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2017.10.02 (Mon)

「保守」という言葉の概念  中川八洋と西尾幹二の比較

本稿、西尾幹二の「保守の立場から保守政権を批判する勇気と見識が必要だ」
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2218
からヒントを得て言論界に蔓延する、『「保守」という言葉を曖昧なものとして使用する』、あるいは『何度も使う「保守」という言葉を定義することを避ける現象』に着目し、その定義のあり方についての論考したもの。


私は、言葉を定義せずに使うことは、避けるべきとの立場である。
何度も使う言葉を、分類せず、定義せずに使う言論活動は、欠陥があると考えている。



本題に入りたい。



「保守」という概念が存在する。
言論人の著作の中で、この「保守」という言葉が何度も登場することがある。
それなりの定義が示されていれば、読む方としては、概念的に何を指しているのか、理解しやすい。

が、そうでない場合は、分類も定義もせず、何を言いたいのかという気持ちに読み手としてはなってしまう。



中島岳志という学者が書く本にその傾向が強い。「保守」という言葉をやたら使いたがる傾向にある。

「リベラル保守宣言」などを書いているが、小池百合子あたりはこの本を研究したかもしれない。
小池百合子は、自身は相当な保守主義者であるはずなのだが、政治活動的には、「次世代の党」が消滅した政治的な隙間を見つけ、有権者受けする公約を設定、わかりやすいキーワードを掲げ、リベラル的な保守政党のイメージで、選挙戦に臨もうとしている、そんな気がするのである。

私は読む気はまったくないが。理由は書かずともおわかり頂けるだろう。



ここで、二人の言論人について述べたい。

中川八洋と西尾幹二である。

中川八洋は、政治学の教科書レベルの名著を三冊出している。

・保守主義の哲学 知の巨星たちは何を語ったか
・正統の哲学 異端の思想 「人権」「平等」「民主」の禍毒
・正統の憲法 バークの哲学

これらの本、完全に読破、理解したレベルではないが、中川八洋は、本職の政治学者たちが、保守主義思想のルーツと系譜を押さえておらず、日本語翻訳も十分ではないと指摘している。

そういう前提で、中川八洋と西尾幹二の違いを比較したい。

中川八洋の本を読んでおられる方なら、「保守=保守主義思想の系譜の中に位置づけられるものの見方、考え方の総称」みたいな印象になると思う。
どういうことか?
中川八洋は、そもそも専門外だったのであるが、日本にそれを研究する政治学者がいないこと、保守主義思想の系譜を辿り、未だ日本語に翻訳されていない保守主義思想の本を読み、現代的な感覚で、保守主義思想の分類、定義、体系化を試みている。



これに対し、西尾幹二は、「保守の真贋」という新刊書でこう主張している。

―― 参考情報 ――――――――――

九月「保守の真贋」の出版(一)
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2221

九月「保守の真贋」の出版(二)
https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2226

―――――――――――――――――

あとがきでは、「私は、自分は保守主義者であると言ったこともなければ、保守派の一人であると名乗ったこともありません。保守という概念は私のなかで漠然としていて、自分の問題として理論武装したことがありません。ただ今回は少し違います。表題と副題に示したとおり、「保守」を積極的に使用しました。われながら大胆であるとびっくりしています。」としている。

西尾幹二は、二つのことを告白している。
一つ目は、「保守の概念」が漠然としているということ
二つ目は、自分は保守主義者だと思ったことはない

意外である。

定義せずに、現象面から漠然と語ったようなのである。

中川八洋が、保守主義思想のルーツと系譜を辿り、文献的に特定し、日本語翻訳されていない原書を読み、その思想を体言した政治家たち(サッチャーなど)を著書で紹介したことを思い出したい。
中川八洋は、座標軸を示し、その座標軸に、思想家と政治家をプロットして、著書にて紹介したと私は解している。

学問的次元で分類して定義したうえで語る人
現象面から(分類して?)語る人(未定義)

どちらの主張が学問的に説得力あるであろうか?
二人とも学者出身である。



次に、西尾幹二の「自分は保守主義者だと思ったことはない」という言葉について、私見を述べたい。
中川八洋が、専門外でありながら、保守主義思想を調べ直している作業を続けているのに、西尾幹二は、どういう調査作業をしているのかはっきりせず定義作業すらしようとしないに見える。
「保守」という言葉を概念的に漠然としたとする一方、「保守主義者」という言葉をあたかも定義済みであるかのように、「保守主義者」の意味を理解している如く(保守主義者でないと)書いている。
一方、西尾幹二は、つくる会の活動に参加し、「国民の歴史」、「GHQ焚書図書開封」の本を書いている。これらの活動は、歴史研究的に、保守の立場に属しているところから始まっていることは、本人が特段言わなくても自明であろう。あえて、この本で「保守主義者でない」と強調する意図と目的が理解できないのである。

