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2018.10.13 (Sat)

憲法9条改憲  重要なことが見落とされているのではないか?

Suica割さんは、日米安保と在日米軍の存在についてこう述べている。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1152.html#comment1635

日米安保条約の文面は良く考えてある

適切な行動をとるという文面は、暗黙のうちに、アメリカの主体的判断によるという意味合いを持たせ、在日米軍の行動には、日本国の国権が及ぶ領域でないことが、述べられている。

最終的に国権の及ばない領域に違憲性は問えないのは明白である。

他国に自国の安全を委ねることを違憲とする条項も無いため、その面でも合憲といえる。(日本の主権は、保護国としての主権であり、情けないこと甚だしいが。)

在日米軍を日本が勝手に動かせるのであれば、違憲となってもおかしくはない。
しかし、アメリカの命令でしか在日米軍は動かないので、違憲とはならない。

Suica割 |  2018.10.11(木) 12:25 | URL |  【編集】

二つの立場で考えられますね。

■論点2 Suica割さんが指摘する道理(在日米軍が駐留している以上、日本国政府には命令権がない⇒命令権がない国家の自衛隊は戦力の保持にあたるわけがない⇒自衛隊が違憲である訳がない)

この立場に立つと、日本は、アメリカからみると、中国のマカオや香港のような立場にあたります。
それならば、日本は世界最大の特別自治区という扱いですね。
自衛隊も日本国よりも上位の連邦政府の命令による州兵組織と解釈でき、日本国憲法骨抜きによる合憲組織といえます。

元々、私が言いたかった立場
NATOの欧州駐留軍と在日米軍は同一な性格の組織と前提に置いています。
1 他国の軍隊の駐留を明確に否定する条項が日本国憲法には無いため(あったら、GHQの占領批判を招きかねないから、置くわけがない)、在日米軍の駐留自体は、一応、他の条項との絡みがなければ、合憲とします。
2 その上で、字面通りに九条を読み解けば、自衛隊は自衛隊法により、規定され、国家組織として統制され、総理大臣に最終的な命令権が付与されているため、憲法違反の組織と認定されるという立場から、在日米軍を見てみます。

在日米軍は、100%日本側の費用負担があったとしても、米国組織のため、命令する権利自体を日本は持たない。
お願いをして活動してもらうことは可能だが、日本国政府がダイレクトに命令を下して行動をしてもらうことは、内政干渉に当たり不可能。
日本国政府の統制下の組織に無いものに、日本国憲法違反を突きつけるのは不可能。
1と2より、在日米軍の違憲性は問えないので、合憲という立場です。

Suica割 |  2018.10.11(木) 11:18 | URL |

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

一応、Suica割さんの見解は、概ね穏当なものであるような気がする。
が、在日米軍関係者が日本国憲法、憲法9条について、国際法、国連憲章と関連づけてどう解釈しているのが気になるところである。

どうやら、国内的視点だけで9条を語り過ぎたようである。

同時に、諸外国が、自衛権についてどう解釈しているのか、国際法との関係、戦争や軍隊の位置づけについてどうみているのか、憲法9条改憲の前提条件として、比較検証しなくてはならない気がする。

改憲の前提条件として認識しなくてはならないポイントは三つあるようだ。

三つのポイントとは、

・現行国際法の限界
・戦争の目的と期間の変化
・軍事的要求の変化

である。

「情報と国家戦略」(太田文雄)から該当箇所を一括転載させていただく。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||


66~73頁
現行国際法には限界がある
国際法の父といわれるグロチウスが出現したのは、近代国民国家が誕生し始めるウエストファリア条約締結の前後でした。国際法は、その字の如く国と国との際を既定していることから、二十一世紀の戦争携帯である非国家主体とコアリションを規定するには新しいスキームが必要となり始めています。
その第一が、前項で述べた先制攻撃の問題です。国連憲章五十一条には「武力攻撃が発生した場合は」として自衛権を認めており、厳密に解釈すれば先制攻撃は国際法違反となりますが、既述の如く今日では多くの国が先制攻撃を是認し始めています。
第二に、一国の内政に関しては干渉を行わないという規範は国連憲章第二条七項に規定される国際社会の大原則の一つです。しかしながら今日の国際社会では、状況によっては、この内政不干渉原則を排除し、不当かつ過度な人権の侵害に対しては、それがたとえ一国の領域内で生起した事象であっても、対処するべきであるという新たな規範が生まれつつあります。

