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2017.10.16 (Mon)

憲法9条改正「自衛隊条項」  三島由紀夫の演説を思い出せ!

本稿、三島由紀夫割腹自殺直前の演説文と首相が表明した憲法改正方針を関連づけて分析を試みた原稿。

まず、三島の演説文を参照したい。

―― 参考情報 ――――――――――

三島由紀夫演説文
http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html

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三島は、自衛隊の治安出動の可能性がなくなったことを根拠に、憲法改正が行われないことを予言した。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%AE%89%E5%87%BA%E5%8B%95

治安出動(ちあんしゅつどう)とは、一般の警察力をもっては治安を維持することができないと認められる場合に、内閣総理大臣の命令または都道府県知事の要請により行われる自衛隊の行動。内閣総理大臣の命令による出動は自衛隊法78条に、都道府県知事の要請による出動は同法81条に基づく。

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その後、憲法改正されずに現在に至っている。

三島の演説文を再掲する。

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諸君は、去年の一〇・二一からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。

今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。

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相次ぐ北朝鮮ミサイル発射事案について、三島が生きていたら、「違憲だの合憲だの気にしていて、国が護れるのか!自衛官諸君」と、三島は言いそうな気がする。私は、三島の亡霊が数十年ぶりに目覚めたと思い始めている。

今年の5月、安倍首相の自衛隊の憲法明記発言があった。

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https://www.nikkei.com/article/DGXLASFK03H11_T00C17A5000000/

首相「2020年に新憲法」 9条に自衛隊明記
2017/5/3 14:06

 安倍晋三首相(自民党総裁)は3日、憲法改正について「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。都内で開いた民間団体のシンポジウムに寄せたビデオメッセージで表明した。具体的には、戦力の不保持などをうたう憲法9条を改正し、自衛隊の存在を明記する改憲案を挙げた。

 シンポジウムに安倍首相が寄せたビデオメッセージ(民間憲法臨調提供)
 首相の自民党総裁としての任期は、18年9月の総裁選で勝てば最長で21年9月まで可能。今回の発言は自身の任期中の改憲に改めて強い意欲を示したものとみられる。首相は「憲法改正の発議案を国民に提示するための具体的な議論を始めなければならない時期にきている」と強調した。

 現行憲法の9条は戦争放棄と戦力の不保持を定めているが、自衛隊の根拠規定は明記していない。憲法学者などから「自衛隊は憲法違反だ」との指摘がある。

 首相は「私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだ」と語った。いまの9条の1項と2項は堅持したうえで、自衛隊の根拠規定を新たに盛り込む案は「国民的な議論に値するだろう」とした。

 日本維新の会が検討進めている、高等教育を含む教育無償化にも意欲を示した。「誰もが生きがいを持って、その能力を存分に発揮できる一億総活躍社会を実現するうえで、教育が果たすべき役割は極めて大きい」と語った。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

私は、首相の改憲表明があった日、三島由紀夫のあの日の演説を久しぶりに思い出した。少しずつ三島のエッセイを読み始めた。

今年から来年にかけて、三島ブーム復活の予感がする。出版界は、イギリス在住の英国人小説家のことで一大ビジネスチャンス到来したと意気込んでいるかもしれない。
が、ブームの本命は、三島由紀夫ではないかと言いたい。
時代は、やっと三島に追いついたのではないか。そんな気がする。

しかし、言論界は、三島由紀夫の最期の演説と安倍首相の改憲表明について、関連づけて報道しようとしない。

何か、三島について書くことについてタブーでもあるのか?

改憲方針表明から、安倍首相は、三島由紀夫のことを忘れてはいないことを確信する。
安倍首相は、三島のミの字も言わないが、安倍少年は、三島の自決について胸に刻んで生きてきたはずだ。
ずっとノンポリだった私でさえ、三島のあの日の演説を覚えている。冒頭の演説文、私は、安倍少年と体験を共有していることを疑わない。

つまり、三島の視点で眺めれば、自衛隊条項を憲法9条に追加することは、三島の遺志を継ぐことを意味する。


三島由紀夫はこう語るだろう。
やっと、三島の遺志を継ぎ、改憲表明する政治家が現われたと!


