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2018.10.05 (Fri)

憲法9条改正  「自衛隊条項追加」が妥当だとする二つの説

石破茂が総裁選挙期間中に、国民各層の合意形成が難しいと予想されるにもかかわらず、9条2項廃止論をぶち上げた。
この主張については、マスコミ・反日野党勢ぞろいした状況での政権批判を誘導、憲法改正発議に向けた国会審議の混迷、国民投票での改憲派の敗北など、正攻法で進めば進むほど政権打倒を意図したものであろうとの見方がある。

倉山満は、「軍国主義が日本を救う」という本の中で、政治的状況によって立ち位置をころころ変える「改憲派を装う憲法学者」の存在を指摘している。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

286頁

言論界で気をつけないといけないのは、改憲論を言っているから必ずしも保守とは限らないということです。
ある高名な大学教授などは、改憲ができないことを見越して、「解釈変更ではダメだ。憲法改正をしろ」と訴えたりしています。こうやって常に現実的な提案を潰しに行くのです。一見、正論や理想論を言ったりしているように見えて、現実的な正論が出た時には潰すということをやっているのです。

つまり、護憲論が主流の時には改憲論を言い、改憲ができない解釈変更という流れになったら改憲を叫ぶという手口です。
ちなみにこの人は、保守が改憲論を唱えるものの護憲論がまだ強かった時期には解釈変更を訴えていました。誰とは言いませんが、小林節慶應大学名誉教授のことです。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

石破茂は、「改憲派を装う護憲派」の可能性は十分にある。

小林節のやり方をマネすれば、二通りのスタンスをとることは可能である。

首相が9条改憲を表明すると、実現がもっと難しい2項削除、国防軍創設を口にし
首相が今は改憲は無理だと表明すると、一般論で改憲に臨むべきだと正論を語ることで保守の改憲の急先鋒を演じる可能性がある。

そういう意味で石破茂の主張は、立ち位置的に怪しいと見るのである。

それだけではない。現段階で実現不可能と予見される「9条2項削除」にこだわらなくても、首相が表明する「自衛隊条項」追加だけで、解釈的にそれなりに対応可能との見解として、二つの説存在していることを知った。

一つは、「これまでの政府解釈を積み重ねた前提での解釈」、もう一つは「国際法、大西洋憲章、国連憲章を関連づけ、戦後の歴史的経緯を踏まえた包括的な解釈」である。

一つ目の説を読んでみたい。


・政府解釈経緯を軸とした解釈

自民党磯崎陽輔議員の見解。

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http://isozaki-office.jp/


憲法9条2項問題とは何かNew!(8月31日)

 9月7日には自民党総裁選挙が公示されますが、大きな論点の一つである憲法改正について、国民の大多数が支持する自衛隊の保持を憲法に規定するに当たって、現行憲法第9条第2項を削除すべきか否かが、争点となっています。同項は戦力の不保持と交戦権の否認を定めており、この規定が憲法にあることの意味について、分かりやすく解説します。

 憲法第9条は、第1項と第2項から成っています。1項は、1929年に発効したパリ不戦条約第1条とほぼ同じ内容であり、侵略戦争を禁止した規定であると解されています。2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定されており、繰り返しになりますが、戦力の不保持と交戦権の否認を定めたものです。「前項の目的を達するため」とあるため、2項は自衛権を否定していないという解釈もありますが、政府は、この解釈を採っていません。

 憲法制定議会において、吉田茂総理は、「これは直接には自衛権を否定していないが、一切の軍備と交戦権を認めないもので、自衛権の発動としての戦争、交戦権を放棄したものである。」であると答弁し、自衛権の行使を完全に否定しました。しかし、朝鮮戦争が勃発し、警察予備隊、保安隊を経て、自衛隊の設置が必要になると、政府は、憲法は必要最小限度の自衛権の行使までも否定したものではなく、そのための自衛隊は「実力」であって、「戦力」ではないという解釈を採るようになったのです。

 こうした経緯を踏まえ、憲法学者の大半は自衛隊を違憲と考え、教科書の一部においても「自衛隊の保持が違憲であるとの意見もある。」とする記述が行われています。確かに自衛隊を「実力」とする政府解釈には苦しいところがありますが、一方で、9条全体を通じた解釈として、「必要最小限度の自衛権しか行使できない。」という政府解釈を我が国は大切にしてきたのです。「必要最小限度」とは何かというと、これも国際情勢によって変わり得るものですが、例えば軍備について、国会では、大陸間弾道弾、長距離攻撃爆撃機、空母などの保持について可能かどうかという議論が行われてきました。

 こうした中で、自民党は、野党時代に、「憲法改正草案」を発表し、将来「国防軍」を保持することを表明しました。これに伴い、草案では、当然、戦力の不保持を規定した2項は、削除しました。世界中を見ても、憲法で自国の自衛権を制限した国はなく、都市国家のような小さな国を除けば、軍隊を保持していない国はありません。自民党は、「普通の国」となることを目指したのです。しかし、これは飽くまでも将来の目標を掲げたものであり、今すぐ軍隊を保持することについて、国民の大多数に支持していただけるものとは考えていません。

