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2017.10.09 (Mon)

日本人学者ノーベル賞受賞の背景にあるもの

ノーベル賞受賞、理学・工学系ないし文学の受賞者が出ることが例年予想、ないし期待されてきた。

しかし、私は、日本人学者のノーベル賞受賞は、一部の真面目な研究者がいて受賞できただけであって、学界全般の奮起、少数精鋭化を目指さなければ、将来の日本人受賞者は激減すると予想する。


既に、河野太郎議員は、一握りの研究者しか論文発表しない現状について、学界研究者に問題提起している。

―― 参考情報 ――――――――――

もう一度研究者の皆様へ
https://www.taro.org/2017/01/%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E5%BA%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E8%80%85%E3%81%AE%E7%9A%86%E6%A7%98%E3%81%B8.php

―――――――――――――――――

論文引用数ランキングでみた場合、日本の大学が、世界の下位レベルにあることは衝撃的である。

―― 参考情報 ――――――――――

THE世界大学ランキング-国内トップ校、論文引用数の世界での位置は?
http://between.shinken-ad.co.jp/univ/2017/10/the-wur2018-2.html

―――――――――――――――――


日本の大学の世界ランキングは、下位。アジアでは中国に抜かれているそうだ。この現象は何を意味するか?

それは、世界的に見て、日本大学が極めて生産性が低い職場であることを意味する。論文を書かなくても大学教官として給与が無条件で貰え、権威?を振り回せる特権を大学の教官たちが持っていることに起因するような気がする。

たとえば、慰安婦問題に係わる裁判闘争を支援する学者たちは、職務上期待されているはずの、論文を書いてきたのであろうか?

―― 参考情報 ――――――――――

吉見義明教授の裁判闘争を支持し、「慰安婦」問題の根本的解決を求める研究者の声明の呼びかけ人のリスト
http://negajap.seesaa.net/article/432990894.html?seesaa_related=category

―――――――――――――――――

我々は大学教官全員に対し、論文を書かない、書けない者はリストラすると宣言すべき時ではないのか?

そういう前提に立って、ノーベル賞受賞、選考に当たって、我々が押さえておくべき情報として、西さんのコメントを紹介させていただく。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-668.html#comment749

いわくつきの「ノーベル賞」と「文学賞」、「平和賞」

ノーベル賞は、自然科学分野においては権威が有るようですが、それ以外の分野では、評価の方がよく分からない所が多いですね。

確かに、過去のノーベル文学賞受賞者には、世界的な作家なども存在しますが、世界的に評価されたのかどうかよく分からない人物でも受賞されていますから、謎が多いですね。

そもそも、「ノーベル賞」自体、創設者の「アルフレッド・ノーベル」が、自然科学において重要な「数学」を除外していますし(ある人物との軋轢が原因だとか)、正確には広義の物理学に含めるのかもしれませんが、「地球惑星科学」を対象にしていない所から見ても、「何だかなあ」と思うところも無いわけではありませんね(日本人ならば、「気象学」では、「藤田スケール」で有名な藤田哲也博士などがいますね)。

厳密には生物学(動植物学等)も含んでいませんね(医学生理学、分子細胞学などの理論生物学とは別です)。

また、以前から、自然科学分野の受賞者についても、「何故、あの人が受賞しなかったのか分からない」というレベルの話も多いですから(北里柴三郎、山極勝三郎、寺田寅彦、鈴木梅太郎(翻訳ミスが原因だとか)、仁科芳雄(理研時代の湯川秀樹と朝永振一郎の師)、坂田昌一等)、ノーベル賞の選定委員に変な「志向」があるような気がしてなりません。

文学賞に至っては、「川端康成」が選ばれましたが、川端自身は、「三島君(三島由紀夫)が受賞するに相応しかったのに、何故自分が」と、嘆いていたようで、確かに、川端康成は一流である事は間違いありませんが、それ以上に相応しい人物がいる中で、その人が受賞せずに、自分が受賞した理由が分からなかったのだろうと思います(選定委員が、三島由紀夫を政治作家だと勘違いしたという噂もありますが(政治家が登場人物にいますが、主題は「政治」がテーマではないにも拘らず)、選定員自体が、何故、そんな凡ミスをするのか分からないですね。選定委員自体がプロではない可能性が高いと思います)。