安倍首相が保守ではないとか、売国奴だと語る方がおられるようだが、私は首相が三島由紀夫の遺志を継いでいる点、そして9条改憲という本丸を示唆、改正時期を明らかにし「脇道ではなく、正面から改憲問題と取り組もうとしている」点において、安倍首相は、憲法改正については誰よりも保守であり愛国者であると考える。

政局的なこと、内閣支持率動向などもあり、首相発言がトーンダウンすることを問題視する向きはある。西尾幹二あたりはそうなのであろう。が、私は気にしない。当然のことながら、西尾幹二は批判文が目立つ言論人である。これと言った具体的な提言、私は読んだことがない。私の勘違いであろうか?

一方、希望の党から出馬した中山成彬はモリカケ騒動の視点で?安倍首相を批判している。
https://twitter.com/nakayamanariaki?lang=ja

が、三島が今生きていたら、首相として戦後初めて改憲時期と改憲方針そして自衛隊条項の追記について方針表明した安倍首相を、中山成彬と同様のスタンスで批判するだろうか?
これまでは中山成彬、保守であり愛国者だと思ってきたが、ツイッター発言を読む限り、北朝鮮問題を国難と認識していないようである。

―― 参考情報 ――――――――――

希望の党は9条を守りますってさ
http://ttensan.exblog.jp/25881064/

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口だけ保守、口だけ愛国者なら星の数ほどいるようである。
それゆえ、私は、自分のことを、真正保守だの愛国保守などと間違っても自己紹介しないのである。

三島の視点で眺めてみて、安倍首相、中山成彬どちらが評価されるべきなのか?
どちらの政治家が、三島に近い存在なのか、ということになる。

本稿お読みの読者の皆様なら、自明のことであろう。

原稿の末尾にて、読むに値する、ある憲法学者の解説を紹介したい。この憲法学者は、安倍首相は憲法9条の本丸に切り込んで改憲表明したと評価している。

日々の政局マターにおいて、安倍首相は多分にファジーかつソフトランデイング路線の選択が目立っているが、日英・日印首脳会談によって軍事同盟レベルのことを両国が確認したことを振り返ると、選挙後は、ファジーでソフトランデイング路線の首相ではなく、戦時内閣となることを意識した「熱いハートを持つハードボイルドな政治家」にイメージチェンジされんことを期待し、本稿を終える。

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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170825-01384253-sspa-soci

安倍首相「自衛隊の憲法明記」発言で9条はどう変わるか?――憲法学者が3つの学説から検証
中央大学名誉教授の長尾一紘氏。
 5月3日の安倍首相の憲法改正発言は、改憲問題における雰囲気を一変させ、にわかに憲法改正論議が加速している。

 特に「自衛隊の憲法明記」について、各方面から賛否の意見が挙がっている。では、実際に自衛隊はどのように憲法に明記できるのか? この度、憲法学者の中央大学名誉教授の長尾一紘氏に話をうかがった。

 ちなみに長尾氏は、「外国人への地方参政権付与合憲説」を日本で最初に紹介した学者である。だが、その後、理論的反省と民主党政権時代の政策への危機感から、自説を撤回し、「外国人参政権違憲」の著書、論文を発表したことで、一躍注目された。

◆自衛隊の合憲性、3つの学説

 安倍首相の憲法改正発言は、極めて強いインパクトを与えました。改憲問題について、改憲派も護憲派も、多くの論者は強い関心を持ちながらも、あきらめのような、惰性的な雰囲気の中におりました。それが安倍発言によって、にわかに現実の問題としてこれを見るようになったのです。この安倍発言を踏まえて、9条改正に関する問題をみることにしたいと思います。

 安全保障の憲法問題としては、「集団的自衛権の合憲性」と「自衛隊の合憲性」の2つの重要な課題があるといわれてきました。

 「集団的自衛権の合憲性」については、安倍内閣が平成26年の閣議決定で、それまでの政府見解を変更したことにより、長年政府を悩ませてきた問題を解決しました。

 もう一つの「自衛隊の合憲性」については、学説は3説あります。

A 自衛隊は「軍隊」である。したがって憲法違反である。

B 自衛隊は「軍隊」ではない。したがって合憲である。

C 自衛隊は「軍隊」である。日本国憲法は自衛のために軍隊をもつことを禁止してはいない。したがって合憲である。

 Aは、護憲派の憲法学者の多数が主張するところです。政府見解は、Bに近いとみることができます。政府において、自衛隊は普通の意味での軍隊ではない、などと説明されます。Cの論者は、自衛隊は普通の意味での軍隊である、と主張します。

