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2017.06.30 (Fri)

移民受入れ促進  ファーウエイ日本工場がスパイ工作活動拠点となる日!?

通信機器大手のファーウエイが日本国内に大型工場を建設予定だそうだ。

―― 参考情報 ――――――――――

通信機器大手のファーウェイ、日本に大型工場新設・・・中国企業が日本に本格的な工場を新設するのは初めて
http://hosyusokuhou.jp/archives/48795941.html

―――――――――――――――――

これについて、鈴木信行は、スパイ防止法が必要だとしている。

―― 参考情報 ――――――――――

中国企業が千葉県船橋市に通信機器大型工場新設!技術流出の脅威か雇用創出か?
http://ameblo.jp/ishinsya/entry-12287974856.html

―――――――――――――――――


ここで、数カ月前に、法務省が永住許可1年に短縮するポイント制とすべく省令改正した事案を参照したい。

―― 参考情報 ――――――――――

パブコメ永住許可1年問題  法務省は予定通り省令改正決定(国民の意見を都合良く取捨選択した?)
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-442.html

パブコメ永住許可1年問題 法務省は反アパデモ参加者に1年で永住権を付与しようとしている!?
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-336.html

―――――――――――――――――

拙ブログは、中国籍の人に対し、マイナスポイント付与、パブコメについて反対意見を述べた。

本工場進出事案、ファーウエイ日本工場従業員(大半が在日中国人)による、大量の反日デモの組織化が可能となること、それは、同時に、ファーウエイ日本工場が、スパイ工作拠点となることを意味する。

法務省は国を売ったのだ!

私は、法務省に電話をかけ、パブコメ永住許可1年問題にて、「法務省は中国籍のファーウエイ傘下のベンキャー企業従業員について大量に高度人材だとして永住権を1年で与えるつもりなのか?」と問い質し、対応した法務省職員は、「お叱りは………………」という趣旨の回答をしたと覚えている。

ファーウエイ日本工場⇒ファーウエイ傘下のベンチャー企業⇒高度人材として加点ポイント付与?という図式となるのだ。国籍によるマイナスポイント付与を省令で規定できるようにすべきだったのだ。



予想は的中したのだ!



あのパブコメ事案については
保守陣営は、外国人参政権反対、人権侵害救済法案反対と同程度の熱意で対応すべきだったこと
移民受入れ拡大に無力な保守系団体だらけであること
もはや、スパイ防止法法制化、国家反逆罪法制化は避けられないこと
を指摘せざるを得ない。

寄付は募るが、批判と抗議活動中心、結果を出さない団体活動ではもはや済まない事態となりつつある。
錯乱して同士討ちしている団体に係わっている暇などないのである!

以上










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    テーマ : 政治のニュース - ジャンル : ニュース

    20:44  |  政府機関  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

    2017.06.29 (Thu)

    空き家が増えることが意味するもの【一人町内会長の時代?】

    全国的に空き家が増え、過疎地になればなるほど空き家の存在が問題となりつつある。

    国土交通省は、空き家対策特別措置法を受け、その撤去、解体に向けた取り組みを本格化させつつある。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    空き家対策計画策定、全国で2割 過疎地高い傾向
    https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201706/0010321559.shtml

    ―――――――――――――――――

    私が住んでいる地域では、幸い人口はまだ増えている。しかし、最初に家を建てた世代は高齢化、近所の葬式も増えた。しかし、最近引っ越してきた世代は、近所付き合いに熱心ではない。

    住民の視点でみてみよう。

    空き家が増えることが意味するもの
    それは、治安の悪化、景観の悪化が同時に進行することである。

    私が育った地域にあった(生鮮)市場の場合、ほとんどが廃屋化している。
    撮った写真を眺めて、懐かしいと思う反面、これ以上の景観の悪化はなんとかしてほしいと思っている。

    それだけではない。

    人口減少が拍車をかけ、地域社会を維持することが難しくなりかけている。
    過疎地では、限界集落の増加、インフラ維持の限界が近づいている。

    つまり、空き家増加、高齢化、人口減少の結果、地域社会全体のスラム化の懸念が出てきたのである。

    では、どうするか、ということになる。
    本稿お読みの皆様は、私以上に、愛国、保守であることを疑わない。

    我々一人一人がやれることは限られている。が、ノンポリ、にわか保守の私でも、「一人町内会長」を認識、実践する必要性が出てきたように思う。

    自分が遭遇した中で思い浮かぶことを列挙する。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    空き家が多い地域での住民に発生する社会的義務?=その地域をスラム化させないための行動

    ・ゴミが落ちていれば、それを拾う
    ・ゴミステーションにカラスがいれば、ゴミステーションの整理をする
    ・隣の家の人が困っていることがあれば何かできることをする(金銭以外のことで)
    ・不審者がうろついていれば、監視、通報
    ・不審車両が走行していれば、監視、通報
    ・タイヤ泥棒を見つければ通報
    ・事件らしき事態を目撃すれば通報
    ・防犯設備の強化
    ・空き巣対策の実施
    ・道路の花壇が草ぼうぼうになれば自分で草むしり
    ・街路樹が折られたり、破損しているのを見つけたら自治体に連絡
    ・道路に雑草が生い茂り、道を塞いでいたら自治体に通報
    ・違法選挙看板を見つければ、選管に通報
    ・道路が壊れれば自治体に連絡
    ・踏み切りに異常を見つけたら鉄道会社に連絡
    ・電柱が折れたり電線が垂れ下がっているのを見つければ、電力会社に通報
    ・信号機が異常点滅していれば、警察署に連絡
    ・道路標識等に異常があれば、警察署に通報
    ・自治体制度に係わる欠陥を見つけた場合は、自治体議員に連絡、対応依頼する

