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2016.04.17 (Sun)

新聞は戦争(ビジネス)の旗振り役だった!?

戦前の話であるが、新聞が、戦争(ビジネス)の旗振り役を担っていた時代があるようだ。「教科書には載っていない 大日本帝国の真実」(武田知弘)から、当該箇所について、転載させていただく。

この本に書かれている、3つの事実から、「新聞が戦争(ビジネス)の旗振り役を担った」と結論づけることが可能と考える。

その三つの事実とは

●日露戦争で新聞各紙は販売部数を伸ばした
●多くの新聞が、日露戦争での講和を望まず戦争継続を煽った
●在郷軍人会の不買運動以降、新聞が軍部批判をしなくなった

である。

以下、各論。

●日露戦争で新聞各紙は販売部数を伸ばした

―――――――――――――――――

155~156頁

大日本帝国の戦争責任というと、槍玉にあげられるのは軍部である。だが、忘れてならないのが当時の新聞の存在だ。
大日本帝国時代の新聞は、戦争を煽るような報道を行っていた。言論統制によってそうせざるを得なかったから、ではない。言論統制が敷かれる前から、好戦的な記事を書きまくってきたのである。
戦前の新聞というのは、現在よりもずっと世論に対する影響が大きかった。当時はまだテレビの放送は始まっておらず、ラジオ普及率が50%以下だった。国民のほとんどは、社会の情報を新聞から得ていたからである。
日本の新聞の発祥は、明治3年の横浜毎日新聞だとされている。その後、新聞は急激に発行部数を伸ばしていく。明治31年には大阪毎日新聞が10万部に到達。萬朝報は9万部、大阪毎日新聞が8万部、東京朝日新聞が4万部となった。
その後、新聞は日露戦争と第一次大戦を境に、さらに部数を激増させていく。

          日露戦争前   日露戦争後
報知新聞     8.3万部      30万部
東京朝日新聞  7.4万部      20万部
大阪朝日新聞 10.4万部      30万部
大阪毎日新聞  9.2万部      27万部


日露戦争では各紙が特派員を戦地に派遣し、通信のための船をチャーターするなど、取材競争が激化した。また「新聞の号外」が世間に認知されるようになったのも、日露戦争の頃である。各紙が号外を濫発し、朝日新聞などは1日に5度も号外を発行したことがあった。
また、戦争中は、各新聞社がこぞって戦捷会なるものを開催した。これは一種のお祭りで、日本軍が戦いに勝つたびに、日比谷公園から皇居まで提灯行列を行うのである。東京では日露戦争中に、58万6000人もの人々が行列に参加したという。

―――――――――――――――――


●多くの新聞が、日露戦争での講和を望まず戦争継続を煽った

―――――――――――――――――

156~157頁
日露戦争では、賠償金がない講和条約が結ばれた。そのことに反発した国民の一部が暴徒化、日比谷公園などで焼き討ちが行われた。大手新聞社そうした状況に「講和反対」を掲げ、戦争の継続を要求した。そんな中、大手新聞の一紙である國民新聞が「講和歓迎」の論説をはる。
すると暴徒は国民新聞を襲撃、社員に負傷者が出るなどの被害を受けることになったのだ。
講和反対を訴えた大手新聞には、政府から発行停止などの処分が下された。だが、それが却って国民の支持を得て、部数を飛躍的に増加させた。
この事件は新聞の経営に大きな影響を与えることになる。
「威勢のいい好戦的な記事を書けば、新聞が売れる」この一件で味をしめた新聞各紙は、その後、満州事変から太平洋戦争まで好戦的な記事を書き続けるようになる。

―――――――――――――――――

●在郷軍人会の不買運動以降、新聞が軍部批判をしなくなった

―――――――――――――――――

158~159頁

ある事件を境に、新聞は一切、軍の悪口を書かなくなった。政府や軍によって報道規制がされたからではない。新聞社が自発的に書かなくなったのだ。
その事件とは、朝日新聞の不買運動である。
満州事変が起こった頃、朝日新聞は軍に対して批判的な記事を書くことが多かった。
たとえば、東京朝日新聞は昭和6(1931)年8月5日、「満州問題が軍人の横車に引きずられて行くを許さぬ」と書いている。同月8日には、大阪朝日新聞が「軍部が政治や外交に嘴を容れ、これを動かさんとするは、まるで征夷大将軍の勢力を今日において得んとするものではないか」という記事を載せた。
当時、満州では日本と中国が厳しく対立しており、一触即発の状態にあった。朝日新聞はそこで軍部が独走し、暴走しないよう牽制の意味を込めて載せたのだろう。
だが、そうした記事を載せたことで朝日新聞は大変な目に遭うことになる。軍の支持者によって、各地で不買運動がおこったのだ。
まず最初に動いたのは、満州にいる日本人の団体「満州青年連盟」だった。中国による反日運動に苦しんでいた連盟は、朝日新聞の不買を開始。すると運動は内地にも飛び火し、香川県の善通寺などの軍都を中心に西日本で拡大していくことになった。
なぜ、それほど不買運動が広まったのか。
理由は朝日新聞の記事が、「在郷軍人会」の怒りを買ったからである。
在郷軍人会とは戦前の日本に存在した団体で、おもに現役を離れた軍人らによって組織されていた。昭和6年頃、在郷軍人会には全国で約260万人の会員がいた。それに現役兵やその家族を加えると、軍に関係する者は1000万人を超える。当時の日本の人口は約7000万人だったため、朝日新聞は最大で総人口の7分の1を敵に回すことになったのだ。

朝日新聞は当時、毎日新聞との間で激しい部数争いをしていた。そのため、朝日の不買運動が起こった地域には、即座に毎日新聞が部数獲得に乗り込んできた。それを見た朝日は、軍と”手打ち”をする覚悟を決める。そして同年10月、重役会で「満州事変を支持する」という決定がなされると、以降、軍を批判する記事は一切載せなくなった。

―――――――――――――――――

この他に、ゾルゲ事件の舞台になったのも朝日新聞だった。ゾルゲは、対ソ戦ではなく対英米戦争を仕掛ける謀略みたいなものだったが、朝日新聞は、大東亜戦争開戦を決意させた報道機関の代表格と言えるだろう。

また、これらの事実から、新聞業界の体質について書くとすればこうなるだろう。

新聞業界は

戦前は戦争ビジネスの旗振り役
戦後は戦後レジームの護り神みたいな役

を務め、時の支配層(戦前は政府、戦後は中共や韓国)に尻尾を振り、どちらに転ぼうが責任をとらない(とろうとしない)実にお気楽なビジネスであることだ。

そして、戦前にせよ戦後にせよ、国家に災いをもたらす存在であったものが大部分であるがゆえ、憲法改正云々にかかわらず、マスコミを規制し、処罰する法律を法制化する必要があることを指摘し、本稿を終える。
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