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2018.05.22 (Tue)

負け上手になるということ

若い頃の私は「負けること」は、存在を否定されるような気がして、自ら「負けること」について、いささか気が進まなかった。こうして年を経てみると、負け上手になることを知っていて損はないような気がしており、本テーマでの出稿を決断した。

いくさ上手は負け上手であると言われている。

―― 参考情報 ――――――――――

負け方を知っている人が強い人
http://pino-di-stagno139.hatenablog.com/entry/2016/01/26/213000

【戦上手は負け上手】
https://www.facebook.com/nystock/photos/a.1633469100316852.1073741828.1632971530366609/1634226476907781/?type=3

―――――――――――――――――

アメリカ上流社会の交際上、接待感覚で負ける手法があるそうだ。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

アレン・ウェルシュ・ダレス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AC%E3%82%B9


ダレス兄弟 国務長官とCIA長官の秘密の戦争

ステイーブン・キンザー
渡辺惣樹

83頁

「アレンの価値は新規顧客の開拓能力であった。彼は顧客の扱いがうまかった。ニューヨークの生活を楽しみ、大物が現われる場所にはどこにでも現れた。メトロポリタン劇場、チャリテイ会場、ニューヨーク・アスレチック・クラブのスカッシュコート、テニスコートでのパーテイー。彼はどこにでも顔を出した。
「アレンはテニスがうまかった。しかし負けるべきときには負ける術を知っていた。大物の夫人とパートナーと組む時は必ず勝った。その場合でも、大物自身が相手コートにいるときは別だ。シーソーゲームは続けるが、最後のボレーでへまをやらかすのだ。いいゲームだと思わせながら、パートナーを組んだ夫人に嫌な思いをさせなかった。負け上手なアレンは誰からも好かれた」

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

訴訟戦術上、名誉だけは回復したいとする戦術も、負け上手な人ならではの選択と言えるだろう。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://www.yomiuri.co.jp/sports/soccer/representative/20180518-OYT1T50125.html?from=ytop_top

慰謝料1円と謝罪広告、ハリル氏が訴訟で要求へ
2018年05月18日 20時19分
 4月にサッカー日本代表監督を解任されたことを巡り、日本サッカー協会を相手取った訴訟を準備しているハリルホジッチ前監督が、慰謝料1円と謝罪広告の掲出を求める方針であることが18日、分かった。

 前監督の弁護士は「人格的側面を解任理由に挙げられ、イメージや社会的評価を傷つけられた」とし、請求額を1円とすることで名誉回復目的を強調するという。弁護士によると、協会に送っていた質問状に対する回答は17日夜に届き、「契約解除は有効」などと説明する内容だったという。

2018年05月18日 20時19分

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

次に、あの蒋介石の負けっぷりの良さについて注目したい。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

「終戦後日記Ⅳ『頑蘇夢物語完結編』」 徳富蘇峰

三〇〇 何故に日本は敗れたるか (一三)世界の大局に通じたる蒋介石

しかるに蒋介石は、袁世凱ほど小手は利かぬが、大局の見通しは、より以上であると、言わねばならぬ。袁世凱に比すれば、蒋介石の日本に対する智識は、むしろ精確であり、詳密であり、且つ徹底的であったと、言わねばならぬ。日本人が支那及び蒋介石を知る程度に比すれば、蒋介石が日本及び日本の当局者を識る程度は、決して同日の論ではなかった。それに加えて、蒋介石は良く世界の大局を知っていた。この知識は、或る程度は、彼が中年以降に結婚したる、その夫人宋美齢に、負う所鮮なくなかった、と察せられるが、何れにしても、世界の大局に対する見通しは、東條などの田舎政治家とは科(しな)を異にしていた。要するに、時は支那の味方である事を知っていた。それで如何なる事があっても、戦争を永く引っ張りさえすれば、内輪に於ては、支那を固くする事が出来、外に対しては、日本を弱くする事が出来、結局最後の勝利は、支那に在る事を考え、辛抱強くその線に沿うて動いた。これに反して日本は、前にも言うた通り、鹿を逐うの猟師は山を見ずで、鹿狩り同様鹿の後を蹤け廻わし追い廻わし、その為めに鹿が疲るるよりも、猟師の方が疲るるというような状態となって来た。挙句の果は猟師の方から、鹿に向って相談を持ち込むというような、醜態と言わずんば、変態を来たした。要するに蒋介石の方でま当初から廟算が定まっていたが、日本の方では無算だった。小磯内閣の時に、繆斌(みょうひん)なる者がやって来て、その男を仲介に、蒋介石と和を講じ、蒋介石の口入れによって、米英とも講和をせんとする方策を、目論んだ事もあるが、これによっても日本の外交没政策の真相が判かる。当り前の筋道から言えば、米英と講和し、その余勢に乗じて、支那と講和するが、当然の事である。元来米英宣戦の定石より見れば、かくある可きが当然だ、しかるに今更ら困ったからとて、支那に頭を下げ、支那人の手で、蒋介石に依頼して、米英と和議を諮るなぞという事は、出来べき話ではない。莫迦も茲(ここ)までやって来れば、むしろ滑稽と言った方が、良いかも知れぬ。
(昭和二十二年一月二十三日午前、晩晴草堂にて)

