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2017.08.28 (Mon)

理性で人を評価する人・感情で人を評価する人  何が決定的に違うのか

普段あまり気にすることはないが、世の中には、
人を理性で評価する人
人を感情で評価する人
二種類存在するようだ。

武田邦彦の動画を眺めてみたい。なるほどと思える部分についてテキスト起こしした。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

【武田邦彦】田母神俊雄への批判を通して見えてくる社会正義とは!
https://www.youtube.com/watch?v=cAouPKIt6EY

現在の社会はバッシング時代といっていいかもしれない
いろいろな人にいろいろな不満がある
自分の不満を自分で解決していくのは非常に難しいので、それをある人にぶつけたりすることが気分として現在の社会では非常に強い
品の良くない週刊誌がバッシングの種を与える
最近では田母神さん、田母神さんはなかなかキリっとした方で人気もある
東京都知事戦に出られて、敗北したが多くの献金もあり一世をある程度風靡した方
私とは意見がちょっと違って、軍隊の方なのでそれなりに尊敬をしているが
同時に原発なんかについては私をかなり非難している
だからいわば私と反対の立場にあると言っていると言ってもいい
そうであっても
その人の評価というのは、その人が自分に何を言っているかということとは無関係
私は、田母神さんに対して何も感情はない………………………

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


ここで、人を評価することに際して、二ケースあることに気づく。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■ケース1 理性で人を評価するケース
・その人の評価というのは、その人が自分に何を言っているかということとは無関係
私は、田母神さんに対して何も感情はない…………………

■ケース2 感情で人を評価するケース
・その人の評価というのは、その人が自分に何を言っているかということと関係
私は、田母神さんに対して感情がある…………………

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

サラリーマン社会の場合、上司が、ケース2のようなタイプで嫌われた場合は最悪である。
団塊の世代は、学生時代において勉強らしい勉強をせず、社会人時代にあっては高度成長期に遭遇したため苦労らしい苦労をせずに出世、多くが人を評価する立場にあった。理性ではなく感情で人を評価する傾向が他の世代と比較して強い可能性はないのか?
田母神俊雄を殊更非難する世代、そういう世代に集中している可能性はないか。

ある上司からいきなり「オマエ」と言われたことがある。が、納得がいかず、「何だ、その言い方は!」と追及し、上司の態度を改めさせたことがある。その上司、上にペコペコする一方部下に対しても高圧的に振る舞う方で、団塊世代の●大卒だった。



さて、上記動画の後半は、田母神を批判する人のある傾向についてふれている。理性でなく感情で田母神俊雄を批判する人について、共通した矛盾があるようだ。また、情報リテラシー上の矛盾も発生しているのだそうだ。

普段朝日新聞を毛嫌いする人の中に
田母神俊雄批判する朝日記事を見つけると朝日記事を引用しようとする習性がある人が含まれているとしている。

情報リテラシー能力は、分析評価能力に直結する。
人の評価は、事象の分析に似ている部分がある。
感情で判断する人は、その人が自分に何を言っているかを基準で判断するだろうと予想する。
しかし、一事が万事、感情で判断する人が、分析能力が果たしてあるのか、私は疑問に思う。
日韓合意、安倍談話を非難し続けた人も、理性ではなく、感情で批判したに過ぎないのではないか?

華やかな時代にもてはやし、弱ったら叩く世情について、武田邦彦は問題視している。
部長になりそうな人が左遷された途端、その人の送別会に参加しないのに似ている。
役職を降りると、取引先がソッポを向き、職場の人間関係が激変することはままある。
友人だと思っていた人が、退職した途端、年賀状を寄越さなくなることもあるだろう。

武田邦彦は、この動画の最後の方で、「社会正義というのは、その人が自分に何を言っているかということとは無関係な視点で遂行・実現されるべきだ」という趣旨のことを述べている。

同感である。

私は、かつてある人にボロクソに叩かれたことがあるが、その人の書いたある作品については、今も評価しているつもりである。叩いた人は、私に対してはそうではないだろうが。

ここで、社会正義を保守主義に置き変えてみたい。



同じ目的を達する活動に携わる同志であるなら、その人が自分に何を言っているかということとは無関係な視点で、その人の評価を心がけたいものである。

凡人の私には難しいことではあるが、それがわからない人に、政治活動を通じた社会改革に係わる資格があるのか?
政治活動を通じた社会改革、本来的には、保守主義思想をベースとする、社会正義の実現という性格のはずのものである。

以上



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子供と大人の違い、日本人と欧米人の違い

大人も、ストレスが溜まり過ぎれば、感情的になる事が無いわけではありませんが、直情的な反応を示すのは「子供」の方が多いように思えます。

要するに、「主観」と「客観」、「自分」と「他者」の区別が付いていないケースが多いというわけです。

ゆえに、子供は「自分の世界観」がさも「他者」にとっても同様であると思い込んでいる人が多く、本来、自分の世界観とは無縁の人が「そうでなければならない」と思い込んでしまう為、それと異なる反応(もしくは脅威を与えると思い込むこと)を示した場合は、途端に「怒り狂う」わけです。

