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2017.11.07 (Tue)

本を図書館に寄贈するのは喜ばしいことだが

本の寄贈と聞いて、ある歴史学者のことが思い出される。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E6%B0%B8%E4%B8%89%E9%83%8E

家永三郎文庫
家永の蔵書の大部分(約12,000点)は遺族の希望に基づき、中国天津市にある南開大学の日本研究所に寄贈された。また、家永が『植木枝盛研究』(岩波書店)等の執筆に際して蒐集した明治期の出版物を中心とする文献資料は、町田市立自由民権資料館に収蔵[10]されており、それぞれ「家永三郎文庫」と命名されている。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

日本に留学してくる、南開大学の日本研究所出身の中国人歴史研究者は、家永三郎文庫に接して、日本を歴史的に貶めることを当然だと考えるはずである。
なぜなら、家永三郎の遺族が寄付したからである。

さて、私が知る、いわゆる県立図書館、設置の経緯などから、全国的に名の知れた国会議員が本を多数寄贈した。国会議員が寄贈した本であるとのスタンプ印があったのでわかったことである。

かくいう私も、読まなくなった本や聞かなくなったCDなどを図書館に寄贈し続けている。ブックオフに持って行けば金にはなるが、図書館に寄贈する方を選ぶ。
図書館所蔵の言論人の本の中では、岡崎久彦の本の中に寄贈本が多かったと記憶している。ともすれば、世話になった地域や郷土に、言論人は本を寄贈する習性があると私はみている。

ここで、新潟県長岡市出身の有名人を参照したい。

http://yuumeijin.info/sichoken.php?sicho=%E9%95%B7%E5%B2%A1%E5%B8%82

山本五十六や櫻井よしこが長岡出身だそうだ。半藤一利、和久井映見、三波春夫も長岡出身だそうだ。

長岡出身の有名人は多い。
大学の同期生に長岡高校出身者がおり、その人物は、長岡出身の有名人を覚えかつ郷土愛に満ちた人物だった。ただ、その同期生の発想は、「有名人だから、素晴らしいという価値観の中で、その有名人が優れた人物である」との印象を抱いていたようだ。

ひがんでそう書いているのではない。
山本五十六の名言録みたいな本を度々書店で見かけたことがある。大東亜戦争での相次ぐ海戦での敗北は山本五十六が愚将であるがゆえに招いた、かもしれない検証をせずに、優れた表現の言葉のみを集約して刊行された可能性ががある。
郷土愛に満ちた長岡出身者が係わってビジネス書として流布されている可能性を指摘する。

櫻井よしこはどうだろう。

長岡図書館の所蔵実態を確かめたい。

http://www.lib.city.nagaoka.niigata.jp/

「櫻井よしこ」で所蔵本検索を試みる。

―――――――――――――――――

1
NEW
 韓国人の皆さん「強制連行された」で本当にいいの?
杉田 水脈/著 -- 育鵬社 -- 2017.10 -- 210.7 -- 日本語
貸出中
予約
2
 論戦 2017 頼るな、備えよ
櫻井 よしこ/著 -- ダイヤモンド社 -- 2017.8 -- 304 -- 日本語
貸出中
予約
3
 それでも原発が必要な理由(わけ)
櫻井 よしこ/著 -- ワック -- 2017.6 -- 539.091 -- 日本語
貸出可
予約
4
 赤い韓国 ( 産経セレクト S-007 )
櫻井 よしこ/著 -- 産経新聞出版 -- 2017.5 -- 302.21 -- 日本語
貸出中
予約
5
 一刀両断
櫻井 よしこ/著 -- 新潮社 -- 2017.5 -- 304 -- 日本語

―――――――――――――――――

櫻井よしこは、今年5月から8月にかけて4冊出版している。

ある言論人によれば、出版業界の常識として、一人の言論人が1年に書ける本は2冊が限界だそうだ。



つまり、上記の4冊の新刊書は、複数のゴー●ト●イター(最大●人?)が書いた可能性がある。

長岡の図書館は、地元出身の有名人の本を早速配本している。

皆様は、寄贈本、図書館の購入本どちらを予想されるであろうか?
出版社手配の寄贈本であろうと私は推定する。

図書館の所蔵本は、ネットで当該図書館で検索すれば調べられる。郷土愛、愛国、保守にこだわっている言論人の本が出身地の図書館に所蔵されているかどうか、調べてみる価値はある。

意外なことがわかるはずである。

少なくとも、櫻井よしこの本については、ゴー●ト●イター臭いのものだらけではあるものの、出身地の図書館は最新刊書を所蔵していることはわかった。

話は、ここで終わりにしたくはないのだが、最近無断転載禁止を宣言した言論人のブログがあり、そのブログの援護射撃をしたい気持ちになっているのだが、その管理人が拙ブログをひょっとすると敵視しているかもしれないため、ここでひとまず原稿を終えることとする。

以上

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2017.11.04 (Sat)

福田恆存「当用憲法論」  読み直す時が来た

恐らく、70歳より上の方でないと福田恆存という言論人をご存じないかと思う。
福田恆存「当用憲法論」について、3年前に着目され再評価が始まったようだ。

―― 参考情報 ――――――――――

福田恆存「当用憲法論」の卓見 --- 井本 省吾
http://agora-web.jp/archives/1626181.html

福田恆存の常識論は安倍晋三氏のユートピア 池田信夫
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51923986.html#more

―――――――――――――――――

池田信夫は、「安倍首相のユートピア」というタイトルを掲げ、皮肉っている。
池田信夫は、安倍首相が福田恆存の信奉者に見えるからそう書いたのであろう。

これら二つの原稿が書かれたのは3年前。
先の衆議院選挙の結果、憲法改正の道筋が政権によって拓かれると予想するのであれば(おそらくそうなるだろうが)、福田恆存が当時何を語っていたのかを理解することは、安倍首相がイメージする憲法改正論を理解することに繋がる。

