2017年05月 / 04月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫06月

2017.02.01 (Wed)

皇室秘密資産争奪戦からわかること

終戦後、米英両政府と「スイス政府、スイスの赤十字国際委員会」が、皇室財産を巡って、4年間も争奪戦を演じ、どういう経緯かはわからないが、「スイス政府、スイスの赤十字国際委員会」が勝利したことが、十数年前に報道された。



「天皇家の経済学 あなたの知らない『天皇家』のお金の秘密」(吉田祐二)から当該箇所を引用する。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

134頁

「天皇家の隠し資産」については戦後、さまざまな形で伝えられてきた。
戦後50年以上経ってから判明したものに、昭和天皇の皇后が終戦直前にスイスの赤十字国際委員会(ICRC)に「1千万スイスフラン」を寄付したという事実がある。

135~136頁
幣制13年(2001)8月、共同通信をはじめ各メデイアで報道された。ここでは『熊本日日新聞』からの記事を転載する。

赤十字に33億相当 「昭和天皇の皇后寄付」全容判明 終戦直前提示 49年、秘密裏に送金

【ジュネーブ13日共同】日本が一九四五年八月の終戦直前、スイスの赤十字国際委員会(ICRC)に対し、皇后名で一千万フランの巨額寄付を提示。連合国の対日政策決定機関である極東委員会が禁止決定を出したものの、赤十字がこれを覆して戦後の四九年、秘密裏に送金が実行された経緯が十三日、スイス政府やICRCの公文書で分かった。
寄付は横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)スイス国立銀行に保有し「日本の秘密口座」と呼ばれた「特別勘定」から拠出された。日本が皇后名で寄付を申し出た事実は英公文書で確認されているが、その動機は不明。公文書は米英両国にスイス、ICRCを巻き込んだ送金実行までの四年間にわたる「攻防」の詳細を明らかにしている。
一千万スイスフランは現在のレートで約七億円。当時と現在のスイスフランの購買力を単純比較すると約三十三億円に上る。
スイス政府は前日の十六日、米英などとの合意に基づきスイス国内の日本資産を凍結していた。特別感情におさめられていたのは「本来は米英捕虜の待遇改善を目的に送金したカネ」だとして、寄付の形で動かすことを拒もうとする米英と、寄付の正当性を主張するスイス政府、ICRCが対立した。
この紛争は四六年六月、極東委員会と連合軍総司令部(GHQ)にゆだねられた。極東委員会は同年十月「ICRCの主張に根拠はない」として送金禁止を決定。しかし、ICRCは米国の弁護士を雇い、巻き返しに成功。米国務省は四九年三月、スイス政府の裁量を認めて送金に同意、英国も四九年五月「所有権の主張」を撤回した。
(『熊本日日新聞』平成13年8月13日付)

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

既に、戦時中から秘密口座は存在していた。その秘密口座は、解釈的には、現時点において、憲法8条の規定そして皇室経済法の適用対象外(GHQが関知していなかった点において)ということになるだろう。(解釈として!)

―― 参考情報 ――――――――――

皇室秘密資産が発生した経緯について
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-323.html

―――――――――――――――――

この記事、非常に、読み応えあるというか、非常に含蓄に富んでいる。この記事を書いた記者はかなりやり手とみていい。

スイス政府の外交的実力、私は知らない。が、皇室財産争奪戦で米英政府に勝利した。
皇室財産は、スイス政府を必死にさせるほどの金額だったのは、対応経緯的に間違いない。


不思議なことに、あれだけ各国をマメに訪問する安倍首相が、なぜかスイスを訪問しない。スイス首脳との会談もほとんどない。理由はわからない。

そのスイスに、1年前に、安倍首相のブレーン、本田悦朗がスイス大使として転出した。

―― 参考情報 ――――――――――

安倍首相の経済政策ブレーン、スイス大使に異例の転出 本田悦朗内閣官房参与
http://www.sankei.com/politics/news/160311/plt1603110032-n1.html

