されている。


■男女共同参画法は、憲法違反の法律である

194~196頁
第一節 マルクス・レーニン主義の革命としての「男女共同参画社会」

一 「天皇制廃止運動を煽る第四条」-憲法違反の男女共同参画社会基本法

「第四条……社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択において及ぼす影響ができる限り中立なものとするように配慮されなければならない」

男女共同企画社会基本法第四条は、このように、『社会の制度・慣行の中立化』を定めている。皇室や天皇制をもってこの「社会の制度」に該当すると解釈するのは、法律学的に限定すれば無理であるし、もしそう解釈すれば、この基本法自体が憲法第一条の違反になるから、そう解釈している(したい)者も口に出すことはない。

しかし、この第四条は社会主義者・共産主義者の基本信条(イデオロギー)の明文化である以上、法律理論をいったん脇におけば、つまり政治思想として見れば、天皇制廃止を含む内容である。つまり、法理としてではなく思想論としては、男女共同参画社会基本法は、皇位を男系男子に定めるそのことを理由に天皇制廃止を言挙げすることを特段に元気づける法律である。
しかも、この男女共同参画社会基本法の存在におそれをなして、国会議員が、皇位継承を「男系女子」に拡大し、さらには「女系」も可とするように皇室典範を改定すれば、皇室も天皇制も一気に崩れて自壊するから、男女共同参画社会基本法の第四条は、水面下では、天皇制廃止に向って絶大な力を発揮している。
しかし、この第四条は、次の理由において、明白な憲法違反であるから、男女共同企画社会基本法を直ちに廃止することができる。国会で「………を廃止する」とのたった一行の法律を制定すれば済むのである。

「社会の制度や慣行」とは、政治哲学者F・フォン・ハイエク(ノーベル経済学賞受賞者)がいう「自然的に発展した制度」-国家、市場、言語、道徳などーのことである。そして、日本などの”自由な社会”は、この「自然的に発展した諸制度」によって成立しているのであるから、その無為化(凍結)を意味する「中立化」(Neutralization)をすれば、”自由な社会”は息の根をとめられ一気に機能停止し、社会主義体制か共産主義体制に移行するしかない。
が、日本国憲法は”自由社会の日本”を定めており、この意味において、第四条が存在する男女共同参画社会基本法そのものが憲法違反であるのは明白である。米国であれば、司法による違憲立法審査を通じて、こんな法律は瞬時に”無効”となる。男女共同参画社会基本法は、憲法第八九条(備考を参照)に違反する「私学助成」の政策とともに、日本の「二大憲法違反」の法律・政策であり、直ちに廃止しなければならない。
(備考)公金その他の公の財産は………公の支配にぞくしない…教育……の事業に対し、これを支出し……てはならない。


■皇位継承に関して、憲法第二四条は、憲法違反である

213~214頁
皇位は光輝にして高貴な”法”、「男女平等」狂人カルト宗教上の教理

米国憲法が、「平等」のドグマも、「男女平等」という狂気も、完全に排除しているのは、国体(Constituition)という法(Law)の明文化である憲法の本性からして正統である。日本は、”憲法”に反する「男女平等」の第二四条を、その憲法から削除する必要がある。
また、日本の天皇も皇室も、古来からの”国体”(Constituition)であり、”法(Law)”である。この故に、十八世紀のフランスで「狂人ルソー」が妄想した「平等」のドグマや、十九世紀フランスがうんだもう一人の「狂人フーリエ」の妄想を源流とする、単に狂気にすぎないフェミニズムをもって、二千年近い光輝な伝統をもつ、高貴にして偉大なこの日本の”法”に対して、何らの働きもさせてはならない。つまり、皇位継承に関しては、憲法第二四条は、”憲法(国体)”違反である。顔を出すことも禁じられている。


■皇位継承について学問的に研究している言論人はまったくいない?(皇位継承と男女共同参画を区別して論じることができる言論人がいない?)