そこで、本稿では、福田恆存「当用憲法論」からエッセンスを紹介させていただく。

ただし、福田恆存の「当用憲法論」、哲学書みたいな書きぶりのため、いささか難解である。読破する気力なくして、護憲派との論争に勝利できるとは思えない。が、難解だと聞いてがっかりする必要はない。
幸いにして、読むべき箇所は限定的である。ポイントとなる箇所をさっと見つけ、要点を把握できれば全体の骨格が見えてくる。そういう書きぶりなのだ。

当用憲法論は、文春文庫の「日本を思ふ」という文庫本に収録されている。
特に重要と思われる箇所のみ転載させていただく。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

日本を思ふ  福田恆存著 

当用憲法論

284頁
私が最初に現憲法は改正出来ないと言ったのは次の理由に拠ります。なるほど第九六条には「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」とあって、この手続きさへ踏めば改正出来る様になってゐる。処が、この憲法前文には右の九六条を全く空文化してしまふ様な一節が用意してあるのです。それはかうなってをります。「これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と明記されてゐる。この「かかる原理」とは前を受けてゐるものであって、基本的人権、戦争放棄、主権在民を意味します。この3点に反する改正が出来ないとすれば、「改憲派」はもはや沈黙する以外に手は無いではないか。

中略

欽定憲法にも第七三条に改定の場合の手続が規定されてをり、それに則って現行憲法が生まれたということになってをりますが 、果たしてそれは事実かとい

285頁
ふ問題であって、私はそれに疑問を呈出して置いたのです。なるほど欽定憲法の改訂は自らの規定する第七三条の手続きに随って「合法的」に行はれたに違ひない。が、この場合、見逃し得ぬ事実が二つあります。その第一は手続きさへ良ければ、改定の内容は如何様にも為し得るかといふ事です。下手な譬えで恐縮ですが、一つ一つは致命傷にならぬ、随って死刑に値しない傷を百も二百も加へる事によって人を死に至らしめた場合、その加害者の行為は致命傷を与へなかったからといって殺人とは呼び得ないとは言へますまい。憲法の改定には自づと限界がある筈です。先に現行憲法について、その前文が第九六条を空文化してゐると言ったのはその意味においてです。欽定憲法のうちには、その前文による禁縛は何処にも見当たりませんが、憲法発布直後には、「茲ニ大憲ヲ制定シ朕ガ後嗣及臣民及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム』とあります。これは憲法発布勅語の一節であって、憲法そのものではないと言ふ者があるとしても、それは単なる言ひ抜けに過ぎません。

のみならず、仮りに勅語のうちに右の一節が無かったとしても、事、憲法に関する限り、改定に限界がある事は古今東西を問はず常識として認められてゐる事であります。尤もそれは常識であればこそ、それを無視する横紙破りや、形式論理を楯に取って改定無限界説を主張する憲法学者が出て来る處れ無しとは言へない。だからこそ現行憲法はその機先を制して第九六条を空文化する手を打って置いたのでせう。それは自らが欽定憲法を改定する時の手続きに後ろめたさを感じてゐた事の何よりの証拠であり、また同じ

286頁

横紙破りをやられたのでは敵はないといふ警戒心の現れでもあるとも言へない事は無い。

中略

 欽定憲法改定の際に見逃し得ぬ第二の事実は、独立国に非ざるものに、憲法を制定する権利も資格も有り得ないといふ事であります。仮りに占領軍が押附けたのではなく、自発的に草案を作り、自発的に制定したとしても、事態は同じです。この場合、「自発的」といふ言葉が既に意味を為さない。自発的であり得るなら被占領国ではないし、被占領中なら自発的ではあり得ないからです。こんな解り切った事に誰も気附かなかつた筈は無い。が、当時その事をはっきり口に出して反対した者は衆議院では六人しかをりませんでした。しかも、そのうち四人までが共産党の議員であり、野坂参三などは第九条にも反対し、軍隊を持たぬ独立国は考へられないとさへ言ってをります。

289頁

私は欽定憲法の復活を希望してゐるのではない。私にとって大事なのは欽定憲法そのものではなく、日本人の憲法意識なのであります。それに、私が復活を希望するまでもなく、欽定憲法は決して死滅してはをらず、理論上は生きてゐるのです。が、私はそのままで良いとは思ひませんし、放って置けば時間が解決するとも思ひません。

中略

断言しても良い、現行憲法が国民の上に定着する時代など永遠に来る筈はありません。

290頁

第一に、「護憲派」、を自称する人たちが、現行憲法を信用してをらず、事実、守ってさへもゐない。大江氏は覚えてゐるでせう、座談会で私が、「あなたの護憲は第九条の完全武装抛棄だけでなく、憲法全体を擁護したいのか」、と訊ねた時、氏は、「然り」、と答へた、続けて私が「では、あなたは天皇をあなた方の象徴として考へるか、さういうふ風に行動するか」、と反問したら、一寸考えこんでから、「さうは考へられない」、と答へた。記録ではその部分が抜けてをりますが、私はさう記憶してをります。或いは氏が黙して答へなかったので、それを否の意思表示と受け取ったのか、いづれにせよ改めて問ひ直しても恐らく氏の良心は否と答へるに違ひ無い。が、それでは言葉の真の意味における護憲にはなりません。大江氏は憲法を憲法なるが故に認めてゐるのではない、憲法の或る部分を認めてゐるのに過ぎず、また憲法を戦争と人権の防波堤として認めてゐるに過ぎないのです。


勿論、あらゆる法は防波堤的性格を持つものであり、多くの憲法は権力者に対する防波堤としての役割を果たしてゐる事も否定し得ない。しかし、その防波堤は青年だけが利用し得るものでもなければ、特定の個人だけが利用し得るものでもありません。自由平等、権利義務と同様、自分を守つてくれる同じ法が自分の利害に反する「敵」をも守つてくれるのです。基本人権の擁護は被治者にも治者にも適用されるのです。その点、「護憲派」は大きな勘違ひをしてゐる。「年寄りくたばれ」どころか、「岸殺せ」と叫んでも基本人権を脅してゐるとは考へないらしい。革命や民族解放の為の内戦は違憲とは考へないらしい。議事進行妨害も「護憲」の名において「護憲派」が行つてゐる。それ