―――――――――――――――――

本田大使は、小和田某の悪事を知らされ、その処置に動いた可能性がある。
それ以前は、どうだったか?野放しだった???ということになるかもしれない。


私は、スイス政府の外交的実力を侮っているのではない。米英両政府相手に、かような経緯で4年間も争奪戦をやって、外交的実力があるのかないのかはっきりしない、スイス政府の裁量が通った経緯において、どんな「政治力」が働いてそうなったのか?考えてしまうのである。

安倍首相がほとんど外交対応しない、スイス政府が本気を出して、米英政府に外交的に勝利した、政治力が一体何物なのか、分析・特定したい気になったのである。

上述の記事は、「米英両政府に外交的に勝利しうる存在」を暗示しているのである!

米英両政府は、「米英捕虜の待遇改善を目的に送金したカネ」だと解釈して、皇室財産を簒奪しようとしたようだ。
不思議なのは、「ICRCが米国の弁護士を雇い、巻き返しに成功した」ことである。一介の弁護士にそんな芸当ができるのか?肩書は弁護士であって、米英両政府の上に君臨する方、すなわち、ロックフェラーでもなく、ロスチャイルドでもなく、ロンドン・シテイでもなく、スイス銀行頭取でもない、世界規模での各界の問題について調整力を託されている方に、この弁護士は国際法の法理を駆使、相談、最終的に米英両政府が折れざるを得なかったと、私は推定する。


世界規模での各界の問題について調整力を託されている方とは、肩書を書かなくてもわかるだろう。

今も昔も、ただ一人、おられる方である。銀行業務も兼ねておられる。

そこに寄付すれば………………ということではないかと。


ここで、靖国神社とGHQとの関係を参照したい。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE

戦後、GHQは1945年12月15日に神道指令を発布した[37]。
1947年11月には日本遺族厚生連盟が発足、1953年には日本遺族会へと発展した[37]。
戦後は、政教分離政策の推進により靖国神社は国家管理を離れて宗教法人となり日本政府との直接的な関係は無くなったものの、軍人を祭神として祀る点や公職に就く者の参拝とそれに伴う玉串料の奉納等が批判され、様々な問題が生じている(詳しくは「靖国神社問題」を参照)。
靖国神社の存続とカトリック教会[編集]
「パトリック・バーン」を参照
終戦後も靖国神社が存続したことについて、以下のような逸話が語られている[38]。戦後に日本を占領したGHQは、1945年(昭和20年)、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立てていたが、賛否両論が巻き起こり収拾が付かなくなっていた。そこでローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter、英語読みでビッターとなっている場合あり)神父とメリノール宣教会のパトリック・バーン神父に意見を求めることになった(しかし、逸話と異なり、実際はビッテルは上智大学の学長になったことは一度もなく[注 10]、占領期の教皇庁の代理人でもなかった。日本における教皇庁の代理人は駐日教皇使節パオロ・マレーラであった[39])。ビッテル神父は「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない。」「靖国神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である。」[38]と述べ、次の言葉で締め括った。
「靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。」
この進言により靖国神社は焼き払いを免れたという[38]。バーン神父もビッテル神父と同趣旨の進言をした。さらに1951年(昭和26年)、ローマ教皇庁はあらためて1936年(昭和11年)の「祖国に対する信者のつとめ」訓令を再確認している[36]。
マーク・R・マリンズは、こうしたカトリック神父らが靖国神社を救済したという通説は「半分だけ真実」であり、当時の資料からははるかに複雑な経緯がみられると指摘している[39]。通説に反して、GHQは、1945年(昭和20年)、靖国神社を焼き払いドッグレース場を建設する計画を立ててはいなかった。米国国務省は1944年3月15日付けの覚書「日本―信仰の自由 Japan: Freedom of Worship」[40]で、次のような勧告を行っている[41]。
「. . . 第三は靖国神社や明治神宮、乃木神社のような近年設立された国家的英雄を祭る神社である。第三の類型に属する神社は、軍国主義的国家主義精神を鼓舞する神社であり、日本政府も、宗教ではなく愛国主義の表現形態であると繰り返し主張しているのであるから、仮に閉鎖を命じても信教の自由に抵触はしない。ただし、現実的政策としては、国家主義的神社にあっても、強制的閉鎖は逆効果を招く恐れもあるので望ましくない。公的秩序や安全保障に反しない限り、個人的信仰の対象としては公開存続を許されるものとする。」[42]
そして、神社の本質とその将来に関する決定をする前にキリスト教の宣教師に相談することを推奨している。マッカーサーはその推奨に従ってビッテルとバーンに接触した[39]。ビッテルとバーンが占領期の初期に靖国神社存続のために懇願を行ったことは事実であり、両神父は1945年(昭和20年)8月後半から10月にかけて靖国神社を含め様々な問題に関してマッカーサーに個人的な手紙を何通も送り、何度も会い、GHQのスタッフと常時連絡をとっていた[39]。しかし、靖国神社存続問題に関してはビッテルとバーンの介入の効果は取るに足らないものであり、占領期の終了間際まで靖国神社の存続は確定していなかった[39][42][43][44]。ビッテルとバーンは、靖国神社は宗教的崇拝の場ではなく愛国心を表明する市民的儀礼の場であるという(ローマ教皇庁の1936(昭和11)年の訓令に沿う)立場から請願を行ったが、最終的に靖国神社が存続を認められたのは、その宗教的本質がGHQの民間情報教育局(CIE)の宗教課に承認されたためであった[39]。信仰の自由の原則の確立を日本政府に要求したGHQは、宗教的な場である靖国神社を廃止してその原則に自ら違反することを避け、1951年(昭和26年)9月12日の指令「宗教団体使用中の国有地処分に関する件」[45]で他の宗教団体と同様の条件のもとで靖国神社の存続を認めた[39][42]。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


