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2017.05.08 (Mon)

日銀審議委員の人選  アベノミクスを託せる人に求められる能力と資質

経済学と聞いて、専門家の世界だと思われる方がおられるかもしれない。
私は10年くらい前までそう思っていた。

ここで、政治家、日銀、エコノミスト、一般には経済の専門家と思われてきた方たちが、無力な存在だったか、確認しておきたい。

まず、政治家。民主党海江田万里が代表になった直後は、庶民にフレッシュな印象を与えた。が、化けの皮が剥がれ、批評はするが、分析と言える水準での分析を怠り、政策提言のレベルに達しなかった。
衆議院解散総選挙で、アベノミクスを否定していながら、アベノミクスに代わる対案を示せなかったのは、海江田が経済の専門家ではなく、経済ネタで語りたいタレントでしかないことを証明する結果となった。

次に、日銀総裁。麻生政権末期に就任した、日銀白川総裁は、頑迷に自説に固執し続けた。各国が自国通貨安に走る中、独自の路線を貫いた。
私は、ある時、日銀に問い合わせした。ある経済指標の見方についてである。
同時に私は日銀職員に質問した。日本を代表する輸出企業の業績として倒産するレベルの赤字を出そうが、雇用が失われようが、日銀は無関心かつ無関係なのか、私はそういう質問をしたのであるが、当時の日銀は、白川理論絶対主義だった。私は、自分の良心に従い、日銀そのものをリストラ対象と見定め、提言を行った。日銀の組織全体を大幅にスリム化すべきと考えたのである。その白川日銀総裁は、任期一杯、頑迷に自説にこだわり、自らリスクを冒して動こうとしなかった。そして、円高に抗しきれず、エルピーダは倒産、シャープは身売り、国内の電機メーカーは家電部門をほぼリストラ、そういう企業動向にある。
民主党政権の時代、日銀は、弱電業界がどうなろうと、雇用がどうなろうと、白川理論の正統性を主張し続けたのである。
地方で名士気取りで講演活動する、日銀支店長たちに、民間企業の悲鳴など、まったく届かない時代だったのである。それゆえ、白川元総裁に私は尋ねたいのである。あなたは、日本経済を低迷させた総裁の1人ではないのか。日銀マン全員に、白川のような総裁を二度と輩出させないために、民間企業派遣研修を義務付けたいくらいである。

次に、会社にいた、職務上しかるべき経済研究組織を率い経済レポート作成を担当していた、ある部長を紹介したい。この方、経済の知識は豊富、蔵書は3万冊前後、しかし株の世界ではボロ負け状態。信じられないことではあるが事実である。ある時、私は、この人から儲ける方法を教えて欲しいと請われ、蔵書の中から3冊の本を届けた。この方は、経済の世界と株式の世界の区別がついていないのではないかと思う。

私は、経済学を大学で学んだことはない。業務の都合で、原価計算書を作成するために損益計算書と貸借対照表を読める程度、とある資格試験を受験する関係で経済理論全般、簿記等について網羅的に勉強した程度。
そんな私でも、経理屋の苦労もなんとなくわかった。経理屋がいないと会社経営が成り立たないこともわかった。また、金融市場において何が起きているのか、3年間くらいほぼ毎日、職場で日経新聞を読んでいた。

そういう程度の経験と知識しかないのであるが、世の経済の専門家は、市場と乖離し、それぞれの経済理論と一体化した施策にこだわり続けている気がしていた。

ここで、民主党代表、白川日銀総裁、職場の部長、3人に共通していることがある。


判断を間違って、自分の懐が痛むとか、首が飛ぶとか、そういう切迫感が微塵も感じられないことである。彼ら3人にとって、経済分析、それ自体が他人事なのである。

真珠湾攻撃やミッドウエー海戦の現場におらず、離れたところで(将棋を指しながら?)報告を受けていた、山本五十六連合艦隊司令長官とダブって見えてしまうのである。

また、職務柄、マクロ経済分析について係わった関係で、経済専門家が行う分析について、曖昧さを感じている。数値モデルを設定して数値解析を行うのであるが、解析結果を文章でまとめようとすると、極端に論理的な面と(そうあって欲しいと願う)感情的な面が同居しているような気がするのだ。

