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2017.06.28 (Wed)

なぜ彼らは「キリスト教禁教と弾圧」について強調するのか?

キリスト教の歴史に係わるテレビ番組の内容、最近相次ぐ、キリスト教関係施設の世界遺産登録について、必要以上に、キリスト教禁教と弾圧ばかり強調されることについて、私は訝しく思っている。

私の見立てはこうである。

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① キリスト教がもともと「弱者の宗教」という性格を持っている

② 布教政策上、どうしても隠蔽したい事実がある(ザビエルの異端審問への関与、日本人奴隷貿易、宣教師が植民地支配の尖兵だった実態)

③ 布教政策上、弾圧されたくさんの殉教者が発生したことにした方が、日本人に受け入れられやすいと考えた

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①については、ニーチェの著書「アンチクリスト」(邦訳は「キリスト教は邪教です」)に書いてある。キリストの弟子たちが、教義を時間をかけて細工、そう変質させたと読み取れる。聖書を読まれる方、聖書と同様の熱意を以て、ニーチェのこの本をお読みいただきたい。
キリスト教は邪教です



②については、埋もれている歴史書を読んでいる人ならば、知っていることである。ネットでも検索可能である。世界史の歴史書を読むこと、それは極論すると、キリスト教の負の歴史を知ることに例外なく繋がる。精緻な理論を駆使する教義を以て、偽善や悪と紙一重の世界と歴史的経緯があったことを知るのである。
そういう私でも、偽善や悪と無縁な、キリスト教関係の偉大な教育者を知っている。当時、私は、幼児だったが、その方ならではの尊厳な眼差し、そして厳かなな言葉を信じている。その方ならば、倫理的間違いはなさそうだという意味である。

③については、仮に私が新興宗教の教祖だったとしたら、同じ決断をするであろう、という意味において、動機的にキリスト教だけに限った話ではない。

これら三つは、仮説に過ぎないことなのであるが、もし、キリスト教の世界に(教義ではない)、「偽善」的な要素があると考えたらどうであろうか?

拙ブログのコメント投稿者「西」さんは「偽善」について、かく言及している。

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http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-523.html#comment567

「偽善」を見破るには

「男女平等」、「平和主義」など、一見すると「正しい」ように思える標語ですが、それらの「内容」をよく見てみると、物凄く「抽象的」な概念であり、「結論」が「先走り過ぎ」ている為、結果として「それを達成する為にどんな政策を打ち出せば良いか」という事を「提言」できないという問題がありますね。

そもそも、人類社会の歴史は、悠久の時を超えて太古の昔から存在していますが、古代、中世、近世と、様々な政治的、社会的動乱が数多くあれど、それを乗り越えてきた「猛者」達がいたわけです。

その「猛者」達が、その時代において「何をしなければならなかったのか」という事を「真剣に」考えて来なければ、今の我々は絶対に存在しておらず、仮に存在していたとしても、朝鮮半島のように、異民族によって征服され、隷属民としての精神から抜け出せない(すなわち、独立主体としての国家を築けず、別の大国の属国として生きていくしかない)状態になっているか、大陸内部のように、個々人がバラバラの存在として、親族以外の者とのつながりのない、ひいては「社会とのつながり」が無い、混沌とした暗黒の世界(国家というものが存在しない)が広がっていたでしょう。

朝鮮半島や支那大陸に文化や文明、芸術などが少ない(一応、京劇のようなものはあるにはありますが、古代支那帝国の話ですし、現代の支那人と同民族かどうかも不明で、彼らがその精神を理解しているかどうかも分かりません)のも、その為ではないかと思っています。国民がバラバラか、隷属精神しか持っていないのですから、独自性を持った文明や文化、技術、芸術を築く事など不可能であったわけです。