3つの事実に着目したい。

―――――――――――――――――

・ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったブルーノ・ビッテル神父の1945年(昭和20年)年の進言
・(1937年、ローマ教皇庁福音宣教省から日本布教区域として京都府と滋賀県を指定を受けた)パトリック・バーン神父は、ビッテル神父と同様の趣旨の進言をしたこと
・ローマ教皇庁が1951年(昭和26年)年に行った、1936年(昭和11年)の「祖国に対する信者のつとめ」訓令の再確認

―――――――――――――――――

実は、私個人は、聖職者割引みたいなスキームがあることを、ある国で知った。旅行代理店は、私に聞いた。「神を信じるかと」。その店で、私は、格安券が手に入る旅行代理店への道順を教えられ、数分後に立ち寄ったその店で、どこどこのご紹介と語り、通常価格7万円のところ3万円で往復の飛行機切符を手に入れたことがある。どうやら、私は布教目的で渡航する人物と扱われたようなのである。

さて、ビッテル神父所属の上智大学は、イエズス会直系、すなわちローマ教皇庁管轄。(あの山本正は上智大学出身。http://blog.goo.ne.jp/duque21/e/6b1ff67dd92413c1e8a691df8e956336


彼らが動く動機、普通は2つある。一つは寄付、一つは布教協力、どちらかである。

同時期、「スイス政府、スイスの赤十字国際委員会」が財産争奪戦で米英両政府に勝利した。靖国神社も廃社を免れた。
国内的には、同時期、葦津珍彦の奮闘があったことは確かだ。

―― 参考情報 ――――――――――

葦津珍彦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%A6%E6%B4%A5%E7%8F%8D%E5%BD%A6

―――――――――――――――――

また、同時期、1948年に聖心女子大が設置(現在の聖心会総本部はイタリア・ローマ、皇后の出身大学)、1953年国際基督教大学(キリスト教長老派、宗派的にはスイス起源?)が設置。