どの分野についても言えることだが、感情を殺し、淡々と状況を分析、将来の推移を予想する、当たり前のことができている研究者は極めて少ない。

経済記者はどうか。総じて言えることだが、ある人がこう言った、別の人はそう言った、さらに別の人はああいうふうに言っている、単なる伝聞情報の羅列である。検証手法の提示もない。人の噂話だらけで、腰を据えた分析作業は皆無みたいな感じである。

こういうことなので、経済専門家たちが書くこと、語ることについて受け入れることを躊躇ってきた。

が、偶然手にした本、書評的には大した評価ではないが、その本をリトマス試験紙にして経済の推移を眺めれば、アベノミクスの全貌がほぼ掴めるのではないか、そう思いつつある。


その本とは、「世界が日本経済をうらやむ日」(浜田宏一、安達誠司)である。
世界が日本経済をうらやむ日


発刊してから2年半経過、内容的に陳腐化している思う人がいるかもしれない。かなりの人が読んだ本であるが、今もってアベノミクス支持者にとっては、必読本だと思う。


この本には、経済学の専門家に関する驚くべき事実が書いてある。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

188~189頁

経済学に最大の害毒をもたらした学説

カリフォルニア大学でイエレンの同僚である経済学者のクリスティーナ・ローマー(大統領経済諮問委員会の元委員長)は次のように発言している。
「なぜこれまで金融政策が効かなかったのかといえば、それは金融政策がアメリカですらまともに実行されてこなかったからです。効かない、効かないと言って、試されていなかったからです」
「今までに経済学で、『金融政策が効かない』という学説ほど害毒を流したものはないのです」


224~225頁
マクロ経済学の専門家がほとんどいない日本

安達
マクロの経済政策の効果を正しく理解している市場関係者は稀であるどころか、ほぼ皆無なため、日本はマクロ経済に対する後進国になってしまっているのです。

浜田
それはソロスを筆頭とする大きなヘッジファンドが、マクロ経済を分析したうえで投資を行い、しっかり利益を上げていることが広まってきたからですか?

安達
そうですね。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

これらの指摘は重要である。
二人の著者は、

金融政策に関する経験則が見当たらないこと

マクロ経済政策を正しく理解できない、「経済専門家と称する専門家モドキ?」が、アベノミクス批判しているという「信じがたい滑稽な現象」が起きていたこと


を示唆している。

確かに、アベノミクスの効果は十分であるとは言い難い。楽観できない。より強力な金融政策が求められている。が、アベノミクス批判論者がマクロ経済政策を批判していないとは………………


ここまでやってきたのであるから、政権を維持するためにも、アベノミクスを貫徹する必要はある!


そして、この本を読んだ印象なのであるが、総じて言えることだが、浜田宏一は我が子の成長を見るような視点で経済動向を眺めていることだ。

しかし、アベノミクスは正念場に追い込まれている。物価目標達成のところで足踏みしている。

その浜田宏一の叡智を以てしても、当初の見込み予想と異なることがあり、三橋貴明のブログでは軌道修正を余儀なくされていると書かれている。

「三橋貴明 浜田宏一」で検索いただきたい。

それは、誰がやっても難しいことのように見える。そうであるならなおさら、他人事のように金融緩和事案を扱う人よりも、我が子、我が孫を扱うように日本経済全般を眺め、少なくとも国を愛する経済の専門家に託したい、そういう人に託すべきではないのか、それが本稿を書いた動機である。


ちなみに、冒頭で挙げた、経済政策に詳しいはずの、3人の人物評価はこうなる。

民主党海江田は、日本の事よりも中韓の事が気になる左翼
白川元総裁は、企業がどうなろうと、雇用がどうなろうと無関心だった共産主義的テクノクラート
会社の部長だった人は、なんと、隠れ共産主義者だった

経済の世界、なんとかしよう、なんとかしたいと考える経済専門家は極端に少ないのである!