291頁

といふのも、「護憲派」にとつて現行憲法は単なる防波堤の役割を果たしてゐるばかりでなく、将来政権を取る為の前進基地として好都合な手段だからであり、事実、彼等はさう公言してをります。正に当用憲法であります。「改憲派」が違憲的言動に走るのはまだしも、「護憲派」がこの有様で、どうして憲法の権威が守れるでせうか。誰がそれを真の護憲運動と認めるでせうか。


296頁

巷間憲法論議の最大の焦点は、その第九条でありませう、それについて私の考えを述べます。


第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


297頁

この文章を読んで御覧なさい。多少とも言葉遣いに敏感な者なら、そこには自発的意思など毛ほども無いことが感じ取られるでせう。形式論理的には一応定言判断の形を踏んでをりますが、これは譬へば「銃をしまう!」という職業軍人の間に通用した命令形の変種であることは一目瞭然であります。またこれをどう解釈しても、自衛の為の軍隊なら許されるといふ余地は何処にも残されてはをりません。事実、吉田茂元首相は当時そうさう力説してをりました。


現在でも、公法研究者中略七割が同様の解釈をしてをり、第九条のままでも自衛隊の保持は差支無しといふのは二割しかおりません。後の一割が自衛隊を認める様、第九条を改めるべしといふー意見です。処で、この第九条を生んだ根本の考へ方は何処にあるかといふと、それは前文における次の一節です。


日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと


298頁

思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。


これも変種の命令形であることは言ふまでもありませんが、それにしても「名誉ある地位を占めたいと思ふ」とは何といぢらしい表現か、悪戯をした子供が、母親から「こう言ってお父さんにあやまりなさい」と教へられている姿が眼前に彷彿する様ではありませんか。それを世界に誇るに足る平和憲法と見なす大江氏の文章感覚を私は疑います。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」といふのも、いぢらしさを通り越して涙ぐましいと言ふほかは無い。この場合、「決意」といふ言葉は場違いでもあり滑稽でもあります。前から読み下してくれば、誰にしてもここは「保持させて下さい」といふ言葉を予想するでせう。

といふのは、前半の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」といふのが途方も無い事実認識の過ちをおかしてゐるからです。


これは後に出てくる「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」といふ一節についても言へるこ事です。例の座談会で、この虚偽、或はこの誤認を揶揄し、刑法や民法の如き国内法の場合、吾々は同胞に対してすら人間は悪を為すものだといふ猜疑を前提にして、成るべく法網を潜れぬ様に各条項を周到に作る、それなのに異国人に対しては、すべて善意を以って日本国を守り育ててくれるといふ底抜けの信頼を前提にするのはをか

299頁

しいではないかと言った。第一、それでは他国を大人と見做し、自国を幼稚園の園児並に扱ってくれと言ってゐる様なもので、それを麗々しく憲法に折り込むとは、これほどの屈辱は他にありますまい。処が小林氏は、あれは嘘でも何でも無い、当時は国連中心主義の思想があって、そこに集ったグループは反ファッシズムの闘争をした諸国と手を握り合って行かうといふき持ちだった、その諸国の正義に信頼しようといふ意味に解すべきだと答へました。

そもそも憲法の中に、猫の目のように変る国際政治の現状判断を織込み、それを大前提として各条項を定めるなど、どう考へても気違い沙汰です。私は小林氏が本気でさう言っているのか、これもまた欺瞞か、そのけぢめが附かなかったので黙ってをりましたが、もし小林氏が本気でさう考へてゐるなら、そして憲法学者といふのはその程度の歴史知識、国際政治観で済むものなら、随分気楽な職業だと思ひます。

中略

彼等が、「平和を愛する」人間である事も、「平和をい維持し」あらゆる悪を「地上から永遠に除去しようと努めてゐる」事も、やはり半面の真理であって、他の半面では、自分は出来るだけその善意を持ち続ける積りだが、何処かの国がその善意を忘れることもあり得るといふ程度の予想は立ててゐる、その予想が事実になる場合もあり、また善意を

300頁

持ち続ける自分の方が、ついそれを忘れる場合もあり、しかもいづれの場合も、両者共に善意を忘れたのは相手方だと思ひ込む、それが人間といふものです。さういふ「人間普遍の原理」に目を塞いで作ったのが、右に引用した現行憲法の前文であり、その帰結が第九条であります。


私は当時の日本の政治家がそれほど馬鹿だったとは思はないし、政治家といふ職業は憲法学者ほど気楽に出来るものとは思はない。改めて強調するまでもありますまいが、これは明らかに押附けられて仕方無く作った憲法です。如何にも腑甲斐無いとは思ひますが、当時の実情を考へれば、情状酌量出来ない事ではない。しかし、それならそれで事情を説明して、国民の前に一言詫びれば良いと思ひます。アメリカも公式に謝罪した方が宜しい。さうすれば吾々もさっぱりした気持ちで、それこそ自発的に、吾々の憲法に天下晴れて対面出来るでせう。今のままでは自国の憲法に対して、人前には連れて出られない妾の様な処遇しか出来ません。
尤も、それを平和憲法として誇っている人も沢山をりますけれど、それは其の人達が妾根性を持ち、事実、妾の生活をしているからに他なりません。

315頁

先に「蛇足までに」と申しましたが、現行憲法に権威が無い原因の一つは、その悪文にあります。悪文といふよりは死文といふべく、そこに起草者の、いや翻訳者の心も表情も感じられない。吾々が外国の作品を翻訳する時、それがたとへ拙訳であらうが、誤訳があらうが、これよりは遥かに実意の篭もった態度を以て行ひます。といふのは、それを翻訳しようと思ふからには、その前に原文に対する愛情があり、それを同胞に理解して貰はうとする欲望があるからです。それがこの当用憲法には聊かも感じられない。今更ながら欽定憲法草案者の情熱に頭が下がります。良く悪口を言はれる軍人勅諭にしても、こんな死文とは格段の相違がある。前文ばかりではない、当用憲法の各条項はすべて同様の死文の堆積です。こんなものを信じたり有り難がったりする人は左右を問はず信じる気になれません。これを孫子の代まで残す事によって、彼らの前に吾々の恥を晒すか、或はこれによって彼等の文化感覚や道徳意識を低下させるか、さういふ愚を犯すよりは、目的はそれぞれ異なるにせよ、一日も早くこれを無効とし、廃棄する事にしようではありませんか。そしてそれまでに、それこそ憲法調査会あたりで欽定憲法改定案を数年掛りで作製し、更に数年に亘って国民の意見を聴き、その後で最終的決定を行ふといふのが最善の策であります。憲法学上の合法性だの手続きだの、詰まらぬ形式に拘