中島岳志の本で起きたことと似たような現象を、西尾幹二の本に見出すのである。



また、中川八洋は、ブログにて西尾幹二を徹底批判している。

―― 参考情報 ――――――――――

西尾幹二の妄言狂史
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/archive/category/%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B9%B9%E4%BA%8C%E3%81%AE%E5%A6%84%E8%A8%80%E7%8B%82%E5%8F%B2

―――――――――――――――――

いささか強烈な批判が並んでいる。

渡部昇一と共著が多い、谷沢永一の講演での西尾幹二批判も相当なものだ。

―― 参考情報 ――――――――――

つくる会発足時点で起きたこと  「渡部昇一の少年日本史」刊行の意味 
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-412.html

―――――――――――――――――



私の評価はこうなる。

扱うものが保守であれ、歴史であれ、もともと学者なのだから、文献をそろえ、系譜を作成し、分類、体系化すべきだ。学者が行う研究はそういう性格のものだ。
分類も定義もせず、主張するのは、相対的な評価でしかなく、何を基準とした分析評価、主張なのか、定まらない可能性がある。
西尾幹二が唱える保守、私には、人事評価の世界における、相対評価手法のような気がする。

相対評価は、ともすれば根無し草になりやすい。
漠然とした主張は主義主張自体が根無し草であることを意味する。

一方で、「保守」という政治思想を扱った本は多い。しかし、それらのどれもが、分類、定義を省略しているような印象がある。
そもそも定義していない状況で、「保守」という言葉を使うのは、学問的には情報収集段階にある、という見方もできる。

つまり、中川八洋と西尾幹二の論争が行われていることを認識すると、私の見立てでは、現時点では中川八洋の一方的?な勝利と判定せざるを得ない。

理由は、中川八洋が、文献をそろえ、系譜を作成し、分類、体系化し、学術的に対応しているからだ。



それでも私は、西尾幹二は、いろんなことに気がつく博識な方であると思っている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2226#comments

1.保守が本物かどうかの基準を私は「愛国者かどうかの基準」と理解しますが、先生は皇室、国土、民族、反共、歴史の5つを挙げておられ、非常に分かり易く、使いやすいメルクマールと納得しました。私はさらにもう一つを加えたい。5つのどれかに含めることも可能かもしれませんが「軍備」を独立の基準にしたいと考えます。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

拙ブログは、西尾幹二の考え方を企業の教育マニュアルに当てはめ、真正保守の定義を導いた。

―― 参考情報 ――――――――――

「真正保守」の定義について
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-657.html

―――――――――――――――――

西尾幹二の言いたいことはわからないではないが、中川八洋が、もともと専門外でありながら、保守主義思想のルーツを辿り、学術研究的スタンスでエネルギッシュに述べていることを知るならば、西尾幹二も同様の作業をすべきだった。西尾幹二が述べていることは中川八洋から見れば学問的アプローチではなく、どちらかと言うと主観的な観念論を振り回しているように見えるだろうと推定する。

かくいう私は、西尾幹二の「国民の歴史」について、ただ読むだけなら面白い本という評価なのであるが、ところどころ冗長な箇所があり、新しい歴史教科書の副読本にはなり得ない。そういう評価である。「渡部昇一の少年日本史」の方が、売れ続けるだろうと予想している。
同時に、この本に書いてあることをそのまま引用して大丈夫なのだろうか?そういう印象を持っている。が、GHQ焚書図書開封は読書案内本として活用させていただいている。


これに対し、中川八洋の本を読むとロジックの組み立てがしっかりしていることに驚かされる。
二人の間の論争が裁判沙汰になったそうだが、「学術的なアプローチで根源的に調べかつロジックを尊重する学者」が、「相対主義・観念論的の学者」を徹底批判したくなるのは、必然だったのではないか、そういう気がする。

皆様は、二人の言論人について、どう比較しつつ読まれたであろうか?