267~268頁

あとがき

イギリスにおいて、憲法(Constituition)の語義は、”国体”のことです。当然、憲法学とは”国体”を”保守する”学ということになります。しかし、戦後日本の大学では、フランス革命時の「革命の教理」をもって「憲法学」として構築していますから、その内容もその理論も、反・憲法の「転倒した知」になっています。

「国体の保守」が”憲法学”であるとする正統な学においては、皇室は国体の中でも最も精華な部分をなすものですから、皇室を護持するというてーまこそは、必然的に憲法学の中核となるべきでしょう。しかし、日本の憲法学には、皇統の護持を論じたものはほとんどありません。むしろ、皇統の断絶をふくむ天皇(皇室)の制度の消滅を措定し理論かした詭弁と狂気が、大学の憲法学の九十五パーセントを占めています。日本の憲法学は、”反・憲法”の極みであり、オウム真理教と酷似したカルト宗教のようなものになっています。

このため、皇統が風前の灯火になった今日のような危機の状況が出現しますと、この危機を解消させる方向の理論も出版物も一つもあらわれずに、いやが上にも危機を拡大させていくものだけが大流行します。しかも、この危機から皇統を護らんとする大多数の国民の側には、そのための”正しい知”がまったく欠けていますから、この「転倒した知」を排除する能力はありません。また、反・天皇の「転倒した知」に対抗して、この”正しい知”を提供する知識人が日本にはもはや一人も存在しないというのが現実です。

一方、この皇統の危機を好機とばかりに、その自然消滅を確実にすべく革命の情熱を注ぐ「非国民」側には、「憲法学」があらゆる策謀と悪の理論をふんだんに提供してくれています。


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

我々は、男系男子行為継承を永続すべく、智慧となりえる武器を必要としている。
中川八洋の文章には、それがある。

多くの言論人は、中川八洋ほど勉強していないような印象がある。文章的には流麗であっても、論理的でない、中身がない、提言がないものが大部分。
特に、皇位継承、男女共同企画関連に、それが続出している。
もちろん、初心者をターゲットにしている言論人は戦力にならない。

左程実績を出していないのに、寄付を募る団体が増えてきている昨今、寄付をされる方におかれては、中川八洋が繰り出す論理の幹の太さ、精緻さと比較しつつ、当該団体に対し、確実に成果を出すにはどうすべきか、シナリオと手順で以て示すことも、寄付される方の義務ではないか、と思いつつある。

かくいう私は、以前は、平泉澄、渡部昇一の本中心で購入してきたが、最近は、その辺の初心者目当ての講習会に参加することをやめ、中川八洋の絶版古書を中心に購入する頻度が増えたことを報告し、本稿を終える。

以上











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    16:12  |  皇室  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

    2017.06.13 (Tue)

    生前譲位特例法国会答弁問題  言論界が避けてきた「無謬」の問題?

    本稿は、
    倉山満「こういう保守言論界の風潮に息苦しさを感じる」というブログコメントの真意、
    中川八洋の特例法に関して政権を酷評する真意
    を探ることを目的に出稿した。




    倉山満は、ブログにて、こう書いている。

    ||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

    最近の安倍首相と菅官房長官を評す
    https://office-kurayama.co.jp/20170609190142

    共産党の小池晃書記局長は「特例法案は、国民が天皇陛下のお気持ちを理解し共感していることを立法理由にしているが、事実上、天皇の意思を退位の要件としているのではないか」と指摘しました。
    これに対し、菅官房長官は「国民が、天皇陛下のお気持ちを理解し、共感しているという現状は、お気持ちに対する国民の受け止めであり、天皇陛下のお言葉と直接関係するものではなく、憲法上の問題はない」と述べました。

    統帥権干犯事件であいまいな答弁を繰り返した濱口首相を思い出した。
    将来に禍根を残さねばと思う。

    私だったら、バジョット片手に答弁しましたけどね。

    繰り返すが、私は安倍首相も菅官房長官も応援しているが、「100点である」「あらゆる言動に一点の瑕疵も無い」と言わねばならないのか?

    こういう保守言論界の風潮に息苦しさを感じる。

    ||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


    バジョットとは、君主制擁護の視点で「イギリス憲政論」を書いた、政治思想家である。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    ウォルター・バジョット
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88

    ―――――――――――――――――

    つまり、倉山満は、
    官房長官答弁に際して、「憲法上の問題はない」、だけではなく、「憲法上の問題がないことに加えて、今回の特例法が法制化されても我が国の歴史と伝統に則って天皇制を堅持することについて今後も一切の変更(解釈)は生じない」との見解を追加すべきだった、と言いたかったのではないか?