近現代になって出現した「男女平等」等の概念に「哲学性」を感じないのも、やはりその概念の「稚拙さ」を物語っているのではないかと思います。

うわべだけを取り繕った「偽善」などは、その中身を精細に問われれば、確実にボロが出るわけです。

少なくとも、「男女平等」などという「偽善(稚拙な哲学モドキ)」で、人間の様々な哲学が終結した結果出来上がった、「神道」、古代から存続し、そして高貴な存在である「皇室」を汚すのは、絶対にご法度です。

稚拙な発想に基づく「偽善」を唱えるのではなく、その思想の「歴史的経緯」および「堅実な思考」と「発想」に基づく、「人間の本質」から考える「哲学」が、こうした解決困難な問題を突破する力になるのだろうと思います。

明治から昭和辺りまでは、保守由来の思想を持つ碩学、知識人らがまだ存在していましたが(井上毅、福澤諭吉、三島由紀夫など)、近年では、戦後教育の所為もありますが、保守の劣化も激しく、そこまでできる人材がほとんど存在しない(いたとしても中川八洋氏程度)のは、相当に懸念しなければならない事だと思いますね。

西 | 2017.06.25(日) 16:17

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


私が、初めて「偽善」という言葉と行為を知ったのは、高校1年生の時代である。当時、大量に販売された、文庫本化された哲学書の言葉の中に、「偽善」という言葉があった。私は興味を持った。
そして、私が身近な人に偽善者がいたことを理解した。最初の「偽善者」は、テストの成績が各科ともクラスの5番以下であるにもかかわらず、授業中の態度、挙手、教師受けする声などのいわゆる態度点によって、通知箋において、ほぼオール5を獲得し、その同級生が、その「5」の数を以てクラスの1番であると言い続けたことであった。
その同級生、受験校に進学、最下位ランク状態が続き、高校3年の春、精神病を患い、受験戦争から脱落。私は、この同級生を批判することはなかったが、この同級生は何かにつけて私を公然と批判、敵視した。もちろん、事情を知る女の子たちは私の味方だった。

二番目に偽善者と評価した人物は、人前で道徳を語ることが好きな、ある団体関係者だった。
会合の場にて、「相互リンクしましょう」というので同意、私の方からリンクしたことをその人のブログで二度ほど投稿したが、反応がない。コメントが公開されず、無視された。私は裏切られたのであった。その時点で、会合にて集められた数千円の会費は、その人物と取り巻きの宿泊費等に流用されたと理解した。後日、とあるブログ記事をその人に丸ごとパクられたこともあった。
ただ、世の中、被害を受けたのは私だけではなかったようで、ネットで検索すると、いろんなちょろまかしをやっていることがわかった。ネットで取り沙汰されるその人物の事案、概ねそのとおりであろうと思う。進んで道徳を語る人の偽善の深さを見たのであった。

では、歴史上、最大の偽善者は、誰かということになるのだが、たまたま読んだ本に、そう解釈しうる記述がある。

その人は、その世界で聖人と呼ばれている。
しかし、知れば知るほど、本当にそうなのか?という疑問が湧く。
それゆえ、布教政策上、そういう部分があったことを知られないために、彼らは、禁教された、弾圧されたと語るのではないか。

そう語る前に、彼らは彼らの世界で、異端審問を口実に(無実かもしれない人々を)弾圧し処刑したではないか?
自分たちがしたことを隠蔽する?一方で、自分たちがされたことのみを針小棒大に彼らは叫んでいるだけではないか?
私はそう見ていることを指摘し、本稿を終える。



以下は、参考文献からの転載

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「隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン」小岸昭


67~78頁

ローマのペトロ・コダチオおよびイグナチオ・デ・ロヨラ宛の一五四〇年一〇二二日付書簡の中で、ザビエルは次のように書いている。
「私たちはこの国の宗教裁判所長官で、国王の兄弟であるドン・エンリケ王子から宗教裁判所に留置されている人たちの世話をするように幾度も頼まれました。それで刑務所を毎日訪れ、主なる神が彼らの救いのために留置して恩恵を与えてくださっているのだと、彼ら自身が納得できるように話しています。そこでは毎日全員を集めて説教をしていますし、第一週の霊操で、彼らは霊的に大いに進歩しつつあります。衆人たちの多くは、主なる神が自分たちの霊界を救うのに、必要な多くのことを学ぶ機会を与えるというおおきな恩恵を施してくださったと言っています。」