 そこで、安倍総裁の提案を受け、細田憲法改正推進本部長の下で、第9条の2を置くことにより、まず現行の自衛隊をそのまま憲法解釈を変えることなく憲法上位置付けることを「憲法改正素案」の中で決定しました。そのことにより、不毛な自衛隊違憲論争に終止符を打つことにしたのです。議論の過程で、「2項を残しながら自衛隊の保持を位置付けることは、憲法の中の矛盾を残すことになる。」との意見が表明されました。もっともな部分もありますが、もし2項を削除してしまうと、「必要最小限度の自衛権」という政府解釈の根拠が失われます。そうなると、いかに憲法上「自衛隊」と称したとしても、それは正に軍隊を保持することになるのです。このことに、現段階で、国民や他党の理解が得られるとは、とても考えられません。

 2項を削除する意見を述べている人たちから、新たな自衛隊の規定の中で別途「必要最小限度の自衛権」を規定するという考えは聞かれません。あるいはそうした考え方もあるかもしれませんが、現状では、現行の9条には一切手を加えずにそのままにしておいて現在の憲法解釈を大切にすべきであると考えます。


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

磯崎陽輔議員は、安倍晋三総裁復帰にあたり重要な役割を担ったと告白している。

この一文を読むと

総裁選挙隔世の感
http://isozaki-office.jp/


首相にとって心の同志みたいな存在だったようだ。
この一文を行間を読んだ印象となるが、自衛隊条項追加説を首相に推奨したのは、磯崎陽輔議員ではないかと思う。
また、磯崎陽輔議員は、国会審議が難航した「特定秘密保護法案」の影の推進者であると私はみている。自らは表に出ず、しかるべき議員を要所に配置、自らはシナリオと必要な原稿を準備し備え、法案を成立させたという意味である。

磯崎陽輔議員は、石破茂が主張する2項削除説の致命的欠陥を二点指摘している。(もし2項を削除してしまうと、「必要最小限度の自衛権」という政府解釈の根拠が失われます。そうなると、いかに憲法上「自衛隊」と称したとしても、それは正に軍隊を保持することになるのです。このことに、現段階で、国民や他党の理解が得られるとは、とても考えられません。)


石破茂は、[もし2項を削除してしまうと、「必要最小限度の自衛権」という政府解釈の根拠が失われます]に反論できまい。これまでの「穏当な政府解釈」をぶち壊し、一体何がしたいのであろうか?

そこに、私は、石破茂の悪意と偽善を見る。

もう一つの説を読んでみたい。多少長く難解であるが、政権がなぜ自衛隊条項追加でとりあえずよしと判断できたのか、その背景が書かれている。


・国際法、大西洋憲章、国連憲章を関連づけ、戦後の歴史的経緯の視点からの包括的な解釈

篠田英朗の「ほんとうの憲法」からの転載。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

54~55頁

・国連憲章による武力行使の一般的違法か

国際協調主義を謳う日本国憲法にとって国際法との調和は、必須事項である。憲法学の分野では、しばしば「憲法優越主義」を掲げて、あたかも憲法によって国際法を否定することも容易だと言わんばかりの議論がなされるときもある。だがそれは憲法の精神に反する態度であろう。日本国憲法は、国際協調主義にもとづき、憲法と国際法の調和を求めている。

中略

日本国憲法制定当時、日本は独立国家ではなく、国連加盟国でもなかった。したがって憲法の条項を通じて、国連憲章の規定を守る法的枠組みを確立しておこうと憲法起草者が考えたとすれば、それは当然かつ合理的なことであったはずだ。国連憲章より後」に成立したものでしかない日本国憲法が、国連憲章を追認する内容を持っていることを不思議に思うのは、単に日本人の国際的な歴史感覚の欠如による。
このように論じることは、しばしば憲法に対するロマン主義的な感情を逆なでする。日本国内では、多くの場合、憲法9条が非現実的なまでに先進的であり、国際法も凌駕していると信じられているからだ。しかし実際にはそうではない。憲法より先に成立した国連憲章のほうに、憲法よりも包括的な形で武力行使の一般的違法化が定められている。

56~57頁
・9条は「ならず者国家」を「平和国家」に作り替えるための規定

確かに、憲法9条2項にもとづいて、一切の軍隊を保持しない状態を維持したのであれば、日本は世界でも非常に希有な国家として知られることになっただろう。ただそれは発生しなかった。自衛隊が問題視されることが多いのだが、実は在日米軍によって先に、憲法制定当時から、9条2項が純粋に一切の戦力の存在を禁止する規定ではなかったことが証明されている。在日米軍は、憲法成立よりも前から日本に存在し、現在でも5万人規模で駐留している。
「前項の目的を達するため」、つまり「国権の発動たる戦争」を放棄しながら、なお持てる軍事力だけを持つのは、世界のほとんどの国が採用している仕組みである。自衛のための軍事力しか持たないというのは、全く普通のことである。いったい世界のどの国が、自営以外の目的で軍隊を保持しているだろうか。
憲法9条は、世界でも例外的に希有な規定として価値を持っているわけではない。むしろ憲法9条は、日本が国際標準の規範を遵守することを宣言しているという点において、大きな意味を持っている。「戦争の回避」は、画期的な原則でも、世界最先端の原則でもない。憲法9条の価値は、例外性にあるのではない。その国際標準的な性格にある。