◆護憲派は「自衛権」そのものを否定する

 日本の自衛権論は、世界の常識から大きくかけ離れているようです。護憲派の多数は、「日本国憲法の下において、自衛権の保障はなされているが、自衛のための戦争をなすことは否定され、自衛のための戦力をもつことも否定されている」と主張します。

 ここで注意すべきことは、「自衛権」という言葉の理解です。「憲法上自衛権は保障されている」と言いながら、「自衛のための戦争」は否定され、「自衛のための戦力」を持つことも否定されています。このような主張には、用語上の混乱があると言わざるをえません。

 「自衛権」を持つということは、自衛のために実力を行使しうることを意味します。そして、自衛のために実力を行使しうるということは、「自衛のための戦争」を行いうるということを意味します。自衛戦争を行いうるということは、「自衛のための戦力」を保有しうるということを意味します。これが国際常識であり、国際法上の原則です。

「自衛権の保障はあるが、自衛戦争はなしえない」という主張、そして「自衛権の保障はあるが、自衛のための戦力はもちえない」との主張は、国際常識に反するものです。

◆専守防衛の問題点

 次に、B説とC説ですが、この2説の間には、大変大きな違いがあります。

 政府はB説の立場から、「専守防衛」を主張しています。このため、日本の防衛力は格段に低いものとなっています。政府の「防衛政策の基本」そのものが自衛権を不当に制限しているからです。

 「専守防衛」の意味については、一般に次のように説明されています。

 専守防衛とは、防衛上の必要があっても、相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力を以て撃退する戦略である。これは、憲法第9条の平和主義と整合性をもった受動的な軍事戦略である。

 このような戦略が、国家と国民を守るために有効であるか否かが問題になります。日本国憲法は、主権の維持を前文において要請しています。つまり、国民の生命、自由、そして幸福追求の権利を他国の攻撃から守ることは、政府の憲法上の義務とみるべきです。

 専守防衛の政策が、国家と国民を守りえないものであるとするならば、このような政策をとること自体が違憲であると言わざるをえません。なお、このような政策を国防の基本としている国は、日本以外には存在しません。

 現在の日本は危険な核武装国家に囲まれています。そして、これらの国のミサイルのいくつかは日本の領土に標準を合わせています。

 本来であれば、自衛隊には、このような状況に適合した装備が必要なはずです。たとえば、弾道ミサイル、ミサイル装備の潜水艦、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母がそれです。

 ところが、これらについては、専守防衛の基本戦略に適合しないものとされています。専守防衛の政策によって、国防に不可欠な装備ができないのです。

 かくして相手国は安全圏から日本に対して、自由かつ安全な方法でいわゆる「スタンド・オフ攻撃」が可能となります。

 この専守防衛の政策の下においては、主権の維持も国民生活の安全を保障することも困難です。専守防衛の政策は、違憲の政策と言わざるをえません。

◆安倍発言の要点は?

 安倍発言の要点は、二つあります。第一に、2020年までに憲法改正を行い、改正憲法を施行すると、時期について明言したことです。第二に、9条の1項と2項をそのままにして、これに付け加える形で規定を置いて、自衛隊の合憲性を明確にするとしたのです。

 安倍発言で注目されるのは、憲法改正問題において一番困難とされる9条にあえて着目した点です。憲法第9条の改正は容易ではありません。そこで改憲論者の多数は、緊急事態条項の導入や、第96条の憲法改正規定の変更などを主張してきました。しかし安倍首相が選んだのは、本丸である第9条です。脇道ではなく、正面から改憲問題と取り組もうとしているのです。

 ところで自民党内には、すでに改正草案として自民党案がある以上、安倍首相の改憲構想は妥当ではない、との批判があります。自民党案では、9条2項を削除し、新たに「国防軍」に関する9条の2を設けるというものです。

 しかし、改憲の発議のためには、衆参両院でそれぞれの総議員の3分の2以上の賛成が必要なのです。そのためには、自民党以外の政党との連携も必要になります。安倍首相の発言には、政治家として結果を出すという、憲法改正への本気が感じられます。

◆9条はどのような条文になるのか?