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    どちらかと言うと、治安対策的なことが多い。
    覚悟を決めて誰かが、スラム化の歯止めとなるべく、行動するしかない。
    該当者はどんどん高齢化、人がいないのは確か……………
    誰が町内会長だとか、誰が防犯部長だとか、そんな肩書にこだわっているヒマはない。

    警察への通報、派出所へのマメな連絡は欠かせない。経験的に言えることであるが。きちんと通報している人であれば、警察側も心得た対応をするはずであり、通報効果は抜群?であると思う。中でも、パトカーによる不審車両の呼び止めは、犯罪抑止効果はある。
    住宅地でこれをやってくれるだけで、住民として安心感あるのだ。

    私は、既にそれなりの年寄である。
    年齢的な老人の定義を75歳とするという話があるが、それなりの年になったら、地位や名誉にこだわらない生き方がいいと思っている方だ。



    少し脱線させていただく。

    昨今は、企業等において65歳まで雇用していただける有り難い雇用制度となった。
    しかし、雇用してくれるからといって働き続けることが、より良く生きたいと考える人にとって意味あるものか?
    これは私見に過ぎないが、職場において、やるべき立場の時に、やるべきことをしなかった人は、65歳まで勤め上げようとしても、職場の人に煙たがられるような気がする。
    団塊の世代は、中途半端に仕事を片付け、次の世代に多くの課題を残し、私の世代は、その処理に追われた。いつ辞めてもいいように、やるべきことはやった、あまりに課題が多く、そういう感覚で仕事のあり方を追求せざるを得なかった。やがて、その職場でやりたいことが見つからなくなった時が退職の日だと思うようになった。
    それなりの学歴をお持ちなのに、やりたい仕事もなさそうで、職務上差したる取組みをしたこともなく、一つの提言文書も書かず、管理職になり、仕事よりも酒席やゴルフの約束に熱心で、還暦を過ぎ65歳まで勤める人生が、本来的に幸せでマトモな人生と言えるのか?という意味である。

    私の周辺にはそういう人がたくさんいた。同じ大学の先輩の3割がそう見えた。さして実績を上げなくても、ゴマするだけで出世させる体質だから、仕方がないことかもしれない。当然の事であるが、私はそういう類の人たちと話は合わない。



    小島祐馬という学者がいたことをご存じであろうか?京大の高名な学者だったそうだ。

    ||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

    http://www.rinsen.com/linkbooks/ISBN978-4-653-04114-6.htm

    京大東洋学者・小島祐馬はいかに生きたのか

    小島祐馬(おじますけま 1881~1966)は、京都帝大教授を退官後、その学識と手腕を惜しまれつつも早々に故郷高知へ帰り、 晴耕雨読の暮らしのかたわらで地域の人々との交流と文化の振興に尽くした。その生きかたの背景にあったのは 何であったのか。幼少期から晩年に至るまで、高知大学小島文庫に残る草稿やメモ類、また関係者の回想から丹念に綴る。

    第五章 定年を迎えて高知へ帰郷
    小島の退官、河上の京都転居/小島の高知帰郷/帰田の願いがかなう
    小島邸に書庫/高知での日々の暮らし/正壽夫人の歌と書/抱甕灌圃

    第六章 戦後の高知暮らし
    小島祐馬の戦後/文部大臣就任の打診/高知県知事・高知大学学長候補
    学士院会員になる/晴耕雨読の百姓暮らし/源泉は滾々として昼夜をおかず
    櫛田フキの選挙推薦文/高知市夏季大学/向井章、津田穣、安田二郎

    終 章 小島祐馬の晩年
    東洋風の修身と西欧風の治国/郷土史家として/カルピス文化叢書
    桑原武夫との対談/小島祐馬の死去

    ||||| ここまで引用 ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

    何かと寄付と肩書を欲しがる(愛国系、錯乱系)団体関係者と正反対の世界がここにある。寄付と肩書があっても負け戦続出の保守系団体活動。肩書などない方が、却って余計なしがらみを気にすることなく闘えそうな気がする。



    実は最近、私はあることで自治体に陳情書を出した。自治体は、予想した以上に完璧な対応をしてくれた。その事案、放置すると地域全体がスラム化するため、近所で子供が生まれたこともあり何とかして欲しい、と私は告げた。別に肩書などなくても、要件を満たしているか、必要性を認識すれば、自治体は自治体の判断で決裁、彼らは即実施した。これを私の手柄だと言うつもりはない。

    ここで、空き家だらけの高齢者だらけの地域を維持、救えそうな、一つの手法を想定したい。
    小島祐馬みたいな人たちが地域社会の核となったら、その地域社会は意外にレベルアップ、そう簡単に崩壊しかないのではないかと、私はみている。

    そういう私は、道を歩いていて、近くの公園でジョギングしていて、大きな図書館内で、名前も顔も知らない近所の小学生低学年の子供たちから、挨拶されるようになった。

    もちろん、彼らは、私が保守系ブロガーであることも、ノンポリ・にわか保守であることも知らない。

    悪くとれば彼らからみて、私は不審者ということになる。もし、そうなら私は受け入れるしかないのであるが、そういう私は、江戸後期の時代の生きた、偉大な知識人、良寛さんのファンである。いつかその地を訪ねてみたいと思っていることを告白し、本稿を終える。


    以上

    ―― 参考情報 ――――――――――

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%AF%E5%AF%9B

    良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕 - 天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵または文孝。号は大愚。

    70歳の時、島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説いた。その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになった。

    最期を看取った弟子の貞心尼が『蓮の露』に良寛の和歌を集めた。良寛は他に漢詩、狂歌、俳句、俗謡に巧みで、書の達人でもあった(故に後世の贋作が多い)。新潟県長岡市(旧和島村)の隆泉寺に眠る。
    良寛の名は、子供達を愛し積極的に遊んだという行動が人々の記憶に残っている。良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子供達と遊ぶことを好み、かくれんぼや手毬をついたりしてよく遊んだという(懐には常に手毬を入れていたという)。名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子供達から「凧に文字を書いて欲しい」と頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた(現在でもその凧は残っている)。

    テーマ : 日本を正常な国に戻したい - ジャンル : 政治・経済

    20:20  |  社会認識  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

    2017.06.28 (Wed)

    なぜ彼らは「キリスト教禁教と弾圧」について強調するのか?