大江健三郎の場合は言わずもがなです。それ以前に、彼は国外における評価もよく分からないですし、国内でも何故か評価されていますが、氏の作品自体、知らないか、読んだことがあるという人もあまり聞きません(川端康成とは対照的に、国語の教科書などでも取り上げられることもありません)。

安倍公房の方が受賞するに相応しかったのでは、と思うほどです。

また、文芸評論家の小林秀雄は、大江健三郎の作品を「文学ではない」と評していますね(氏の作品は、日本語の意味が難解で分かりづらいですし、氏の世界観は、精神が歪んでいるとしか思えないような内容であり、変なインテリ趣味(無教養な一般人を蔑視する趣味)で脚色を付けたような感じで、何故評されているのか分かりません)。

そこまで文学界(芸能)や、「日本社会」、「日本文化」に影響を与えたとは思えない人物でも受賞しているというのは、やはり変ではないかと思いますね。

日本の文学界などは、他にもよく分からない人物が、芥川賞や直木賞などを受賞している(文学的ではない、各界の知名度も文化的影響力もあまり無い等)所がありますから、今一つ信用できない所がありますね。

「ノーベル平和賞」の場合は、「名誉賞」に近い所があり、どうしても政治的な理由が絡んでくるところがあります(佐藤栄作首相が、非核三原則で受賞していますが、原則を作っただけですし、しかも、戦略核兵器自体、所持していない我が国が受賞するのは、政治的な理由が大きいと思いますし、やはり怪しいですね)から、やはり注意が必要でしょうね(9条信者達は、この賞を狙っているようですが、愚か極まりないと思いますね)。

故に、ノーベル賞の中でも、文学賞と平和賞は、特に「不自然な点」が多すぎますね(それ以外の賞も同様ですが)。

納得できるものあるにはありますが、選定委員の素性、見る目、受賞者の素性、知名度等を見ても、「おかしい」と言わざるを得ないような者が受賞しているケースが多いようです。

西 |  2017.10.07(土) 01:45 | URL


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


さて、数年前にノーベル賞を受賞した、学者の助手あるいは助教授時代のことを、当時学生だった私は今も覚えている。
その講座は、学内でダントツで不人気、まともに研究する学生すら集まらない、そんな講座だった。しかし、教官、助手、皆さん、非常に覚悟を決められて研究をされている、そんな印象があった。
私は、学内のスポーツ交流の場を通じて、その講座の教官チームだけが持つ、異様な真剣さ、異様に厳しい眼差しに気づいていた。
それゆえ、受賞者の大学名、学部、学科を聞いた瞬間に、その人だ!と直ぐにわかったのであった。

よって、ノーベル賞受賞が期待される学者には、他の一般の学者たちがあまりに怠惰、無気力、私的政治活動三昧であるのと比較すると、一見してそうだとわかるオーラをまとっている、そんな気がする。

似たような現象は、一般企業においても起きていることである。オーラがある人ない人の違いはあるはずだ。

それと比較して、大学文科系教官たち、特に教官室で私的政治活動、政治闘争ゴッコに傾注する教官たちすべてをリストラしたい気持ちに駆られている。

テレビ出演頻度が高い、山口某、金子某あたりの最近の話を聞くと、あまりに言っていることが低次元、馬鹿な話が多いので、その大学の補助金支給対象外にして欲しいと言いたいくらいである。

そういうことなので、私は、国立大学全体の、生産性の飛躍的向上を目的とした、大学や文系学部の統廃合を徹底的に進めるべきとのスタンスである。

ポイントは3つある。

①都道府県に複数あるすべての国立大学を都道府県単位で一つに統合
②国立大学文系学部は、その地域の旧国立一期校に集約
③一ヶ月単位で教官個人の業績を管理する体制を導入、学内の実績を月報で情報公開させる

自民党の公約に、経済再生の最初の項目として「生産性革命」が掲げられているが、これを生産性が低い、国立大学に適用いただきたいところである。


これに対し
論文を書かなく済むことも学問の自由であるとか
論文を書かない学者たちに論文を書くことを強制しないことが大学の自治であるなどと彼らは屁理屈を言うかもしれない。
が、それなら、勤務時間中の教官の私的政治活動を根絶すべきだ。