 安倍首相の構想は、9条の1項と2項をそのまま残して、自衛隊の規定を置こうとするものです。この9条を残して新たな自衛隊条項を付け加えるには、2つの方法があります。その一つは、9条2項の次に、3項を置く方法です。9条は、1項、2項、3項ということになり、この3項が自衛隊条項ということになります。

 もう一つの方法としては、9条はそのままにして、あらたに、9条の2を置くべきだという主張です。この方法では、9条と10条の間に新たな条文が「9条の2」として置かれることになります。そしてこれが自衛隊を定めるものとされるのです。

 私見において、これとは別な提案をしてみたいと思います。「9条3項」と「9条の2」を併用するのです。たとえば、次のようになります。

〈9条〉

①、② (現行ママ)

③ 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

〈9条の2〉

① 日本国はその主権を維持し、国際的な平和活動に協力するため、自衛隊を保持する。

② 自衛隊の最高指揮権は、内閣総理大臣に属する。

③ 自衛隊の組織及び任務に関する事項は、法律でこれを定める。

◆憲法改正で「自衛隊」から「自衛軍」へ

 C説の立場からすれば、理論上は、9条の改正はなくてもよいのです。しかしながら、護憲論者においてA説が主張され、政治家や官僚層においてB説が今なお支持されている以上、憲法改正によって、自衛隊の存在を明文上明らかにする必要があります。

 その名称が「自衛隊」であるか、また「自衛軍」であるかは問題ではありません。憲法改正を行うことによって、はじめて「戦後体制」に幕を下ろすことができるのです。これによって日本という国は生まれ変わることができるのです。

 日本国憲法は、占領軍によって日本弱体化のために作られた憲法です。これがそのまま持続するかぎり、民主主義も国民主権もすべて本物とはいえません。日本国民自身の意思によって憲法改正がなされなければなりません。「自衛隊」が名称はともあれ、普通の「軍」になるとき、国民主権がはじめて現実のものになるのです。

【長尾一紘(ながお・かずひろ)】

中央大学名誉教授。昭和17(1942)年茨城県生まれ。中央大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科を経て、中央大学法学部教授。この間、司法試験考査委員、中央大学法科大学院教授を併任。「外国人への地方参政権付与合憲説」を日本で最初に紹介したが、理論的反省と民主党政権の政策への危機感から、自説を撤回。その後「外国人参政権違憲」の著書、論文を発表した。最新刊は『世界一非常識な日本国憲法』(扶桑社新書)

<取材・文/日刊SPA!編集部>

日刊SPA!

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03:22  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2017.10.07 (Sat)

西部邁に反論あるなら すべきこと

西部邁が、かく発言し、保守層の一部が猛反発しているようなので私見を述べることとした。

―― 参考情報 ――――――――――

西部邁氏「安倍は保守じゃない。私は保守という言葉を理解しようとしない人々に憤りを込めて『ジャップ』と呼んでます」
http://hosyusokuhou.jp/archives/48802360.html

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改めて、当該サイト全文を眺めてみた。

―― 参考情報 ――――――――――

安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断
http://diamond.jp/articles/-/144344?display=b

―――――――――――――――――

西部邁は、自分なりの政治思想哲学を持ち、使う言葉の意味を知り、必要ならば自分で定義し直して使っている。質問者が、言葉を選んで、前提条件を示しつつ、見解を聞くべく質問設定しているのはそういうことなのだ。

実は、半年ほど前に、西部邁の名著とされる本を読んだが、何を言いたいのか、さっぱり理解できず、読む価値もないと思い、西部邁について距離を置くこととした。

が、改めて、ダイヤモンドのサイトに掲載されている話を読んでみて、自分の至らなさ、知識不足を思い知った。
西部邁が使う、「ジャップ」という言葉に激昂する前に、西部邁の発言の趣旨はたとえばアメリカ国務省の職員、言い換えるとあのキッシンジャーの言葉を代弁していると捉えるべきだ。
西部邁は覚醒を促す目的でこう語っているということなのだ。

激昂される方に、私から三つ推奨したいことがある。

それは、

・目の前に起きていることについて、まとめサイトの論調に従うのではなく。自分の言葉で考え、語るべきであること
・論争の対象となっている主要な言葉(キーワード)について、自分で定義して使うこと
・西部邁は批判することを得意としてきた言論人である関係で、西部邁が苦手とする?分析・提言(原因分析、対策提言、将来ビジョン)の領域、すなわち西部邁の上位概念の世界での言論活動を心がけること