    キリスト教の歴史に係わるテレビ番組の内容、最近相次ぐ、キリスト教関係施設の世界遺産登録について、必要以上に、キリスト教禁教と弾圧ばかり強調されることについて、私は訝しく思っている。

    私の見立てはこうである。

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

    ① キリスト教がもともと「弱者の宗教」という性格を持っている

    ② 布教政策上、どうしても隠蔽したい事実がある(ザビエルの異端審問への関与、日本人奴隷貿易、宣教師が植民地支配の尖兵だった実態)

    ③ 布教政策上、弾圧されたくさんの殉教者が発生したことにした方が、日本人に受け入れられやすいと考えた

    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


    ①については、ニーチェの著書「アンチクリスト」(邦訳は「キリスト教は邪教です」)に書いてある。キリストの弟子たちが、教義を時間をかけて細工、そう変質させたと読み取れる。聖書を読まれる方、聖書と同様の熱意を以て、ニーチェのこの本をお読みいただきたい。
    キリスト教は邪教です



    ②については、埋もれている歴史書を読んでいる人ならば、知っていることである。ネットでも検索可能である。世界史の歴史書を読むこと、それは極論すると、キリスト教の負の歴史を知ることに例外なく繋がる。精緻な理論を駆使する教義を以て、偽善や悪と紙一重の世界と歴史的経緯があったことを知るのである。
    そういう私でも、偽善や悪と無縁な、キリスト教関係の偉大な教育者を知っている。当時、私は、幼児だったが、その方ならではの尊厳な眼差し、そして厳かなな言葉を信じている。その方ならば、倫理的間違いはなさそうだという意味である。

    ③については、仮に私が新興宗教の教祖だったとしたら、同じ決断をするであろう、という意味において、動機的にキリスト教だけに限った話ではない。

    これら三つは、仮説に過ぎないことなのであるが、もし、キリスト教の世界に(教義ではない)、「偽善」的な要素があると考えたらどうであろうか?

    拙ブログのコメント投稿者「西」さんは「偽善」について、かく言及している。

    ||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

    http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-523.html#comment567

    「偽善」を見破るには

    「男女平等」、「平和主義」など、一見すると「正しい」ように思える標語ですが、それらの「内容」をよく見てみると、物凄く「抽象的」な概念であり、「結論」が「先走り過ぎ」ている為、結果として「それを達成する為にどんな政策を打ち出せば良いか」という事を「提言」できないという問題がありますね。

    そもそも、人類社会の歴史は、悠久の時を超えて太古の昔から存在していますが、古代、中世、近世と、様々な政治的、社会的動乱が数多くあれど、それを乗り越えてきた「猛者」達がいたわけです。

    その「猛者」達が、その時代において「何をしなければならなかったのか」という事を「真剣に」考えて来なければ、今の我々は絶対に存在しておらず、仮に存在していたとしても、朝鮮半島のように、異民族によって征服され、隷属民としての精神から抜け出せない(すなわち、独立主体としての国家を築けず、別の大国の属国として生きていくしかない)状態になっているか、大陸内部のように、個々人がバラバラの存在として、親族以外の者とのつながりのない、ひいては「社会とのつながり」が無い、混沌とした暗黒の世界(国家というものが存在しない)が広がっていたでしょう。

    朝鮮半島や支那大陸に文化や文明、芸術などが少ない(一応、京劇のようなものはあるにはありますが、古代支那帝国の話ですし、現代の支那人と同民族かどうかも不明で、彼らがその精神を理解しているかどうかも分かりません)のも、その為ではないかと思っています。国民がバラバラか、隷属精神しか持っていないのですから、独自性を持った文明や文化、技術、芸術を築く事など不可能であったわけです。

    近現代になって出現した「男女平等」等の概念に「哲学性」を感じないのも、やはりその概念の「稚拙さ」を物語っているのではないかと思います。

    うわべだけを取り繕った「偽善」などは、その中身を精細に問われれば、確実にボロが出るわけです。

    少なくとも、「男女平等」などという「偽善(稚拙な哲学モドキ)」で、人間の様々な哲学が終結した結果出来上がった、「神道」、古代から存続し、そして高貴な存在である「皇室」を汚すのは、絶対にご法度です。

    稚拙な発想に基づく「偽善」を唱えるのではなく、その思想の「歴史的経緯」および「堅実な思考」と「発想」に基づく、「人間の本質」から考える「哲学」が、こうした解決困難な問題を突破する力になるのだろうと思います。

    明治から昭和辺りまでは、保守由来の思想を持つ碩学、知識人らがまだ存在していましたが(井上毅、福澤諭吉、三島由紀夫など)、近年では、戦後教育の所為もありますが、保守の劣化も激しく、そこまでできる人材がほとんど存在しない(いたとしても中川八洋氏程度)のは、相当に懸念しなければならない事だと思いますね。

