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2019.01.24 (Thu)

「心構え」が必要なのは「言論人」の方なのではないか

「心構え」ができている人、できていない人に対する評価は、人それぞれ。
私は、私の価値判断を読者に押し付けるつもりはない。


本稿、心構え的に未熟な言論人が増えていることを危惧した、言論人を対象とした「心構え論」
政治に関心を持ち始めた過去十年間の間、味方だと思ってきた言論人から、心構え論的な話ばかり聞かされてきた。本当にウンザリしている。

本稿は、暴論かもしれない。が、心構え的にいい加減な言論人が増えているようなので、書かざるを得ない。
本稿は、特定の言論人を誹謗中傷することを意図していない。あくまで心構えとしてどうか、さんざん聞かされた「心構え論的視点」で論点整理を試みたものである。




■仕事に対するそもそもの心構え

民間企業的発想で言うと、給与とはやりたくない仕事をやったことに対する報酬であると思っている。学者たちは、「学問の自由」という原則論に護られ、やりたくない仕事をした経験がないため、苦労知らずの人が多い。また、学者たちは、法律を知らない。特に知らなすぎるのは、業界法。業界法と許認可実務の関係を知らなすぎると言いたい。
たとえば、本省の課長からのそれなりの企業役員に対する電話通報によって、それなりの企業の役職者が合理的根拠なしに左遷される実態が各業界であったことを知っているのであろうか?これは、官尊民卑の悪しき実態の一例である。
仕事らしい仕事をしていない、文系大学教官たちに、労働力不足対策を(仕事上の義務として)検討させたり、人手不足の介護事業に転職を促すことは国家経済的に必要ではないか。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1266.html

文系学者(特に移民、労働問題を扱う人)も対応に当たらせる

組織構造の見直しなど、移民受け入れを阻止(もしくは制限)する術を講じる必要がある為、ある程度文系学者(労働問題、移民問題を取り扱える人)らにも対応策を考えさせるように、「仕事をさせる」必要があるのではないかと思います。

文系と言っても社会的需要によって「教官ポスト」の「増減」を必要があると思います(特殊な人間にしか分からない上に、需要も少ない分野(文学、芸術など)で、無意味に教官ポストを増員する必要性が無い為)。

役に立たない(学問的な活動をしていない、能力がないと思われる)文系学者の大量リストラを兼ねて、これらの分野の増員を図るわけですね。

西 | 2019.01.17(木) 02:40 | URL |

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

似たようなことは、ジャーナリスト、マスコミ界で仕事をしてきた人たちに当てはまることである。
はっきり書くと、彼らは訓練不足なのかもしれないのである?!




■原稿内容に係わる心構え

櫻井よしこなど、名の知れた言論人の作文は一様に流麗。文章的には素晴らしいものの、内容がない。だから具体的にどうなのか。手段、手順、計画について決して語ることはない。流麗な文章に愛国官邸スタッフが心動かされたにせよ、稟議書として起案するにふさわしいキーワード、シナリオを見出すことは稀だ。

麻生副総理は、新聞を金を払って読む必要がないとしている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019011400638&g=pol

麻生氏が新聞批判「読む人の気が知れない」
2019年01月14日19時54分

 麻生太郎副総理兼財務相は14日、福岡県直方市で講演し、4月の同県知事選に関連し「(県内で)伸びているのは福岡市だけ。行政としていかがなものか」と述べ、3選を目指す小川洋知事の県政運営に疑問を呈した。その上で「私の言っていることを新聞記者は(2016年の)衆院福岡6区(補選)の恨みつらみと書いている。その程度の分析力だ。そんな新聞にお金を払って読んでいる人の気が知れない」と述べた。

【点描・永田町】“元悪代官”大島議長の警鐘

 16年10月の福岡6区補選をめぐっては、麻生氏らが支援した候補について小川知事が中立の立場を貫き、応援しなかったことから、両氏の関係が悪化したとみられている。(2019/01/14-19:54)