である。

繰り返す。自分の言葉で、自分で考え、かくあるべきとの見解を発しない限り、日本は永遠にアメリカの属国のままだ。西部邁が「ジャップ」という言葉を使う意味はそこにある。高齢者が、敢えて現役世代の怒りを買ってまでそう主張する理由、それは我々現役世代の不甲斐なさにあることに気づかせるために敢えてそうしているということだ。

私は西部邁は現役の言論人とは思っていない。そう書いたら西部邁は怒るだろう。が、西部邁は第二次安倍政権とは距離を置いているとしている。

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http://diamond.jp/articles/-/144344?page=2

 こうした定義に照らし合わせると、安倍首相は最初から保守ではなかったわけです。実は第一次安倍政権が退陣した後、世間から総バッシングを受ける中で、僕だけは彼に手を差し伸べた。1年間にわたって毎月1回のペースで「保守とは何か?」というテーマの勉強会を開催して励ましたのです。

 ただ、第二次安倍政権が発足してからは一度だけ食事をともにしただけで、意識的に距離を置くようにしています。だって、政治になんて関わりたくないし、もともと安倍さんには特に悪意を抱いていない一方で、特別に期待もしていないから。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


また、西部邁は、過去数年、局面局面での具体的問題提起、提言行為をしていない印象がある。提言しない人を教祖並にと扱う必要はないが、さりとて、反発する必要もない。我々は、それぞれの持ち場で、自分の言葉で考え、独立国家の一国民として判断、実行する、そういうことである。

以上


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13:29  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2017.10.06 (Fri)

リベラルの定義

10月5日の読売朝刊にリベラルの定義についての記事を見つけたので転載する。
本来、自分で書くべきことだが、時間的制約もあるので、当面はこの記事の記述を参考とさせていただく。

リベラルの定義読売20171005朝刊


以上

テーマ : 保守主義 - ジャンル : 政治・経済

01:38  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2017.10.02 (Mon)

「保守」という言葉の概念  中川八洋と西尾幹二の比較

本稿、西尾幹二の「保守の立場から保守政権を批判する勇気と見識が必要だ」
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2218
からヒントを得て言論界に蔓延する、『「保守」という言葉を曖昧なものとして使用する』、あるいは『何度も使う「保守」という言葉を定義することを避ける現象』に着目し、その定義のあり方についての論考したもの。


私は、言葉を定義せずに使うことは、避けるべきとの立場である。
何度も使う言葉を、分類せず、定義せずに使う言論活動は、欠陥があると考えている。



本題に入りたい。



「保守」という概念が存在する。
言論人の著作の中で、この「保守」という言葉が何度も登場することがある。
それなりの定義が示されていれば、読む方としては、概念的に何を指しているのか、理解しやすい。

が、そうでない場合は、分類も定義もせず、何を言いたいのかという気持ちに読み手としてはなってしまう。



中島岳志という学者が書く本にその傾向が強い。「保守」という言葉をやたら使いたがる傾向にある。

「リベラル保守宣言」などを書いているが、小池百合子あたりはこの本を研究したかもしれない。
小池百合子は、自身は相当な保守主義者であるはずなのだが、政治活動的には、「次世代の党」が消滅した政治的な隙間を見つけ、有権者受けする公約を設定、わかりやすいキーワードを掲げ、リベラル的な保守政党のイメージで、選挙戦に臨もうとしている、そんな気がするのである。

私は読む気はまったくないが。理由は書かずともおわかり頂けるだろう。



ここで、二人の言論人について述べたい。

中川八洋と西尾幹二である。

中川八洋は、政治学の教科書レベルの名著を三冊出している。

・保守主義の哲学 知の巨星たちは何を語ったか
・正統の哲学 異端の思想 「人権」「平等」「民主」の禍毒
・正統の憲法 バークの哲学

これらの本、完全に読破、理解したレベルではないが、中川八洋は、本職の政治学者たちが、保守主義思想のルーツと系譜を押さえておらず、日本語翻訳も十分ではないと指摘している。

そういう前提で、中川八洋と西尾幹二の違いを比較したい。

中川八洋の本を読んでおられる方なら、「保守=保守主義思想の系譜の中に位置づけられるものの見方、考え方の総称」みたいな印象になると思う。
どういうことか?
中川八洋は、そもそも専門外だったのであるが、日本にそれを研究する政治学者がいないこと、保守主義思想の系譜を辿り、未だ日本語に翻訳されていない保守主義思想の本を読み、現代的な感覚で、保守主義思想の分類、定義、体系化を試みている。