右の書簡は、一五四〇年九月二六日、リスボンで初めて挙行された「荘重な火炙りの刑(アウトダフェ)の後に書かれたものだった。ザビエルはしかし、人間が生きたまま焼き殺されるというこの野蛮な宗教ショーの主催者側に身を寄せていたにもかかわらず、囚人たちの「霊魂の救い」や主なる神の「恩恵」についてしか述べていないのである。

ところで、このジョルジュ・メンデスの告発者デイオゴ・デ・モンテネグロは、ザビエルが出会った囚人の中でも「極悪人」だったと言われている。スペインの異端審問所に異端者として収監されていたモンテネグロは、スペインを脱出してアフリカに逃げ、ついでリスボンに現れ、逮捕されたのはリスボンのマラーノの家を訪ねようとする矢先だった。この悪名高い「極悪人」は、「札つきの罪人」であり、「恥知らずな悪人」にして「嘘つき」であり。さらに、「魔術師」「手相見」「占い師」「予言者」であり、女性を恋に陥らせる「魔力の持ち主」であり、また「堕胎の術」をも心得ていたという。そしてモンテネグロは何よりもリスボンの隠れユダヤ教徒たちの「告発者」とされていた。もちろんイエズス会士ゲオルク・シュールハンマーの研究には、リズボンにおける「闘う教会イエズス会」の尖兵ザビエルの行動に不利なことは一切書かれていないのだが、このような「罪人」処刑に立ち会うザビエルがポルトガル・カトリックの残酷な恐怖政治に深くかかわっていたことは、疑いない。

一五四〇年九月二六日、ついにポルトガル異端審問所最初の火炙りの刑が執行される日がやってくる。「それは、この時代ポルトガルで挙行された最も荘重な行事だった」とシュールハンマーは記している。リスボン市やその近郊から大群衆が、この珍しい見せ物を見るために集まって来る。国王、高位聖職者、そして市の貴族たちのほとんどすべてが顔をそろえている。午前六時から七時にかけて、審問官および聖職者が、大勢の貴族と貴顕紳士に伴われて徒歩でやって来る。その行列の前に、十字架が掲げられているが、これは、アルファマ地区南西のミセリコルデイアから、すでに火刑台がしつらえられているリベイラ広場まで運ばれてきたものだった。ぎっしり詰まった群衆をかき分けて、行列がやって来る。市警察と神聖裁判所の役人に伴われて、囚人たちが到着。男性九名、女性一四名の計二三名である。これら囚人たちは全員手に火をともした蝋燭を持っている。その中には、二年の懲役刑を言い渡されたジョアン・ゴメスが、終身刑を宣告されたジョルジェ・メンデスが、懲役二年を求刑されたマラーノ女性イサベル・ヌネスとその二人の娘が、そしてその後に、火炙りの刑に処せられる二人の囚人、すなわちフランス人聖職者とかのデイオゴ・デ・モンテネグロがいた。

じつはこの時、フランシスコ・ザビエルと彼の同僚ロドリゲスは、大審問官ドン・エンリケに、最後の瞬間までこの二人の死刑囚につきそうように言われていた。したがって、ザビエルhじゃ、「極悪人」デイオゴ・デ・モンテネグロの死に至るまでこの哀れなユダヤ人の姿を、誰よりも近くから見つめていたのである。異端審問所の報告によれば、モンテネグロは、「国王の命令により、大いなる異端者として、また神聖なる信仰の敵として焼かれた」のだった。彼は目の前に突きつけられた十字架を見上げることを拒否したまま、やがて呪わしい炎の中に包まれていったという。