316頁

はる必要は無い、今の当用憲法がその点、頗る出たらめな方法で罷り出て来たものなのですから。
(昭和四十年「潮」八月号)

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

福田恆存は、常識論的視点から論点を示し、憲法についての、あるべき姿を導き出した。

中でも、「私は欽定憲法の復活を希望してゐるのではない。私にとって大事なのは欽定憲法そのものではなく、日本人の憲法意識なのであります。それに、私が復活を希望するまでもなく、欽定憲法は決して死滅してはをらず、理論上は生きてゐるのです。が、私はそのままで良いとは思ひませんし、放って置けば時間が解決するとも思ひません。…………断言しても良い、現行憲法が国民の上に定着する時代など永遠に来る筈はありません。第一に、「護憲派」、を自称する人たちが、現行憲法を信用してをらず、事実、守ってさへもゐない。…………」
この表現に私は圧倒された。

当用憲法論は五十年前に書かれたことに私は驚いている。現日本国憲法を当用憲法と名付け、その悪文ぶりをぶった切った心意気は、再評価されるべきだし、当時の護憲派との論争の切り口は、今日でも通用するレベルにある。
立憲民主党や共産党が反論しにくい箇所があるのはお気づきのことと思う。
拙ブログは、野党ないし野党議員に対し、質問主意書により質問できる制度が導入されるべきだと提言し続けている。審議拒否を繰り返し、批判を繰り返し、憲法を守っているとは思えない護憲派との、憲法改正論議に際し、野党ないし野党議員に対する質問主意書の適用は、有効な措置となるとの認識である。

そして、福田恆存の言葉には力がみなぎっている。てにをはを書き直して、明日の産経の寄稿欄に掲載されても(保守層の読者であれば)誰も違和感を感じまい。

話は変わるが、先日、ある書店の筑摩文庫コーナーにて、三島由紀夫の本が目立つ位置にて平積みされているのを見つけた。

折しも、衆議院選挙にて政権与党が改憲議席を維持した。衆議院は改憲勢力が大多数である。三島由紀夫と福田恆存が語ってきたことが、やっと手の届くところに来た感じである。憲法改正実現は戦後の終わりを意味することは明らかだ。

政治スケジュール的に、一歩一歩確実に憲法改正実現に向かうことを願う次第である。

以上


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2017.10.30 (Mon)

「愛国」「保守」の定義について

保守系言論人の本を読んで、定義せず、「愛国」、「保守」という言葉を使用するケースに何度も遭遇した経験がある。

本稿では、そういう経験から、自分なりのものの考え方、価値観に従って、国語辞書作成者の立場で、文章化を試みたもの。

以下、辞書の一頁と思って、お読みいただきたい。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■愛国(新明解国語辞典からの引用)
自分の生まれた国を誇りに思い、国のためを思って行動すること

■愛国心
国家の危機に際して、その立場において為すべきことを為す、心がけの総称

■愛国者
一般的には、「国家の危機に際して、その立場において為すべきことを為す、心がけを実行する人、もしくは、しようとする人」と定義できそうだが、厳密には三種類あるように思う。

・最高の愛国者
国家のために敢えて悲劇的な死を選ぶ人

・普通の愛国者
国家のために悲劇的な死を選んだ人ほどではないが、似たような思考様式の人

・最低の愛国者
他人には愛国心を要求、何かにつけて愛国保守、真正保守という言葉を使いたがるが、自分が国家のために何をするか、何ができるか決して明示しない人


■保守
・国家の形、民族的な歴史、文化、伝統、慣習を維持、継承しようとする、多分に政治的な意味を持つ、ものの考え方の総称
・保守主義思想の系譜の中に位置づけられるものの見方、考え方の総称

■真正保守

皇室、国土、民族、反共、歴史などの領域において、国家・民族を守るために必要な知識と対応技能を有する、高度専門的なスキルを有する、保守主義者


■愛国保守
愛国+保守

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

補足でお読みいただきたい原稿がある。
かつて、有名ブログ「夕刻の備忘録」の最後の原稿を紹介させていただく。愛国者の定義がある。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://blog.goo.ne.jp/june2005wed/e/543944e5e86a1236b536973eb3182a8e

[転載] 夕刻の備忘録の終幕

2013-07-26 09:34:22 | マスコミ
 
本ブログ開設の動機は、前回申し上げた通りです。差し迫る政権交代への恐怖と怒り。そして、非情な現実。大政治家・中川昭一の突然の逝去。横暴を極める周辺国の反日工作。

  そしてそして、それら悉くに無関心であり、何を知ることもなく、何を知ろうとすることもない、マスコミの操り人形と化した多数の国民。
こうした一連の流れの中で、同じ思いを持つ人達に何か訴える言葉を届けたい。既に活動している人達に、助力となる言葉を切り出したい。
 失った誇りを取り戻すその日まで。
 失った国家を取り戻すその日まで。
何が何でもやり抜くつもりで、ネットの辺境で言葉を連ねて参りました。
我が国は何より言霊の国です。「見えない力」によって支えられている国です。
その見えない力を感じ、見えない力を恐れるのが我々日本人の特質です。
当初より決意していたことは、以下の通りです。
 全てを言葉によって表現し、図版に頼らないこと。
 あらゆる宣伝行為を慎み、一円の利益をも得ないこと。
 聞くのも見るのもおぞましい穢れた名前は伏字にすること。
 少なくとも政権奪還の日までは、絶対に筆を折らないこと。
個人の意志で始めたものである以上、誰の批判によっても止めないこと。
全ては自らの意志によること。偶然の事故、突発的な出来事に遭遇しても、スタイルを変え、方針を曲げ、初心を忘れることがないこと。
また、所謂「団塊」をその幼少期から具体的に知る者の一人として、彼等が如何に特異な気質を持っているか、それが現状にどのように関連しているか、を「備忘録」として記録していくこと。
誰に期待されることもなく始め、誰に惜しまれることもなく終わる。
称賛を期待したり、惰性に流されたりすることなく、静かに始め、静かに終わること。
それこそが草莽の戦い、持たざる者の一閃であると心得ること。
特に終わり方に配慮すること。外的な要因ではなく、あくまでも自ら決めること。
それは運命的な要素も含めて、全てにおいて意志を優先すること、
等々でした。