これに対し、西尾幹二は、「保守の真贋」という新刊書でこう主張している。

―― 参考情報 ――――――――――

九月「保守の真贋」の出版(一)
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2221

九月「保守の真贋」の出版(二)
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2226

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あとがきでは、「私は、自分は保守主義者であると言ったこともなければ、保守派の一人であると名乗ったこともありません。保守という概念は私のなかで漠然としていて、自分の問題として理論武装したことがありません。ただ今回は少し違います。表題と副題に示したとおり、「保守」を積極的に使用しました。われながら大胆であるとびっくりしています。」としている。

西尾幹二は、二つのことを告白している。
一つ目は、「保守の概念」が漠然としているということ
二つ目は、自分は保守主義者だと思ったことはない

意外である。

定義せずに、現象面から漠然と語ったようなのである。

中川八洋が、保守主義思想のルーツと系譜を辿り、文献的に特定し、日本語翻訳されていない原書を読み、その思想を体言した政治家たち(サッチャーなど)を著書で紹介したことを思い出したい。
中川八洋は、座標軸を示し、その座標軸に、思想家と政治家をプロットして、著書にて紹介したと私は解している。

学問的次元で分類して定義したうえで語る人
現象面から(分類して?)語る人(未定義)

どちらの主張が学問的に説得力あるであろうか?
二人とも学者出身である。



次に、西尾幹二の「自分は保守主義者だと思ったことはない」という言葉について、私見を述べたい。
中川八洋が、専門外でありながら、保守主義思想を調べ直している作業を続けているのに、西尾幹二は、どういう調査作業をしているのかはっきりせず定義作業すらしようとしないに見える。
「保守」という言葉を概念的に漠然としたとする一方、「保守主義者」という言葉をあたかも定義済みであるかのように、「保守主義者」の意味を理解している如く(保守主義者でないと)書いている。
一方、西尾幹二は、つくる会の活動に参加し、「国民の歴史」、「GHQ焚書図書開封」の本を書いている。これらの活動は、歴史研究的に、保守の立場に属しているところから始まっていることは、本人が特段言わなくても自明であろう。あえて、この本で「保守主義者でない」と強調する意図と目的が理解できないのである。

中島岳志の本で起きたことと似たような現象を、西尾幹二の本に見出すのである。



また、中川八洋は、ブログにて西尾幹二を徹底批判している。

―― 参考情報 ――――――――――

西尾幹二の妄言狂史
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/archive/category/%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B9%B9%E4%BA%8C%E3%81%AE%E5%A6%84%E8%A8%80%E7%8B%82%E5%8F%B2

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いささか強烈な批判が並んでいる。

渡部昇一と共著が多い、谷沢永一の講演での西尾幹二批判も相当なものだ。

―― 参考情報 ――――――――――

つくる会発足時点で起きたこと  「渡部昇一の少年日本史」刊行の意味 
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-412.html

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私の評価はこうなる。

扱うものが保守であれ、歴史であれ、もともと学者なのだから、文献をそろえ、系譜を作成し、分類、体系化すべきだ。学者が行う研究はそういう性格のものだ。
分類も定義もせず、主張するのは、相対的な評価でしかなく、何を基準とした分析評価、主張なのか、定まらない可能性がある。
西尾幹二が唱える保守、私には、人事評価の世界における、相対評価手法のような気がする。

相対評価は、ともすれば根無し草になりやすい。
漠然とした主張は主義主張自体が根無し草であることを意味する。

一方で、「保守」という政治思想を扱った本は多い。しかし、それらのどれもが、分類、定義を省略しているような印象がある。
そもそも定義していない状況で、「保守」という言葉を使うのは、学問的には情報収集段階にある、という見方もできる。

つまり、中川八洋と西尾幹二の論争が行われていることを認識すると、私の見立てでは、現時点では中川八洋の一方的?な勝利と判定せざるを得ない。

理由は、中川八洋が、文献をそろえ、系譜を作成し、分類、体系化し、学術的に対応しているからだ。



それでも私は、西尾幹二は、いろんなことに気がつく博識な方であると思っている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2226#comments

1.保守が本物かどうかの基準を私は「愛国者かどうかの基準」と理解しますが、先生は皇室、国土、民族、反共、歴史の5つを挙げておられ、非常に分かり易く、使いやすいメルクマールと納得しました。私はさらにもう一つを加えたい。5つのどれかに含めることも可能かもしれませんが「軍備」を独立の基準にしたいと考えます。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