すなわち、米英両政府と「スイス政府、スイスの赤十字国際委員会」が繰り広げた、皇室財産の争奪戦

調整役を託された、世界にただ一人しかおられないお方は、

皇室に対し

寄付、ミッション系の大学設置による布教拡大への協力、皇太子妃の出身学校の選定という条件を示し、皇室財産保全(秘密資産化のための?)スイスの赤十字国際委員会への寄付について了承

その結果、米英両政府が折れざるを得なかった、のではないかと推定するのである。


すなわち、皇室秘密資産の一部は、その保全のため、そして國體護持のために使われた可能性を指摘するのである。

そう考えると、

(以下に書くことは、とって付けたもっともらしい屁理屈と言われるかもしれないが)

秋篠宮家の眞子様、佳子様が相次いで、国際基督教大学にご進学されたこと
秋篠宮家が、昨年、皇室としては23年ぶりに、ご夫妻でバチカンご訪問されたこと
バチカンご訪問の際、秋篠宮家の紀子様が、水色の和服・洋服(トランプ婦人、ケネデイ婦人とも就任式の服装は水色)を着用されていたこと
ローマ法王と対応された、和服姿の紀子様、うっすらと涙を浮かべられていたことが画像から確認できること(しっかり見れば気づくこと!)

など、昭和天皇崩御から30年近い月日を経ても
すべては「一つの太い『意図』」によって託され、今日に繋がっているような気配を感じる。

ここで、「日本が一九四五年八月の終戦直前、スイスの赤十字国際委員会(ICRC)に対し、皇后名で一千万フランの巨額寄付を提示」という史実を思い出したい。

平成12年に崩御された香淳皇后が、皇室の安寧を願い、「もしもの時の頼みの綱」いや「最後の手段」として、しかるべきタイミング(眞子様25歳の年?)に、何かを、しかるべきお方に、託された可能性はないのか、そう私は思いつつあるのである。


以上

参考画像
―――――――――――――――――
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160512-00000033-jij_afp-int
バチカン訪問1

http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/5050530.html
シスチナ礼拝堂
関連記事

テーマ : 海外ニュース - ジャンル : ニュース

19:32  |  皇室  |  トラックバック(0)  |  コメント(8)

Comment

・国際基督教大学はプロテスタントで、バチカンとの親和性がないので、今回、ブログ主様が提起された問題と、どうかかわるのか、よくわかりません。
・ただ、同大学の設立には高松宮殿下も深く関与されていること、および、昭和天皇の崩御の折、同大学がフェリス女子大と共に昭和天皇を激しくののしったことにも関わらず、秋篠宮眞子様・佳子様が国際基督教大学に進学されたことに鑑みれば、何かがあるのでしょうか?
不良定年 |  2017.02.02(木) 10:33 | URL |  【編集】

Re: タイトルなし

> ・国際基督教大学はプロテスタントで、バチカンとの親和性がないので、今回、ブログ主様が提起された問題と、どうかかわるのか、よくわかりません。
> ・ただ、同大学の設立には高松宮殿下も深く関与されていること、および、昭和天皇の崩御の折、同大学がフェリス女子大と共に昭和天皇を激しくののしったことにも関わらず、秋篠宮眞子様・佳子様が国際基督教大学に進学されたことに鑑みれば、何かがあるのでしょうか?


シナリオに過ぎませんが、こういう動きがあったのではと推定しております。
スイス政府は、宗教チャンネルを駆使して、世界にただ一人しかおられない方に「調整」をお願いする一方、
、米英各国に対しては、スイス起源のカルバン派を源流とする長老派教会チャンネル(詳しくは、長老派教会のWikipediaにてご確認ください)を駆使して、政治力を行使し、4年にわたる争奪戦に勝利した可能性を指摘します。結果として、長老派教会チャンネルが皇室に布教拡大に係わることを打診した?