中略

第三に、現在グアンタナモで拘束されているアル・カイダのような非国家主体やイラクで多国籍軍と戦っている反政府勢力を、国際法上の戦闘員とみなし捕虜として待遇すべきか否かという議論が生じています。逆に非国家主体であるテロリスト達が、国際法の捕虜規定など厳守してくれることがないことがわかっているので、米国もイラクでは国家の雇用人ではなく民間会社が雇用する元軍人等にセキュリテイをアウト・ソースし始めています。
第四に、海上におけるテロ活動や海賊といった非国家主体の行為について、現在の海戦法規は何も規定していません。

戦争の期間も目的も変化している
十九世紀に生起した国家対国家の戦争は、普仏戦争にしても日清戦争にしても、月を単位とし、数ヶ月で終結しています。二十世紀の同盟間で生起した戦争は、第一次、第二次世界大戦とも約四年間ですので数年の単位の長さといえます。二十一世紀の対テロ戦は、おそらく数十年を単位とした長さになるのではないかと思われます。理由は、国家であれば停戦交渉ができますが、どこにいる誰かが判らない相手に王手はかけられないからです。一面で対テロ戦はテロリストを壊滅することができないため、交通事故のように皆無にすることはできず、連綿として継続する努力によって発生を一定のレベルに抑えるといった結末に落ち着くのではないでしょうか。
戦争の目的も変化しています。十九世紀における国家間の戦争においては、領土の拡張が主たる目的でした。普仏戦争ではアルザス・ロレーン地域を獲得することがプロシャの目的でした。日清戦争によって、日本は台湾と、後に三国干渉で手放すことになった遼東半島を獲得しました。一八四六年に生起した米墨戦争で米国はメキシコからカリフォルニアやアリゾナを獲得しました。

しかし二十世紀の同盟間の戦争においては、第二次世界大戦や冷戦の勝者である民主主義国家群は戦後、その領土を増やしていません。第二次世界大戦の勝者、英・仏などはむしろ植民地を失っています。したがって、達成した目的は民主主義というイデオロギーや制度の優越性といえそうです。そして二十一世紀の対テロ戦における目的は、人命の安全や抑圧からの自由といった、人間の生存上基本的なことに帰着していくのではないでしょうか?

中略

二○○三年二月に米国が出した「テロリズムと戦うための国家戦略」の冒頭には国力の全ての手段を使う、として外交、経済、法規制、財政、情報、インテリジェンス、そして軍事が挙げられています。とりわけ非国家主体との戦いにおいては、単に軍だけではなく、警察、海上保安庁、出入国管理といった法執行機関との連携が必須となってきます。

このため省庁間協力が国家間の戦争や同盟間の戦争よりも重要性を増し、軍の役割も単に敵の殲滅ではなく。「戦争以外の軍事作戦」(Military Operation Other Than War:MOOTW)にも対応できるような多機能かつ柔軟な能力が求められています。

軍事的要求も変化する

ウエストファリア条約以前の兵士は主として傭兵が集められましたが、ナポレオン戦争を契機に国民皆兵の時代となり、徴兵制度が確立され始めてきました。しかし、現時阿徴兵制をとっている国は減少しつつあり、かわりに特殊部隊のような少数のプロフェッショナルな兵士を必要とする時代となっています。例えば一九八八年時点でのNATOメンバー一五カ国を基準とした場合、志願制をとっている国はアメリカ、イギリス、カナダ、ルクセンブルクの四カ国に過ぎなかったのですが、二○○三年の時点では、これにフランス、オランダ、スペイン、ベルギーの四カ国が加わって八カ国に、さらに二○○五年にはイタリア、ポルトガルが加わって一〇カ国となります。そしてロシアですら兵員に占める割合は徴兵制から志願制へとシフトしつつあります。

特殊部隊に関しては、二○○三年に発表されたオーストラリアの国防報告で特殊部隊を増加させ、特殊戦司令部の設立を明記しています。また、米国の二○〇五年国防予算に関しても特殊部隊の役割を拡張することが明記されています。このことは、国家間あるいは同盟国間の戦争のように国を挙げての総力的戦争から、高度技術兵器と、それを扱う高度に訓練された兵士や専門家が大きな役割を果たす戦争へと移っていることを示しています。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

