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2017.05.20 (Sat)

日本はハサミ撃ちに遭ってきたのではないか

アメリカは、各国にTPP参加を呼びかけたが、最後になって不参加を表明した。

そのアメリカがアメリカ第一主義を唱え、各国と個別に貿易交渉に臨んでいる。

TPPは、各国の主権を制限する要素があったことはかねてから指摘されている。

つまり、日本を含めた、TPP交渉に参加した各国の経済は、TPPに不参加のアメリカと、TPPという得たいのしれないシステムにハサミ撃ちに遭っていることになる。



同様のことは、戦前において起きていた。

途上国外交においては、国際法と植民地支配が同居していた。
中国や朝鮮については、当時、国際法を極限まで遵守したのは、私は、日本だけであろうという見方をしている。
欧米列強で、国際法を忠実に遵守していた国はあったのか?

つまり、中国について言えば、日本は、国際法と欧米列強・ソ連に支援された中華民国にハサミ撃ちに遭ったことになる。



その時代、日本は、国際連盟においてもそれなりの役割を担った。

その国際連合は、言い出しっぺはアメリカ、そのアメリカが不参加。馬淵睦夫は、国際連盟はそれ自体が国家の主権の制限を目的としていると指摘する。

満州事変以降、日本は、「欧米列強が主張する論理ないし原則を掲げる国際連盟」と「国際法」の板挟みに遭っていた、と私はみている。



戦後は、冷戦によって、日本は、共産主義国とアメリカの狭間で浮いたり沈んだりした。

日本列島は、ソ連、中国、アメリカのハサミ撃ちに遭っていた、ということである。



愛国議員はどうだったか?
迂闊なことを言えば、マスコミに叩かれ、アメリカに目を付けられる、そういう時代が続いた。

国産兵器推進派の田母神俊雄は、田母神論文にてマスコミに叩かれ、今度は、C●Aの手先と思われる検察に政治生命を奪われようとしている。

田母神俊雄は、明らかに、ハサミ撃ちに遭っているとみていいだろう。



日本企業はどうだったか?
冷戦終結以降は、クリントン大統領が連日のように、対日制裁を連呼、日本は仕方なく、中共に工場移転、半導体やスマホの世界では、アメリカと中国企業のハサミ撃ちに遭っているようだ。

時期は若干前後するが、サムソンを筆頭に韓国の弱電メーカーが世界的シエアを伸ばした。ところが韓国に投資、名だたる韓国企業の株主は、アメリカの金融資本。日本の金融資本がどうしていたかというと、不良債権処理とその後遺症のため、海外進出を一旦取りやめた時期と重なる。
銀行に係わる、BIS規制、この種の規制を遵守している銀行は、日本の銀行くらいなものではないかと、考えるのである。

つまり、BIS規制は、日本の銀行をハサミ撃ちにするために編み出されたものではなかったかと。



ここで、ある歴史書に書いてある、ハサミ撃ちが成功すると幸福感に浸るとされる、ブログ「時事随想抄」で述べられている、ある歴史上の人物のことについて紹介したい。


||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://blogs.yahoo.co.jp/gakumonnoiratume/71779587.html

ガブリエル・ローナイ氏の『The Tartar Khan’s Englishman』では、チンギス・ハーンの幸福感が紹介されております。チンギス・ハーンは、まずは「What is the greatest happiness in life?(人生で、最も幸せなことは何か)」と部下に質問し、”清々しい朝に鷹狩に出かけて鷹が獲物を捕った時である”との返答を得ると、おもむろに、自らの幸福感を披露したそうです。書くのも憚られるような内容なのですが、「No, this is not true happiness.  The greatest pleasure is to vanquish yourenemies, to chase them before you, to rob them of their wealth, to see theirnear and dear bathed in tears, to ride their horses and sleep on the whitebellies of their wives and daughters.(いいや。それは、本当の幸せではない。最大の喜びは、敵を敗走させて、挟み撃ちとし、彼らの富を奪い、近親者が涙に暮れているのを眺め、彼らの馬に乗り、彼らの妻や娘たちの白い腹を枕にして、眠ることである)」と答えたというのです。

https://blogs.yahoo.co.jp/gakumonnoiratume/71875954.html

本年3月21日付本ブログにて述べました‘人を挟み撃ちにすることによって不幸のどん底に陥れることを最大の喜び’とするチンギス・ハンGenghis Khanの思想です。ロスチャイルド家は、もとの家名は「カーンkhan」というモンゴル起源の名であることに示唆されますように、モンゴルの思想に近い考え方を持っていたと推測することができます。
 
ただ単に性格が悪いだけではなく、所謂‘悪知恵’が働くことに、その権力伸長の鍵があるのです。獰猛な恐竜のティラノザウルスは、獲物を追い詰めるにあたっては、挟み撃ちにするなど、知能レベルは高かったとされています。

事実、昨今の政治・社会状況を概観してみますと、例えば選挙戦において、有権者は、所謂‘どっちを取ってもダメ’という状況に追い込まれているように思えます。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

こう考えると、世界を支配し、日本をハサミ撃ちにしようと歴史上の悪行を繰り返した、国際金融資本一族のDNAは、このモンゴルの支配者に遡るのではないかと、思えてならないのである。


