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2017.03.10 (Fri)

宮中祭祀の重要性を認識した歴代天皇 生前譲位が特例的である意味

前稿「天皇陛下の本務とは何か?」
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-374.html

にて、宮中祭祀が天皇陛下の本務であるとの専門家の見解を紹介した。


そこで、「宮中祭祀の重要性を認識した歴代天皇の存在」についての専門家の記述を探したところ、「日本は天皇の祈りに守られている」(松浦光修)の中に見つけたので、紹介させていただく。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

38頁~44頁

「皇室は祈りでありたい」

「天皇陛下のご本務」が「祈り」である、というのは、何も私が、勝手に言っていることではありません。それは、古代から現代まで、天皇陛下ご自身も、そのお近くの方々も、ずっとそう信じ、そして実践されてきたことです。

そもそも、すでに初代の神武天皇が、「天神」を熱心にお祭りされています。神武天皇が九州を出発され、いわゆる「神武東征」という困難な戦いのすえに、今の奈良県の橿原で、初代天皇として即位されたことは、昔の日本人なら、知らない人はいない話でしたが、戦後の日本人は、そのことについて何も教えられていません。

ともあれ、そのような困難な戦いのさなかでも、神武天皇は、神々に「祈り」をささげられているのです。『日本書紀』には、こういうことが書かれています。

「夢の中に天つ神があらわれ、神武天皇に、こう教えられた。『天香久山の神社の土をとって、真正な平たい土器の皿を八十枚つくり、さらに神聖な瓶もつくって、天の神々地の神々を敬ってお祭りし、また霊威のある呪いの言葉を唱えなさい。そうすれば、敵は自然に降参するでしょう』(『日本書紀』巻第三。なお、以下引用文の日本古典の現代語訳は、すべて松浦です)

そのあと、宇陀川の上流で、みずから身をひそめ、天の神々や地の神々に祈られたこともあります。橿原の地を都と定められると、宮殿の造営にとりかかられたのですが、その時、天皇は、こうおっしゃっています。

「上は、タカミムスビの神とアマテラス大神が国をさずけてくださった御徳にお応えし、下は、ニニギの命の正義と御心を広めてゆきましょう。そして四方の国々を統合して、世界の人々が家族のように仲良く暮らせる、すばらしい世の中をつくっていこうではありませんか」(同前)

そして、天皇に即位されてから四年の後、神武天皇は、こうおっしゃっています。

「私の先祖の神々は、天からお降りになり、私を見守りつづけてくださり、ずっと私を助けてくださいました。今、さまざまな反乱は平定され、天下は、なにごともなく納まっています。そこで私は、天の神々をお祭りして、先祖の神々に大きな孝行をしたいと思います」(同前)

そして、お祭りの場所を、大和の国の鳥見山のなかに設置され、先祖の神々に対してお祭りをされました。これが、現在もつづいている「皇室祭祀(宮中祭祀
」のはじまりです。
神武天皇にとって、神々への祈りは、先祖の神々への「大きな孝行」という意味がありました。現代では「孝行」と言うと、生きている両親だけに向かって行うもののように思われていますが、ほんとうは、そうではありません。神武天皇は、ご先祖である神々への「孝行」をされています。その神々への「孝行」の方法が、具体的には「お祭り」や「祈り」にほかなりません。

神武天皇がおっしゃっている「先祖の神々」というのは、アマテラス大神をはじめとする、多くの神々です。アマテラス大神のお孫さまが、地上の世界に降り立たれたニニギの命で、そのひ孫にあたるのが神武天皇です。その神武天皇のご血統が、代々”男系”で正しく継承されて、今上陛下にいたっています。ですから、神々の正統なご子孫である天皇陛下が、みずからご先祖の神々をお祭りされるというところに、”天皇の祈り”の本質もあるのです。

初代の神武天皇から第百二十五代の今上陛下にいたるまで「、皇位は一貫して男系で継承されてきたのですが、それとともに、天皇陛下の「祈り」も一貫して継承されています。たとえば、「大化の改新」で有名な大化元(六四五)年にも、蘇我石川麻呂という人が、時の第三十六代・孝徳天皇に、こういう進言をしています。