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

新聞で読む論説記事、そもそも金を払って読むほどの価値がある内容なのか、疑うレベルのものが多い。新聞記事で一番読む必要がないのが、ジャーナリスト・大学教官が書いた論説記事であると思っている。法律を知らず(業界法)、実務を知らない(官界、民間企業)人に、世の中の仕組みを変えるにノウハウがあると思えない。



■批判についての心構え

ある言論人が、家庭内暴力事案で逮捕されるに至った事案があった。この事案について、「他人の不幸は蜜の味」的感覚で、馬鹿丁寧にツイッターで繰返し拡散活動されていた言論人がいた。
私は、この行為のせいで、いまだにこの言論人の言動には、裏があるのではないかと勘ぐっている。
批判するなら、合理的根拠と合理的な理由を示し、客観的に書くべきことだ。執拗な個別批判は、批判した側に跳ね返るということ。



■塾を開催する場合の心構え

塾の名は、間違っても諸外国が使う蔑称を用いてはならない。また、塾を名乗る以上、教えることが、初心者レベルであってはならない。当然の事ながら、あちこちでちょろまかしをやるような人が「日本の心」みたいなことを語る資格はない。




■批判スキルしかない言論人に対する心構え

批判だけし、あるいは問題提起だけしておいて、後始末しない言論人が増えている気がする。
在日特権問題が該当するはずだ。
煽動家と言われないためにも、扱った事案についてねちっこくかつ誠実に扱うべきだ。
こじれつつある日韓の外交関係について、名のある言論人で、具体的制裁措置について言及した人は何人いたのか?
そのうえで、制裁なしで日韓が外交関係維持する場合の条件をどうするのかの言及もないようだ。
私は、あの大統領の弾劾と訴追が、制裁なしとすることの条件とすべきと思う。
とにもかくにも具体的内容が伴わない言論活動には幻滅しつつある。



■大学中退の言論人に対する心構え

どうも言論人の中に、大学中退者が続出している気がする。社会人の評価として、大学中退は、普通一般的には致命的である。地道にコツコツやることを嫌う、我慢が足りない人物と評価される。
大学中退者は、そういう評価とならないために、我慢が必要である。ヤンキー先生は、いい手本となるはずだ。



■職歴が中途半端な人に対する心構え

人生、定年まで勤めあげるべきだとは思わない。70歳を定年とする企業に勤めても、残り少ない老後は抜け殻みたいな人生になってしまう気がする。ただ、職歴において中途半端なことは問題だと思う。仕事上、こんなことをやったという武勇伝の一つや二つは必要なことだ。
もちろん、言論人として、政府委員みたいな仕事を途中で投げ出したりすることは、特に問題視されるべきこと。
悪くとると、我慢が足りない、建前が理解できない、業界法等、法律が理解できない未熟な社会人と思われてしまうからである。



■早口が止まらない言論人に対する心構え

演説の弁士などで登場される有名な方の中に、早口で喋りだすと止まらない方がおられる。政治の世界では早口はご法度。有名な政治家であればあるほど、簡明な言葉でゆっくりと喋る。サッチャーやレーガンの演説は特にそうだった。大嫌いな政治家、石破茂でさえ自民党総裁選ではそう振る舞ったことを参考としたいものである。



■肩書表記に関する心構え

結構な数の歴史書を書いた、渡部昇一は、晩年、歴史書のまえがき、あとがき等において、自身は歴史の素人であるとことわって書いている。あれだけ多量の歴史書を出版している、倉山満でさえ、自身の肩書について、精緻に規定している。

―― 参考情報 ――――――――――

肩書を追加します
https://office-kurayama.co.jp/?p=3515

―――――――――――――――――
歴史家であると自称するなら、この謙虚さを見習うべきだ。




■公私混同についての心構え

肩書を得たならその肩書にふさわしい言動を心がけるべきだ。これは常識である。
代表を務める団体組織の公式HP等において、汚い私語が並んでいるのをみると、この代表者は公私の区別がついているのか、いささか心配になる。要するに、子供っぽい人という評価となる。
そもそも社会に貢献する目的での、公的肩書を得たなら、その団体の活動目的に沿った、「オフィシャルな言葉遣いでの言動」を心がけることは、ビジネス社会の常識と思う。公的肩書を得た以上、言論活動上の持ち場(分野)をコロコロ変えることは、軽薄な人物であることを意味する。その点、日本会議関係者は、余計な言動はしないように見える。