スイスの宗教

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9#.E5.AE.97.E6.95.99

スイス国民が信仰する宗教は、カトリックが人口の約43%、プロテスタントが約35%と、この2つでほとんど大部分を占める。他には、イスラム教が約4%、正教会が約2%、ヒンドゥー教、仏教、ユダヤ教などが、各1%未満であり、約11%が無宗教となっている。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%80%81%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A

長老派教会(ちょうろうはきょうかい、英語: Presbyterianism, Presbyterian Church)は、キリスト教のプロテスタント、カルヴァン派の教派。長老教会、長老派とも訳される。




以下勝手な推論。
書き過ぎかもしれませんが、国際基督教大学の設置にあたって、高松宮の名前が出てくるのは口座秘匿成功の御礼として設立に取り組んだ?
同時に、設立に際してマッカーサーの名前が出てくるのは、皇室財産100%国有化に失敗し、憤慨しているであろう気持ちをなだめるため?
事務局 |  2017.02.02(木) 12:24 | URL |  【編集】

ブログ主様の論説を読み返した折、昔、なにかの雑誌で、「世界各国の諜報機関のうち、一番優秀なのは、スイスの諜報機関だ!永世中立を堅牢に維持するためには、絶えず、各国の最新情報を正確にかつ早く入手しなければならないからだ」という趣旨の記事を目にしたことを思い出しました。スイスが、われわれ一般国民が思っている以上に重要な国であれば、スシス大使に任命された御仁は、全て、大物外交官だったのでしょね。
不良定年 |  2017.02.02(木) 13:07 | URL |  【編集】

Re: タイトルなし

> ブログ主様の論説を読み返した折、昔、なにかの雑誌で、「世界各国の諜報機関のうち、一番優秀なのは、スイスの諜報機関だ!永世中立を堅牢に維持するためには、絶えず、各国の最新情報を正確にかつ早く入手しなければならないからだ」という趣旨の記事を目にしたことを思い出しました。スイスが、われわれ一般国民が思っている以上に重要な国であれば、スシス大使に任命された御仁は、全て、大物外交官だったのでしょね。

諜報機関が一番優秀という意味は、世界支配者が直轄管理する国?
米英政府首脳は、スキャンダルネタで降参した?

それにしても米英相手に4年も粘って勝てるスイス、大したものです。
事務局 |  2017.02.02(木) 17:21 | URL |  【編集】

ブログ主様、度重なる訪問、ご容赦下さい。

こういう文献があります。
http://www.shinchosha.co.jp/book/603772/

不良定年 |  2017.02.02(木) 19:16 | URL |  【編集】

Re: タイトルなし

> ブログ主様、度重なる訪問、ご容赦下さい。
>
> こういう文献があります。
> http://www.shinchosha.co.jp/book/603772/

なるほど、これで納得しました。
ありがとうございます。
事務局 |  2017.02.02(木) 19:42 | URL |  【編集】

スイスでの冷遇

平成26年に、日本とスイスの国交樹立150周年記念に皇太子がスイスを訪問しましたが、その際のスイス側の冷たい対応が話題になりました。 皇室の秘匿事項に関しての情報をとっくに持っていたからこその、あの冷遇と思えば納得します。 もちろん不作法な皇太子への嫌悪もあったのでしょうが。
ナナ |  2017.02.03(金) 13:58 | URL |  【編集】

Re: スイスでの冷遇

> 平成26年に、日本とスイスの国交樹立150周年記念に皇太子がスイスを訪問しましたが、その際のスイス側の冷たい対応が話題になりました。 皇室の秘匿事項に関しての情報をとっくに持っていたからこその、あの冷遇と思えば納得します。 もちろん不作法な皇太子への嫌悪もあったのでしょうが。


そういうことがあったこと知りませんでした。
参考とさせていただきます。
事務局 |  2017.02.03(金) 18:53 | URL |  【編集】

コメントを投稿する

Url
Comment
Pass  編集・削除するのに必要
Secret  管理者だけにコメントを表示  (現在非公開コメント投稿不可)
 

▲PageTop

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/tb.php/324-05d96659

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲PageTop

 | HOME |