この忌まわしいショーの後、「モンテネグロは無実であり、虚偽の密告によって有罪にされたのだという新キリスト教徒『マラーノ』が多かった」と書いているシエールハンマーのさりげない注釈の一行を、私たちはどのように解釈すればよいのだろうか。

中略

漁夫海岸に赴いてから八か月後、ザビエルはどんなに勧めても、またどんな方法を使っても、主なる神の御もとへ行こうとはしないパラヴァスの頑迷さに気づき、業を煮やす。そして真珠採取民の新生児たちが受洗しないまま次々に死んでゆくのを見るにつけて、彼は「せめて洗礼を受けてから死んでゆく幼児たちだけでも、天国へ行ってもらいたいものです」」と願わずにはおわれない。

一五四四年八月一日付けブニカレのフランシスコ・マンシラス宛書簡に言われているように、ザビエルは今回もコモリン岬に至る漁夫海岸の心痛む道を歩く。その時彼は、「ある者は食べる物がなく、他の者は年老いて歩むことができず、ある者は死に、旅路で分娩する夫婦」などの哀れな情景を見て、「この世の最大の苦痛を感じ」ざるを得ない。しかも一五三六年に大改宗が政治的な取引によって行われた「信者の村」に行ってみれば、実際は信仰不在の惨憺たる状態だった。「ここはひどい不毛の地で、極貧そのものの状態なので、ポルトガル人は済んでいません。この地の信者たちは、信仰について彼らを教え導く人がいないために、信者であるというだけで何も知っていません」。

つまり、大改宗の際「キリスト教徒」になったはずのパラヴァスは相変わらず元のヒンドゥー教の生活を続けていたのである。こうしたインド各地の個々の体験は、一五四九年一月一二日付イグナチオ・デ・ロヨラ神父宛書簡に言われているように、「私が今までにあったこの地のインド人は、イスラム教徒に対しても異教徒にしても、きわめて無知です」という結論に至る。
こうした結論にも見られるように、ザビエルが布教対象にしている人々を彼らの立場に立って客観的に観察しようとする視点は、全く認められない。例えば、ザビエルの時代にもみられたはずの、コモリン岬の突端に立ち、荘厳な朝日に向かって合掌するヒンドゥー教徒たちの敬虔な祈りの光景といった、他民族独自の風俗や習慣に関する記述は一切ない。ザビエルのこのような他民族や異教徒に対する理解の欠落から、どのような制度的要求が出てくるだろうか。このような問いをもって書簡をひもといてゆけば、一般に「聖人」として仰がれているサビエルの裏側が見えてくるだろう。
とりわけ漁夫海岸における布教活動の厚い壁に突き当たったザビエルは、次のように自らの苦衷を漏らしている。

「信者たちに悪事をしようとする人びとは、私に対しても悪事をたくらむ者です。私にとって生きているのは苦痛であり、神の教えと信仰を証すために死ぬ方がましであると思います。」

「信者たちに悪事をしようとする人びと」が布教の障害になっているというザビエルの認識は、そうした人々を排斥すれば布教活動が円滑に行われるはずだという見通しに繋がってゆくだろう。したがって、「神の教えと信仰を証するために死ぬほうがましである」というザビエルにとってその絶望を救い得るのは、たとえ無意識的にではあれ、「信者たちに悪事をしようとする人びと」に死を、という原理をおいてほかなにない。このような恐怖政治と境を接した原理は、ザビエルがリスボン異端審問所での「聖務」を通して体得したものではなかっただろうか。

一五四六年五月一六日付ジョアン三世宛書簡の中で、ザビエルは布教の障害になっている「悪事をしようとする人びと」を次のように特定してゆく。
「インド地方では説教者が足りないために、私たちポルトガル人のあいだでさえも、キシルトの聖なる信仰が失われつつあります。……(その原因は要塞のポルトガル人が)未信者たちと絶えず商取引をしているために信仰が薄く、贖い主、救い主であるキリストへの信仰よりも、しばしば物質的な利益のみを念頭においているからでございます。」