拙ブログは、西尾幹二の考え方を企業の教育マニュアルに当てはめ、真正保守の定義を導いた。

―― 参考情報 ――――――――――

「真正保守」の定義について
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-657.html

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西尾幹二の言いたいことはわからないではないが、中川八洋が、もともと専門外でありながら、保守主義思想のルーツを辿り、学術研究的スタンスでエネルギッシュに述べていることを知るならば、西尾幹二も同様の作業をすべきだった。西尾幹二が述べていることは中川八洋から見れば学問的アプローチではなく、どちらかと言うと主観的な観念論を振り回しているように見えるだろうと推定する。

かくいう私は、西尾幹二の「国民の歴史」について、ただ読むだけなら面白い本という評価なのであるが、ところどころ冗長な箇所があり、新しい歴史教科書の副読本にはなり得ない。そういう評価である。「渡部昇一の少年日本史」の方が、売れ続けるだろうと予想している。
同時に、この本に書いてあることをそのまま引用して大丈夫なのだろうか?そういう印象を持っている。が、GHQ焚書図書開封は読書案内本として活用させていただいている。


これに対し、中川八洋の本を読むとロジックの組み立てがしっかりしていることに驚かされる。
二人の間の論争が裁判沙汰になったそうだが、「学術的なアプローチで根源的に調べかつロジックを尊重する学者」が、「相対主義・観念論的の学者」を徹底批判したくなるのは、必然だったのではないか、そういう気がする。

皆様は、二人の言論人について、どう比較しつつ読まれたであろうか?


以上

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2017.10.01 (Sun)

「真正保守」の定義について

「真正保守」という言葉の意味について、明確に定義した人は、私が知る限りいない。


自称[真正保守]の人が、こう他人を批判することがあるそうだ。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://blog.livedoor.jp/soemon/archives/55641689.html

自分は既に「保守」ではない。
だって、(自称)「真正保守」から、「お前は保守ではない。左翼の工作員だ。在日の創価信者だ!」と「認定」されたからである。
それ以降、自分は自分が「保守」であることを名乗るのをやめた。
(自称)「真正保守」という御仁から「お前は保守ではない。」と云われたからには、多分、実際に自分は「保守」ではないのだろう。
さらに、ろくに「国語」の「読解力」も無いくせに、極めて安直に他人を罵倒するのが「保守」ならば、そんな奴等と自分は一緒にされたくは無い。
むしろ、こちらから「保守」の盃を叩き返したい。
だから、自分は、もう、「保守」ではない。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

私は、この種の批判手法には納得しない。
自分が「真正保守」だとするなら、そうだとする証拠を示さなくてはならない。そう考えるのだ。


最近、ふとしたきっかけで、定義できそうな気がしたので、本稿にて、文章化を試みる。



まず言えることは、「真正」という言葉が含まれているために、かなり厳密に分類し、定義する必要があるということだ。そうでなければ、真正保守とそうでない保守の区別が曖昧になるからだ。

自ら「真正保守」と語られる方、「真正保守」と「真正でない保守」をどう区別するのか?区別して文章化できるのか、という問題に気づくべきだ。

学問的経緯から定義するのは難しい。なぜなら、真正の学問、真正でない学問という分類、区別はどうするのか、できるのかという、壁にぶつかる。直観で無理だと私は考える。
宗教的視点でみれば、真正と異端ということになるだろう。キリスト教世界では、中正の異端尋問において、かなり厳密な定義の下に審判を行ったようだ。
つまり、「真正」という言葉がくっついたことで、学術的に耐えられる厳密さで示すべきだと考えるのである。


見方を変えたい。


企業の教育マニュアルなどににある、「マイスター」レベルのスキルを「真正」と見立てられないかと考えた。ここで言う「マイスター」とは、高度専門的な技術を有する技術者、熟練技能者のことを意味する。

皆様の会社の教育マニュアルはどうなっているであろうか?もし、特定の領域について、高度専門的なスキルを有する技術者、技能集団がいたとして、新入社員、入社3年目、入社5年目、入社7年目、入社10年目、主任クラス、係長クラス、課長クラスに必要な知識とスキルを文章化、定義した、マニュアルが存在するはずだ。