これまでに千本近くの記事を投稿して参りましたが、書き残したことはまだまだあります。しかしながら、最後の条件が充たされない状況になって参りました。
このままでは意志に反して、突然の終止符を打つ可能性があります―実際、これまでにも何度かピンチはありましたが、何とかこれを乗り越えて隔日投稿を続けてきました。

次なるターゲットは「マスコミ解体」ですが、とてもそれを見るまでの時間的な余裕は与えられていないようです。以上のことから、本日をもって幕を引かせて頂くことを決意致しました。
 長らく御愛読頂きました皆様には、感謝の言葉以外にありません。延べ百万を越える読者の皆様にお読み頂けたことは、何よりの励みであり誇りでもありました。
当方、技術的な方面に疎く、原稿を書いてアップロードする以外のことは何も出来ないために、双方向的な処理は不可能でした。最近になって、声を掛けて頂いた方々が多くおられたことを聞きましたが、以上のような理由ですので、御寛恕を乞いたく存じます。
左上の専用バナーを作って頂いた方にも、ここで改めて御礼を申し上げます。
あの時よりキーフレーズにして参りました「日本奪還」が、「日本を取り戻す」という形で選挙戦のテーマになりましたことに、誠に不思議な縁を感じております。
マスコミの解体を成し遂げなければ、何も変わらないことは事実ですが、一つの切れ目である今この瞬間を素直に祝い、その感激を次への動機付けへと昇華できないようでは、長丁場の戦いでは息切れするだけでしょう。
国家の経済を家計に譬えることも間違いなら、国家の将来に関わる問題を、個人の寿命程度の年月で決着をつけようとするのも間違いです。
先は長いのです。叮嚀にバトンを預かり、しっかりとバトンを渡す、それが私達に出来る唯一のことです。
言葉という名のバトンを受取り、次へ次へと繋げて頂きたいと念じております。

なお、以後は如何なる場所においても、『夕刻の備忘録』名義で書くことはありません。仮に使われていた場合は、間違いなく「成り済まし」ですので御注意願います。兎にも角にも、我が国は「成り済まし」で溢れておりますので。
              ★ ★ ★ ★ ★

最後に自ら信じております愛国者の定義を記して、締めの言葉とさせて頂きます。
愛国者とは、何度生まれ変わっても、日本人に生まれることを選ぶ者。百万回の生まれ変わりを許され、その中で日本人になり得るのは唯の一度だけだと限定されても、真っ先に日本人になることを選ぶ者。それで他の全ての可能性を失っても気にも留めない者。

地に落ちれば土になり、空に舞えば風となり、如何なる姿に変じても、この国に留まりたいと願う者。それが日本を愛する本当の日本人、真の愛国者ではないか、そう考えます。
末筆ながら皆様の益々の御活躍と御多幸を御祈り申し上げます。

天皇弥栄 日本国万歳
JIF (Japan Invisible Force) 情報統括:
夕刻の備忘録

http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-964.html


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


実に感動的な「愛国者」の定義である。

さて、私は、重要と考える言葉、用語について、データベースソフトでデータベース化を試みた。用語数は千を越えた。作業には数年かかった。

国語辞典の書きぶりに満足できなかったからである。
特に嫌悪しているのが、岩波の広辞苑。あれは国語辞書として最低限の水準に達していない。
改定版がニュースとなっているが、あれは、出版社が金を払って記事にしてもらった程度のこと。
是非、新明解国語辞典ほか、各種国語辞典を書店で数冊並べ、気になる用語について、比較検証いただきたい。
そうすれば、岩波の辞書、国語辞典に限らず、英和辞典、古語辞典のジャンルでも、頑張っている出版社のものと比較すると「岩波」というブランドにあぐらをかいているだけであり、大したことがないことが理解できるように思う。

政治活動される方ならば、国語辞典や用語辞典を最低数冊持つこと、そして重要な政治用語を「自身の政治信条に沿った自身の言葉で定義すること」は必須と思う。

以上


参考
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http://torakagenotes.blog91.fc2.com/blog-entry-2091.html

残念「夕刻の備忘録」終幕

▼ 平成25年8月4日の稿 (後12稿)

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いつの日か復活を!

 「アジアの真実」殿につぐブログとして尊敬し、秋のサイト開設の時はリンクさせていただこうと考えていた「夕刻の備忘録」殿が「終幕」されたとのこと。読者から伺い、非常に残念に思います。

 団体組織とは無縁なスタンスで、営利行為無しで且つ身の利益を追求しない。その無償スタンスで更新するということ自体、実は見えざる辛労が多いです。しかし、彼らは必要な存在に違いなく、「アジアの真実」殿同様、またの機会があれば、是非、復活されることを望んで止みません。

 ご健勝とお仕事でのご活躍をお祈りします。

平成25年8月4日
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テーマ : 保守主義 - ジャンル : 政治・経済

06:29  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2017.10.16 (Mon)

憲法9条改正「自衛隊条項」  三島由紀夫の演説を思い出せ!