それが私が経験的に得た結論であり、そう考えるがゆえに、国家・国民に対し温かく、時に熱い気持ちで職務に取り組む経済専門家に、日銀審議委員になっていただきたい、そうあって欲しいのである。


―― 参考情報 ――――――――――

注目の審議委員「リフレ派」候補 日銀の「台風の目」となるか
https://www.j-cast.com/2017/05/06296862.html?p=all

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以上

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15:23  |  政府機関  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2017.05.08 (Mon)

改憲論争  都度加憲・正確に記述された憲法 どちらが合理的か

本稿、日本国憲法を改憲した場合、改正条項の条文について、「何でもかんでも糞真面目かつ正確に記述」すべきかどうかという視点に着目した私見である。

5月3日の安倍首相のビデオレター、読売の単独取材で言及した憲法改正方針などから、改憲する立場から見た場合、二つの手法が存在することが判明した。

しかし、5月3日に安倍首相が発表したビデオレター、読売の単独取材で言及した憲法改正方針は、国家の形としての憲法なのだから(糞真面目に)正確に記述すべきであると考える、戦後レジームの明確な脱却を目指す人にとっては、不評のようである。

日本国憲法、本来的には、「何でもかんでも糞真面目かつ正確に記述」されるべきことではある。

これは、人の生き方に例えるならば、そこに人間が居れば、常に清く正しく美しく生きなさい、そういう道徳と一体化した憲法観である。
365日24時間あるべき論を語り実践しなさいという生き方に通じる。愛人をつくることはもっての外、正月明けに吉原の高級ソープなんぞにこっそり通ってははいけないという主義主張に近い。

そんな四角四面な人はいるのか???
いるはずもない……………
政治家を含め、他人には、365日24時間あるべきことを求める一方で、そう要求する人はどうなのか??

現実的には、2/3の議席維持や国民投票などの手順を考えると、糞真面目な条文に仕上げれば仕上げるほど、(後の改憲を含め)改正に向けた手続きがやっかいなことになる。
一方、レトリックを駆使した加憲という手法が採用できれば、憲法問題で世論が分断されるような事案について、従来の議論も憲法学的研究も友連れで不要としうる可能性がある。

私は、二つの手法があると説明している。



・国家の重要事項について糞真面目かつ正確に記述されているもので、状況に応じて憲法学者の研究や違憲判断を必要とするもの(現在の憲法)

・(レトリック手法を駆使した?)加憲を繰り返すことで、最終的には当たり前のものの道理が書かれ、憲法学者の研究や違憲判断をしだいに不要とするもの(5月3日の安倍首相が表明した改憲方針の100年後のイメージ?)


前者は、改憲にこだわればこだわるほど、国内的には国内世論分断するレベルの論争が続く。
後者は、100年もすればGHQ憲法が無効化されたことに、多くの人が気づくことになるだろう。

正しいのは前者であることは間違いない。
潔癖な生き方を好む方は、前者を選ぶだろう。

が、糞真面目かつ正確に記述された条文的憲法は、必ず存在させるべきものであろうか?
いわゆる憲法がない国もある。

―― 参考情報 ――――――――――

イギリスには憲法がない?
https://office-kurayama.co.jp/20160806103530

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ここで、安倍談話を思いだしたい。安倍談話は、あのレトリックの手法を駆使し、村山談話を否定、消滅させた可能性があるのだ。

「反日同盟 中国・韓国との新・歴史戦に勝つ!」にて、ケント・ギルバート、室谷克実、石平各紙は、安倍談話をこう評している。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

石平
ー日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていったー私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。
つまり、「挑戦者」という言葉を二回も使って、「日本は間違った」ということを述べている。しかし、過去の日本の行動に照らして現状を見るならば、これは明らかに中国に向けてのメッセージと取れます。「あなたたちも同じ過ちを犯さないように」と。

ケント・ギルバート
そうですね。深く読むといろいろな意味が浮かび上がってくる。よくできている文章だと思います。

石平
戦後、アメリカや欧州、あるいはオーストラリアといった国々は、戦争で味わった苦痛を乗り越えて、日本に対して寛容な態度で接してくれた。それに対する感謝の気持ちが談話には表現されていました。これは同時に、中国や韓国に対する皮肉でもあったと思います。「あなたたちは、どうして戦争を乗り越えられないのか」と。

ケント・ギルバート
私もそれを感じました。

室谷克実
私はあの談話を読んで、あの文章をつくった日本の文化力を感じました。何人もの手が加わった合作でしょうが、あのようなハイレベルなメッセージを作れる国は、めったにないと思うな。