以上

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2017.05.15 (Mon)

キリスト教的価値観でみて「皇室祭祀」は宗教活動にあたるのか

アメリカ国務省そしてGHQが、キリスト教的価値観で勘違いした結果、神道指令が出され、日本国憲法が制定され、現時点で、神道はキリスト教から「国家神道」とレッテル貼りされ攻撃対象とされている。

また、拙ブログはキリスト教的価値観で政教分離を語る問題
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-470.html

にて、

GHQの勘違いが証明され
かつ、アメリカ国内での政教分離実態が日本のキリスト教会が主張しているものほど厳格でないこと
かつ、日本の神道が、キリスト教ほど侵略的でも攻撃的でも排他的でもないこと
が確認されたことによって、
日本のキリスト教会の政治的主張(靖国・政教分離問題)は、完全に正統性を失ったと考えるに至った。

その前提で、標記「天皇の祭祀は『宗教的活動』に当たるのか?」について、確実に言えることがある。

少なくとも、
教会施設において政教分離的でない政治活動が常態化し
神道を侵略的、攻撃的、排他的とみなしてきた
キリスト教会に、神道や政教分離問題を批判する(道理的)資格がないことである。


我々日本人には、有史以来続く、宮中祭祀の伝統がある。

―― 参考情報 ――――――――――

宮中三殿 -宮中祭祀神道の意義-
http://www.nippon-bunmei.jp/topics/turedure/%e3%80%9012%e3%80%91-%e5%ae%ae%e4%b8%ad%e4%b8%89%e6%ae%bf%e3%80%80%ef%bc%8d%e5%ae%ae%e4%b8%ad%e7%a5%ad%e7%a5%80%e7%a5%9e%e9%81%93%e3%81%ae%e6%84%8f%e7%be%a9%ef%bc%8d.html

―――――――――――――――――

私は問いたい。
天照大御神の時代、古事記が編纂された時代、「政教分離」なる政治用語は存在したのか?

あるはずもない。

もう我々は、キリスト教的価値観で、神道、皇室祭祀、政教分離を語る必要はないのである。

神道界のすべての混乱は、GHQ占領後、キリスト教的価値観で、神道、皇室祭祀、政教分離を扱おうとしたことに起因するのである。




「天皇の祈りはなぜ簡略化されたか  宮中祭祀の危機」において、著者斎藤吉久は、天皇の祭祀は「宗教的活動に当たらない」としている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

138~139頁

血縁的、地縁的共同体を信仰の母体とする神道にはもともと布教の概念がありません。宮中祭祀はあくまで儀式であって、信者拡大の意図がありません。皇室は宗教団体ではありません。国民の信教の自由を圧迫しようがないのです。天皇の祭祀は「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」(憲法二十条三項)と憲法が規定する「宗教的活動」には当たりません。

139頁

もし宮中祭祀が宗教的意義を持ち、神道を援助、助長、促進し、他宗教を圧迫、干渉すると本気で考えるのなら、比叡山延暦寺で開宗以来、毎春、行われる天台密教再興の秘法「御衣加持御修法」に際して、天皇の使いである勅使に天皇の衣(御衣)を運ばせることにも、二○○五年春に亡くなった教皇ヨハネ・パウロ二世の追悼ミサに天皇の名代として皇太子が参列したことにも、抗議の声を上げなければなりませんが、そのような原理主義は誰も支持しないでしょう。

中略

ローマ法王ベネデイクト十六世が、二○○六年十二月、宗教的和解のためにトルコのイスタンブールにあるスルタン・アフメット寺院、通称「ブルー・モスク」を表敬し、崇高な祈りを捧げられたことは、世界の多くの共感を呼びましたが、日本の天皇は異なる多様な宗教への経緯を一千年以上も前から示してこられました。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

そのうえで、「政教分離はキリスト教の問題である」と結論づけている。



私は、ものの道理を書いている。
糺されるべきは、勝手気ままに政治活動してきたキリスト教側にあることがはっきりした以上、行き過ぎた政治活動を改めないのであれば、キリスト教が批判されることは仕方がないことである。

同時に、教会施設内で、行き過ぎた政治活動をやめさせるようとする、牧師、司祭、信者が現れないことも問題としなくてはならない。拙ブログを読まれている読者の中でクリスチャンの方がおられるなら、もしその教会で反日政治集会が日常茶飯事のように行われ、信者のあなたがそれを阻止することができず、それを批判しないなら、あなたはその教会の会員であることをやめるべきだ。

私はある牧師にこう質問したことがある。
「なぜこの教会は、政治活動だらけであるのかと。」
その牧師は、当時の私に明確に回答できなかった。

そういう私は、日本のキリスト教会は既に本来のキリスト教ではないのではないか?という疑問を持ちつつある。

それは、キリスト生誕直後、キリスト復活直後、宗教改革直後、それぞれの時代に本来とは異なる道筋に入ってしまったような気がする?

陰謀論の本の読み過ぎかもしれないが、あのローマ教皇庁も、いつの間にか、変な人たちが支配する宗教団体に見えてしまうのである。

うまくは説明できないが、ニーチェのアンチクリスト、現代語訳「キリスト教は邪教です」は、本来の教義から変質した実態を分析した名著と考えるのである。

キリスト教は邪教です

以上

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