    西 | 2017.06.25(日) 16:17

    ||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


    私が、初めて「偽善」という言葉と行為を知ったのは、高校1年生の時代である。当時、大量に販売された、文庫本化された哲学書の言葉の中に、「偽善」という言葉があった。私は興味を持った。
    そして、私が身近な人に偽善者がいたことを理解した。最初の「偽善者」は、テストの成績が各科ともクラスの5番以下であるにもかかわらず、授業中の態度、挙手、教師受けする声などのいわゆる態度点によって、通知箋において、ほぼオール5を獲得し、その同級生が、その「5」の数を以てクラスの1番であると言い続けたことであった。
    その同級生、受験校に進学、最下位ランク状態が続き、高校3年の春、精神病を患い、受験戦争から脱落。私は、この同級生を批判することはなかったが、この同級生は何かにつけて私を公然と批判、敵視した。もちろん、事情を知る女の子たちは私の味方だった。

    二番目に偽善者と評価した人物は、人前で道徳を語ることが好きな、ある団体関係者だった。
    会合の場にて、「相互リンクしましょう」というので同意、私の方からリンクしたことをその人のブログで二度ほど投稿したが、反応がない。コメントが公開されず、無視された。私は裏切られたのであった。その時点で、会合にて集められた数千円の会費は、その人物と取り巻きの宿泊費等に流用されたと理解した。後日、とあるブログ記事をその人に丸ごとパクられたこともあった。
    ただ、世の中、被害を受けたのは私だけではなかったようで、ネットで検索すると、いろんなちょろまかしをやっていることがわかった。ネットで取り沙汰されるその人物の事案、概ねそのとおりであろうと思う。進んで道徳を語る人の偽善の深さを見たのであった。

    では、歴史上、最大の偽善者は、誰かということになるのだが、たまたま読んだ本に、そう解釈しうる記述がある。

    その人は、その世界で聖人と呼ばれている。
    しかし、知れば知るほど、本当にそうなのか?という疑問が湧く。
    それゆえ、布教政策上、そういう部分があったことを知られないために、彼らは、禁教された、弾圧されたと語るのではないか。

    そう語る前に、彼らは彼らの世界で、異端審問を口実に(無実かもしれない人々を)弾圧し処刑したではないか?
    自分たちがしたことを隠蔽する?一方で、自分たちがされたことのみを針小棒大に彼らは叫んでいるだけではないか?
    私はそう見ていることを指摘し、本稿を終える。



    以下は、参考文献からの転載

    ||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

    「隠れユダヤ教徒と隠れキリシタン」小岸昭


    67~78頁

    ローマのペトロ・コダチオおよびイグナチオ・デ・ロヨラ宛の一五四〇年一〇二二日付書簡の中で、ザビエルは次のように書いている。
    「私たちはこの国の宗教裁判所長官で、国王の兄弟であるドン・エンリケ王子から宗教裁判所に留置されている人たちの世話をするように幾度も頼まれました。それで刑務所を毎日訪れ、主なる神が彼らの救いのために留置して恩恵を与えてくださっているのだと、彼ら自身が納得できるように話しています。そこでは毎日全員を集めて説教をしていますし、第一週の霊操で、彼らは霊的に大いに進歩しつつあります。衆人たちの多くは、主なる神が自分たちの霊界を救うのに、必要な多くのことを学ぶ機会を与えるというおおきな恩恵を施してくださったと言っています。」

    右の書簡は、一五四〇年九月二六日、リスボンで初めて挙行された「荘重な火炙りの刑(アウトダフェ)の後に書かれたものだった。ザビエルはしかし、人間が生きたまま焼き殺されるというこの野蛮な宗教ショーの主催者側に身を寄せていたにもかかわらず、囚人たちの「霊魂の救い」や主なる神の「恩恵」についてしか述べていないのである。

    ところで、このジョルジュ・メンデスの告発者デイオゴ・デ・モンテネグロは、ザビエルが出会った囚人の中でも「極悪人」だったと言われている。スペインの異端審問所に異端者として収監されていたモンテネグロは、スペインを脱出してアフリカに逃げ、ついでリスボンに現れ、逮捕されたのはリスボンのマラーノの家を訪ねようとする矢先だった。この悪名高い「極悪人」は、「札つきの罪人」であり、「恥知らずな悪人」にして「嘘つき」であり。さらに、「魔術師」「手相見」「占い師」「予言者」であり、女性を恋に陥らせる「魔力の持ち主」であり、また「堕胎の術」をも心得ていたという。そしてモンテネグロは何よりもリスボンの隠れユダヤ教徒たちの「告発者」とされていた。もちろんイエズス会士ゲオルク・シュールハンマーの研究には、リズボンにおける「闘う教会イエズス会」の尖兵ザビエルの行動に不利なことは一切書かれていないのだが、このような「罪人」処刑に立ち会うザビエルがポルトガル・カトリックの残酷な恐怖政治に深くかかわっていたことは、疑いない。

    一五四〇年九月二六日、ついにポルトガル異端審問所最初の火炙りの刑が執行される日がやってくる。「それは、この時代ポルトガルで挙行された最も荘重な行事だった」とシュールハンマーは記している。リスボン市やその近郊から大群衆が、この珍しい見せ物を見るために集まって来る。国王、高位聖職者、そして市の貴族たちのほとんどすべてが顔をそろえている。午前六時から七時にかけて、審問官および聖職者が、大勢の貴族と貴顕紳士に伴われて徒歩でやって来る。その行列の前に、十字架が掲げられているが、これは、アルファマ地区南西のミセリコルデイアから、すでに火刑台がしつらえられているリベイラ広場まで運ばれてきたものだった。ぎっしり詰まった群衆をかき分けて、行列がやって来る。市警察と神聖裁判所の役人に伴われて、囚人たちが到着。男性九名、女性一四名の計二三名である。これら囚人たちは全員手に火をともした蝋燭を持っている。その中には、二年の懲役刑を言い渡されたジョアン・ゴメスが、終身刑を宣告されたジョルジェ・メンデスが、懲役二年を求刑されたマラーノ女性イサベル・ヌネスとその二人の娘が、そしてその後に、火炙りの刑に処せられる二人の囚人、すなわちフランス人聖職者とかのデイオゴ・デ・モンテネグロがいた。

