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2017.06.25 (Sun)

保守偽装の問題  読むよりも書いて思考整理する大切さについて

田母神俊雄の最新刊、保守偽装の問題を取り上げている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

日本の敵

「日本の敵」田母神俊雄

判決後、初の著作で「日本派保守」のために
田母神はすべてを書き綴った

田母神俊雄は、自分の信念を曲げずに自衛隊をクビになった男である。
つまり、初めから賢くなど生きられなかったバカな男なのだ。
だったら、ここでも自分の信念に従って愚直に生きる。
私は、私自身に与えられた使命をこれからも全うするだけである(本文より)

田母神はこう言った
「残りの人生を賭けて日本の敵と戦うことを宣言する」と
本来政治は現場のためにある。弱い者のためにある。
にもかかわらずこの四半世紀、「改革」の名のもとに盤石であった日本社会は徹底的に
ぶっ壊されてしまった。日本の現場の声と反対を無視して強行された「改革」で、
中流階層は、貧困・格差問題に晒され、
盤石だった終身雇用や年功序列も崩れた。
安心から不安への「改革」で日本社会は弱体化されたのではないだろうか。
では、政府はいったい誰のために「改革」を行ったのか。
はっきり、わかっているのは私たち国民のためではないばかりか、むしろ、日本の国益を
脅かし、自主独立を阻む勢力=「日本の敵」のための改革だったということだ。
本書は、日本の長きにわたる文化を破壊し、国民を死地に陥れる「真の敵」と向き合い、
より良き日本を「取り戻す」ための論考である。
勾留169日の間、獄中で考えに考え尽くしたこと、それは、田母神自身の思想の原点に立つことであり、
日本の自主独立のための真摯な省察である。


≪目次≫
はじめに
第1章 偽装保守
第2章 敗戦利得者
第3章 グローバリズムと改革バカ
第4章 韓国と北朝鮮と中国
第5章 憲法9条
第6章 マスメディア
第7章 我、獄中より生還せり
補遺 田母神判決の真実
おわりに

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

錯乱癖ある言論人は、どう反撃するか?
今まで共産主義者だった人が、ある日突然愛国者だと語り始めた経緯、周知の事実となりつつある。

一方、中川八洋は、最新稿にて、産経が「退位特例法」の「退位」を宮内庁や内閣法制局の赤い官僚たちと結託して、これを「生前譲位」であるとし、健全な産経読者に対する目くらまし報道を行った、と酷評した。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2017/06/23/142056

結論を先に言えば、「退位」を冠する特例法に対する批判を封殺するために、産経新聞は“共産革命語「退位」隠し”という犯罪報道を徹底的に行った。さほど教養がなくとも、まともな日本人なら、(1945年9月2日の)英米への降伏後に、天皇制廃止のための昭和天皇退位論をキャンペーンすべく新しく造語された悪意芬々の二文字「退位」が、コミンテルン(共産革命)語であることは何となく気付く。多少でも皇室護持の心意気を持つ日本人にとって、「退位」は、狂った天皇制廃止スローガンだと喝破できる。少なくとも暴語「退位」には嫌悪感情が湧き、「排斥せねば」と真正の日本国民なら義務意識が燃えてくる。

 そこで、共産党だけでなく、宮内庁や内閣法制局の赤い官僚たちは、「退位」という二文字から、特例法が天皇制廃止準備法となっていることを見破られるのではないかと冷や冷やビクビクだった。特に、「退位」という二文字から特例法が天皇制廃止準備法であることを見破る日本国民がいるとしたら、それは産経新聞の一部の読者(=健全な日本人)であろうし、産経新聞がこの読者に呼応して、「退位」の二文字を正しい伝統語「譲位」にせよと大キャンペーンするかも知れないと怖れた。

 ところが産経新聞は、内閣官房等の赤い官僚群の怖れとは逆さに、総理官邸/宮内庁/内閣法制局の赤い高官と謀議して、“共産革命語「退位」隠し”の役目を買って出た。産経新聞は、今般の特例法に限っては、天皇制廃止狂の本心(=カムフラージュ産経イデオロギー)を剥き出しにした。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