ここで言われている「ポルトガル人」からは、信仰のために異教徒を拷問にかけ火炙りにすることに手を貸すカトリックの聖職者も、また祖国のために原住民や異教徒を虐殺する軍人も除外されている。
ザビエルは、カトリックのロゴス中心主義とほとんど無意識的な権威主義から、右の説教者派遣の要求に、次のような驚くべき要求を続けているのである。

このザビエルの提言から一四年後に、ゴアに異端審問所が活動を開始する。そして、一五七一年ゴア異端審問官に任命されたバルトルメウ・デ・フォンセカは、改宗ユダヤ人「マラーノ」を「神を殺す者」と呼び、狂信的なマラーノ摘発を行って、実際「ゴアを火で満たし、異端者と背教者の死体から出た灰でいっぱいにした」のである。

例えば、一五七八年だけでも、今は整地されて花咲き匂う公園になっているオールド・ゴアのス・カセドラル前にあった異端審問所の広場で(そこから道を一本隔てたボム・ジェズ教会には、聖フランシスコ・ザビエルの遺体が現在も安置されている)、一七人が生きたまま火炙りに処せられた。この時、全員が「ユダヤ教を信仰した異端者」として断罪されたのである。こうしたカトリック国ポルトガルの恐怖政治の歴史を振り返ってみれば、私たち日本人も現オールド・ゴア博物館館長P・Pシロトゥカーの次のような言葉をどう受け止めるべきかという態度決定を迫られているように思われる。
「今日、後年聖人として列聖されることになったザビエルは、いかに多くの人々の苦しみと残酷な死の原因となる非人間的な提言を行ったかは、想像を絶する。……ナチによる恐怖の蛮行を凌ぐ異端審問所の犯罪行為についてはもっと調査研究が行われてしかるべきである。」

キリスト教の教えを広めるため中国に向かおうとするザビエルの最晩年、ヴァスコ・ダ・ガマの息子でマラッカの海軍総司令官のアルヴァロ・デ・アタイデ・デ・ガマとの確執があった。アタイデは、胡椒貿易の権利にからんで、使節船の中国渡航に反対し、教皇使節ザビエルの中国布教という大計画の前にたちはだかったのである。アタイデとのあらゆる交渉に行き詰まったザビエルは、ついに伝家の宝刀を抜き、人格権の剥奪と同時に、あらゆるポルトガル領からの永久追放という重罰を意味する「破門制裁」をアタイデに突きつけた。絶筆となった一五五二年一一月一三付の書簡は、そうした激しいアタイデ攻撃の言葉で埋め尽くされている。ゴヤはザビエルのこのような絶望的な状況を知っていたかのように、「悲惨と憂愁にとざされた」臨終のザビエルを描いているのである。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

テーマ : 日本を正常な国に戻したい - ジャンル : 政治・経済

20:15  |  社会認識  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2017.06.27 (Tue)

都議選のポイント 自民党は劣勢をハネ返し民進党を壊滅できるか?

都議選、世論調査では、都民ファーストが自民党を上回る支持率となっているそうだ。
私は、これに納得しない。
逆風でも自民党が第一党を獲得する結果となることを望んでいる。

都民ファーストに勝たせてはいけないのである。

―― 参考情報 ――――――――――

小池ファーストに勝たせてはいけない
http://ponko69.blog118.fc2.com/blog-entry-4428.html

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小坪しんや議員は、かく分析している。

―― 参考情報 ――――――――――

都議選と、豊田”事件”のタイミング、都民ファーストと自民支持者、そしてメディアの動き。2017年6月26日
https://samurai20.jp/2017/06/toyoda-2/

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小坪しんや議員は、谷垣総裁を裏切り、谷垣総裁が総裁戦出馬できない状況に追い込んだ、石原伸晃について批判的である。