以上

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04:49  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(6)

Comment

概念論こそが日韓関係を損なった

概念論的慰安婦問題の提起こそが日韓の揉め事を収拾つかなくした原因ではないかと記事を読んで思いました。

韓国は国家行政機関の強制だから謝罪しろと言いましたが、事実と異なるとなると、業者を使っていても、日本軍が悪いという風に論調を変えて批判をしていました。
それどころか、これらをごちゃ混ぜにして日本を責めていました。

ここが大きな齟齬のポイントであろうと考えます。

日本としても、まず、一回、国家行政機関の直接責任は無かった。
と、切ってもらった上で、各国家行政機関の民間業者の管理の問題に移り、それらの不行き届きについての話ならば、まだ、冷静な議論が可能だったと考えます。
日本側も謝罪を行うことについては、認める。ただし、カテゴリーわけをしっかりとして、事実認定を厳正に行い、その事実に従った謝罪を行うということで韓国が合意するならという前提ならば、日本も受け入れたでしょう。

この問題の厄介なところは範囲を確定しないと無限に被害者が増殖しかねないところです。

徹底的な全数調査、厳正な法学的事実認定(欧米諸国の上位審クラスのしっかりとした確認)、誤解しようのない適切なカテゴリー管理、第三者も含めた公平な調査をもって、二度と大量に慰安婦が出ない。出たとしても、少数になるくらいまで徹底的な社会科学的歴史調査を日本の予算をもってしてもしっかりやるべきでしょう。

そこまで調査した上でないと、慰安婦問題について、反論しても、第三者は日本への不信感を払拭できないと考えます。
Suica割 |  2017.10.02(月) 10:59 | URL |  【編集】

日本の文系学部の問題

観念的な話が多い。
事実を軽視する。

社会科学という割には科学的でも論理的でもないではないかというのが意見としてあります。

自虐的史観でもいいから、事実は事実。ないことはないとしっかり区別してまとめて、物事は言えよと言いたい方々が多すぎます。
そこまで、ガチガチの民族主義者ではないですが、嘘を事実とされて、広げられるのは怒りを覚えます。
Suica割 |  2017.10.02(月) 11:23 | URL |  【編集】

Re: 概念論こそが日韓関係を損なった

> 概念論的慰安婦問題の提起こそが日韓の揉め事を収拾つかなくした原因ではないかと記事を読んで思いました。
>
> 韓国は国家行政機関の強制だから謝罪しろと言いましたが、事実と異なるとなると、業者を使っていても、日本軍が悪いという風に論調を変えて批判をしていました。
> それどころか、これらをごちゃ混ぜにして日本を責めていました。
>
> ここが大きな齟齬のポイントであろうと考えます。
>
> 日本としても、まず、一回、国家行政機関の直接責任は無かった。
> と、切ってもらった上で、各国家行政機関の民間業者の管理の問題に移り、それらの不行き届きについての話ならば、まだ、冷静な議論が可能だったと考えます。
> 日本側も謝罪を行うことについては、認める。ただし、カテゴリーわけをしっかりとして、事実認定を厳正に行い、その事実に従った謝罪を行うということで韓国が合意するならという前提ならば、日本も受け入れたでしょう。
>
> この問題の厄介なところは範囲を確定しないと無限に被害者が増殖しかねないところです。
>
> 徹底的な全数調査、厳正な法学的事実認定(欧米諸国の上位審クラスのしっかりとした確認)、誤解しようのない適切なカテゴリー管理、第三者も含めた公平な調査をもって、二度と大量に慰安婦が出ない。出たとしても、少数になるくらいまで徹底的な社会科学的歴史調査を日本の予算をもってしてもしっかりやるべきでしょう。
>
> そこまで調査した上でないと、慰安婦問題について、反論しても、第三者は日本への不信感を払拭できないと考えます。

慰安婦問題を扱う歴史書、政府が外交対応するのに必要な、最低限の定義を行なっていない、そのことが、慰安婦問題の処理を複雑なものにしたということでしょう。

この種のテーマ、しっかり読んでいただける方は少なく、不人気なテーマであることは明らかなのですが、こうしてSuica割さんの印象に残ったことで出稿して良かったと思っております。
管理人 |  2017.10.02(月) 18:28 | URL |  【編集】