「蘇我石川麻呂の大臣が、『天皇は、まず天神・地祇を祭り鎮め、そのあと政治をすすめてください』と、進言しました」(『日本書紀』巻第二十五)

平安時代になると、薨去の清涼殿(天皇が起居される建物)の東南の隅に「石灰の壇」というものが設置されます。「石灰の壇」というのは、板敷と同じ高さまで床下の土を築き上げ、その上を石灰で塗り固めた場所です。

天皇は毎朝、起床されると体を清め、そこで「祈り」をささげられるようになります。東南の隅に設置されたのは、そこが、天皇の祖先神であるアマテラス大神が祭られている伊勢神宮の方角にあたるからです。
わざわざ板敷きと同じ高さまで床下の土を築き、そこで祈られたということには、深い意味があります。それは、太古よりつづく、”大地の上で祈る”という祈りのかたちを、平安時代にも受け継ごうとされたから、そうされたのです。
このようなかたちの毎朝の「祈り」は、少なくとも第五十九代の宇多天皇(八六七ー九三一)のころには、はじまっていたようです。宇多天皇の日記には、こういうことが書いてあります。

「わが国は神国です。ですから毎朝、四方の大・中・小の天神・地祇を拝むのです。このことは、今日からはじめて、以後、一日も怠りません」(『宇多天皇御記(寛平御記)』仁和四年十月十九日)

それ以後、この「毎朝の祈り」は、ご歴代に受け継がれ、平安…鎌倉…南北朝…室町…戦国…江戸とつづき、一度も途絶えることがなく、明治からあとは「毎朝御代拝」というかたちになり、現在もつづいています。今も毎朝、天皇陛下の代理の侍従が「宮中三殿」にお参りしているのですが、侍従がお祈りしている間は、天皇陛下も「おつつしみ」になっているそうです。

このような大切な「祈り」の伝統について、第八十四代・順徳天皇(一一九七 ー 一二四二)は、こう書き残されています。

「すべての皇居で行うことのうち、神を祭る事が、まず先であり、他の事は、すべてその後に行うものです。天皇たるもの朝から夜まで、神を敬うことを怠けてはなりません」(『禁秘抄』)

長い歴史のなかでは、南北朝という、不幸にして皇統が二つにわかれた時代もありました。そういう時代でも、というよりも…たぶんそういう時代であるからこそ、その時代の天皇は、より意識して、神々に祈りをささげられています。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



ここで、前稿で導き出した天皇陛下の職務リストを参照したい。

宮中祭祀>>国会公務≒外交公務(内閣の助言と承認によるもの)>>国内公務>>その他>私事

宮中祭祀を疎かにすること
宮中祭祀ができないこと

これは何を意味するかというと、天皇であるとする根拠が消滅するというシナリオが見えてくる。
歴代天皇が、宮中祭祀の重要性を認識しているが故に、である。



そこで、生前譲位、一代限りとした理由を考えてみたい。

秋篠宮家支持派は、皇太子に即位させるべきではないと考えている。

が、今上陛下は、生前譲位を選択され、政権は一代限りの特例法で対処しようとしている。

一代限りの特例法の意味することは何か?

安倍首相は、安倍談話の原稿もそうだったが、慰安婦問題日韓合意で相互不可逆という奇手を放った。結果、日本は、外交的に困った状況から、徐々にではあるが、脱出できそうなところに来ている。

同様に、一代限りの特例法、「日韓合意の相互不可逆」と同レベルの、意味深い言葉であることに、我々は気づかなくてはならない。

どういうことか。一代限りという意味、譲位する側もされる側も一代限りと読めるからなのである。

譲位する側は、憲法で規定された国事行為としての国会公務を譲位したいとされた。

では、憲法上の規定がなく、(皇太子はこれまで疎かにし即位後履行不可能と噂されている)「宮中祭祀」は、誰が行うのか?

ひょっとすると、譲位された後の陛下が行う??

そのために、摂政否定発言をされた??

私はそういう筋を見出すのである。


詳しくは、続編にて。

以上

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