谷垣元総裁、現在、人前に出る機会はないようだ。
谷垣総裁の時代、自民党は本当に苦しかった。離党者が続出した。議席も減った。政党交付金も減った。
そんな状況で、谷垣総裁は有志議員を引き連れ全国行脚、街頭演説にて自民党各支部を自民党支持者を鼓舞、激励し、自民党党内および支持者の結束を何度も呼びかけた。
野党自民党ではあったものの、野党時代の地方選、本当に強かった。
谷垣総裁、お世辞にも演説はうまくはない。が、そのお人柄があってその言葉が語られ、多くの有権者が選挙にて、再び自民党に託そうという盤石な流れを作ったのは確かだ。

―― 参考情報 ――――――――――

第24代自民党総裁 谷垣禎一 の最後の言葉を忘れるな!
https://www.youtube.com/watch?v=ctmqIy9MkjQ

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この動画は、自民党史に残されるべき動画であろう。

自民党が野党の時代、外国人参政権法案、人権侵害救済法案が国会審議事案として何度も取り沙汰された。
その度に、各自かき集めたメールアドレス、ないしFAX番号の宛先に、何度もメール、FAXした方が多いと思う。
私の場合、かき集めたメールアドレス件数が1000件を超えた。

自民党も苦しかったし、保守支持層もみんな苦しかった。
谷垣総裁はその苦しかった時代、支持者の心を再び掴み、野田政権の解散、保守回帰の流れを作った、最大の功労者である。

しかし、その保守回帰のチャンスを国家や党のためでなく、自身の出世欲のために行動した者がいた。総裁選において、(自民党が野党時代)左程汗を流さず、総裁選工作だけ熱心に取組む人物もいた。

それゆえ、私は、石原伸晃や石破茂が大嫌いである。もちろん、内田某も嫌いだ。

そんな中で、前回都知事選挙前までは、都議会自民党の体質は温存され、小池百合子は逆風をモノともせず勝利し、都議会議員選挙に都民ファーストなる看板で臨んでいる。

私は、小池百合子候補を、都知事選挙において消去法的に支持した。自民党公認候補が納得できる候補ではなかったからだ。

今回の都議選の見どころについて、「自民党と都民ファーストの確執」であるとマスコミは取り沙汰している。

が、それは本筋ではない。

都議選の本筋は、自民党と都民ファーストの騒動を創り出し、選挙の争点として、また二大対立軸であるかのように演出することで、民進党を挟み撃ちにすることにあるとみている。

敢えて、安倍首相が、自民党の応援演説に立たないと言われているのは、挟み撃ちであることを気づかせないためか、あるいは自民党は左程劣勢ではないとみている、そう分析した結果ではないか。

なぜなら、都民ファーストはどうみても政治の素人?候補者だらけ?であるからだ。

―― 参考情報 ――――――――――

【2017都議選 首都決戦】都民・美人元歌手が自民・無所属現職に挑む 選挙地盤が固い南多摩、やや混戦模様
http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170627/soc1706270005-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsTop

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安倍首相が遊説に出れ出るほど、都民ファーストが素人集団であることが一目でわかってしまう。

従って、シナリオ的には、世論調査では都民ファーストが第一党を伺う勢いを先行させつつも、危機感を煽り、選挙戦の最終盤で帳尻を合わせる作戦なのであろう。

楽観は禁物だが、自民党と都民ファーストで、民進党を挟み撃ちにし、壊滅させる選挙結果となることを期待している。

そして、もう一つ注目していることがある。それは、日本共産党批判に特化しつつある、日本第一党の岡村幹雄候補である。

―― 参考情報 ――――――――――

岡村幹雄候補 主な政策の説明 
https://m-okamura.japan-first.net/policy.html

平成29年6月25日 日本第一党岡村幹雄候補 東京都議会選挙演説(八王子駅北口)
https://www.youtube.com/watch?v=bO7-8T6AT6k

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日本共産党は、選挙妨害・選挙違反事案続出だそうである。

既存政党が、はっきり言わないことをはっきり指摘する岡村候補者の存在はもっと注目されるべきだろう。

以上

テーマ : 小池百合子 - ジャンル : 政治・経済

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