拙ブログは、産経報道「生前譲位」の趣旨が何であるか検証せずに、タイトル的には、「生前譲位」で通した。

理由は、皇室敬語的判断でそうした。
中川八洋は拙ブログを酷評するだろう。私は受け入れるつもりだ。

さて、拙ブログ管理人は、ノンポリ、にわか保守であるとしている。
もちろん、人は、生まれた時において、すでに、愛国保守、真正保守ではない。

言論界には、頼まれてもいないのに、自らを真正保守だの、愛国者だの、武士道だの、
大和魂だの、草莽崛起だの………………昨今は、この種の形容詞的表現を散りばめ、流麗な文章で読者に思い込ませようとする輩が続出している。

そういう輩に共通していることがある。

中川八洋は、上記最新稿で、保守偽装者たちの存在を指摘している。
本当にそうなのか、そうでないのか、私は、中川八洋ほど極めておらず、かつそれぞれの身辺情報がないのでそう判断するに足る詳細情報を得ていない。

が、保守偽装なら、偽装すると判断されても仕方がない、傾向というか状況証拠はある。

それは、言論活動における行動様式で見破れるのではないかと、私は考える。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「保守偽装」言論人を見破るための方法=「保守偽装」言論人の行動様式の一例

●そもそも結果を出す気がない
●批判文しか書けない(書かない)
●提言がないか、提言がまったく具体的でない
●書いてあることに、シナリオ・手順がない
●ボランテイアを嫌う(原稿料、出演料を欲しがる)
●その人なりの専門領域がない(テーマは日替わり)
●表現スタイル的に独自性がない(論理的に空疎である)
●ビジネス文書形式でなく、手紙文ないし小説スタイルの文面のものが多い
●そもそもオリジナルでないか、初心者対象としている
●感情論で結論を急ぎ過ぎている
●何かにつけて寄付を求めたり、本を買えという話題が多い

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

このような見分け方があることに気がついたのは、錯乱癖ある方を含め、そういう疑いが濃厚な人物の言動、文章を観察、分析した結果である。

かくいう私は、大学入学時点で、偏差値的価値観を捨て、現在に至っている。

偏差値的価値観を捨てるというのは、簡単に言うとこういうことである。
知識偏重ではなく、自分で考え、その考えを作文し、思考整理を通じて、ものの良し悪しを判断することに切り替えた、ということだ。

世の中には、東大受験、司法試験、国家公務員上級試験、難関と言われる試験は多い。が、これらの試験は、知識とそれなりの思考力がないと突破できない。
そういう試験突破者に、共通していることがある。思考回路が柔軟でなく紋切型に近い印象がある。

彼らは優秀だ。彼ら自身がそう思っている。が、それは、自らの作文、論文を提示し、そう認められたのではない。他人が書いた作文、情報、知識をうまく格納、脳みそからうまく取り出せた結果としての評価である。私は、負け惜しみで書いているのではない。

また、我々日本人は、新聞を隅から隅まで読む気真面目な習性があり、他人の書いたものを無防備に受入れ、知識欲ある人ほど、その情報・知識の大部分が操作されているかそうでないのか分からずに吸収してしまう傾向にある。

世の中には、優秀な人が存在することも知っている、東大医学部に現役で合格、司法試験に一発で合格するような人たちは、頭の回路が常人とは異なる部分があることは知っている。そういうレベルの方々が同級生に居たのでわかる。

では、極めて優秀と言われている、彼らと私で何が違うのか?
より創造的な作品を通じて評価されたい、学生時代、そう考えたのである。

同時に、いくら頭が良い人でも、その思考の根源、源泉が他人の書いた知識の集合体でいいものか?借り物の思考はホンモノと言えるのか?