本稿、三島由紀夫割腹自殺直前の演説文と首相が表明した憲法改正方針を関連づけて分析を試みた原稿。

まず、三島の演説文を参照したい。

―― 参考情報 ――――――――――

三島由紀夫演説文
http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html

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三島は、自衛隊の治安出動の可能性がなくなったことを根拠に、憲法改正が行われないことを予言した。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%BB%E5%AE%89%E5%87%BA%E5%8B%95

治安出動(ちあんしゅつどう)とは、一般の警察力をもっては治安を維持することができないと認められる場合に、内閣総理大臣の命令または都道府県知事の要請により行われる自衛隊の行動。内閣総理大臣の命令による出動は自衛隊法78条に、都道府県知事の要請による出動は同法81条に基づく。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

その後、憲法改正されずに現在に至っている。

三島の演説文を再掲する。

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諸君は、去年の一〇・二一からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が二十年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
 去年の一〇・二一から一年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない!自衛隊が国軍になる日はない!建軍の本義はない!それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。

今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。

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相次ぐ北朝鮮ミサイル発射事案について、三島が生きていたら、「違憲だの合憲だの気にしていて、国が護れるのか!自衛官諸君」と、三島は言いそうな気がする。私は、三島の亡霊が数十年ぶりに目覚めたと思い始めている。

今年の5月、安倍首相の自衛隊の憲法明記発言があった。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://www.nikkei.com/article/DGXLASFK03H11_T00C17A5000000/

首相「2020年に新憲法」 9条に自衛隊明記
2017/5/3 14:06

 安倍晋三首相(自民党総裁)は3日、憲法改正について「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語った。都内で開いた民間団体のシンポジウムに寄せたビデオメッセージで表明した。具体的には、戦力の不保持などをうたう憲法9条を改正し、自衛隊の存在を明記する改憲案を挙げた。

 シンポジウムに安倍首相が寄せたビデオメッセージ(民間憲法臨調提供)
 首相の自民党総裁としての任期は、18年9月の総裁選で勝てば最長で21年9月まで可能。今回の発言は自身の任期中の改憲に改めて強い意欲を示したものとみられる。首相は「憲法改正の発議案を国民に提示するための具体的な議論を始めなければならない時期にきている」と強調した。

 現行憲法の9条は戦争放棄と戦力の不保持を定めているが、自衛隊の根拠規定は明記していない。憲法学者などから「自衛隊は憲法違反だ」との指摘がある。

 首相は「私たちの世代のうちに、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだ」と語った。いまの9条の1項と2項は堅持したうえで、自衛隊の根拠規定を新たに盛り込む案は「国民的な議論に値するだろう」とした。

 日本維新の会が検討進めている、高等教育を含む教育無償化にも意欲を示した。「誰もが生きがいを持って、その能力を存分に発揮できる一億総活躍社会を実現するうえで、教育が果たすべき役割は極めて大きい」と語った。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

私は、首相の改憲表明があった日、三島由紀夫のあの日の演説を久しぶりに思い出した。少しずつ三島のエッセイを読み始めた。

今年から来年にかけて、三島ブーム復活の予感がする。出版界は、イギリス在住の英国人小説家のことで一大ビジネスチャンス到来したと意気込んでいるかもしれない。
が、ブームの本命は、三島由紀夫ではないかと言いたい。
時代は、やっと三島に追いついたのではないか。そんな気がする。

しかし、言論界は、三島由紀夫の最期の演説と安倍首相の改憲表明について、関連づけて報道しようとしない。

何か、三島について書くことについてタブーでもあるのか?

改憲方針表明から、安倍首相は、三島由紀夫のことを忘れてはいないことを確信する。
安倍首相は、三島のミの字も言わないが、安倍少年は、三島の自決について胸に刻んで生きてきたはずだ。
ずっとノンポリだった私でさえ、三島のあの日の演説を覚えている。冒頭の演説文、私は、安倍少年と体験を共有していることを疑わない。

つまり、三島の視点で眺めれば、自衛隊条項を憲法9条に追加することは、三島の遺志を継ぐことを意味する。


三島由紀夫はこう語るだろう。
やっと、三島の遺志を継ぎ、改憲表明する政治家が現われたと!


安倍首相が保守ではないとか、売国奴だと語る方がおられるようだが、私は首相が三島由紀夫の遺志を継いでいる点、そして9条改憲という本丸を示唆、改正時期を明らかにし「脇道ではなく、正面から改憲問題と取り組もうとしている」点において、安倍首相は、憲法改正については誰よりも保守であり愛国者であると考える。

政局的なこと、内閣支持率動向などもあり、首相発言がトーンダウンすることを問題視する向きはある。西尾幹二あたりはそうなのであろう。が、私は気にしない。当然のことながら、西尾幹二は批判文が目立つ言論人である。これと言った具体的な提言、私は読んだことがない。私の勘違いであろうか?

一方、希望の党から出馬した中山成彬はモリカケ騒動の視点で?安倍首相を批判している。
https://twitter.com/nakayamanariaki?lang=ja

が、三島が今生きていたら、首相として戦後初めて改憲時期と改憲方針そして自衛隊条項の追記について方針表明した安倍首相を、中山成彬と同様のスタンスで批判するだろうか?
これまでは中山成彬、保守であり愛国者だと思ってきたが、ツイッター発言を読む限り、北朝鮮問題を国難と認識していないようである。

―― 参考情報 ――――――――――

希望の党は9条を守りますってさ
http://ttensan.exblog.jp/25881064/

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口だけ保守、口だけ愛国者なら星の数ほどいるようである。
それゆえ、私は、自分のことを、真正保守だの愛国保守などと間違っても自己紹介しないのである。

三島の視点で眺めてみて、安倍首相、中山成彬どちらが評価されるべきなのか?
どちらの政治家が、三島に近い存在なのか、ということになる。

本稿お読みの読者の皆様なら、自明のことであろう。

原稿の末尾にて、読むに値する、ある憲法学者の解説を紹介したい。この憲法学者は、安倍首相は憲法9条の本丸に切り込んで改憲表明したと評価している。

日々の政局マターにおいて、安倍首相は多分にファジーかつソフトランデイング路線の選択が目立っているが、日英・日印首脳会談によって軍事同盟レベルのことを両国が確認したことを振り返ると、選挙後は、ファジーでソフトランデイング路線の首相ではなく、戦時内閣となることを意識した「熱いハートを持つハードボイルドな政治家」にイメージチェンジされんことを期待し、本稿を終える。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170825-01384253-sspa-soci

安倍首相「自衛隊の憲法明記」発言で9条はどう変わるか?――憲法学者が3つの学説から検証
中央大学名誉教授の長尾一紘氏。
 5月3日の安倍首相の憲法改正発言は、改憲問題における雰囲気を一変させ、にわかに憲法改正論議が加速している。