Re: 日本の文系学部の問題

> 観念的な話が多い。
> 事実を軽視する。
>
> 社会科学という割には科学的でも論理的でもないではないかというのが意見としてあります。
>
> 自虐的史観でもいいから、事実は事実。ないことはないとしっかり区別してまとめて、物事は言えよと言いたい方々が多すぎます。
> そこまで、ガチガチの民族主義者ではないですが、嘘を事実とされて、広げられるのは怒りを覚えます。

平和安全法制を違憲だとした学者たち、吉見教授の裁判を支援した学者たちについて、研究業績等調べ、もっと追及すべきということになりますが、保守の言論人でそういうパワーがある言論人はいないようです。残念なことです。
管理人 |  2017.10.02(月) 18:30 | URL |  【編集】

日本のおかしな知識人(痴識人?)を排除しなければならない

正直、今の日本に「知識人(インテリ)」と呼べる人材は、若年層(20代後半)から老年層(80代、90代)まで見てみても、理系はかろうじて「ノーベル賞級」の「学者」が存在していますが、文系の場合は、全くのブラックボックスであり、メディア等の表に露出している「代表者(?)」であっても、「この程度の事しか言えないのか」と表せざるを得ない程、「質的劣化」が著しいと言わざるを得ません。

表に出てきているような人物ですら「この程度」なのですから、出てきていない人物に至っては、「論評にすら値しない」か、「学者以前のレベル」ではないか、と思うほどですね。

この辺りは、中川先生も指摘している通りだと思います。文系には、例え東大教授であっても、4流以下(国内で持て囃される程度で、海外では通用しないレベル)の学者しかいないという事です(丸山真男、宮沢俊儀あたりですら、そのレベルという事です)。

少なくとも、彼らの学問とやらが海外で何らかの影響力を与えただとか、欧米人で知るものが居ると言った話を聞く事がありません(そもそも、文系で、特に欧米圏からの留学生がいるのかどうかすら怪しいレベルです)。

経済学を文系に分類するべきかは悩みますが(経済学は、性質上、本来、理系の学問だと思っています)、経済学は、一流とまではいえないまでも(ノーベル経済学賞などの受賞者がいない為)、それなりの水準は保っていると思います。

ある海外通の人物に聞いた事があるのですが、文系で海外で名が知られているのも、「三島由紀夫」、「新渡戸稲造(武士道)」、「夏目漱石」、「森鴎外」、「安倍公房」、「川端康成」、「福沢諭吉」辺りらしいです。

ほぼ、明治から昭和期辺りまでの人物で、しかも、共通しているのが「保守知識人」ですね。

また、江戸から明治期にかけては、「日本文化(浮世絵など)」が、欧米の芸術家(モネなど)などに影響を与えたそうで、「ジャポニズム」という言葉もありますから、確かに、「伝統文化」などは、確かな「影響力」がありましたが、どうも、明治以降の芸術や哲学などは、あまり欧米圏での影響を与えているようには思えません。

この辺りがどうしてなのか、よく分からないのですが、どうも欧米に対して卑屈な知識人(特に左派)が多すぎる事、欧米人が「未開社会」としか見ていない(実際、来日した欧米の外交官やジャーナリスト等の手記などから見ても、江戸末期辺りまでは、そのような認識だったようです)ような「支那、朝鮮半島」を「憧れの国」として崇めているなど、日本特有の「歪んだ世界観」があるようにも思えます。

こういった「歴史事実」を、日本の文系学者や知識人と称する人達は、どう考えているのか、問い詰めるべきではないかと思います。

孔子の論語なども、支那通と称する者達が考えるような大それた発想で記したものでは無い(孔子の保身と机上の願望を記しているだけ)のに、崇めている時点でおかしな話だと思います。

そもそも、欧米と日本で学術的な立場に「違い」があるというのも変な話で、日本の場合、あまり合理的な理由が無くても「すばらしいもの」として崇めてしまうのは、カルトと同じであり、危険ではないかと思いますね。

保守もそうですが、どうも知識人とやらには変な「癖」があるみたいで、我々がそういった人たちと交流する際には、注意が必要だと思います。

反日捏造学者たちについては、「妄想」に浸り切り、一般市民に向けて、「学問の自由」などの詭弁を用いるなど(間違っていても責任を取らず、学説で反論勝負せず、訴訟やスクラムを組んで罵倒するなど、悪質な行動を取ってきている問題)、そういった「あからさまな「嘘」を広めてきた責任がある」事を徹底的に追及する事で、捏造学者や支援者などを学界、言論界などから排除していく方向で攻勢を強めていくべきでしょう。
西 |  2017.10.03(火) 02:11 | URL |  【編集】