1947年当時の日本が、国際社会において、どのような国であったか、客観的に振り返るべきである。日本は満州事変によって国際連盟が象徴した第一次世界大戦後の国際法規範にあからさまな挑戦をし、東アジアにおいて空前の侵略行為を繰り返した挙句に、世界のほとんど国が同盟関係を結んだ「連合諸国(United Nations)」に敗れ去った。いわば「ならず者国家」であった。

中略

「ならず者国家」を「平和国家」に作り替えるための規定が9条であり、平和国家に生まれ変わったことは誇るべきであるとしても、9条を持っていることが日本の誇らしい行為の結果だと誤認すべきではない。


57~59頁

・憲法9条の真の価値とは

多くの日本人が、国連憲章の中に、日本などの枢軸国を刺す「敵国」という概念があることを、批判的に語る。だが国連が、第二次世界大戦を戦い抜いた連合諸国側の「集団的自衛権」の同盟陣営であることは、一つの史実である。その中核は米英両国であり、ローズベルトとチャーチルが1941年8月に発した「大西洋憲章」は、国連憲章の内容を先取りしたものであった。ちなみに日本国憲法「前文」の「恐怖と欠乏から免かれ」といった文言は、大西洋憲章における「恐怖からの事由と欠乏からの自由」という概念の引き写しである。国連検証にも同じ概念構成が見られる。「平和愛好国」という日本国憲法と国連検証に見られる概念も大西洋憲章で登場した。

中略

憲法9条2項は、「大西洋憲章」で語られている敵国の「武装解除」を国内法制度化したものであったものであったと考えられる。そして、「一般的安全保障制度」の度合いの進展に応じて、「武装解除」の度合は緩められた。
1950年に設置された警察予備隊は、主権回復後に自衛隊となった。日本は主権回復を果たして国連に加盟し、「一般的安全保障制度」に加入したので、漸進的な武装解除の修正が図られた。国際法を逸脱しない国になったと認定されて主権回復が認められた。そこで国際法と憲法に違反しない戦力保持が認められるようになった、これは憲法が予定している。論理の流れの中の出来事である。
大西洋憲章が、アメリカ主導で表明されたものであることを考えれば、「一般的安全保障制度」に準ずる機能を持った制度が、日米安全保障条約によって設定されていることは自明だ。米軍は現在もなお日本に5万人規模で駐留する。それだけではない。日本本土有事の際には、自衛隊は米軍の指揮下に入るだろう。むしろ政治の実態を見れば、9条2項が大西洋憲章の想定のままに段階的に適用され、現在の自衛隊の姿になっていることがわかる。

国連検証が「敵国」についてふれているのは論理的にも、歴史的にも、必然的なことである。集団安全保障体制は、国際社会全体の共通の「敵」を持つ。そして第二次世界大戦時に連合諸国が共通の「敵国」を持っていたことは疑いのない事実である。日本に期待されているのは、そして日本が求めるべきなのは、国連検証からの「敵国」概念の排除ではなく、生まれ変わった日本がもはや「敵国」ではなく、むしろ連合諸国の同盟陣営に属している国であることを証明することである。

日本国憲法は、日本の軍国主義の復活を防ごうとするアメリカを中心とする連合諸国が、自分たちが標榜する国際法規範を日本に守り続けさせるために作成した法体系である。憲法9条は、その日本に国際法を遵守させるプロジェクトの成功に、大きく寄与した。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

これら二説は、現状の政府解釈は、国際法、国連憲章と齟齬はないとしている。
無難で穏当な見解だと、読んで思う。こういう憲法解釈があることを知り、安堵している。
これら二つの有用な解釈があれば、今敢えて無理をして、9条2項廃止を必ずしも急ぐ必要はなさそうとの根拠になるだろう。正攻法でも石破茂への反論は十分可能なのだ。

そのうえで、石破茂が政府解釈を一旦リセットした発言(自衛隊は国際法上の解釈として軍隊ではない)があったことを思い出したい。

―― 参考情報 ――――――――――

自衛隊員の命の保証に係わることに関する「言葉遊び」は許されるのか
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html

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石破茂の主張は、三つの意味があるように思う。

・政権が、無理筋を選んだ場合、支持率の低下、政権流動化することを見越したもの、
・これまでの政府見解(憲法解釈)を一旦リセットする主張であるため、国際紛争に巻き込まれた場合、日本がリスキーな状況に追い込まれる可能性があること
・自衛隊を国際法上の解釈として軍隊ではないと主張すると、自衛隊員の命の国際法上の保証が消滅する可能性が強いこと

正攻法で石破茂に反論を試みようとすればするほど、石破茂の悪意、偽善が透けて見えてしまうのである。

以上

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テーマ : 憲法改正論議 - ジャンル : 政治・経済

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