    じつはこの時、フランシスコ・ザビエルと彼の同僚ロドリゲスは、大審問官ドン・エンリケに、最後の瞬間までこの二人の死刑囚につきそうように言われていた。したがって、ザビエルhじゃ、「極悪人」デイオゴ・デ・モンテネグロの死に至るまでこの哀れなユダヤ人の姿を、誰よりも近くから見つめていたのである。異端審問所の報告によれば、モンテネグロは、「国王の命令により、大いなる異端者として、また神聖なる信仰の敵として焼かれた」のだった。彼は目の前に突きつけられた十字架を見上げることを拒否したまま、やがて呪わしい炎の中に包まれていったという。

    この忌まわしいショーの後、「モンテネグロは無実であり、虚偽の密告によって有罪にされたのだという新キリスト教徒『マラーノ』が多かった」と書いているシエールハンマーのさりげない注釈の一行を、私たちはどのように解釈すればよいのだろうか。

    中略

    漁夫海岸に赴いてから八か月後、ザビエルはどんなに勧めても、またどんな方法を使っても、主なる神の御もとへ行こうとはしないパラヴァスの頑迷さに気づき、業を煮やす。そして真珠採取民の新生児たちが受洗しないまま次々に死んでゆくのを見るにつけて、彼は「せめて洗礼を受けてから死んでゆく幼児たちだけでも、天国へ行ってもらいたいものです」」と願わずにはおわれない。

    一五四四年八月一日付けブニカレのフランシスコ・マンシラス宛書簡に言われているように、ザビエルは今回もコモリン岬に至る漁夫海岸の心痛む道を歩く。その時彼は、「ある者は食べる物がなく、他の者は年老いて歩むことができず、ある者は死に、旅路で分娩する夫婦」などの哀れな情景を見て、「この世の最大の苦痛を感じ」ざるを得ない。しかも一五三六年に大改宗が政治的な取引によって行われた「信者の村」に行ってみれば、実際は信仰不在の惨憺たる状態だった。「ここはひどい不毛の地で、極貧そのものの状態なので、ポルトガル人は済んでいません。この地の信者たちは、信仰について彼らを教え導く人がいないために、信者であるというだけで何も知っていません」。

    つまり、大改宗の際「キリスト教徒」になったはずのパラヴァスは相変わらず元のヒンドゥー教の生活を続けていたのである。こうしたインド各地の個々の体験は、一五四九年一月一二日付イグナチオ・デ・ロヨラ神父宛書簡に言われているように、「私が今までにあったこの地のインド人は、イスラム教徒に対しても異教徒にしても、きわめて無知です」という結論に至る。
    こうした結論にも見られるように、ザビエルが布教対象にしている人々を彼らの立場に立って客観的に観察しようとする視点は、全く認められない。例えば、ザビエルの時代にもみられたはずの、コモリン岬の突端に立ち、荘厳な朝日に向かって合掌するヒンドゥー教徒たちの敬虔な祈りの光景といった、他民族独自の風俗や習慣に関する記述は一切ない。ザビエルのこのような他民族や異教徒に対する理解の欠落から、どのような制度的要求が出てくるだろうか。このような問いをもって書簡をひもといてゆけば、一般に「聖人」として仰がれているサビエルの裏側が見えてくるだろう。
    とりわけ漁夫海岸における布教活動の厚い壁に突き当たったザビエルは、次のように自らの苦衷を漏らしている。

    「信者たちに悪事をしようとする人びとは、私に対しても悪事をたくらむ者です。私にとって生きているのは苦痛であり、神の教えと信仰を証すために死ぬ方がましであると思います。」

    「信者たちに悪事をしようとする人びと」が布教の障害になっているというザビエルの認識は、そうした人々を排斥すれば布教活動が円滑に行われるはずだという見通しに繋がってゆくだろう。したがって、「神の教えと信仰を証するために死ぬほうがましである」というザビエルにとってその絶望を救い得るのは、たとえ無意識的にではあれ、「信者たちに悪事をしようとする人びと」に死を、という原理をおいてほかなにない。このような恐怖政治と境を接した原理は、ザビエルがリスボン異端審問所での「聖務」を通して体得したものではなかっただろうか。

    一五四六年五月一六日付ジョアン三世宛書簡の中で、ザビエルは布教の障害になっている「悪事をしようとする人びと」を次のように特定してゆく。
    「インド地方では説教者が足りないために、私たちポルトガル人のあいだでさえも、キシルトの聖なる信仰が失われつつあります。……(その原因は要塞のポルトガル人が)未信者たちと絶えず商取引をしているために信仰が薄く、贖い主、救い主であるキリストへの信仰よりも、しばしば物質的な利益のみを念頭においているからでございます。」

    ここで言われている「ポルトガル人」からは、信仰のために異教徒を拷問にかけ火炙りにすることに手を貸すカトリックの聖職者も、また祖国のために原住民や異教徒を虐殺する軍人も除外されている。
    ザビエルは、カトリックのロゴス中心主義とほとんど無意識的な権威主義から、右の説教者派遣の要求に、次のような驚くべき要求を続けているのである。