一方で、すべてを破壊する革命を肯定するような政治思想をどうして肯定できようか?
私の疑問点はそこから始まっている。

大学時代は、渡部昇一先生がそうであったように、専攻分野以外の勉強も私はやった。渡部昇一先生は、学生時代、かなり読書されたそうだが、私は、多くの専攻外の単位を取得。最初は評価は芳しくなかったが、その後意図しないのに成績はぐんぐん伸びた。卒業時、学科の多くの教官から成績急上昇したことを褒められた。

中川八洋の政治思想・哲学本は、答えを求め続けていた私にとって、いささか難解な部分はあるが、暗闇の中の一筋の松明みたいな存在となりつつある。

大学入学時点で、偏差値的価値観を捨てた、と書いたのは、他人が書いた作文、情報、知識を自分の思考の原点とするのではなく、自分の意志で考え、その考えを作文し、思考整理を通じて、ものの良し悪しを判断することに切り替えたいという、内なる欲求によるものであった。

つまり、拙ブログのスタンスは、大学入学時点で決定されたものなのである。

かくいう私は、ノンポリでにわか保守である。
ノンポリでにわか保守だと書いて恥じることはない。

都合が悪くなると、元共産主義者なのを隠し、真正保守だと豪語している言論人がたくさん存在しているではないか?
たくさんの人が集まった会合で、元共産主義者だったとプライベートな経緯を紹介される方もおられる。本当に都合が悪いなら、そう紹介するはずはない。

そして、保守言論界、中川八洋の言う部分に極論は含まれているにせよ、かように保守偽装者だらけか?その疑いが濃厚である者が続出しているではないか?
同じ傾向はブログ界においても起きている可能性はないのか?

学生時代、提出レポートが予定よりも早く完成し、時間が空いた時に、大学図書館にある、マルクス・エンゲルスの本や政治思想本を読んだ。当時の私には、論理となるはずもないことが論理だと書いている、膨大な文章量にしては空疎な印象があった。私は、共産主義に被れずに済んだのだった。

就職後は、早稲田大学雄弁会OBで正論等を熟読する上司から、「公開情報から分析」し、その結果を中立的な視点から文章化、対策提言する文章作法等を徹底的に叩きこまれた。
その上司から、書いた調査レポートについて、結論を急ぎ過ぎている、と何度も叱責された。

ノンポリ・にわか保守の期間が長く続き、下手に政治的に被れておらず、かつての上司から対象を中立的に眺めることを叩き込まれてきたので、政治ブログを続けつつも、保守偽装の特徴、傾向を上記にリストアップできたかもしれない。

中川八洋からみて、拙ブログは吹けば飛ぶような、いい加減な、にわか保守のブログかもしれない。

そんな私でも、自分で考え思考整理しその結果を作文すること、そして公開情報から分析することに、仕事上こだわった。中川八洋と業種は異なるが、職場においても、前例がない創造的な仕事に誰よりもこだわった。それらは職場のキャビネットに保管され私は今も「作品」だと思っていることを告白し、本稿を終える。

以上










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    12:06  |  言論人  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

    Comment

    お世辞ではなく

    こんなにも感銘を受けたブログ記事は、初めて読みました。心より感謝申し上げます。
    中原 |  2017.06.25(日) 12:35 | URL |  【編集】

    Re: お世辞ではなく

    > こんなにも感銘を受けたブログ記事は、初めて読みました。心より感謝申し上げます。

    お褒めいただき恐縮しております。
    中川八洋先生に自分の経緯を説明したく、本稿出稿に至りました。
    管理人 |  2017.06.25(日) 15:52 | URL |  【編集】

    同じ「東大」でも、「知的能力」に「差」がある理由

    一口に「東大」と言っても、「ピン」から「キリ」までいるようで、凄まじい人は、本当に凄まじく「できる(知的思考能力が卓越している)」のですが、一方で、大学に入学してからも「受験勉強的思考(知識偏重)」しかできない人もいると言われています。

    彼らは、社会人になってからも、「受験勉強的思考」しかできない傾向がある為、「仕事ができない」と言われてしまうのではないかと思いますね。

    その典型的な事例が、民進党の議員達でしょう。彼らは、確かに「学歴だけ」見れば立派に見える者もいる(東大卒、ハーバード大留学、財務官僚等)のですが、肝心な思考能力には欠けているようなところがありますね(思考能力が欠けている為に、感情的になりやすい)。