Re: 日本のおかしな知識人(痴識人?)を排除しなければならない

> 正直、今の日本に「知識人(インテリ)」と呼べる人材は、若年層(20代後半)から老年層(80代、90代)まで見てみても、理系はかろうじて「ノーベル賞級」の「学者」が存在していますが、文系の場合は、全くのブラックボックスであり、メディア等の表に露出している「代表者(?)」であっても、「この程度の事しか言えないのか」と表せざるを得ない程、「質的劣化」が著しいと言わざるを得ません。
>
> 表に出てきているような人物ですら「この程度」なのですから、出てきていない人物に至っては、「論評にすら値しない」か、「学者以前のレベル」ではないか、と思うほどですね。


まさにその通りかもしれません。

> この辺りは、中川先生も指摘している通りだと思います。文系には、例え東大教授であっても、4流以下(国内で持て囃される程度で、海外では通用しないレベル)の学者しかいないという事です(丸山真男、宮沢俊儀あたりですら、そのレベルという事です)。
>
> 少なくとも、彼らの学問とやらが海外で何らかの影響力を与えただとか、欧米人で知るものが居ると言った話を聞く事がありません(そもそも、文系で、特に欧米圏からの留学生がいるのかどうかすら怪しいレベルです)。
>
> 経済学を文系に分類するべきかは悩みますが(経済学は、性質上、本来、理系の学問だと思っています)、経済学は、一流とまではいえないまでも(ノーベル経済学賞などの受賞者がいない為)、それなりの水準は保っていると思います。
>
> ある海外通の人物に聞いた事があるのですが、文系で海外で名が知られているのも、「三島由紀夫」、「新渡戸稲造(武士道)」、「夏目漱石」、「森鴎外」、「安倍公房」、「川端康成」、「福沢諭吉」辺りらしいです。
>
> ほぼ、明治から昭和期辺りまでの人物で、しかも、共通しているのが「保守知識人」ですね。
>
> また、江戸から明治期にかけては、「日本文化(浮世絵など)」が、欧米の芸術家(モネなど)などに影響を与えたそうで、「ジャポニズム」という言葉もありますから、確かに、「伝統文化」などは、確かな「影響力」がありましたが、どうも、明治以降の芸術や哲学などは、あまり欧米圏での影響を与えているようには思えません。
>
> この辺りがどうしてなのか、よく分からないのですが、どうも欧米に対して卑屈な知識人(特に左派)が多すぎる事、欧米人が「未開社会」としか見ていない(実際、来日した欧米の外交官やジャーナリスト等の手記などから見ても、江戸末期辺りまでは、そのような認識だったようです)ような「支那、朝鮮半島」を「憧れの国」として崇めているなど、日本特有の「歪んだ世界観」があるようにも思えます。
>
> こういった「歴史事実」を、日本の文系学者や知識人と称する人達は、どう考えているのか、問い詰めるべきではないかと思います。
>
> 孔子の論語なども、支那通と称する者達が考えるような大それた発想で記したものでは無い(孔子の保身と机上の願望を記しているだけ)のに、崇めている時点でおかしな話だと思います。
>
> そもそも、欧米と日本で学術的な立場に「違い」があるというのも変な話で、日本の場合、あまり合理的な理由が無くても「すばらしいもの」として崇めてしまうのは、カルトと同じであり、危険ではないかと思いますね。
>
> 保守もそうですが、どうも知識人とやらには変な「癖」があるみたいで、我々がそういった人たちと交流する際には、注意が必要だと思います。
>
> 反日捏造学者たちについては、「妄想」に浸り切り、一般市民に向けて、「学問の自由」などの詭弁を用いるなど(間違っていても責任を取らず、学説で反論勝負せず、訴訟やスクラムを組んで罵倒するなど、悪質な行動を取ってきている問題)、そういった「あからさまな「嘘」を広めてきた責任がある」事を徹底的に追及する事で、捏造学者や支援者などを学界、言論界などから排除していく方向で攻勢を強めていくべきでしょう。



保守の中で精緻な調査分析を身上とする言論人があまり見当たらないことが気になっております。
馬鹿なのは、慶応の金子某だけだと思っていましたが、文系学者のほとんどがそうではないか、そういう視点で眺めていく必要がありそうです。

管理人 |  2017.10.03(火) 15:22 | URL |  【編集】

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