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


リットン調査団報告書は知恵の産物だった。

―― 参考情報 ――――――――――

対北朝鮮制裁  満州事変時代から学ぶべきこと
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-971.html

―――――――――――――――――

当時の日本外交、日華事変以降の日本軍が、異常に目先の勝ちにこだわったことを振り返る必要がある。戦術的に目先の価値にこだわり過ぎた結果、最後に大負けが避けられなくなったということである。

なお、日大アメフト部の件は、目先の勝ちにこだわり、卑怯な手段を選んだという見方ができる。

―― 参考情報 ――――――――――

【脳筋】日大アメフト部、傷害罪で告訴可能…日大の内田正人監督は教唆犯
http://hamusoku.com/archives/9835901.html

―――――――――――――――――

最後に、人生の勝ち負けについて述べたい。
受験、就職、出世競争等々、多くの評価は他人が決めることである。他人が決めた評価に満足して生涯を終えるほど愚かな人生はない。ブログランキングの世界もその一種。

人生にはいくつかのステージがあり、私はまだ晩年の年代ではないが、晩年は人生の最も貴重な時間である(べき)と考える。人生の勝ち負けは、晩年において自分のモノサシで決めたいと思っている。

つまり、晩年は人生の完成期と位置づけられるべきなのであるが、働き方改革などでどんどん定年が延び、75歳前後まで雇用される方が増えることは年金財政政策上は好ましいことかもしれないが、人生の最も大切な時間を(単なる)労働のために費やす結果になることを危惧している。すなわち、社会における老人の価値、存在は雇用期間が延びることだけで済むものなのか、私個人は危惧していることを指摘し、本稿を終える。

以上

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テーマ : 私の見解 - ジャンル : 政治・経済

16:12  |  その他  |  トラックバック(0)  |  コメント(6)

Comment

Re: イラクと日本の違い

> 今一つ、自国政府悪かった史観を作り上げられなかった事が統治失敗の原因であったとも思います。
>
> 大量破壊兵器があることを理由に開戦されたとして、あれば、自分の国の政府が悪かったとイラク国民も最低限の理解と嫌悪感のある黙認程度に感情をコントロールするでしょうが、無いとなると、無法に攻め入って国土をボロボロにしたアメリカ許せんという反発とそれを軸にしたゲリラ活動家が発生する事は目に見えています。

一体、何のための戦争だったのか?ということになります。
ペトロダラーシステム防衛であるにせよ、戦争計画としてあまりに杜撰な気がします。
管理人 |  2018.05.24(木) 21:28 | URL |  【編集】

イラクと日本の違い

今一つ、自国政府悪かった史観を作り上げられなかった事が統治失敗の原因であったとも思います。

大量破壊兵器があることを理由に開戦されたとして、あれば、自分の国の政府が悪かったとイラク国民も最低限の理解と嫌悪感のある黙認程度に感情をコントロールするでしょうが、無いとなると、無法に攻め入って国土をボロボロにしたアメリカ許せんという反発とそれを軸にしたゲリラ活動家が発生する事は目に見えています。
Suica割 |  2018.05.24(木) 06:57 | URL |  【編集】

