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2018.12.04 (Tue)

問題新聞社には「江戸時代の改印制度」を適用すべきではないのか?

本稿は、憲法上の制約があることを承知しての提言。

江戸時代に出版物の統制があったこと、ご存じであろうか?

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://www.jti.co.jp/Culture/museum/exhibition/2001/0109seip/shuppan.html

天保の改革と新しい検閲

 天保十二年(1841)五月、老中水野忠邦を中心とするメンバーにより政治改革令が出された。天保の改革の特徴の一つとして、ぜいたくや風俗の乱れに対する取締りが非常に厳格であったことがあげられる。歌舞伎に対する弾圧や、寄席の制限が見られた他、出版物への統制も厳しく行われ、庶民のささやかな娯楽が改革によって奪われていった。

 寛政二年(1790)にも出版物全般に対する統制令が出されていたが、天保十三年(1842)六月の出版統制令は、それよりも、はるかに厳しいものだった。例をあげると、寛政の統制令では浮世絵に一般の娘の名前を特定して描くことは禁止されたものの、一般の人ではない遊女や歌舞伎役者などを描くことについては問われなかった。しかし、天保の出版統制では、そういった人気商売の人々まで、浮世絵の題材とすることが禁じられた。庶民向けの小説類も同様で、登場人物を歌舞伎役者に似せて描くことや、ぜいたくな風俗を描写することが禁止された。見せしめのためか、柳亭種彦や為永春水といった人気作者が風紀を乱すとして罰せられ、種彦の『偐紫田舎源氏』も、絶版という処分を受けた。

 そのような中、ちまたでは、歌川国芳が描いた『源頼光公館土蜘作妖怪図』について、改革で弾圧された諸産業を描いているとの風評が立った。

 老中水野忠邦は、あまりに厳しく改革を断行したため反発を買い、天保十四年閏九月罷免された。水野はその後一時再任されるも、改革はゆるんでいった。しかし、一度打撃を受けた出版界では、改革の余波を恐れてか、しばらくは自粛しながらの出版が続いた。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

『謎解き 広重「江戸百」』(原信田実)にて、浮世絵にて適用された検閲手順の詳細説明が読める。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

17~18頁

改印とは
『江戸百』に描かれている図像の謎を解くのに、江戸時代の出版検閲制度もみておく必要がある。寛政の改革以降、本だけでなく浮世絵を出版するにも許可が必要だった。検閲とは本や絵の内容を事前に改めることだが、一枚摺りでそれが始まるのは寛政二年(一七九〇)である。『江戸百』が出版されていた当時の浮世絵の場合を例にとると、版元、すなわち今でいう出版社は、出版しようとする絵の下絵(版下絵という)を、町名主の絵双紙改掛に提出する。版下絵は墨で輪郭だけを描いたものだが、改掛が吟味して、出版してもよいということになると、その証明として、提出された下絵に許可印が捺される。これが改印である。改印は時期によって形式が異なり、当初は「極」の円印ひとつだった。時代が下り嘉永六年(一八五三)から安政四年(一八五七)にかけては、「改」の印と年月印の二つが捺されている。それを見れば、この時期の浮世絵は何年何月に許可されたかがくわしくわかるのである。江戸時代、都市は十二支で表記されていた。たとえば、安政三年は辰年と表記される。したがって、安政三年の二月に許可された場合には、「辰二」という印が捺されることになる。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

現在の日本国憲法の条文などから今日的なやり方として妥当なのかという見方はあるかもしれない。



が、朝日などの新聞社、朝日の論調を踏襲するテレビ局の報道姿勢などから、偏向捏造が常習化している新聞社について、江戸時代に行われた検閲制度を参考とすることを検討すべきではないのか?

確かに、第二十一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」とある。

もちろん、特定国を利することを意図したスパイ工作、世論操縦、国家転覆を意図した言論まで保障する必要はないというスタンスである。
「憲法9条で、戦争放棄、戦力を保持しない」としている一方、集団的自衛権を認めていること、ヘイト法が存在していることなどを知れば、国家に対する犯罪レベルの言論まで保障する必要はないとする見解を導くことは可能であろう。



小川榮太郎が、「徹底検証 テレビ報道「嘘」のからくり」にて、指摘したように、①平気で嘘を付く、②公共性への配慮が全くない、③理論や学問、専門性を重視しない、④教養と常識に欠けるマスコミについて、「憲法に書いてあることを字面どおり適用かつ表現の自由を際限なく保障すること」をやめ、訴追可能とする、罰則適用するか、発禁するか、検閲するなどの措置を考えてもいいのではないかと考えるのである。