 特に「自衛隊の憲法明記」について、各方面から賛否の意見が挙がっている。では、実際に自衛隊はどのように憲法に明記できるのか? この度、憲法学者の中央大学名誉教授の長尾一紘氏に話をうかがった。

 ちなみに長尾氏は、「外国人への地方参政権付与合憲説」を日本で最初に紹介した学者である。だが、その後、理論的反省と民主党政権時代の政策への危機感から、自説を撤回し、「外国人参政権違憲」の著書、論文を発表したことで、一躍注目された。

◆自衛隊の合憲性、3つの学説

 安倍首相の憲法改正発言は、極めて強いインパクトを与えました。改憲問題について、改憲派も護憲派も、多くの論者は強い関心を持ちながらも、あきらめのような、惰性的な雰囲気の中におりました。それが安倍発言によって、にわかに現実の問題としてこれを見るようになったのです。この安倍発言を踏まえて、9条改正に関する問題をみることにしたいと思います。

 安全保障の憲法問題としては、「集団的自衛権の合憲性」と「自衛隊の合憲性」の2つの重要な課題があるといわれてきました。

 「集団的自衛権の合憲性」については、安倍内閣が平成26年の閣議決定で、それまでの政府見解を変更したことにより、長年政府を悩ませてきた問題を解決しました。

 もう一つの「自衛隊の合憲性」については、学説は3説あります。

A 自衛隊は「軍隊」である。したがって憲法違反である。

B 自衛隊は「軍隊」ではない。したがって合憲である。

C 自衛隊は「軍隊」である。日本国憲法は自衛のために軍隊をもつことを禁止してはいない。したがって合憲である。

 Aは、護憲派の憲法学者の多数が主張するところです。政府見解は、Bに近いとみることができます。政府において、自衛隊は普通の意味での軍隊ではない、などと説明されます。Cの論者は、自衛隊は普通の意味での軍隊である、と主張します。

◆護憲派は「自衛権」そのものを否定する

 日本の自衛権論は、世界の常識から大きくかけ離れているようです。護憲派の多数は、「日本国憲法の下において、自衛権の保障はなされているが、自衛のための戦争をなすことは否定され、自衛のための戦力をもつことも否定されている」と主張します。

 ここで注意すべきことは、「自衛権」という言葉の理解です。「憲法上自衛権は保障されている」と言いながら、「自衛のための戦争」は否定され、「自衛のための戦力」を持つことも否定されています。このような主張には、用語上の混乱があると言わざるをえません。

 「自衛権」を持つということは、自衛のために実力を行使しうることを意味します。そして、自衛のために実力を行使しうるということは、「自衛のための戦争」を行いうるということを意味します。自衛戦争を行いうるということは、「自衛のための戦力」を保有しうるということを意味します。これが国際常識であり、国際法上の原則です。

「自衛権の保障はあるが、自衛戦争はなしえない」という主張、そして「自衛権の保障はあるが、自衛のための戦力はもちえない」との主張は、国際常識に反するものです。

◆専守防衛の問題点

 次に、B説とC説ですが、この2説の間には、大変大きな違いがあります。

 政府はB説の立場から、「専守防衛」を主張しています。このため、日本の防衛力は格段に低いものとなっています。政府の「防衛政策の基本」そのものが自衛権を不当に制限しているからです。

 「専守防衛」の意味については、一般に次のように説明されています。

 専守防衛とは、防衛上の必要があっても、相手国に先制攻撃を行わず、侵攻してきた敵を自国の領域において軍事力を以て撃退する戦略である。これは、憲法第9条の平和主義と整合性をもった受動的な軍事戦略である。

 このような戦略が、国家と国民を守るために有効であるか否かが問題になります。日本国憲法は、主権の維持を前文において要請しています。つまり、国民の生命、自由、そして幸福追求の権利を他国の攻撃から守ることは、政府の憲法上の義務とみるべきです。

 専守防衛の政策が、国家と国民を守りえないものであるとするならば、このような政策をとること自体が違憲であると言わざるをえません。なお、このような政策を国防の基本としている国は、日本以外には存在しません。

 現在の日本は危険な核武装国家に囲まれています。そして、これらの国のミサイルのいくつかは日本の領土に標準を合わせています。

 本来であれば、自衛隊には、このような状況に適合した装備が必要なはずです。たとえば、弾道ミサイル、ミサイル装備の潜水艦、長距離戦略爆撃機、攻撃型空母がそれです。

 ところが、これらについては、専守防衛の基本戦略に適合しないものとされています。専守防衛の政策によって、国防に不可欠な装備ができないのです。

 かくして相手国は安全圏から日本に対して、自由かつ安全な方法でいわゆる「スタンド・オフ攻撃」が可能となります。

 この専守防衛の政策の下においては、主権の維持も国民生活の安全を保障することも困難です。専守防衛の政策は、違憲の政策と言わざるをえません。

◆安倍発言の要点は?

 安倍発言の要点は、二つあります。第一に、2020年までに憲法改正を行い、改正憲法を施行すると、時期について明言したことです。第二に、9条の1項と2項をそのままにして、これに付け加える形で規定を置いて、自衛隊の合憲性を明確にするとしたのです。

 安倍発言で注目されるのは、憲法改正問題において一番困難とされる9条にあえて着目した点です。憲法第9条の改正は容易ではありません。そこで改憲論者の多数は、緊急事態条項の導入や、第96条の憲法改正規定の変更などを主張してきました。しかし安倍首相が選んだのは、本丸である第9条です。脇道ではなく、正面から改憲問題と取り組もうとしているのです。

 ところで自民党内には、すでに改正草案として自民党案がある以上、安倍首相の改憲構想は妥当ではない、との批判があります。自民党案では、9条2項を削除し、新たに「国防軍」に関する9条の2を設けるというものです。

 しかし、改憲の発議のためには、衆参両院でそれぞれの総議員の3分の2以上の賛成が必要なのです。そのためには、自民党以外の政党との連携も必要になります。安倍首相の発言には、政治家として結果を出すという、憲法改正への本気が感じられます。

◆9条はどのような条文になるのか?