    酷い事例が、「クイズ小西」みたいな事例ですね。正直、彼の稚拙な国会質問を見ていると、学生時代に教官から教わった事しか、できなかったのだろうと思っています(官僚時代にどんな実績を挙げたのかも不明ですね)。

    同じ「東大」であっても、「亀井静香」氏や「中川なりあき」氏らとは比べ物にならないのは明白だと思います。

    東大入試(特に理Ⅲ)や司法試験、国家公務員上級に一発で、かつ首席合格するような人というのは、確かに「発想力」や「思考の瞬発力」が超人的であるのは確かですが、彼らに共通しているのは、大抵が、普段から「受験」があるからという理由のみで勉強していたわけでは無く、小さいころから、図鑑だとか、文学作品、難しい数学を分かりやすく解説した本だとか、そういった本に興味を持ち、自主的に勉強していた人が多いようです。

    大抵の人は、同年代では「流行モノ」に目が行くような事が多くても、彼らはそういったものに「目」がいくわけですね。

    そして、幼少期から少年時代に形成された生活習慣というものは、大抵大人になってからも継続する事が多いので、必然的に「勉強ができる」上に、「卓越した思考力」を手に入れる事も出来るのだろうと思います。

    既に「思考力」の土台となる「知的基礎」が強固であり、かつ高く積み上げられている為、その時点で、受験勉強以外に勉強してこなかった層とでは、同じ「東大合格者」であっても、学習習慣および学習の目的が違い過ぎるのですから、大きな「差」が付いてしまっているのは、むしろ「当然」の結果なのだろうと思います。

    民進党などは、一見すると「知識量」で自民党に勝っているように見えますが、受験勉強以上の知識を身に着けていないようにも思えます。

    実際、彼らに、自主的に学習しなければ身に付かないような(普段から時間がある時に、思想研究などに努めていなければ)専門的な知識などを問うてみれば、その「浅はかさ」が分かるのではないかと思います。

    そう考えてみると、現在の教育は、そういった「学習習慣(自主的研究活動)」を身に付けさせずに、「受験勉強一辺倒(情報処理能力)」に偏重した指導を行っていれば、「マニュアル(規格化)人材」しかでき無い為、日本という国家の存続と発展の面から見た場合に、かなり「大きな問題」として残ってしまうのではないかと思います。

    「読む」よりも「書く」というのは、その通りだと思います。

    単に「本を読んだ」程度では、詰め込んだ知識の「整理」もできず、自身の考えをまとめて、「提言」として「発信」できないでしょう。

    「書く」という作業については、国語常識(漢字、慣用句など)に加えて、表現力を鍛えるために重要な事だと思います。

    表現力が高い人ほど、非常に難解な文章であっても、読みこなす事ができる(内容が何となくであっても理解できる)のだろうと思います。同時に、判断能力も高まる事と思います。

    昔(戦前まで)は、こうした能力が卓越した人々が、学生かどうかに限らず、多数存在していたようなのですが、現代の我々が彼らと競い合ったとしたら、思考力や知的能力の面で、果たして勝負になるのだろうか、と言われれば、非常に疑わしい思います。

    こういった作業に秀でている(国語に限らず、数学等であっても)のが、所謂「秀才」と呼ばれる人達なのですが、こういった思考整理法を大学以前の小中高の段階で身に着けさせる教育ができていればな、と思います。