これは、今から10年前に書かれた本からの引用である。まだ、日本は諸外国の十年前の次元にも達していない。

こうして眺めていくと、憲法9条に自衛隊の文字がないこと、言い換えると、憲法と自衛隊との関係がはっきりせず自衛隊法のみを根拠法とする前提での自衛権の行使は、現行国際法の限界、変化する戦争形態(目的、期間等)、変化する軍事的要求等に対し、省庁横断的かつ持てる国力を総動員した対応とするには、いささか不安が残るといわざるを得ない。

9条2項削除が正解と言えるのか、ということである。
まだ、解釈で凌げる9条2項を残しつつ、自衛隊の文言を挿入した方が、自衛隊内も国際法上の対応も緊急時の国会対応もしやすいのではないか。

自衛隊の文言がないと、侵略戦争のみならず、対テロリスト戦、国連PKO、それぞれについて、都度国際法の解釈とセットで国家として迅速な意志決定どころか具体対応もしにくい。

諸外国がの動静を勘案すると、なおさら、「自衛隊」の文字が憲法9条に含まれていないのは問題視されるべきなのだ。

要するに、9条2項削除すべきとする石破茂の主張は、自衛隊の存在どころか、国際法上の解釈をなお一層複雑化、脆弱なものにすることが懸念されるのである。

つまり、石破茂は何もわからず主張しているか、知っていて敢えてリスキーな9条2項削除を主張しているという見方に繋がるのである。


以上

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15:18  |  法整備  |  トラックバック(0)  |  コメント(1)

2018.10.11 (Thu)

憲法9条の文言  そもそも字数不足・説明不足だった

本稿は、

―― 参考情報 ――――――――――

憲法9条  本当はこう書かれるべきだった?
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1149.html

―――――――――――――――――

の追記の位置づけ。

前項では、憲法9条は、国際法、大西洋憲章、国連憲章を引用していることを注記することを含め、もっと長い文章で書かれるべきだったとした。

本稿の目的は、視点を変え、9条の文言が字数不足であるとする見解、護憲派憲法学者が好む字面解釈だけでは説明がつかない事案が存在することを示すことにある。


■論点1 共産党議員が9条の条項について字数が不足していると指摘した事実

大田区議会議員犬伏秀一はこう指摘している。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

https://blog.goo.ne.jp/inuhide/e/c585f907ddb1d953bc7db999c2982500
終戦後、昭和21年2月3日所謂マッカ-サ-三原則の指示により、たった10日間で憲法の素人である米国軍人が英文で作成したものが日本国憲法原文であります。衆議院憲法審査会事務局が平成28年11月に作成した資料には(押し付け憲法!?)とまで書かれているのです。このまさに「日本を骨抜」にした米国製憲法を後生大事に70年以上も使っていることは屈辱的ですらあります。ここで、昭和21年第90回帝国議会衆議院本会議におけるある議員の発言をご紹介いたします。

 「戦争には我々の考えでは二つの種類の戦争がある。1つは不正の戦争で他国征服、侵略の戦争である。これは正しくない。同時に侵略された国が自国を守るための戦争は、われわれは正しい戦争といってさしつかえないと思う。いったい、この憲法草案に戦争一般抛棄という形ではなしに、これを侵略戦争の抛棄、こうするのがもっと的確ではないか。(中略)要するに、当憲法第二章(第9条)は我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危うくする危険がある。それ故わが党は民族独立の為にこの憲法に反対しなければならない。」

と、この議員は述べているのです。まことにもっともな意見であります。これは、実は日本共産党を代表して質疑にたった野坂参三氏の言葉であります。私は常々、日本共産党諸君の深い見識に敬意を表しているのでありますが、特にこの質疑は特筆すべきであり、野坂氏を含む社会党など8名が現日本国憲法案に反対票を投じながら、昨今は護憲を表明しているのはどう理解したらいいのでしょうか。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


■論点2 Suica割さんが指摘する道理(在日米軍が駐留している以上、日本国政府には命令権がない⇒命令権がない国家の自衛隊は戦力の保持にあたるわけがない⇒自衛隊が違憲である訳がない)