Re: アメリカにとってのイラク戦争は勝ったけど、勝ちきれなかった戦争ですかね

> 確かに、フセイン政権のイラク軍には完全勝利と言っていい出来だった。
>
> しかしながら、毒ガス等の大量破壊兵器は未発見に終わって、開戦に至る正義に疑問符がついた。(実際にあれば、道義的な責任追及はされず、悪魔のフセイン政権のイラク軍を善なる軍隊である米軍が打倒したという評価で終わっていたと考えられる。)
>
> その後の駐留中の米軍の犠牲やイスラム国の跋扈等、過大な財政上の負担を考えると、戦略的勝利へのコストが高すぎて、勝ったと言えない状況にある。
>
> まず、戦略的勝利条件が高すぎる。
> 大量破壊兵器があることが確定していたら、より、簡単な戦略的勝利条件が立てられた。
>
> イラクからの大量破壊兵器の除去とフセイン政権の打倒を目的とし、その二つをなし得たら、とっとと、撤退すれば、アメリカの強さへの疑念を生まず、犠牲もコストも最少で済んだ。


巡航ミサイル発射した時点でやめていたら事態は違った展開になっていたように思います。
馬淵睦夫が言うように、アメリカはベトナム戦争以降、弱体化させられる戦争を強いられているとの説は当たっていると思います。
管理人 |  2018.05.24(木) 04:26 | URL |  【編集】

Re: 「最後(政治的)に勝てばいい」という「目的」を忘れるな、という事ですね

> 徳川家康も、将軍としての経歴は長いですが、その期間は、大半が「負け戦」だったと思いますね(実際、「長篠合戦」以前までは、武田軍等には「敗北」を重ねていましたからね)。
>
> しかし、徳川家康も、「負け戦」が長い事続いていたとはいえ、最終的に「天下」をとって、「平定」したのも事実だと思います。
>
> 氏自身も、「臥薪嘗胆」というか、あくどい世の中を生き抜いてきたからこそ身に着けた「処世術」のようなもので、「虎視眈眈」と、「戦の勝利」を狙っていたのだと思います。まあ、手法については、「士族」の「流儀」からしても、褒められたものだったのかどうかは良く分からない所も多いのですけどね。
>
> どうも、「日露戦争」などもそうですが、目先の「ある紛争」に勝利しても、「別の紛争」を巻き込んでしまう(日露戦争の場合は、ロシア革命と革命思想、共産主義の蔓延)という、「問題」を引き起こしてきてしまったと思います。
>
> 太平洋戦争勃発や支那事変の拡大等もそうだと思います。蒋介石や毛沢東、スターリンなどは、そこを突いていたようなところがあった為、日本が政治的敗北を重ねてしまったのだと思います(確かに目先の戦闘には勝利していますが、政治的にはダメダメです)。
>
> 目先の勝利にこだわり過ぎて、周りが見えなくなっているというのは、近現代を通しても、日本の「欠点」だったと思います(確かに、日本軍自体は世界最強レベルだった思いますし、海戦、陸戦、共に強かったのですが、外交政治的には素人のようなところがあったと思います。)。
>
> この辺り、本来ならば、人文社会系の学問の基盤がしっかりしていなかった事と、それらを運用するべき「官僚」や「政治家」が「三流統治」を繰り返していた事に関しては、「猛省」擦るべきだと思いますし、一旦、これらの学部の「統廃合」や「人員整理」が必要になると思います。
>
> 軍人の強さ自体は、誇るべきところもありますが、問題なのが目先の「武力的衝突(ゲリラ戦、パルチザン戦等を含む)」に「勝つ」事では無く、「政治的に勝つ」事であるという事を忘れるべきではないと思います。世の中は、狡猾なものの方が勝つ事の方が多いのです。
>
> 「パルチザン」などのゲリラのあくどさは、「目に余る」者もありますが、あまりこれらに拘り過ぎて、「尼港事件」や「通州事件」などの被害を被るようでは、「政治的に大敗北」、「部隊壊滅」、惹いては「日本消滅」まで行く可能性も有ったと思います。
>
> 我々は、この点から、近現代政治、および「紛争戦略」を見直すべきだと思いますね。


外交的には、明治新政府のおかかえ外国人、トーマス・グラバーの死去あたりから、日本はババをひかされやすい外交状況に転じたような気がしております。
トーマス・グラバーは、フリーメーソン?でありながらも、日本にとっては当面大負けするような事態を避けてくれた?可能性はないのか?