    西 |  2017.06.25(日) 17:00 | URL |  【編集】

    Re: 同じ「東大」でも、「知的能力」に「差」がある理由

    > 一口に「東大」と言っても、「ピン」から「キリ」までいるようで、凄まじい人は、本当に凄まじく「できる(知的思考能力が卓越している)」のですが、一方で、大学に入学してからも「受験勉強的思考(知識偏重)」しかできない人もいると言われています。
    >
    > 彼らは、社会人になってからも、「受験勉強的思考」しかできない傾向がある為、「仕事ができない」と言われてしまうのではないかと思いますね。
    >
    > その典型的な事例が、民進党の議員達でしょう。彼らは、確かに「学歴だけ」見れば立派に見える者もいる(東大卒、ハーバード大留学、財務官僚等)のですが、肝心な思考能力には欠けているようなところがありますね(思考能力が欠けている為に、感情的になりやすい)。
    >
    > 酷い事例が、「クイズ小西」みたいな事例ですね。正直、彼の稚拙な国会質問を見ていると、学生時代に教官から教わった事しか、できなかったのだろうと思っています(官僚時代にどんな実績を挙げたのかも不明ですね)。
    >
    > 同じ「東大」であっても、「亀井静香」氏や「中川なりあき」氏らとは比べ物にならないのは明白だと思います。
    >
    > 東大入試(特に理Ⅲ)や司法試験、国家公務員上級に一発で、かつ首席合格するような人というのは、確かに「発想力」や「思考の瞬発力」が超人的であるのは確かですが、彼らに共通しているのは、大抵が、普段から「受験」があるからという理由のみで勉強していたわけでは無く、小さいころから、図鑑だとか、文学作品、難しい数学を分かりやすく解説した本だとか、そういった本に興味を持ち、自主的に勉強していた人が多いようです。
    >
    > 大抵の人は、同年代では「流行モノ」に目が行くような事が多くても、彼らはそういったものに「目」がいくわけですね。
    >
    > そして、幼少期から少年時代に形成された生活習慣というものは、大抵大人になってからも継続する事が多いので、必然的に「勉強ができる」上に、「卓越した思考力」を手に入れる事も出来るのだろうと思います。
    >
    > 既に「思考力」の土台となる「知的基礎」が強固であり、かつ高く積み上げられている為、その時点で、受験勉強以外に勉強してこなかった層とでは、同じ「東大合格者」であっても、学習習慣および学習の目的が違い過ぎるのですから、大きな「差」が付いてしまっているのは、むしろ「当然」の結果なのだろうと思います。
    >
    > 民進党などは、一見すると「知識量」で自民党に勝っているように見えますが、受験勉強以上の知識を身に着けていないようにも思えます。
    >
    > 実際、彼らに、自主的に学習しなければ身に付かないような(普段から時間がある時に、思想研究などに努めていなければ)専門的な知識などを問うてみれば、その「浅はかさ」が分かるのではないかと思います。
    >
    > そう考えてみると、現在の教育は、そういった「学習習慣(自主的研究活動)」を身に付けさせずに、「受験勉強一辺倒(情報処理能力)」に偏重した指導を行っていれば、「マニュアル(規格化)人材」しかでき無い為、日本という国家の存続と発展の面から見た場合に、かなり「大きな問題」として残ってしまうのではないかと思います。
    >
    > 「読む」よりも「書く」というのは、その通りだと思います。
    >
    > 単に「本を読んだ」程度では、詰め込んだ知識の「整理」もできず、自身の考えをまとめて、「提言」として「発信」できないでしょう。
    >
    > 「書く」という作業については、国語常識(漢字、慣用句など)に加えて、表現力を鍛えるために重要な事だと思います。
    >
    > 表現力が高い人ほど、非常に難解な文章であっても、読みこなす事ができる(内容が何となくであっても理解できる)のだろうと思います。同時に、判断能力も高まる事と思います。
    >
    > 昔(戦前まで)は、こうした能力が卓越した人々が、学生かどうかに限らず、多数存在していたようなのですが、現代の我々が彼らと競い合ったとしたら、思考力や知的能力の面で、果たして勝負になるのだろうか、と言われれば、非常に疑わしい思います。
    >
    > こういった作業に秀でている(国語に限らず、数学等であっても)のが、所謂「秀才」と呼ばれる人達なのですが、こういった思考整理法を大学以前の小中高の段階で身に着けさせる教育ができていればな、と思います。


    書くことの重要性を特に強く認識したのは、35歳を過ぎたあたりからです。それまでは、読む方のウエートが高かった。

    クイズ小西みたいなタイプの人間を学生時代、間近に見られていたのですね。
    学生時代の私は、勉強のやり方を変えようと悪戦苦闘の連続、他の学生のことまで観察する余裕はありませんでした。

    管理人 |  2017.06.25(日) 20:15 | URL |  【編集】

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