Suica割さんは、こう述べている。


||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1149.html#comment1626

伊達裁判について

私は、これは、九条を字面のまま読んでも、在日米軍の駐留は違憲になるとは思いませんでしたね。
ましてや、統治行為説を出すまでもないと思ってました。
自衛隊が違憲という立場を前提に考えてみても、在日米軍はそう思わなかったのには訳があって、他国の軍隊や戦力を置いてはいけないと書いてないのがひとつ。
米軍に資金、資材、駐屯地の便宜を図っても、日本国政府には命令権が無いのがひとつです。
日本を守るかは、アメリカ次第。
例え、守るという確約があっても、条約や協定を破棄されたら、守らなくても良くなるのが現実。
防衛してくれる確約があっても、それは、アメリカ政府の合意のもとに、規範的な命令を軍に下したのと同じ。
武力行使をされても、米軍が自発的に動いてくれるか、アメリカ政府に頼んで動かしてもらうしかないのならば、日本国政府の命令権があるとは到底言えません。
命令権が無い国家組織なぞ、ナンセンスなものがあるわけ無いのですから、戦力の保持にあたるわけがありません。

こういう常識が無さそうなのが、護憲派にいた(今もいるのでは?)というのが、何なのだろうと思いますね。

Suica割 |  2018.10.09(火) 22:10 | URL |

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

違憲判断そのものの間違いの指摘である。


■論点3 9条の字面中心の解釈にて自衛隊違憲と解釈するなら(新憲法制定前から駐留している)在日米軍も違憲なのか?


篠田英朗の「ほんとうの憲法」からの転載。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

56頁

確かに、憲法9条2項にもとづいて、一切の軍隊を保持しない状態を維持したのであれば、日本は世界でも非常に希有な国家として知られることになっただろう。ただそれは発生しなかった。自衛隊が問題視されることが多いのだが、実は在日米軍によって先に、憲法制定当時から、9条2項が純粋に一切の戦力の存在を禁止する規定ではなかったことが証明されている。在日米軍は、憲法成立よりも前から日本に存在し、現在でも5万人規模で駐留している。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


これら三つの論点について、護憲派憲法学者たちはどのような見解なのか、知りたいところである。
憲法学を専門で学ばない私でさえ、憲法9条の条文が、字数不足かつ説明不足であることを知ってしまった。
よって、「憲法9条の字面中心の視点で違憲だと判断する研究態度」は、憲法学者失格を意味する。
9条の字面を根拠とする、学説的にオリジナルでない護憲学説を継承する憲法学者が全国に仮に500人いて、憲法に改正条項があるにもかかわらず護憲を主張しているのであれば、495人くらいはリストラして差し支えないだろう。

―― 参考情報 ――――――――――

Category:憲法学者
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%AD%A6%E8%80%85

―――――――――――――――――

字数不足に気づかない憲法学者の存在価値はないのである。


以上の検討を踏まえ、政権は、自衛隊違憲状態を解消、かつ憲法における自衛権解釈の強化のために、「自衛隊条項」追記を目指していると考えるのである。

以上

07:28  |  法整備  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2018.10.09 (Tue)

憲法9条  本当はこう書かれるべきだった?

篠田英朗の「ほんとうの憲法」の憲法解釈を軸に据えると

―― 参考情報 ――――――――――

憲法9条改正  「自衛隊条項追加」が妥当だとする二つの説
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1144.html

―――――――――――――――――

「憲法9条の条文の用語、文言についての歴史的経緯、解説、解釈の明文化」(法律文書化)が必要な気がしてきた。

方法論としては、

・憲法に条文追記する方法(Suica割さんが指摘)
・衆参の国会決議という形で記録文書化する方法
・憲法解釈として閣議決定する方法

などがあるように思う。

以下に、Suica割さんの提言内容を転載させていただく。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1144.html#comment1607

本質的にいうなら、二項削除や自衛隊の明記よりも、このような修正の方がよいのでは

現実に出来ればいいのですが、
第二章 違法な戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国連憲章により違法とされる戦争、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的に反する、陸海空軍その他の戦力は保持しない。国連憲章に反する交戦権は、保持しない。