    このザビエルの提言から一四年後に、ゴアに異端審問所が活動を開始する。そして、一五七一年ゴア異端審問官に任命されたバルトルメウ・デ・フォンセカは、改宗ユダヤ人「マラーノ」を「神を殺す者」と呼び、狂信的なマラーノ摘発を行って、実際「ゴアを火で満たし、異端者と背教者の死体から出た灰でいっぱいにした」のである。

    例えば、一五七八年だけでも、今は整地されて花咲き匂う公園になっているオールド・ゴアのス・カセドラル前にあった異端審問所の広場で(そこから道を一本隔てたボム・ジェズ教会には、聖フランシスコ・ザビエルの遺体が現在も安置されている)、一七人が生きたまま火炙りに処せられた。この時、全員が「ユダヤ教を信仰した異端者」として断罪されたのである。こうしたカトリック国ポルトガルの恐怖政治の歴史を振り返ってみれば、私たち日本人も現オールド・ゴア博物館館長P・Pシロトゥカーの次のような言葉をどう受け止めるべきかという態度決定を迫られているように思われる。
    「今日、後年聖人として列聖されることになったザビエルは、いかに多くの人々の苦しみと残酷な死の原因となる非人間的な提言を行ったかは、想像を絶する。……ナチによる恐怖の蛮行を凌ぐ異端審問所の犯罪行為についてはもっと調査研究が行われてしかるべきである。」

    キリスト教の教えを広めるため中国に向かおうとするザビエルの最晩年、ヴァスコ・ダ・ガマの息子でマラッカの海軍総司令官のアルヴァロ・デ・アタイデ・デ・ガマとの確執があった。アタイデは、胡椒貿易の権利にからんで、使節船の中国渡航に反対し、教皇使節ザビエルの中国布教という大計画の前にたちはだかったのである。アタイデとのあらゆる交渉に行き詰まったザビエルは、ついに伝家の宝刀を抜き、人格権の剥奪と同時に、あらゆるポルトガル領からの永久追放という重罰を意味する「破門制裁」をアタイデに突きつけた。絶筆となった一五五二年一一月一三付の書簡は、そうした激しいアタイデ攻撃の言葉で埋め尽くされている。ゴヤはザビエルのこのような絶望的な状況を知っていたかのように、「悲惨と憂愁にとざされた」臨終のザビエルを描いているのである。

    ||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

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    20:15  |  社会認識  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

    2017.06.27 (Tue)

    都議選のポイント 自民党は劣勢をハネ返し民進党を壊滅できるか?

    都議選、世論調査では、都民ファーストが自民党を上回る支持率となっているそうだ。
    私は、これに納得しない。
    逆風でも自民党が第一党を獲得する結果となることを望んでいる。

    都民ファーストに勝たせてはいけないのである。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    小池ファーストに勝たせてはいけない
    http://ponko69.blog118.fc2.com/blog-entry-4428.html

    ―――――――――――――――――

    小坪しんや議員は、かく分析している。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    都議選と、豊田”事件”のタイミング、都民ファーストと自民支持者、そしてメディアの動き。2017年6月26日
    https://samurai20.jp/2017/06/toyoda-2/

    ―――――――――――――――――

    小坪しんや議員は、谷垣総裁を裏切り、谷垣総裁が総裁戦出馬できない状況に追い込んだ、石原伸晃について批判的である。

    谷垣元総裁、現在、人前に出る機会はないようだ。
    谷垣総裁の時代、自民党は本当に苦しかった。離党者が続出した。議席も減った。政党交付金も減った。
    そんな状況で、谷垣総裁は有志議員を引き連れ全国行脚、街頭演説にて自民党各支部を自民党支持者を鼓舞、激励し、自民党党内および支持者の結束を何度も呼びかけた。
    野党自民党ではあったものの、野党時代の地方選、本当に強かった。
    谷垣総裁、お世辞にも演説はうまくはない。が、そのお人柄があってその言葉が語られ、多くの有権者が選挙にて、再び自民党に託そうという盤石な流れを作ったのは確かだ。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    第24代自民党総裁 谷垣禎一 の最後の言葉を忘れるな!
    https://www.youtube.com/watch?v=ctmqIy9MkjQ

    ―――――――――――――――――

    この動画は、自民党史に残されるべき動画であろう。

    自民党が野党の時代、外国人参政権法案、人権侵害救済法案が国会審議事案として何度も取り沙汰された。
    その度に、各自かき集めたメールアドレス、ないしFAX番号の宛先に、何度もメール、FAXした方が多いと思う。
    私の場合、かき集めたメールアドレス件数が1000件を超えた。

    自民党も苦しかったし、保守支持層もみんな苦しかった。
    谷垣総裁はその苦しかった時代、支持者の心を再び掴み、野田政権の解散、保守回帰の流れを作った、最大の功労者である。

    しかし、その保守回帰のチャンスを国家や党のためでなく、自身の出世欲のために行動した者がいた。総裁選において、(自民党が野党時代)左程汗を流さず、総裁選工作だけ熱心に取組む人物もいた。

    それゆえ、私は、石原伸晃や石破茂が大嫌いである。もちろん、内田某も嫌いだ。

    そんな中で、前回都知事選挙前までは、都議会自民党の体質は温存され、小池百合子は逆風をモノともせず勝利し、都議会議員選挙に都民ファーストなる看板で臨んでいる。

    私は、小池百合子候補を、都知事選挙において消去法的に支持した。自民党公認候補が納得できる候補ではなかったからだ。

    今回の都議選の見どころについて、「自民党と都民ファーストの確執」であるとマスコミは取り沙汰している。

    が、それは本筋ではない。

    都議選の本筋は、自民党と都民ファーストの騒動を創り出し、選挙の争点として、また二大対立軸であるかのように演出することで、民進党を挟み撃ちにすることにあるとみている。