 安倍首相の構想は、9条の1項と2項をそのまま残して、自衛隊の規定を置こうとするものです。この9条を残して新たな自衛隊条項を付け加えるには、2つの方法があります。その一つは、9条2項の次に、3項を置く方法です。9条は、1項、2項、3項ということになり、この3項が自衛隊条項ということになります。

 もう一つの方法としては、9条はそのままにして、あらたに、9条の2を置くべきだという主張です。この方法では、9条と10条の間に新たな条文が「9条の2」として置かれることになります。そしてこれが自衛隊を定めるものとされるのです。

 私見において、これとは別な提案をしてみたいと思います。「9条3項」と「9条の2」を併用するのです。たとえば、次のようになります。

〈9条〉

①、② (現行ママ)

③ 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

〈9条の2〉

① 日本国はその主権を維持し、国際的な平和活動に協力するため、自衛隊を保持する。

② 自衛隊の最高指揮権は、内閣総理大臣に属する。

③ 自衛隊の組織及び任務に関する事項は、法律でこれを定める。

◆憲法改正で「自衛隊」から「自衛軍」へ

 C説の立場からすれば、理論上は、9条の改正はなくてもよいのです。しかしながら、護憲論者においてA説が主張され、政治家や官僚層においてB説が今なお支持されている以上、憲法改正によって、自衛隊の存在を明文上明らかにする必要があります。

 その名称が「自衛隊」であるか、また「自衛軍」であるかは問題ではありません。憲法改正を行うことによって、はじめて「戦後体制」に幕を下ろすことができるのです。これによって日本という国は生まれ変わることができるのです。

 日本国憲法は、占領軍によって日本弱体化のために作られた憲法です。これがそのまま持続するかぎり、民主主義も国民主権もすべて本物とはいえません。日本国民自身の意思によって憲法改正がなされなければなりません。「自衛隊」が名称はともあれ、普通の「軍」になるとき、国民主権がはじめて現実のものになるのです。

【長尾一紘(ながお・かずひろ)】

中央大学名誉教授。昭和17(1942)年茨城県生まれ。中央大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科を経て、中央大学法学部教授。この間、司法試験考査委員、中央大学法科大学院教授を併任。「外国人への地方参政権付与合憲説」を日本で最初に紹介したが、理論的反省と民主党政権の政策への危機感から、自説を撤回。その後「外国人参政権違憲」の著書、論文を発表した。最新刊は『世界一非常識な日本国憲法』(扶桑社新書)

<取材・文/日刊SPA!編集部>

日刊SPA!

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

テーマ : 憲法改正論議 - ジャンル : 政治・経済

03:22  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2017.10.07 (Sat)

西部邁に反論あるなら すべきこと

西部邁が、かく発言し、保守層の一部が猛反発しているようなので私見を述べることとした。

―― 参考情報 ――――――――――

西部邁氏「安倍は保守じゃない。私は保守という言葉を理解しようとしない人々に憤りを込めて『ジャップ』と呼んでます」
http://hosyusokuhou.jp/archives/48802360.html

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改めて、当該サイト全文を眺めてみた。

―― 参考情報 ――――――――――

安倍首相は「真の保守」ではない!西部邁氏が迷走政治を一刀両断
http://diamond.jp/articles/-/144344?display=b

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西部邁は、自分なりの政治思想哲学を持ち、使う言葉の意味を知り、必要ならば自分で定義し直して使っている。質問者が、言葉を選んで、前提条件を示しつつ、見解を聞くべく質問設定しているのはそういうことなのだ。

実は、半年ほど前に、西部邁の名著とされる本を読んだが、何を言いたいのか、さっぱり理解できず、読む価値もないと思い、西部邁について距離を置くこととした。

が、改めて、ダイヤモンドのサイトに掲載されている話を読んでみて、自分の至らなさ、知識不足を思い知った。
西部邁が使う、「ジャップ」という言葉に激昂する前に、西部邁の発言の趣旨はたとえばアメリカ国務省の職員、言い換えるとあのキッシンジャーの言葉を代弁していると捉えるべきだ。
西部邁は覚醒を促す目的でこう語っているということなのだ。

激昂される方に、私から三つ推奨したいことがある。

それは、

・目の前に起きていることについて、まとめサイトの論調に従うのではなく。自分の言葉で考え、語るべきであること
・論争の対象となっている主要な言葉(キーワード)について、自分で定義して使うこと
・西部邁は批判することを得意としてきた言論人である関係で、西部邁が苦手とする?分析・提言(原因分析、対策提言、将来ビジョン)の領域、すなわち西部邁の上位概念の世界での言論活動を心がけること

である。

繰り返す。自分の言葉で、自分で考え、かくあるべきとの見解を発しない限り、日本は永遠にアメリカの属国のままだ。西部邁が「ジャップ」という言葉を使う意味はそこにある。高齢者が、敢えて現役世代の怒りを買ってまでそう主張する理由、それは我々現役世代の不甲斐なさにあることに気づかせるために敢えてそうしているということだ。

私は西部邁は現役の言論人とは思っていない。そう書いたら西部邁は怒るだろう。が、西部邁は第二次安倍政権とは距離を置いているとしている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://diamond.jp/articles/-/144344?page=2

 こうした定義に照らし合わせると、安倍首相は最初から保守ではなかったわけです。実は第一次安倍政権が退陣した後、世間から総バッシングを受ける中で、僕だけは彼に手を差し伸べた。1年間にわたって毎月1回のペースで「保守とは何か?」というテーマの勉強会を開催して励ましたのです。

 ただ、第二次安倍政権が発足してからは一度だけ食事をともにしただけで、意識的に距離を置くようにしています。だって、政治になんて関わりたくないし、もともと安倍さんには特に悪意を抱いていない一方で、特別に期待もしていないから。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


また、西部邁は、過去数年、局面局面での具体的問題提起、提言行為をしていない印象がある。提言しない人を教祖並にと扱う必要はないが、さりとて、反発する必要もない。我々は、それぞれの持ち場で、自分の言葉で考え、独立国家の一国民として判断、実行する、そういうことである。

以上


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13:29  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)
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