同じ団体の内部で、一定の世界観を巨有している場合は、その限りにおいて、「自己の世界観」を「他人」と共有しますから、「仲間」と見なせますが、共有していない世界観まで押し付けるのはおかしいわけで、例えば、上司による職務上の「仕事の指導」は、部下の立場であるが故に、「受け入れる」わけですが、部下が女性ならば、性的関係であっても、「上司」の立場があるのだから、「相手」も当然応じるものだと、思い込むのは、やはり「世界観」を他人に押し付けている(上司と部下は、仕事上の関係であって、私的な関係ではない)ように思います。

だから、どんな人間であっても、言動や振る舞い、「自己」と「他者」の区別が付かないような人物は「子供」であると思っています。

ただ、このような人物が現代では増えすぎてるように思うのが、相当懸念されるところです。

また、一定のコミュニティーから抜け出したことが無い人というのも、そういった傾向があるように思います。やはり、多くの人間と交流する上で、「自分」と「他者」の区別はつけるべきだと思いますね。

「日本」という「国家」の元では、「同じ釜の飯」を食べているわけですから、「国民全体」で「国防」などの「意識」を共有するべきですが、個々人の生活まで統制するのは、「世界観の共有」という点で問題がありますから、それは避けるべきではあると思います。

ただ、日本人も、海外の人達が「自己の世界観」で全てを語れると思い込んでいる節があるように思えます。

日本人的な感覚で特定アジア諸国の社会常識を論じるべきではないと思っていますが、やはり「自己」と「他者」の切り離しができない人達は、「個人」の関係で「国家」の「外交」を語るという、「稚拙」な発想しか持っていないように思っています。

その意味では、欧米人の方が「自己」と「他者」が明確に付ける事に拘る為、故に、自力救済を前提としている為、時々、冷たいと思う事もありますが、仕事上、付き合う上では頼りになる事が多いように思えます。

その点では、我々も欧米人に見習うべきところがあると思いますね。
西 |  2017.08.30(水) 02:20 | URL |  【編集】

Re: 子供と大人の違い、日本人と欧米人の違い

> 大人も、ストレスが溜まり過ぎれば、感情的になる事が無いわけではありませんが、直情的な反応を示すのは「子供」の方が多いように思えます。
>
> 要するに、「主観」と「客観」、「自分」と「他者」の区別が付いていないケースが多いというわけです。
>
> ゆえに、子供は「自分の世界観」がさも「他者」にとっても同様であると思い込んでいる人が多く、本来、自分の世界観とは無縁の人が「そうでなければならない」と思い込んでしまう為、それと異なる反応(もしくは脅威を与えると思い込むこと)を示した場合は、途端に「怒り狂う」わけです。
>
> 同じ団体の内部で、一定の世界観を巨有している場合は、その限りにおいて、「自己の世界観」を「他人」と共有しますから、「仲間」と見なせますが、共有していない世界観まで押し付けるのはおかしいわけで、例えば、上司による職務上の「仕事の指導」は、部下の立場であるが故に、「受け入れる」わけですが、部下が女性ならば、性的関係であっても、「上司」の立場があるのだから、「相手」も当然応じるものだと、思い込むのは、やはり「世界観」を他人に押し付けている(上司と部下は、仕事上の関係であって、私的な関係ではない)ように思います。
>
> だから、どんな人間であっても、言動や振る舞い、「自己」と「他者」の区別が付かないような人物は「子供」であると思っています。
>
> ただ、このような人物が現代では増えすぎてるように思うのが、相当懸念されるところです。
>
> また、一定のコミュニティーから抜け出したことが無い人というのも、そういった傾向があるように思います。やはり、多くの人間と交流する上で、「自分」と「他者」の区別はつけるべきだと思いますね。
>
> 「日本」という「国家」の元では、「同じ釜の飯」を食べているわけですから、「国民全体」で「国防」などの「意識」を共有するべきですが、個々人の生活まで統制するのは、「世界観の共有」という点で問題がありますから、それは避けるべきではあると思います。
>
> ただ、日本人も、海外の人達が「自己の世界観」で全てを語れると思い込んでいる節があるように思えます。
>
> 日本人的な感覚で特定アジア諸国の社会常識を論じるべきではないと思っていますが、やはり「自己」と「他者」の切り離しができない人達は、「個人」の関係で「国家」の「外交」を語るという、「稚拙」な発想しか持っていないように思っています。
>
> その意味では、欧米人の方が「自己」と「他者」が明確に付ける事に拘る為、故に、自力救済を前提としている為、時々、冷たいと思う事もありますが、仕事上、付き合う上では頼りになる事が多いように思えます。
>
> その点では、我々も欧米人に見習うべきところがあると思いますね。

西さんは欧米人の友人がおられるのですね。
一方で、個々の日本人も外国人から頼りにされる存在でありたいものです。
私は、40歳前後の人たちは、団塊世代よりはまし(子供っぽくない)ではないかと眺めております。仕事に対する取り組みでの比較ですが、就職氷河期の人たちは、いい加減な人たちは少ない印象を持っております。
管理人 |  2017.08.30(水) 17:52 | URL |  【編集】

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