以上

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13:05  |  法整備  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2018.11.28 (Wed)

安易に「反日外国人」を帰化させてはならない

ある元東大教官が、近い将来帰化を検討しているようなので、帰化制度の見直しに関して提言したいことがあり出稿することとした。

本題に入りたい。

姜尚中なる東大教官だった人物が帰化を検討中とのことである。

―― 参考情報 ――――――――――

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(46)姜尚中 在日2世物語の終焉 もう国籍にこだわらない
https://www.sankei.com/life/news/181124/lif1811240011-n1.html

―――――――――――――――――



反日的言動などから、奉仕の精神が決定的に書けていることは証明済である。
東大の教官とて、一人の公務員学者に過ぎないのであるが、在日物語を語ることは諦めたそうだ。

腹立たしいのは、さんざん朝鮮半島の祖国の利益に繋がるような反日的言動を繰り返しておきながら、帰化することについて、居候させてもらった国家に対する感謝の気持ちもなさそうであることだ。

自身の祖国で、反韓運動やった日本人が果たして帰化できるのであろうか?


姜尚中については、いろいろ問題発言があった。

―― 参考情報 ――――――――――

姜尚中(カンサンジュン)の怪
https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12095099125.html

姜尚中
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E5%B0%9A%E4%B8%AD

―――――――――――――――――

こんな程度の公務員学者がなぜ東大名誉教授になれるのか?私は疑問に思っている。
私の恩師が、東大だけには負けるな語った意味は、私の世代において、このような人物が最高学府の教官職であることが社会的に許されるべきかということなのである。



最近は、徴用工問題についても口出ししようとしている。

―― 参考情報 ――――――――――

姜尚中、元徴用工問題は「問題の本質からずれてしまっている」
https://dot.asahi.com/aera/2018112700034.html?page=1

―――――――――――――――――



詳細について論評するつもりはない。
外国籍の人間に嫌韓問題について指図される謂われなどない。今さら、日本寄りに軌道修正する必要もない。外交上解決済である事案を、日本側が知恵を絞る必要もない。
今でも専攻が政治学であるとするなら、自身が語った知恵と称する部分についてアイデアを開陳すべきだ。政権が案を出してから元公務員学者が論評するようなことでは、後出しでの論評ということになるし、専門性を疑われるだけだ。



帰化を検討しているので、はっきり明言しにくい気持ちもあるのだろうが、このような人物が帰化申請者の中に多数含まれていることを想定すると、現状の「帰化申請者に対する宣誓書」では物足りない。

―― 参考情報 ――――――――――

宣誓書 帰化申請
https://samurai-law.com/kika/dllist/dl_w17/

―――――――――――――――――




最後に本稿とまとめとして、

・破防法による監視対象となっていた組織に一時期所属するなど、思想的に危険視される反政府活動に参加した経験がある帰化申請者に対し、帰化させない制度の新設
・過去において反日的言動が疑われる、帰化申請者についてパブリックコメント実施
・申請時に思想的に反政府的ではないものの、過去において反政府活動に参加した経験がある帰化申請者については、謝罪文を書かせる措置の新設(反日的言動があったのに虚偽の申告をした場合は、帰化取り消し)

するなど、法規制強化すべきと考える次第。

以上

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19:09  |  法整備  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2018.11.27 (Tue)

加害者の権利を過剰に保護する「個人情報保護法」運用

被害者の個人情報のみ報道され、加害者の住所、氏名についての記述がない自動車事故報道を見つけた。
日本のマスコミは誰の利益のために報道しているのであろうか?
ひょっとすると加害者は、在日帰化人の医者なのであろうか?創価系の人物なのであろうか?共産党系の病院に勤務している医師なのであろうか?



加害者は無免許運転だったそうである。



こんな筋の通らない報道を私は受け入れるつもりはない。

新聞を必要としない根拠となる。個人情報保護法の運用を変え。加害者の住所、氏名情報を必ず情報公開かつ報道、被害者については被害者の同意を必要とする様、報道方針を180度変更すべきだろう。



||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://www.yomiuri.co.jp/national/20181126-OYT1T50020.html?from=ytop_main4

医師運転ポルシェ追突、横転トラックの男性死亡
 

2018年11月26日 15時24分

 25日午後0時半頃、兵庫県尼崎市南城内の阪神高速神戸線上り線で、芦屋市の男性医師(50)が運転する乗用車が、明石市旭が丘、会社員手槌てづち一郎さん(70)運転の中型トラックに追突した。トラックは横転し、手槌さんは頭を強く打ち間もなく死亡。乗用車も炎上し、男性医師も胸などに重傷を負った。