敗戦革命という共産主義の考え方をベースに、ご指摘の点から論考し、そのうえでステップアップしたアイデアを提示したいとおもっております。
が、どの本を読むべきか?参照するにふさわしい本が、見つからないか、まだ誰も書いていないテーマなのかもしれません。
管理人 |  2018.05.23(水) 17:18 | URL |  【編集】

アメリカにとってのイラク戦争は勝ったけど、勝ちきれなかった戦争ですかね

確かに、フセイン政権のイラク軍には完全勝利と言っていい出来だった。

しかしながら、毒ガス等の大量破壊兵器は未発見に終わって、開戦に至る正義に疑問符がついた。(実際にあれば、道義的な責任追及はされず、悪魔のフセイン政権のイラク軍を善なる軍隊である米軍が打倒したという評価で終わっていたと考えられる。)

その後の駐留中の米軍の犠牲やイスラム国の跋扈等、過大な財政上の負担を考えると、戦略的勝利へのコストが高すぎて、勝ったと言えない状況にある。

まず、戦略的勝利条件が高すぎる。
大量破壊兵器があることが確定していたら、より、簡単な戦略的勝利条件が立てられた。

イラクからの大量破壊兵器の除去とフセイン政権の打倒を目的とし、その二つをなし得たら、とっとと、撤退すれば、アメリカの強さへの疑念を生まず、犠牲もコストも最少で済んだ。
Suica割 |  2018.05.23(水) 17:00 | URL |  【編集】

「最後(政治的)に勝てばいい」という「目的」を忘れるな、という事ですね

徳川家康も、将軍としての経歴は長いですが、その期間は、大半が「負け戦」だったと思いますね(実際、「長篠合戦」以前までは、武田軍等には「敗北」を重ねていましたからね)。

しかし、徳川家康も、「負け戦」が長い事続いていたとはいえ、最終的に「天下」をとって、「平定」したのも事実だと思います。

氏自身も、「臥薪嘗胆」というか、あくどい世の中を生き抜いてきたからこそ身に着けた「処世術」のようなもので、「虎視眈眈」と、「戦の勝利」を狙っていたのだと思います。まあ、手法については、「士族」の「流儀」からしても、褒められたものだったのかどうかは良く分からない所も多いのですけどね。

どうも、「日露戦争」などもそうですが、目先の「ある紛争」に勝利しても、「別の紛争」を巻き込んでしまう(日露戦争の場合は、ロシア革命と革命思想、共産主義の蔓延)という、「問題」を引き起こしてきてしまったと思います。

太平洋戦争勃発や支那事変の拡大等もそうだと思います。蒋介石や毛沢東、スターリンなどは、そこを突いていたようなところがあった為、日本が政治的敗北を重ねてしまったのだと思います(確かに目先の戦闘には勝利していますが、政治的にはダメダメです)。

目先の勝利にこだわり過ぎて、周りが見えなくなっているというのは、近現代を通しても、日本の「欠点」だったと思います(確かに、日本軍自体は世界最強レベルだった思いますし、海戦、陸戦、共に強かったのですが、外交政治的には素人のようなところがあったと思います。)。

この辺り、本来ならば、人文社会系の学問の基盤がしっかりしていなかった事と、それらを運用するべき「官僚」や「政治家」が「三流統治」を繰り返していた事に関しては、「猛省」擦るべきだと思いますし、一旦、これらの学部の「統廃合」や「人員整理」が必要になると思います。

軍人の強さ自体は、誇るべきところもありますが、問題なのが目先の「武力的衝突(ゲリラ戦、パルチザン戦等を含む)」に「勝つ」事では無く、「政治的に勝つ」事であるという事を忘れるべきではないと思います。世の中は、狡猾なものの方が勝つ事の方が多いのです。

「パルチザン」などのゲリラのあくどさは、「目に余る」者もありますが、あまりこれらに拘り過ぎて、「尼港事件」や「通州事件」などの被害を被るようでは、「政治的に大敗北」、「部隊壊滅」、惹いては「日本消滅」まで行く可能性も有ったと思います。

我々は、この点から、近現代政治、および「紛争戦略」を見直すべきだと思いますね。
西 |  2018.05.23(水) 01:39 | URL |  【編集】

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