■本を書くにあたっての心構え

本のタイトルは、身の丈にあったものにすべきだ。どの分野であれ、実力も実績もない人が、公的機関がつけるようなタイトルをつけるべきであろうか。普通は、出版社の編集者が著者に咎めることである。
特に、歴史を扱う場合、内容的に、歴史書として扱われるべきなのか小説なのか、はっきりしないのは入り口論的に問題である。小説ならば、タイトルに「小説、、、」とつけるべきだし、エッセイなら、副題にて「、、、に係わる私見」などと付記すべきだろう。
また、諸外国との外交関係悪化に伴い、自国不利となるようなタイトルの本は、どう扱われるべきであろうか。韓国側に非がある事案で韓国政府の各階層が日本に謝罪を求めつつある状況において、「謝ろう」などとする趣旨の本は販売されるべきものであろうか?
心構えがしっかりしている言論人なら、進んで自国民を惑わせるようなタイトル、自国が不利となるようなタイトルを敢えてつけるはずはない。



■歴史書を書くにあてっての心構え

歴史書を書きたいなら、似たような内容の歴史家の本を参考文献として示すのは当然のこと。特定の時代にこだわって書きたいなら、歴史学の基本を押さえないと、歴史の素人と批判されることになる。
結構な数の歴史書を書いた、渡部昇一は、晩年、歴史書のまえがき、あとがき等において、自身は歴史の素人であるとことわって書いている。遺作の「渡部昇一の少年日本史」のまえがき、あとがきも実に謙虚な書きぶりだった。私は、渡部昇一を尊敬している。
歴史書を書きたいなら、歴史書、ノンフィクション、小説の違いを分かっていて書くのは当然のこと。

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■後世に語り継がれるベストセラー本を目指すための心構え

本において、「まえがき、あとがき」の書き方は重要と思う。渡部昇一は、まえがき、あとがきを念入りに書いた言論人だし、どの本を読んでもなるほどと思うようなウンチクが、まえがき、あとがきに書いてあった。
渡部昇一の本を読む楽しみはそこにあった。
話題となったベストセラーの本のまえがき、あとがきはどうだったであろうか?
どれも薄っぺらい内容だらけのものではなかったのか?もちろん、小説を書く場合は、まえがき、あとがきは重要視されない。
困ったことに、「小説の如く書き綴り、実話小説として、事実である」と、とある本の著者たちは主張されている。

―― 参考情報 ――――――――――

「不死身の特攻兵」佐々木友次さんの悲劇はいつになったら歴史書レベルになるのか?
http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-607.html

―――――――――――――――――

が、こんな書きぶりでは、後世の歴史研究者を迷わせるだけである。司馬遼太郎が書いたものを歴史書だと勘違いされる方が今だに多いようだが、あれは、「歴史上の人物を素材とした小説」である。歴史書ではない。





まとめに入りたい。

政治に関心を持ち始めた過去十年間の間、味方だと思ってきた言論人から、心構え論的な話ばかり聞かされてきた。
対して、拙ブログは、「官界での稟議書の起案行為を想定」した、方法論に係わる提言ものを増やそうとしている。戦後政治を変える(=戦後レジーム脱却を加速させる)ためである。

方法論なき心構え論は聞き飽きた。
方法論なき言論人の話もたくさんである!

言論界が不毛な原因、なかなか結果を出せない根本的な理由、ほとんどは言論人それぞれのの心構えの次元の問題から発生しているためではないのか。

「心構えを語る言論人」というのは、裏返すと「語れるものが心構えしかない」ということなのではなかろうか。

以上
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