    敢えて、安倍首相が、自民党の応援演説に立たないと言われているのは、挟み撃ちであることを気づかせないためか、あるいは自民党は左程劣勢ではないとみている、そう分析した結果ではないか。

    なぜなら、都民ファーストはどうみても政治の素人?候補者だらけ?であるからだ。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    【2017都議選 首都決戦】都民・美人元歌手が自民・無所属現職に挑む 選挙地盤が固い南多摩、やや混戦模様
    http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170627/soc1706270005-n1.html?ownedref=not%20set_main_newsTop

    ―――――――――――――――――

    安倍首相が遊説に出れ出るほど、都民ファーストが素人集団であることが一目でわかってしまう。

    従って、シナリオ的には、世論調査では都民ファーストが第一党を伺う勢いを先行させつつも、危機感を煽り、選挙戦の最終盤で帳尻を合わせる作戦なのであろう。

    楽観は禁物だが、自民党と都民ファーストで、民進党を挟み撃ちにし、壊滅させる選挙結果となることを期待している。

    そして、もう一つ注目していることがある。それは、日本共産党批判に特化しつつある、日本第一党の岡村幹雄候補である。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    岡村幹雄候補 主な政策の説明 
    https://m-okamura.japan-first.net/policy.html

    平成29年6月25日 日本第一党岡村幹雄候補 東京都議会選挙演説(八王子駅北口)
    https://www.youtube.com/watch?v=bO7-8T6AT6k

    ―――――――――――――――――

    日本共産党は、選挙妨害・選挙違反事案続出だそうである。

    既存政党が、はっきり言わないことをはっきり指摘する岡村候補者の存在はもっと注目されるべきだろう。

    以上

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    20:06  |  選挙  |  トラックバック(1)  |  コメント(3)

    2017.06.27 (Tue)

    共産主義思想の文系学者たちを追撃せよ

    戦後、共産主義者たちとGHQが緊密に連携し、諸方策が採用、公職追放によって在日朝鮮人そして左翼系の人たちは大量にポストを得た、と言われている。
    学術分野的には、古代史、皇位継承学、憲法学、国家神道論において、公職追放の影響があることを最近強く意識するようになった。



    古代史において、津田左右吉の影響を受けた、共産主義思想の学者の学説について、大平裕はその著作にて、学説上の問題点を指摘している。

    「歪められた日本神話」(萩野貞樹)において、彼らの学説、検証手法、学問的姿勢について、具体的にどういう問題があるのか読む事ができる。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    古代史歴史学者の学説、学問的姿勢に係わる問題点 
    http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-271.html

    ―――――――――――――――――



    共産主義思想の憲法学者たちが皇位継承学をないがしろにした問題については、中川八洋がその経緯について分析した。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    【皇室問題】  憲法学者が悪さをしたのは「9条改憲阻止」だけではない!
    http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-506.html

    ―――――――――――――――――



    憲法で規定する、天皇に係わる条項が存在するのに、共産主義思想に被れた憲法学者たちは、それにふれようともせず、天皇制について、否定的な研究態度を示してきたこともわかってきた。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    皇位継承学  我々は「憲法学」を誤解しているのではないか?
    http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-520.html

    ―――――――――――――――――



    さて、国家神道については、Wikipediaにて、戦後長らく、その大家だと言われてきた第一任者の定説が覆されつつあるとの記述がある。

    //////////////////////////////////

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E9%87%8D%E8%89%AF

    村上重良

    出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年6月)

    村上 重良(むらかみ しげよし、1928年10月10日 - 1991年2月11日)は、日本の宗教学者。

    東京生まれ。都立一中などを経て、1952年、東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。慶應義塾大学講師を務める。

    日本共産党に属し、日本共産党に敵対的な創価学会および公明党を批判する著作や論文をいくつも発表していた。しかし宮本顕治が中心となって、「日本共産党と創価学会との合意についての協定」(創共協定)を1974年12月に締結したことに始まり、日本共産党指導部が宗教に対する融和的態度を示したことに反発し、世界1977年10月号(岩波書店発行)で、「共産主義政党と宗教 『創共協定』を再考する」という論文を発表し、宮本指導部を公然と批判したため党から除名された。

    国家神道の研究で知られ、特に岩波新書の『国家神道』は国家神道論における定説として長く扱われてきた。村上によると、明治政府は神道を国教化しようとして当初から天皇を中心とする神の国を作り上げようと精力的に動き国民を神道信仰に駆り立てたという。しかし、近年の島薗進・阪本是丸・新田均らによる検証により、そもそも、明治政府の中にも伊勢派・出雲派などの路線対立が有り、一枚板ではなかったこと、明治政府の神道信仰の強制がほとんどなかったことなどの史実を踏まえると、村上の国家神道論は粗雑かつ本人の先入観に基づく説だったのではないかといわれるようになり、学界での影響力は低くなっている[要出典]。