 県警高速隊によると、現場は片側3車線の直線道路。乗用車は独ポルシェのスポーツカーで、高速隊は乗用車がスピードを出しすぎたとみて事故原因を詳しく調べている。

 この事故の影響で、尼崎西―姫島インターチェンジ(IC)間の上り線が午後1時頃から約4時間半、通行止めとなった。
 
2018年11月26日 15時24分

https://www.yomiuri.co.jp/national/20181127-OYT1T50010.html?from=ytop_main8
  
 兵庫県尼崎市の阪神高速神戸線で乗用車が中型トラックに追突しトラックの運転手の男性(70)が死亡した事故で、県警高速隊は26日、芦屋市、医師の男(50)を自動車運転死傷行為処罰法違反(無免許過失運転致死)の疑いで逮捕した。
  
 発表によると、男は25日午後0時半頃、尼崎市南城内の阪神高速神戸線上り線で、独ポルシェのスポーツカーを無免許で運転中、トラックに追突して横転させ、運転手の男性を死亡させた疑い。

 男は昨年3月に運転免許の取り消し処分を受けているが、調べに対し、「弁護士にしか話さない」と黙秘しているという。高速隊が事故原因を詳しく調べている。
 
2018年11月27日 08時59分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

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16:58  |  法整備  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2018.10.22 (Mon)

そもそも業界法がないことが根本的な問題ではないのか

言論人・ジャーナリストに関して、相反する二つの意見がある。

―― 参考情報 ――――――――――

【新聞に喝!】“倒閣運動家”と化した記者たちよ、もはやその「論法」は通用しない 作家・ジャーナリスト 門田隆将
https://www.sankei.com/column/news/181021/clm1810210006-n1.html

国民は政府より正義のマスコミに味方する、とマスコミ関係者が断言 相手を怒らせてでも情報を引き出せ
http://japannews01.blog.jp/archives/50514891.html

―――――――――――――――――

申し訳ないが、この次元での議論に付き合うつもりはない。
なぜなら、保守系論客は、左翼の発言に反応したに過ぎないからだ。

もっと大局的な視点に立ち、問題提起、提言を試みる。

私は、包括的なマスコミ規制法、個別法として、新聞法、放送法、ネットメデイア法が必要だと思う。包括的な規制が問題だと言うなら、企業としてのマスコミは規制しても、フリージャーナリストの活動領域については自由度を確保するというやり方があるだろう。

業界法で不足しているのは、それだけではない。広告代理店業法がないのも問題。

当然のことながら、消費者基本法における、新聞、テレビ、ネットメデイア条項もない。これもマスコミを利用する消費者として不満な点である。

また、当然の事ながら、政治記者については、資格制度が必要な気がする。

記者倶楽部制度については、廃止でいいだろう。それでも残すなら、組織の性格上国籍条項適用するか(日本人限定)、記者倶楽部登録記者の氏名、国籍、帰化の有無等を表示すべきだ。

その他に、電波使用料大幅引き上げ、押し紙問題等もある。

また、スパイ防止法との関連で、記者倶楽部登録記者等について特定国政府機関職員との接触を禁止するというやり方もあるだろう。外患罪について、マスコミ条項を追加するという考え方もある。北朝鮮に対する更なる制裁強化にも期待している。

上記の相反する二つの意見を比較した結果、左翼の言論人・ジャーナリストたちは、マスコミについては法整備的に余りに未整備な状況に安住、自分たちに都合の良い論理を示し正当化しようとしているだけだと言いたいのである。



政権に対しては、この中のどれでもいい。マスコミが嫌がることを着実に具現化、法制化を望む次第である。


以上

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05:27  |  法整備  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2018.10.13 (Sat)

憲法9条改憲  重要なことが見落とされているのではないか?

Suica割さんは、日米安保と在日米軍の存在についてこう述べている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1152.html#comment1635

日米安保条約の文面は良く考えてある

適切な行動をとるという文面は、暗黙のうちに、アメリカの主体的判断によるという意味合いを持たせ、在日米軍の行動には、日本国の国権が及ぶ領域でないことが、述べられている。

最終的に国権の及ばない領域に違憲性は問えないのは明白である。

他国に自国の安全を委ねることを違憲とする条項も無いため、その面でも合憲といえる。(日本の主権は、保護国としての主権であり、情けないこと甚だしいが。)