こちらの方がすっきりとしますし、様々な問題も解決出来そうな気がします。

二項は、国連憲章に認められた行動を行う組織の保持を認める。
でも良いと考える。

Suica割 |  2018.10.06(土) 11:25 | URL |

続きです。

その解釈のし直しによる成果として、交戦権を国連憲章に反する武力の使用と定義することは、間違った解釈の明文化とはならないと考える。

国連憲章に反しない武力の使用を侵略とすることは素人目から見ると、不可能なので、それについて、軍国主義を目指すのかという批判も浴びせにくい。

それらを会わせると、このように九条を書き直すのが、私は一番いいように思う。

Suica割 |  2018.10.06(土) 19:31 | URL |

歴史的には、大西洋憲章から形作られはじめた国連憲章を基礎においた国際秩序と国際平和を尊重し、国連憲章により認められた自衛権と集団安全保障に反する交戦権を放棄する。
交戦権を行使する組織の保有は行わない。

とするのがベストであると考えます。

まず、中露仏、とくに中露に関しては、大西洋憲章により、結成された同盟に救われているので、歴史を見つめ直せという、いつもの表現が使えない。
さらに、その主軸の米英、とくに米国に頼るところが大きかった(まさか、レッドリースや援蒋ルートについて忘れるはずはないでしょう。)ことと、その一番の主役が作った憲章から始まる秩序に逆らわず、それに沿った発言のため、ダメ出しが素人目から見ると、不可能。
日本国憲法制定過程における歴史を汲んだ形で憲法解釈の適正化を実施できる。
日本国憲法は自主憲法ではない。
なぜなら、日本国政府の出した案を占領軍は突き返したことがあったからである。
かといって、押し付け憲法というわけでもない。
占領軍の試案を使ったとはいえ、それをそのまま流すように命令したことはなく、日本国政府と協議は行ってはいるからだ。
日本国憲法とは、アメリカサイドが強いとはいえ、日米合作憲法といえる。
となれば、大陸法解釈(日本側)も米英法解釈(アメリカ側)も成り立つ憲法といえる。
ならば、アメリカ側の解釈で憲法を解釈し直してもよいことになる。

Suica割 |  2018.10.06(土) 19:25 | URL |

続きです。

その解釈のし直しによる成果として、交戦権を国連憲章に反する武力の使用と定義することは、間違った解釈の明文化とはならないと考える。

国連憲章に反しない武力の使用を侵略とすることは素人目から見ると、不可能なので、それについて、軍国主義を目指すのかという批判も浴びせにくい。

それらを会わせると、このように九条を書き直すのが、私は一番いいように思う。

Suica割 |  2018.10.06(土) 19:31 | URL |


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||


篠田英朗の「ほんとうの憲法」の解釈に沿うと、制定時の9条の条文は、Suica割さんが書いたような文章であるべきだったのではないか?

実は、私は大学で「憲法」を受講し、副読本もきちんと読んだ。が、どれにも、国際法、大西洋憲章、国連憲章と関連付けた解説はなかったと記憶する。
憲法、それ自体が強制されるべきものではない、という原則論があったことも当時は知らなかった。

篠田英朗は、著書「ほんとうの憲法」にて、「憲法学界が封印、広く国民に憲法学界が知らしむべきとしてきた、憲法9条の用語、文言」について、国際法、大西洋憲章、国連憲章と関連付けた解説を試みた。

この解釈は、国際法の常識が変化する前提で考えると、完成状態ではなく、発展途上の解釈という位置づけでとなる。つまり、この考え方、解釈を基点とするという意味。

字面を追う、文言主義の護憲派憲法学者たちの、どちらかというと観念論的な解説よりも、篠田英朗の方が穏当な解釈であるように思う。もっとも、憲法に改正条項があるにもかかわらず、現実に護憲を主張することは学者の行為として滑稽ではある。

第二次安倍政権は、集団的自衛権の解釈見直しを進め、憲法9条に自衛隊条項追加しようとしている。(進化する?)国際法との関係で、解釈の積み重ねで憲法9条をいじるとした場合、諸外国憲法の安全保障条文と比較して他にどういう文言追加が必要なのか、までは詳しくはわからない。
ただ、言えそうなことは、制定時における9条の文言は、簡素過ぎて不親切。護憲派憲法学者たちに、憲法条文を字面中心で判断させてしまう事態(解釈上の流行)を招き、職と権威を得るのに一役買ってしまった。(ようだ)

