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2016.04.28 (Thu)

教育勅語復活 世代間論争は避けられない

教育勅語復活 世代間論争は避けられない

教育勅語復活論がある。「さよならパヨク」という新刊書で、取り上げているそうだ。

千葉麗子著「さよならパヨク」を読んで
http://ponko69.blog118.fc2.com/blog-entry-3851.html

著者は、「教育勅語には、これだけで日本人の美と和とは何かが分かる、日本の心が集約されたような言葉である」としている。

復古主義的な思考回路の保守層なら誰しもそう思うだろう。
私も、そう思いつつある。


教育勅語について、明治神宮のホームページから参照しておきたい。

―――――――――――――――――

http://meijijingu.or.jp/about/3-4.html

明治天皇は明治元年、国是五箇條を神々にお誓いになり、新生日本の大方針を明らかにされました。政府はこの方針にそって、近代国家の建設には人材の育成が急務であるとして、明治5年学制を公布し、全国的に学校を設置して義務教育の制度を確立し、教育の普及に努めました。しかし当時は文明開化の風潮により洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される傾向にありました。

このような実情を深く憂慮された明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため明治23年10月30日、教育勅語を渙発されました。勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていましたが、戦後に教育勅語が排除された結果、我が国の倫理道徳観は著しく低下し、極端な個人主義が横溢し、教育現場はもとより、地域社会、家庭においても深刻な問題が多発しています。

 今こそ、私たちは教育勅語の精神を再認識し、道義の国日本再生のために、精進努力しなければなりません。


【教育勅語の口語文訳】
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

   国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

   このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

 ~国民道徳協会訳文による~

―――――――――――――――――

書いてあることは、立憲君主国ならそうあるべきだと思う。




ここで、我々は、重大いじめ事案が発覚した、あの自治体の教育方針に並んでいる、空疎な美辞麗句の数々を知らなくてはならない。

滋賀県 教育関係の構想・計画・指針等
http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/sogo/kousoutou/kousoutou.html

大津いじめ自殺事案、滋賀県の教育委員会は実に無力だった。学校側は特にそうだった。いじめを黙認した教師側の支援者ではないかと思ったほどである。実際、件の担任教師は、素性を隠し、公式の場から逃亡し続けたではないか?




では、企業社会はどうか?
東芝、三菱自工、シャープ、日本を代表する企業群である。が、どれも経営者のよこしまな?経営判断によって会社が傾いた。
東芝は、隠蔽したい赤字経営実態の隠蔽工作の引き延ばしに成功したようである。私の会社でも、そういうケースがあった。経営者が不祥事をとりあえず隠したい時、背伸びしてまで設備投資したい時、それに反対する経理部長は即日飛ばされ、それ以降、イエスマンの経理部長が30年は続くのだ。そういう中で、不祥事の芽は育つのである。不祥事が発覚するのは、最初に不祥事の芽を隠蔽して20年くらい後になるということなのだ。
シャープは、液晶事業一辺倒の大規模設備投資路線踏襲に係わる、経営者の不作為が相次ぎ、身売り同然の状況に至った。
三菱自工は、1990年代から燃費偽装が続いていたとされる。開発担当が何度も目標を改竄するのに併せ、試験実施側が追従せざるを得なかったとある。

これら企業の不祥事を主導した世代は、どの世代か?年齢的に逆算し、昭和二桁生まれ、戦後教育を最初に受けた世代によって、これら企業が没落していくのを見ているような気がする。

私は、年齢的に、80歳から65歳の世代に、この種の無責任かつ脱法的な風潮が蔓延していると見ている。現役世代に、できもしない難題を押し付けて、自分たちは役員となって退職金を満額手にしてのうのうと生きているように思えるのである。

年代階層的に、この世代、本当に大丈夫なのか?ということなのだ。




別の事例で解説しよう。先日の衆議院補選、自民候補は接戦をものにした。この補選、政治的には、大きな二つの意味があった。
首相として衆参同時選挙に踏み切れるか否か、もう一つは憲法改正に必要な議席が参議院でとれるのか?(衆議院では憲法改正に必要な議席320を自公で確保している)、である。

読売や産経の読者なら、自民候補が接戦で勝利した政治的意味くらいは理解できているはずである。

その補選、年齢的な投票動向を眺めてみたい。

http://kenpoukaisei.blog.fc2.com/blog-entry-333.html

なんと、60~70歳台は非自民支持が支配的で、若い世代になるほど、憲法改正を実現するための選挙に踏み切れるかどうかの大切な選挙であることを理解し、自民候補投票者が60%前後だったのである。

これら各階層の投票行動、どう解したらいいのであろうか?




