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2018.06.10 (Sun)

「マスコミの刑事裁判報道」の基本的な間違いについて

マスコミ関係者は、刑事裁判報道について、刑事事件として求刑され判決が下されたことを根拠として、被告人が裁かれたという見解を示すことが多い。

私もそういう趣旨の報道に慣れ、そう思わされてきた。
どうやらその認識が間違いだったことを、一冊の本によって知ることとなった。

倉山満は、「検証 検察庁の近現代史」にてかく述べている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

検証 検察庁の近現代史
倉山満

36~38頁

法の適正手続き
ヂュー・プロセス・オブ・ローとは何か。単にデユー・プロセスとも言うが、文字通り「法の適正手続き」のことである。ただし、バンコク共通(少なくとも文明国共通)の、法的に特殊な意味がある。そして刑事裁判においてデユー・プロセスを守れない国は、文明国ではないのだ。

刑事裁判とは
そもそも刑事裁判は、どのようにして起こるか。
まず事件が発生する。事件を警察が捜査して被疑者を逮捕する。逮捕後に警察で取り調べの後に検察に送られる(これを送検と言う)。検察でも同様に取り調べ、検察官が被疑者を起訴するか否かを決定する。起訴がなされれば、被疑者は被告人となり、裁判が開かれる。
刑事裁判とは、この過程(プロセス)に不正が無いかを、裁判官が審査することなのである。
刑事裁判は、検察官の起訴によって行われる。訴えを起こすから、「起訴」である。そして、刑事裁判とは、検察官が起こした裁判を審査することなのである。だから裁かれるのは検察官なのだ。
要するに、被告人が事件の真犯人であるとの立証責任(これを挙証と言う)を検察官が果たしたときに、被告人は有罪となる。その際、自白だけでは有罪にできず、物証がなければならない(憲法第三八条、刑事訴訟法第三一九条)。検察官は「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証」が求められる。平たく言えば、検察官が一〇〇%の挙証を果たさない限り、被告人を有罪にはできないのである。
厳密には、刑事裁判は「裁く」のではなく、審査する場である。なぜ被告人は被告席に立っているのか、それを法廷において説明するのが検察官である。刑事裁判とは、司法権(裁判官)による行政権(検察官。広い意味では警察も入る)の手続きに不正が無かったかどうかの審査なのである。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

どうやらマスコミ記者たちは、刑事訴訟法の趣旨を知らずに刑事裁判報道をしているようである。

なお、「検証 検察庁の近現代史」は、冒頭において、田母神裁判の経緯について、関係者伏字で経緯を紹介している。一例をあげると、件の選挙責任者について「M島」なる表現が使われている。
また、裁判官の怠慢と検察の卑怯が結びついているケース、裁判官と検察官の癒着の可能性を指摘している。平成二四年まで「判検交流」と称される判事と検事の交流があったことも問題視している。

すなわち、この本は、田母神裁判を無理筋で?有罪にした?裁判所と検察組織を皮肉る目的で、その歴史的経緯の全容について書かれた好著?の可能性があるのだ。

以上

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テーマ : 報道・マスコミ - ジャンル : 政治・経済

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