    続いて、中川八洋が述べた見解の分析に移行する。

    中川八洋は、倉山満以上に詳細に分析し、安倍政権をかく酷評した。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    「国会は天皇を強制退位させうる」との“天皇制廃止準備法”に様変わりした「今上陛下のご譲位」特例法──共産党員・菅義偉の言いなり、“民族系(=痴呆老人&ゴロツキ集団)のドン”安倍晋三の大罪
    http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2017/06/12/142805

    ―――――――――――――――――

    戦後、GHQが要請してもいないのに、皇室典範を強行改正、憲法学における「皇位継承学」を絶滅させたのは共産主義的な憲法学者たちだったと、その著書「悠仁天皇と皇室典範」にて中川八洋は指摘している。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    【皇室問題】  憲法学者が悪さをしたのは「9条改憲阻止」だけではない!
    http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-506.html

    ―――――――――――――――――

    中川八洋は、さらに、特例法について、共産党が起立して賛成したことを根拠に、特例法は、共産主義者が編み出したとする。

    なるほど、と私は思った。

    よって、中川八洋の特例法の解説は、真実味を帯びてくる。

    中川八洋に言わせれば、特例法の検討に係わった、有識者会議メンバーは、例によって、共産主義者だらけであると言いたいのであろう。


    ここで、中川八洋が、「悠仁天皇と皇室典範」、「女性天皇は皇室廃絶 男系男子天皇を奉載せよ」にて、皇位継承学の専門家がほとんどいないことについて、述べたことを参照したい。

    ||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

    「悠仁天皇と皇室典範」

    あとがき『皇位継承学概論』を書き終えて

    日本の憲法学界は、天皇制廃止を絶対信条とする共産党学者が過半を占め、これらの学者たちが、憲法学説と出版とを独裁的に「検閲」する、そのような情況下にあります。このため、皇位継承に関する適当な教科書が一冊としてありません。

    皇位を未来に安定的に護持していく”皇位継承の学”の存在は、皇位が連続せず切断されてその廃絶をきたすようにする天皇制廃止のドグマにとって、逆行する障害物となるから、断じて許さない、というわけです。実際にも、正しい”皇位継承の学”の研究は、学界では徹底した妨害の嵐を招き、発表の機会すらありません。こんな情況では、当然、若手研究者、このテーマを選択することがありません。
    このため、皇位継承学の専門家が、戦後六十年間、ついに一人も育つことがありませんでした。


    ―――――――――――――――――

    「女性天皇は皇室廃絶 男系男子天皇を奉載せよ」

    96~98頁

    翻って今日、「有識者会議」のメンバーには、皇室の危機に際して、生命と財産を擲っても、自分の子孫ともども、皇統を護持せんと決意しているものなど一人もいない。王位継承に関する、上記の”英国臣民の誓約”を日本に敷衍すれば、「皇統の護持を害する天皇制廃止勢力に対して、生命と財産を打ち捨てても、日本から一人残らず排除するまで断固戦う精神をもつものだけが皇位継承を論じる資格がある」ことになろう。
    しかし、吉川弘之ら「有識者会議」は、ほぼ天皇制廃止論者ばかりを集めて皇位継承を論じているように、反天皇制イデオロギーに立脚している革命集団であった。園部逸夫はむろん、吉川弘之本人も天皇制廃止論者である。イギリスの”憲法”ー(一六八九年と一七〇一年の)王位継承法ーに準拠すれば、健全な日本国民は、まずもって吉川弘之らを糾弾し辞任に追い込むだけでなく、殺害しなければならない、ということである。

    今日では殺害は極端にすぎるが、それでも、正常に皇位継承問題を論じるには、和気清麻呂のような、皇室への至誠に命を惜しまない真正の日本国民だけが関与できるよう、その資格を厳格に検査する精度をつくる必要がある。吉川や園部などの天皇制廃止論者を完全に排除する法的整備の方が急務である。

    この意味で、かつて小堀桂一郎が、吉川弘之らを「専門家ではない、素人の集団」と批判したが、いかに的外れであることか。専門家とか素人とかなど、どうでもよい問題である。もし「専門家か、素人か」が重要な指標ならば、皇統史にも法制史にも憲法学にも無縁な小堀桂一郎こそ、吉川弘之と同種の”ズブの素人”である。違いは、吉川は”危険で凶暴なズブの素人”、小堀桂一郎は”お粗末なズブの素人”である。