    主な著書

    単著[ソースを編集]
    『近代民衆宗教史の研究』法藏館、1957年
    『創価学会と公明党』日本文華社、1964年
    『創価学会=公明党』青木書店、1967年
    『近代日本の宗教者』あそか出版社、1967年
    『日本百年の宗教』講談社現代新書、1968年 改題改訂『近代日本の宗教』
    『成田不動の歴史』東通社、1968年
    『国家神道』岩波新書、1970年
    『金光大神の生涯』講談社、1972年
    『出口王仁三郎』新人物往来社、1973年
    『ほんみち不敬事件』講談社、1974年
    『慰霊と招魂-靖国の思想-』岩波新書、1974年
    『教祖』読売新聞社、1975年
    『仏立開導長松日扇』講談社、1976年
    『天皇の祭祀』岩波新書、1977年
    『現代宗教と政治』東京大学出版会、1978年
    『評伝出口王仁三郎』三省堂、1978年
    『日本宗教事典』講談社、1978年(のち講談社学術文庫)
    『現代日本の宗教問題』朝日新聞社、1979年
    『新宗教 その行動と思想』評論社、1980年(のち岩波現代文庫)
    『世界の宗教』岩波ジュニア新書、1980年
    『日本の宗教』岩波ジュニア新書、1981年
    『現代宗教と民主主義』三省堂、1982年
    『国家神道と民衆宗教』吉川弘文館、1982年
    『神と日本人』東海大学出版会、1984年
    『宗教の昭和史』三嶺書房、1985年
    『天皇制国家と宗教』日本評論社、1986年
    『靖国神社』岩波ブックレット、1986年
    『天皇と日本文化』講談社、1986年(のち『日本史の中の天皇-宗教学から見た天皇制-』と改題して再刊)
    『世界宗教事典』講談社、1987年(のち講談社学術文庫)

    編著
    『公明党』新日本出版社、1969年
    (笠原一男)『現代日本の宗教と政治』新人物往来社、1971年
    『皇室辞典』東京堂出版、1980年

    //////////////////////////////////


    「国家神道」、語彙的には、【第二次世界大戦前より存在し、議会や神道学、内務省、陸軍省などでは「国家神道」およびその同義語を用いている例がみられる。】だそうだ。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93

    が、学術的には、敗戦後の研究(後付けという意味)である可能性が十分にある。

    国家神道の概念を否定すべきものと、扱われるきっかけとなったのが、GHQによる神道指令であることは確定的である。ただし、その神道指令自体が、誤解・早とちりに基づく指令であったことをGHQも認識せざるを得なくなり、指令の部分修正を余儀なくされた。(詳細本稿では解説しないが)

    ―― 参考情報 ――――――――――

    「神道指令」全文について 
    http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-319.html

    ―――――――――――――――――

    すなわち、戦後に勃興した国家神道否定論者は、時間が経てば経つほど、戦勝国の代理人GHQという勝ち馬に乗り調子に乗り、国体を否定した「敗戦利得者」=「GHQ御用学者」という評価となることは避けられないのである。



    また、共産主義者が学問的に権威を持ち、古代史、皇位継承学、憲法学、国家神道論に係わったことで、学術的な視点での研究がないがしろにされている事実を、戦後70年を経て広く知られることとなった。共産主義者たちは正統な学問の破壊者ということになるだろう。

    実際、文系学者たちは、職務上の学術と称する研究ではなく、慰安婦問題について政府がとった措置や、平和安全法制に介入しつつある。
    以下は、その一例である。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    16の歴史学会は自ら「権威」を捨てた
    http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-418.html

    ―――――――――――――――――

    政治声明を出した16の歴史学会は、「学術上の権威」とは異なる「権威」を求め始めた。尋常な学会とは言えまい。

    職業公務員学者であることを放棄、(誰も見ていない)教官室で政治活動に明け暮れる「学者と称する者」たちを学者として扱う必要はあるのか?
    「本来的に学者であることをやめた学者たち」を学者として扱う必要はあるのか。
    かような学会声明は、もはや権威が、変質したことを意味する。彼らは、GHQ体制を堅持、日本が悪い国であり、日本が永遠に敗戦国であり、戦勝国に謝罪しなくてはならない、そのために「権威」を維持したいようである。

    「ユダヤは日本に何をしたか」(渡部悌治)には、こう書いてある。

    ||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

    79~80頁

    日本における「神の国運動」も、ユダヤの王の再臨を準備するということであって、賀川豊彦らがアメリカ共産党からの資金によって主唱していたものであった。この運動も日本の内応者を養成する企みからなされたものだ。キリスト教の単なる信仰上の運動であるならば問題はなかったのだが、陰に隠された企みがあったのである。
    この陰謀は、私が東北学院の神学生だった頃、御殿場の東山荘で開催されたキリスト教青年夏季講習会に出席し、講義の内容と講師たちの密議から体験によって知りえたことである。

    「日本人がユダヤの王の前に立つためには、日本という国家を背負った驕り高ぶったままの姿であってはならない。悔い改めによって遜らなければならぬ。日本人はそう簡単には国を捨てない。国を捨てさせるには、国そのものを無くしてしまえばよろしい。それは戦争によって日本を負かすしかないのだ。日本が戦争に敗れて打ちのめされてはじめて遜るようになるのである。そうなれば天皇の神格も地に落ち、国民も拠り所を失う、それによって日本も共和国となりうる」
    というのが密議の主旨であった。

    ||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

    各方面の、在野の研究者たちの努力が結実すれば、あと2~30年もすれば、戦後、一世を風靡した敗戦利得型の、共産主義思想の文系学者たちは、完全に居場所を失うであろうし、偉大な学者という評価であった人ほど、何ゆえに平気で人を騙し唆し革命させ世界を破壊するような思想に被れてしまったのか?後世の調査研究対象の素材として扱われやすい、という「悲運」というか「十字架みたいなもの」を背負うことになるのである。

    ―― 参考情報 ――――――――――

    エンゲルス宛ての「マルクスの書簡」に書かれているとんでもないこと 
    http://nihonshitanbou.blog.fc2.com/blog-entry-313.html

    ―――――――――――――――――

    すなわち、とんでもない思想に被れてしまった時点において、彼らは学術分野に係わる資格を失ったことを意味する。

    敗戦利得型の学者であればあるほど、後世にて、いろいろな形で、おもちゃにされかねないのである!

    それでも「権威と称するもの」を開陳、振り回すのであろうか?


    以上










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