本稿で示した施策は、私見に過ぎないが、近い将来、国策として、大学の生産性向上の一方策として採用されんことを期待し、本稿を終える。

以上

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17:45  |  政府機関  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

Comment

諸外国の大学と比べると、教育環境が酷過ぎる気がします

日本の大学は、入試が世界一難しいと言われていますが(AO・推薦を除き、面接や内申評価等による選抜が無い事を除けば)、大学以降については、何故か諸外国の大卒と比べると、「大卒」らしくない人材(名ばかり大卒)ばかりが多すぎる問題がありますね。

支那や韓国出身者で、日本に来るような層は「二流」だと思いますし、大半は勉強しに来るというよりも「日本で稼ぎたい」だけだろうと思いますが、それでも、支那や韓国の大学よりも、レベルが低くなっているというのは驚きですね(ノーベル賞受賞者がいない、特亜の大学の業績報告に不正が無いかどうか(国内事情の問題で、業績を誇張している事も多いみたいです)など、疑問の残る余地はありますが、それでも、日本の大学の学問的業績や教育力が、以前よりは下がっているというのは体感でも分かると思いますね)。

指標時代は同じものを使用しているはずなので、欧米圏がトップに来るのは「ノーベル賞」などの業績を見ても、納得がいきますが、問題なのが、欧米圏に比べれば劣っているとはいえ、特亜の大学の業績(論文引用数)に負けているのはどういう事なのだろうか、という事ですね。

よく槍玉にあげられるのが、「大学や研究機関の研究環境」ですが、確かに、博士号持ちの境遇が悪い、能力もあり、学術的に興味深いにもかかわらず、自身の研究内容が世間に評価されない、等の「環境上」問題はあるとは思いますが、しかし、それならば、現在、大学や公的研究機関等で研究ポストに就いている人物は、「研究者として優秀だから」、その地位を得ている人物なのだろうか?という疑問が湧かないはずが無いと思います。

理系の方は、メディア等に露出している人物等を見れば、「及第点」以上の事は行っているのではないかと思いますが、それに対して、文系の研究者の場合、メディアに露出して意見を述べる「オピニオンリーダー」的な存在であっても、「なぜこの程度の感想しか述べられない人物が、大学教授、しかも東大等の有名大の教授になれるのだろうか、民間や官公庁に勤めている「専門家」の方が、学位は無いとは言っても、学問能力が優秀な人物が多いのではないか」と疑問に感じざるを得ない事が多いですね。

思うに、現在、大学では、旧帝大を含めて、「教育」らしい「教育」をやっていない可能性が高いのでは、と思いますね。

諸外国の高等教育カリキュラムがどうなっているのか知りませんが、何故、諸外国(特に欧米)の文系学生の方が圧倒的に優秀なのか、その理由を知る必要がありそうですね。

文系で大学教授の職を得ている人達に、「歴史、文化、芸術、文学」などにどれほど通じているのか聞いてみれば良いような気がしますね。理系と異なり、文系の場合は、学位や肩書等が信頼できない事が多いですね(理系は概ね学位に準じますが。(学士しか取れない者が博士を取れる事はまずありません))。

正直、この状態で優秀な学生が、大学教授になる為に「博士」を取ろうと思うのかどうか、その能力が信頼できるのか、非常に疑問に思いますね(学士と博士の能力が大して変わらないのであれば、大学教育に失望し、見切りをつけてしまい、官公庁か民間に行ってしまうでしょう)。

これは、最近では理系でも顕著ではないかと思います。「学生の数(母体数)」が減少したとか、ゆとり教育などの「教育政策」の失敗も要因にありますが、それにしても、大学教育が劣化し続けている事の説明をするには不十分ですし、どうも、公立、私立校、予備校・塾等を含めて、教える側にしても、そこまでの水準に達している人が少なすぎる事は、非常に大きな問題ではないかと思います。