教育勅語には、「子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。」と書いてある。

20~30歳の世代は、補選の政治的意味を理解、正しい投票行動をしたようである。

これに対し、昭和二桁生まれ世代で80歳から65歳の世代は、どのような投票行動だったのか?
政治思想的には共産主義者が多く、憲法改正に反対、外交的には中韓べったりで反米、歴史認識問題では南京虐殺、慰安婦問題を捏造だとは思わない方々が多い様である。

私には、(一部健全な愛国者はいるにしても)少なくとも「亡国世代」に思えて仕方ないのである。




この状況で、教育勅語を復活させるとした場合、何が起きるのか考えてみたい。

私は、補選の投票動向を見る限り、若者世代の方が80~65歳の世代よりもマトモな判断をしていると見ている関係で、「若者世代が亡国世代」を教育勅語的視点で見た場合、どう評価、扱うのか?知りたいのである。

「亡国世代」が、暴力革命思想に酔いしれ、国がどうなろうと、民族がどうなろうと知ったことではなく、歴史捏造を支持、企業においては不祥事を主導、選挙においては憲法改正実現できる投票行動をとろうとしない点において、これら若者世代から、馬鹿にされ罵倒され、将来的に排除されても仕方がないのではないか、と思い至るのである。




たとえば、このような「亡国世代」のために、現役世代が後期高齢者分の健康保険料負担すべきなのか?問題提起したいくらいである。

教育勅語的には、現役世代は高齢者や老人を大切にすることは当然である。倫理的にはそうだろう。

しかし、その世代の企業経営者たちは、教育勅語的には、「学問を怠り、職業に専念せず、法律を遵守しない………」者だらけだったのではないのか?
私が、遭遇したその世代の企業人の半分くらいはそういうタイプだった。それよりも一世代上の方々は、人情味溢れかつ職業人としての自覚ある、古き良き時代の人たちだったように記憶している、




はっきり書こう。最初の昭和二桁世代は、最初に教育勅語を全否定した、あるいは全否定した教育環境で育った、倫理感なき世代なのである。

その世代の人物の一例を挙げよう。
大江健三郎、本多勝一である。Wikipediaなどで言行を知ることができる。

そう考えると、国がどうなろうと、民族がどうなろうと知ったことではない、國體なんかなくていい、と考える世代の高齢者への手厚い年金制度や健康保険料は見直すべき、と言いたくなるのである。

一方で、教育勅語復活論が根強いのが、80~65歳の保守層であるとすれば、同世代の「亡国実態」に直面しようとせず、「総論で教育勅語復活論」を唱える、無邪気さ?無神経さ?を沈思しなくていいのか、私はふと思わざるを得ない。




私は、「国家消滅を待望する年寄」を大切にすべきではない、と言っているのではない。
年寄として大切にされたいなら、亡国の政治思想に被れるのは論外、次世代のことを思えばGHQに押し付けられた憲法改正に賛同するのは当然であり、

日本を永久に武装解除せよ
http://petit.air-nifty.com/citron/2008/06/post_b287.html

そういうことを主導する年寄世代であるからこそ、大切にされ、現役世代の負担によって年金や健康保険料負担が軽減されるべきと考えるのである。

逆に言うと、国家や民族がどうなろうと知ったことではない、國體なんかなくていいい、自分さえ良ければいいんだみたいな発想の身勝手な高齢者(権利意識が強い人たち)にとっては、若者層の投票結果を見る限り、居心地が悪い時代に突入したこと(孫世代から、かつて酔いしれた暴力革命思想に係わる追及を受けるという点において)は受け入れるべきであろう。




そして、孫世代は、GHQケーデイスが目論んだ、日本を永久に武装解除する目的での日本国憲法改正に反対する共産主義思想の年寄たちに対し、今の憲法のままでは孫世代以降の生存が危ぶまれること、孫世代以降の子孫がどうなってもいいと、その年寄は言うのか?孫世代は、「その年寄が国家消滅を当然だとするなら、孫世代の生存を否定している点において、葬式はおろか、墓守すら拒む権利」を有しているとする「強い決意」で臨む必要があるだろう。

もちろん、私は、教育勅語を復活させようとする場合、20~40歳の孫世代と80歳~65歳の世代間論争が避けられないこと、その論争に(道理的に)孫世代が勝利することを疑わないのである。

以上

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07:09  |  社会認識  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

Comment

世代ではなく、考え方で割れているのかもしれません

若い世代にも、シールズのような連中もいます。
亡国世代で教育勅語を重んじる人々は、同じ世代の人々を見捨てているのかもしれません。
説得出来なくても、十年の単位で考えれば、死滅するから、影響は無くなっていく。
それよりは、少子化と言えど、数を増していく若い世代との連携で現実直視派を増やした方が得と思っているのかもしれません。
それをベースに考えると、今の世の中の流れはそれに合致していると思います。
Suica割 |  2016.04.28(木) 12:47 | URL |  【編集】

Re: 世代ではなく、考え方で割れているのかもしれません

> 若い世代にも、シールズのような連中もいます。
> 亡国世代で教育勅語を重んじる人々は、同じ世代の人々を見捨てているのかもしれません。
> 説得出来なくても、十年の単位で考えれば、死滅するから、影響は無くなっていく。
> それよりは、少子化と言えど、数を増していく若い世代との連携で現実直視派を増やした方が得と思っているのかもしれません。
> それをベースに考えると、今の世の中の流れはそれに合致していると思います。

> 亡国世代で教育勅語を重んじる人々は、同じ世代の人々を見捨てているのかもしれません。
学生運動の時代から、この世に存在していないとみなしているのかもしれません。
教育勅語については、あと2稿ほど予定しております。

> それをベースに考えると、今の世の中の流れはそれに合致していると思います。
流れ的には合致しているのですが、総論的な主張を続けていていいのだろうか?ということを問題提起した訳です。
事務局 |  2016.04.28(木) 19:41 | URL |  【編集】

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