    現に小堀桂一郎は、「天皇制廃止論者で、強度の虚言症」高森明勅の正体を見抜けず昵懇の仲である。小堀がもし本当の専門家ならば、とっくの昔に高森明勅を厳しく糾弾し絶交している。通常、「専門家」とはその専門分野の著作を一定以上出版しているものをいう。小堀は、皇位継承問題の本もゼロ、論文もゼロである。小堀桂一郎には、人間としての謙虚性を望むほかない。

    もう一度言う。皇位継承を論じる資格は、あくまで、皇室の永遠のために、自分の生命を棄てることができるか否かで決定される。この点において、吉川弘之なる人物は、皇位継承問題に関わってはならない、最悪の最不適者であった。

    ||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

    中川八洋は、10年前、保守系言論人の重鎮、(女性天皇・女系天皇を否認、小泉政権時代の皇室典範改正に反対する)小堀桂一郎をかく酷評した。

    当時、小堀桂一郎は反論した形跡がないか、反論できなかった?ようである。

    あの渡部昇一でさえも、中川八洋との共著「皇室消滅」(2006年刊)にて、質問を発するものの聞き役に回っていたほどだ。
    日本一の蔵書量を誇り、博学であるはずの渡部昇一でさえ、皇位継承学の専門家であらんとする、15歳年下の中川八洋に対し、ムッとしながらも拝聴せざるを得なかったのではないか、と私はみている。

    倉山満が、保守言論界の息苦しさを指摘しているのは、一つ目には、そのことを指しているのではないかと、推定する。

    しかし、保守言論界の息苦しさは、それだけではなく、別の意味があるような気がする。潜在的にという意味である。

    中川八洋は、安倍首相を酷評しつつ、実は間接的にある御方を批判していたのではないかと、推定する。

    その御方は、生前譲位する意志を示された。摂政では困るということも語られた。また、心情的に、民進党の野田幹事長の方針(女性宮家)に近かった可能性もあった。同時期、民進党は、森友・加計事案に明け暮れ、特例法では女性宮家を付帯決議に盛り込まなければ、審議拒否すると宣言した。

    この状況で政権が取り得た選択肢は
    ①皇室典範改正は不可なので特例法改正で対処
    ②政権と陛下が対立状態、陛下が民進党の主張に近い?ため、全会一致で対処
    ③従って、有識者会議は、全会一致しやすい前提でメンバーが選定され、かく特例法が編み出された

    政権には、他の選択肢はない?

    そして、中川八洋は、政権の処置を酷評した。

    共産党小池晃書記局長は「特例法案は、国民が天皇陛下のお気持ちを理解し共感していることを立法理由にしているが、事実上、天皇の意思を退位の要件としているのではないか」と指摘し、菅官房長官は「国民が、天皇陛下のお気持ちを理解し、共感しているという現状は、お気持ちに対する国民の受け止めであり、天皇陛下のお言葉と直接関係するものではなく、憲法上の問題はない」と述べた。

    政権は、逃れられない状況で、共産党の罠に嵌められた?

    その御方は摂政配置を否定、政権は特例法での処置をやむを得ず選択
    政権とその御方は一種の対立状態にあたため、その特例法について全会一致を選択せざるを得なくなった?

    摂政配置を否定したのは、東宮を即位させるための口実であったとすれば、その御方自ら●●●●●の引き金を引いたことになる。


    なお、渡部昇一、小堀桂一郎は、(中川八洋に言わせれば、専門家ではないかもしれないが)、摂政の配置で対処可能との見解を示していた。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    有識者会議で渡部昇一氏が意見陳述「安倍晋三首相は国民に『摂政』の意義を訴えよ」
    http://www.sankei.com/politics/news/161114/plt1611140016-n1.html

    東大名誉教授(日本思想史)・小堀桂一郎氏 「摂政の冊立が最善」
    http://www.sankei.com/life/news/160716/lif1607160022-n1.html

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    共産党小池晃書記局長の国会審議での言質の原因をつくったのは、誰なのか?

    私の解釈では、その御方となる?のであるが、同時に、その御方の「無謬」について扱おうとしてこなかった、「保守言論界の長年に亘るしきたり」の問題を指摘せざるを得ない。

    中川八洋は、その御方を批判する代わりに、政権を酷評したと解するのである。



    最後に、拙ブログの説が当たっているのであれば、そのお立場の御方の「無謬」の問題について、過去の事例を参照する歴史家、研究者の存在を期待している(自分の実力では無理)が、文字通り命懸けでの研究発表となることが予想される?ことを指摘し、本稿を終える。

    以上

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    20:15  |  皇室  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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