これらの問題を解決するためには、学生募集の要件は、平等性を確保する為に、現在のまま(ペーパーテスト一発勝負)で構いませんが、旧帝大を教育機関として残し、地方大は、理系と医歯薬系のみ残し(地方大の大学院は廃止)、文系は旧帝大に統合(地方文系を就職専門校として活用する事は構いません)、博士持ちの処遇(ポスドク問題)を改善するために、研究機関の増設する(地方大を、高等専門学校、研究機関として独立させる)、大学のカリキュラムを、主に「欧米圏の大学」と比較し、「水準に達していない」という所から改善させていく、初等、中等教育においては、「大学進学以外の道」を、生徒に考える機会も与える(大学は、あくまで教育機関の一種であり、大学進学=社会の勝者という訳ではない事を教える)、といった対応策が必要になりそうです。

とにかく、欧米圏の大学に比べると、指導側も、学生側も「教育熱(本気度)」が低すぎる事(高等教育よりも、アルバイトや合コン等に精を出す傾向が強い、就職活動時に、企業側から見れば、どうしようもないレベル(学問的知識どころか、一般常識すら身に付いていない)の「名ばかり大学生」ばかりが量産されている等)、およそ「教育」とは言い難い風習がまかり通っている可能性が高い事(文系は、東大教授ですら、高卒程度のレベルの事しか話せない、学生は、課外活動を含めて、学問的な活動を行わない等)など、様々な問題点があります。

入試に登場する現代文などを見ても、学生が読むべき著名な評論家や言論人(一流の人物)などの文章ではなく、タレント学者の文章を採用するなど、教官の見識を疑いたくなりますし、最近の言論人や名ばかり学者等は文章力も落ちている(大したことを述べない)見たいですから、劣化が激しすぎる事は間違いないでしょう。

一度、欧米の大学教授等を招いて、教育、授業内容を公開させ、学生、教授陣を含めて、学識能力、講義、学生の教育熱などを評価してもらった方が良いような気がします。最低の評価が出そうな気がしてなりません。

いくら何でも「欧米圏」どころか「特亜(支那・朝鮮)」にすら負けている状態で、世界トップなど目指せるわけがありません。
西 |  2017.10.11(水) 02:26 | URL |  【編集】