在日米軍を日本が勝手に動かせるのであれば、違憲となってもおかしくはない。
しかし、アメリカの命令でしか在日米軍は動かないので、違憲とはならない。

Suica割 |  2018.10.11(木) 12:25 | URL |  【編集】

二つの立場で考えられますね。

■論点2 Suica割さんが指摘する道理(在日米軍が駐留している以上、日本国政府には命令権がない⇒命令権がない国家の自衛隊は戦力の保持にあたるわけがない⇒自衛隊が違憲である訳がない)

この立場に立つと、日本は、アメリカからみると、中国のマカオや香港のような立場にあたります。
それならば、日本は世界最大の特別自治区という扱いですね。
自衛隊も日本国よりも上位の連邦政府の命令による州兵組織と解釈でき、日本国憲法骨抜きによる合憲組織といえます。

元々、私が言いたかった立場
NATOの欧州駐留軍と在日米軍は同一な性格の組織と前提に置いています。
1 他国の軍隊の駐留を明確に否定する条項が日本国憲法には無いため(あったら、GHQの占領批判を招きかねないから、置くわけがない)、在日米軍の駐留自体は、一応、他の条項との絡みがなければ、合憲とします。
2 その上で、字面通りに九条を読み解けば、自衛隊は自衛隊法により、規定され、国家組織として統制され、総理大臣に最終的な命令権が付与されているため、憲法違反の組織と認定されるという立場から、在日米軍を見てみます。

在日米軍は、100%日本側の費用負担があったとしても、米国組織のため、命令する権利自体を日本は持たない。
お願いをして活動してもらうことは可能だが、日本国政府がダイレクトに命令を下して行動をしてもらうことは、内政干渉に当たり不可能。
日本国政府の統制下の組織に無いものに、日本国憲法違反を突きつけるのは不可能。
1と2より、在日米軍の違憲性は問えないので、合憲という立場です。

Suica割 |  2018.10.11(木) 11:18 | URL |

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

一応、Suica割さんの見解は、概ね穏当なものであるような気がする。
が、在日米軍関係者が日本国憲法、憲法9条について、国際法、国連憲章と関連づけてどう解釈しているのが気になるところである。

どうやら、国内的視点だけで9条を語り過ぎたようである。

同時に、諸外国が、自衛権についてどう解釈しているのか、国際法との関係、戦争や軍隊の位置づけについてどうみているのか、憲法9条改憲の前提条件として、比較検証しなくてはならない気がする。

改憲の前提条件として認識しなくてはならないポイントは三つあるようだ。

三つのポイントとは、

・現行国際法の限界
・戦争の目的と期間の変化
・軍事的要求の変化

である。

「情報と国家戦略」(太田文雄)から該当箇所を一括転載させていただく。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||


66~73頁
現行国際法には限界がある
国際法の父といわれるグロチウスが出現したのは、近代国民国家が誕生し始めるウエストファリア条約締結の前後でした。国際法は、その字の如く国と国との際を既定していることから、二十一世紀の戦争携帯である非国家主体とコアリションを規定するには新しいスキームが必要となり始めています。
その第一が、前項で述べた先制攻撃の問題です。国連憲章五十一条には「武力攻撃が発生した場合は」として自衛権を認めており、厳密に解釈すれば先制攻撃は国際法違反となりますが、既述の如く今日では多くの国が先制攻撃を是認し始めています。
第二に、一国の内政に関しては干渉を行わないという規範は国連憲章第二条七項に規定される国際社会の大原則の一つです。しかしながら今日の国際社会では、状況によっては、この内政不干渉原則を排除し、不当かつ過度な人権の侵害に対しては、それがたとえ一国の領域内で生起した事象であっても、対処するべきであるという新たな規範が生まれつつあります。

中略

第三に、現在グアンタナモで拘束されているアル・カイダのような非国家主体やイラクで多国籍軍と戦っている反政府勢力を、国際法上の戦闘員とみなし捕虜として待遇すべきか否かという議論が生じています。逆に非国家主体であるテロリスト達が、国際法の捕虜規定など厳守してくれることがないことがわかっているので、米国もイラクでは国家の雇用人ではなく民間会社が雇用する元軍人等にセキュリテイをアウト・ソースし始めています。
第四に、海上におけるテロ活動や海賊といった非国家主体の行為について、現在の海戦法規は何も規定していません。