ケント・ギルバート
アメリカのメデイアは厳しい見方をしていると言いましたが、特に指摘していた点は、「安倍首相は自分で謝罪したわけではない」ということ。たしかに、本人は謝っていない。国がこれまでこんなに謝ってきましたよ、という説明に終わっている。

石平
そうです。それこそが、あの戦後七十年談話のいちばんのミソですよ。ようするに、もう「謝りませんよ」ということ。安倍首相は、日本政府の立場として謝罪に終止符を打ったのです。

ケント・ギルバート
ボールは向こう側にある。「私たちは将来に向けて、積極的に世界へ貢献していきますが、あなたたちはどうするの?まだ過去にばかりこだわるの?」という問いかけですよね。とても強い姿勢が感じられる。

室谷克実
ただ、「韓国は相手ではありませんよ」と言っている(笑)たとえ談話にどんな言葉を盛り込んだとしても、韓国は認めなかったでしょう。そうであるなら、無駄な発言をする必要もなかったわけだ。

ケント・ギルバート
村山談話が出ても彼らは収まらなかったのだから、もうこれ以上同じことを言ってもしょうがないですよ。

石平
もうひとつ重要な意味。それは村山談話を葬り去ったということ。日本はこの二十年あまり、村山談話や河野談話に縛られてきた。ついにそこから脱してきたわけです。これまでは必ず「村山談話を受け継ぐのかどうか」を問われてきた。でも、もはやその問題は存在しないんです。これからは「安倍談話をどう認識するか」というのが論点となる。村山さんは談話が発表された当日、「私の談話は受け継がれていないじゃないか」とおっしゃいましたね。まさにそれでうよ。よくわかっていらっしゃる(笑)

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||




安倍首相が見出したであろう加憲の手法、おそらくレトリック的手法を駆使した条文が記述されることになるだろうが、その手法が100年くらい継続すればGHQ憲法無効化されることになると予想する。



100年もすれば無効化する、多くの人がGHQ憲法は、無効化したことに気づいた時点で、それなら、全面的に書き直した方がいいと判断、そこで………………



この手法は、安倍談話における(レトリックを駆使したことによる)村山談話否定手法に似ている。安倍談話を注意深く読まれた方なら気づくことではある。



必要な時に必要な修正が行われる議席が獲得でき、かつテロ等の発生がない政治情勢であれば、憲法は本来的には糞真面目かつ正確に記述されるべきだ。

改憲論争にエネルギーを使い果たさざるを得ない憲法のままでいいのか?

ふざけたスタンスかもしれないが、憲法とセットで個別法の議論を正攻法でやるくらいなら、
誰が見ても正攻法の条文、手続きとセットでやるくらいなら
それだけの投入できるエネルギーがあるなら、(集団的自衛権の解釈変更でしたように)個別法の法整備(スパイ防止法、外患罪改正、敵基地先制攻撃への対処)を急いだ方が合理的で実効的ではないかと思いつつある。



個別法や個別の措置を先行させて、後追いでの改憲の方が(場合によっては加憲?)、後々何度も改憲しやすいのではないかという意味である。



私は、投入するエネルギーと得られる成果を比較して、書いている。
不真面目な見方かもしれないが、常に正攻法(手続き、条文等)である必要はあるのだろうか?

5月3日の安倍首相が表明した改憲方針は100%正攻法ではないかもしれない。

が、100%正攻法で敵基地先制攻撃や核武装について憲法条文にどう盛り込むかについて、国家を二分する論争となって、その論争の最中の危急の時に、巡航ミサイルすら保有できず、敵に巡航ミサイルを一方的に撃ち込まれる事態を招くよりは、いいのではないか、そういう点において、合理的であろうという評価となる。

一方で、改憲のすべての手続き、条文の記述について糞真面目かつ正確な記述にこだわることは、憲法それ自体については、100%合理的評価となるのだが、その論争の最中に、巡航ミサイルすら保有できず、敵に巡航ミサイルを一方的に撃ち込まれる事態を招いた場合において、国家全体でみれば合理的ではないという判断となるのである。

以上

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