Re: 諸外国の大学と比べると、教育環境が酷過ぎる気がします

> 日本の大学は、入試が世界一難しいと言われていますが(AO・推薦を除き、面接や内申評価等による選抜が無い事を除けば)、大学以降については、何故か諸外国の大卒と比べると、「大卒」らしくない人材(名ばかり大卒)ばかりが多すぎる問題がありますね。
>
> 支那や韓国出身者で、日本に来るような層は「二流」だと思いますし、大半は勉強しに来るというよりも「日本で稼ぎたい」だけだろうと思いますが、それでも、支那や韓国の大学よりも、レベルが低くなっているというのは驚きですね(ノーベル賞受賞者がいない、特亜の大学の業績報告に不正が無いかどうか(国内事情の問題で、業績を誇張している事も多いみたいです)など、疑問の残る余地はありますが、それでも、日本の大学の学問的業績や教育力が、以前よりは下がっているというのは体感でも分かると思いますね)。
>
> 指標時代は同じものを使用しているはずなので、欧米圏がトップに来るのは「ノーベル賞」などの業績を見ても、納得がいきますが、問題なのが、欧米圏に比べれば劣っているとはいえ、特亜の大学の業績(論文引用数)に負けているのはどういう事なのだろうか、という事ですね。
>
> よく槍玉にあげられるのが、「大学や研究機関の研究環境」ですが、確かに、博士号持ちの境遇が悪い、能力もあり、学術的に興味深いにもかかわらず、自身の研究内容が世間に評価されない、等の「環境上」問題はあるとは思いますが、しかし、それならば、現在、大学や公的研究機関等で研究ポストに就いている人物は、「研究者として優秀だから」、その地位を得ている人物なのだろうか?という疑問が湧かないはずが無いと思います。
>
> 理系の方は、メディア等に露出している人物等を見れば、「及第点」以上の事は行っているのではないかと思いますが、それに対して、文系の研究者の場合、メディアに露出して意見を述べる「オピニオンリーダー」的な存在であっても、「なぜこの程度の感想しか述べられない人物が、大学教授、しかも東大等の有名大の教授になれるのだろうか、民間や官公庁に勤めている「専門家」の方が、学位は無いとは言っても、学問能力が優秀な人物が多いのではないか」と疑問に感じざるを得ない事が多いですね。
>
> 思うに、現在、大学では、旧帝大を含めて、「教育」らしい「教育」をやっていない可能性が高いのでは、と思いますね。
>
> 諸外国の高等教育カリキュラムがどうなっているのか知りませんが、何故、諸外国(特に欧米)の文系学生の方が圧倒的に優秀なのか、その理由を知る必要がありそうですね。
>
> 文系で大学教授の職を得ている人達に、「歴史、文化、芸術、文学」などにどれほど通じているのか聞いてみれば良いような気がしますね。理系と異なり、文系の場合は、学位や肩書等が信頼できない事が多いですね(理系は概ね学位に準じますが。(学士しか取れない者が博士を取れる事はまずありません))。
>
> 正直、この状態で優秀な学生が、大学教授になる為に「博士」を取ろうと思うのかどうか、その能力が信頼できるのか、非常に疑問に思いますね(学士と博士の能力が大して変わらないのであれば、大学教育に失望し、見切りをつけてしまい、官公庁か民間に行ってしまうでしょう)。
>
> これは、最近では理系でも顕著ではないかと思います。「学生の数(母体数)」が減少したとか、ゆとり教育などの「教育政策」の失敗も要因にありますが、それにしても、大学教育が劣化し続けている事の説明をするには不十分ですし、どうも、公立、私立校、予備校・塾等を含めて、教える側にしても、そこまでの水準に達している人が少なすぎる事は、非常に大きな問題ではないかと思います。
>
> これらの問題を解決するためには、学生募集の要件は、平等性を確保する為に、現在のまま(ペーパーテスト一発勝負)で構いませんが、旧帝大を教育機関として残し、地方大は、理系と医歯薬系のみ残し(地方大の大学院は廃止)、文系は旧帝大に統合(地方文系を就職専門校として活用する事は構いません)、博士持ちの処遇(ポスドク問題)を改善するために、研究機関の増設する(地方大を、高等専門学校、研究機関として独立させる)、大学のカリキュラムを、主に「欧米圏の大学」と比較し、「水準に達していない」という所から改善させていく、初等、中等教育においては、「大学進学以外の道」を、生徒に考える機会も与える(大学は、あくまで教育機関の一種であり、大学進学=社会の勝者という訳ではない事を教える)、といった対応策が必要になりそうです。
>
> とにかく、欧米圏の大学に比べると、指導側も、学生側も「教育熱(本気度)」が低すぎる事(高等教育よりも、アルバイトや合コン等に精を出す傾向が強い、就職活動時に、企業側から見れば、どうしようもないレベル(学問的知識どころか、一般常識すら身に付いていない)の「名ばかり大学生」ばかりが量産されている等)、およそ「教育」とは言い難い風習がまかり通っている可能性が高い事(文系は、東大教授ですら、高卒程度のレベルの事しか話せない、学生は、課外活動を含めて、学問的な活動を行わない等)など、様々な問題点があります。
>
> 入試に登場する現代文などを見ても、学生が読むべき著名な評論家や言論人(一流の人物)などの文章ではなく、タレント学者の文章を採用するなど、教官の見識を疑いたくなりますし、最近の言論人や名ばかり学者等は文章力も落ちている(大したことを述べない)見たいですから、劣化が激しすぎる事は間違いないでしょう。
>
> 一度、欧米の大学教授等を招いて、教育、授業内容を公開させ、学生、教授陣を含めて、学識能力、講義、学生の教育熱などを評価してもらった方が良いような気がします。最低の評価が出そうな気がしてなりません。
>
> いくら何でも「欧米圏」どころか「特亜(支那・朝鮮)」にすら負けている状態で、世界トップなど目指せるわけがありません。


コメントありがとうございます。
書かれていることについて概ね賛同いたします。
「タレント学者」はなかなかうまい表現だと思います。
管理人 |  2017.10.11(水) 16:51 | URL |  【編集】

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