保守言論界に、その最も知識レベル的かつスキル的に高度な領域、難易度の高い領域に、「真正保守」と定義できる部分がないかと考えたのである。


つまり、「真正保守を、保守思想が扱う対象において、高度専門的なスキルを有する保守主義者」と想定して定義するのである。
教育マニュアル作成手法に沿って、保守が扱う対象領域、必要な知識、必要な対応技能をを明確化するのである。


真正保守であると認定する際は、「対象領域」それぞれについての「知識」、「対応技能」から判断することになる。つまり、真正保守であるとするならば、特定の領域について、「一定以上の知識」と「一定以上の対応技能」が要求されると考える。


次に、詳細を示す。





■対象領域

西尾幹二のアイデアを適用すると、皇室、国土、民族、反共、歴史の5つの領域を対象領域と設定することが可能である。例外的にそれ以外の領域もあるだろう。

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||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2226#comments

1.保守が本物かどうかの基準を私は「愛国者かどうかの基準」と理解しますが、先生は皇室、国土、民族、反共、歴史の5つを挙げておられ、非常に分かり易く、使いやすいメルクマールと納得しました。私はさらにもう一つを加えたい。5つのどれかに含めることも可能かもしれませんが「軍備」を独立の基準にしたいと考えます。在来兵器、核、サイバー、宇宙のすべての軍備を充実させ、日本を軍事強国に脱皮させる意思がない保守は保主として、愛国者として健全ではないと思います。世界が国という単位で動いている以上、国が強くなければ、現状のように、馬鹿にされるだけです。安倍首相が各国を旅行して首脳会談を重ねても、肝心なことを決める外交交渉で主要プレーヤーになれず蚊帳の外に置かれるのは、常任理事国でないことだけでなく、軍事強国でないことが原因です。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



■必要な知識

・用語の理解
・文献情報
・政府見解
・政府機関情報
・法律情報
・歴史的経緯に係わる情報
・上記に関連する情報



■必要な対応技能

・現状問題点ならびに原因の所在を分析できるスキル
・問題解決のための対策検討ならびに実施計画策定できるスキル
・政策面での問題点を分析できるスキル
・法律、歴史的経緯を理解できるスキル
・政府見解等について分析、評価、必要な修正案、対案、提言等を行えるスキル
・上記に関連するスキル


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これが、今回定義した「真正保守」である。

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真正保守の定義

「真正保守」とは、皇室、国土、民族、反共、歴史などの領域において、国家・民族を守るために必要な知識と対応技能を有する、高度専門的なスキルを有する、保守主義者


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知識はあっても、ちょっとやそっとの知識や対応技能では「真正保守」には到底達しないのである。

「真正保守」とは、迂闊に語ることが憚られるレベルなのである。



もっと具体的に書くと、この定義が意味する「真正保守」とは、理系的感覚で言うと、皇室、国土、民族、反共、歴史それぞれについて、技術士レベルの知識と対応技能を有するかなり有能な人物ということになるのである。

私が、「真正保守」であると語らない理由、これでおわかりいただけたと思う。
スキル的にハイレベルなのである。

何かにつけて「真正保守」ですと語りたがる、その辺の人の遥か上のレベルとみていいのである。

一方で、「真正保守」は、精神的、倫理的な意味で、意識して使われることがある。しかし、スキルが伴わず、批判スキルを駆使して「真正保守」だと語るのは、道理的に無理があるのではないか。
かなりのビジネススキルを有する保守政党に所属する「悪魔のような政治屋」(詳細定義すべきだが、ここでは未定義)がいたとして、その政治屋を、真正保守を名乗って、批判したところで、この政治屋の欺瞞、主張をひっくり返せるのかということなのである。

戦後、保守活動は負け戦続き、批判文だけしか書けない(書かない)人たちが「真正保守」を名乗っていた。そうでない人もいたが。本当に、そのような状態で現状を変えられるのか?そして、私が知る教育マニュアルには、批判スキルは、載っていない。業務遂行上、スキル的に必要ではないのだ。下手をすると、仕事をせず、論争に明け暮れると会社として困るからだ。
野党政治家たちが、レベルの低い下賤な論争に明け暮れ、対案を出さず、提言すらしない。それは、野党政治家たちは、極論すると批判スキル以外のスキルを有していないことを意味する。
批判するだけなら、誰だってできる、星の数ほどその手法は転がっているのである。

国家・民族のために、一人一人が身に付けるべき知識、技能が何であるのか、考えるヒントとなれば幸いである。

以上

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