戦争の期間も目的も変化している
十九世紀に生起した国家対国家の戦争は、普仏戦争にしても日清戦争にしても、月を単位とし、数ヶ月で終結しています。二十世紀の同盟間で生起した戦争は、第一次、第二次世界大戦とも約四年間ですので数年の単位の長さといえます。二十一世紀の対テロ戦は、おそらく数十年を単位とした長さになるのではないかと思われます。理由は、国家であれば停戦交渉ができますが、どこにいる誰かが判らない相手に王手はかけられないからです。一面で対テロ戦はテロリストを壊滅することができないため、交通事故のように皆無にすることはできず、連綿として継続する努力によって発生を一定のレベルに抑えるといった結末に落ち着くのではないでしょうか。
戦争の目的も変化しています。十九世紀における国家間の戦争においては、領土の拡張が主たる目的でした。普仏戦争ではアルザス・ロレーン地域を獲得することがプロシャの目的でした。日清戦争によって、日本は台湾と、後に三国干渉で手放すことになった遼東半島を獲得しました。一八四六年に生起した米墨戦争で米国はメキシコからカリフォルニアやアリゾナを獲得しました。

しかし二十世紀の同盟間の戦争においては、第二次世界大戦や冷戦の勝者である民主主義国家群は戦後、その領土を増やしていません。第二次世界大戦の勝者、英・仏などはむしろ植民地を失っています。したがって、達成した目的は民主主義というイデオロギーや制度の優越性といえそうです。そして二十一世紀の対テロ戦における目的は、人命の安全や抑圧からの自由といった、人間の生存上基本的なことに帰着していくのではないでしょうか?

中略

二○○三年二月に米国が出した「テロリズムと戦うための国家戦略」の冒頭には国力の全ての手段を使う、として外交、経済、法規制、財政、情報、インテリジェンス、そして軍事が挙げられています。とりわけ非国家主体との戦いにおいては、単に軍だけではなく、警察、海上保安庁、出入国管理といった法執行機関との連携が必須となってきます。

このため省庁間協力が国家間の戦争や同盟間の戦争よりも重要性を増し、軍の役割も単に敵の殲滅ではなく。「戦争以外の軍事作戦」(Military Operation Other Than War:MOOTW)にも対応できるような多機能かつ柔軟な能力が求められています。

軍事的要求も変化する

ウエストファリア条約以前の兵士は主として傭兵が集められましたが、ナポレオン戦争を契機に国民皆兵の時代となり、徴兵制度が確立され始めてきました。しかし、現時阿徴兵制をとっている国は減少しつつあり、かわりに特殊部隊のような少数のプロフェッショナルな兵士を必要とする時代となっています。例えば一九八八年時点でのNATOメンバー一五カ国を基準とした場合、志願制をとっている国はアメリカ、イギリス、カナダ、ルクセンブルクの四カ国に過ぎなかったのですが、二○○三年の時点では、これにフランス、オランダ、スペイン、ベルギーの四カ国が加わって八カ国に、さらに二○○五年にはイタリア、ポルトガルが加わって一〇カ国となります。そしてロシアですら兵員に占める割合は徴兵制から志願制へとシフトしつつあります。

特殊部隊に関しては、二○○三年に発表されたオーストラリアの国防報告で特殊部隊を増加させ、特殊戦司令部の設立を明記しています。また、米国の二○〇五年国防予算に関しても特殊部隊の役割を拡張することが明記されています。このことは、国家間あるいは同盟国間の戦争のように国を挙げての総力的戦争から、高度技術兵器と、それを扱う高度に訓練された兵士や専門家が大きな役割を果たす戦争へと移っていることを示しています。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

これは、今から10年前に書かれた本からの引用である。まだ、日本は諸外国の十年前の次元にも達していない。

こうして眺めていくと、憲法9条に自衛隊の文字がないこと、言い換えると、憲法と自衛隊との関係がはっきりせず自衛隊法のみを根拠法とする前提での自衛権の行使は、現行国際法の限界、変化する戦争形態(目的、期間等)、変化する軍事的要求等に対し、省庁横断的かつ持てる国力を総動員した対応とするには、いささか不安が残るといわざるを得ない。

9条2項削除が正解と言えるのか、ということである。
まだ、解釈で凌げる9条2項を残しつつ、自衛隊の文言を挿入した方が、自衛隊内も国際法上の対応も緊急時の国会対応もしやすいのではないか。

自衛隊の文言がないと、侵略戦争のみならず、対テロリスト戦、国連PKO、それぞれについて、都度国際法の解釈とセットで国家として迅速な意志決定どころか具体対応もしにくい。

諸外国がの動静を勘案すると、なおさら、「自衛隊」の文字が憲法9条に含まれていないのは問題視されるべきなのだ。

要するに、9条2項削除すべきとする石破茂の主張は、自衛隊の存在どころか、国際法上の解釈をなお一層複雑化、脆弱なものにすることが懸念されるのである。

つまり、石破茂は何もわからず主張しているか、知っていて敢えてリスキーな9条2項削除を主張しているという見方に繋がるのである。


以上

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