国際法等、関連分野を学ぼうとしない、視野狭窄の護憲派憲法学者のリストラをより一層進め、歳出削減するためにも、Suica割さんの提言は、意義があるように思う。

学説的にオリジナルでない、同じ学説を継承する憲法学者が全国に仮に500人いて、憲法に改正条項があるにもかかわらず護憲を主張しているのであれば、495人くらいはリストラ可能とする考え方もあるだろう。

―― 参考情報 ――――――――――

Category:憲法学者
https://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%AD%A6%E8%80%85

―――――――――――――――――

突き詰めて考えると、憲法学者だけで、補助金込みで、数十億規模の効率化は可能なような気がしてきた。

少なくとも、高校の教科書、副読本では、9条の用語は、国際法、大西洋憲章、国連憲章と関連あることぐらいは最低限の作法として書かれているべきことだ。

「憲法と国際法、国連憲章と関連付け」、「憲法が強制されないものである」という憲法解釈の常識を理解するならば、「(開戦がアメリカから、けしかけられた可能性があることに目を瞑り)戦争を起こした反省としての9条の制定」という広く流布されてきた「自虐的な包括解釈」は、中高の反日教師程度の戯言レベルであると言わざるを得ない。


以上

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02:37  |  法整備  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

2018.10.05 (Fri)

憲法9条改正  「自衛隊条項追加」が妥当だとする二つの説

石破茂が総裁選挙期間中に、国民各層の合意形成が難しいと予想されるにもかかわらず、9条2項廃止論をぶち上げた。
この主張については、マスコミ・反日野党勢ぞろいした状況での政権批判を誘導、憲法改正発議に向けた国会審議の混迷、国民投票での改憲派の敗北など、正攻法で進めば進むほど政権打倒を意図したものであろうとの見方がある。

倉山満は、「軍国主義が日本を救う」という本の中で、政治的状況によって立ち位置をころころ変える「改憲派を装う憲法学者」の存在を指摘している。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

286頁

言論界で気をつけないといけないのは、改憲論を言っているから必ずしも保守とは限らないということです。
ある高名な大学教授などは、改憲ができないことを見越して、「解釈変更ではダメだ。憲法改正をしろ」と訴えたりしています。こうやって常に現実的な提案を潰しに行くのです。一見、正論や理想論を言ったりしているように見えて、現実的な正論が出た時には潰すということをやっているのです。

つまり、護憲論が主流の時には改憲論を言い、改憲ができない解釈変更という流れになったら改憲を叫ぶという手口です。
ちなみにこの人は、保守が改憲論を唱えるものの護憲論がまだ強かった時期には解釈変更を訴えていました。誰とは言いませんが、小林節慶應大学名誉教授のことです。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

石破茂は、「改憲派を装う護憲派」の可能性は十分にある。

小林節のやり方をマネすれば、二通りのスタンスをとることは可能である。

首相が9条改憲を表明すると、実現がもっと難しい2項削除、国防軍創設を口にし
首相が今は改憲は無理だと表明すると、一般論で改憲に臨むべきだと正論を語ることで保守の改憲の急先鋒を演じる可能性がある。

そういう意味で石破茂の主張は、立ち位置的に怪しいと見るのである。

それだけではない。現段階で実現不可能と予見される「9条2項削除」にこだわらなくても、首相が表明する「自衛隊条項」追加だけで、解釈的にそれなりに対応可能との見解として、二つの説存在していることを知った。

一つは、「これまでの政府解釈を積み重ねた前提での解釈」、もう一つは「国際法、大西洋憲章、国連憲章を関連づけ、戦後の歴史的経緯を踏まえた包括的な解釈」である。

一つ目の説を読んでみたい。


・政府解釈経緯を軸とした解釈

自民党磯崎陽輔議員の見解。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

http://isozaki-office.jp/


憲法9条2項問題とは何かNew!(8月31日)

 9月7日には自民党総裁選挙が公示されますが、大きな論点の一つである憲法改正について、国民の大多数が支持する自衛隊の保持を憲法に規定するに当たって、現行憲法第9条第2項を削除すべきか否かが、争点となっています。同項は戦力の不保持と交戦権の否認を定めており、この規定が憲法にあることの意味について、分かりやすく解説します。

 憲法第9条は、第1項と第2項から成っています。1項は、1929年に発効したパリ不戦条約第1条とほぼ同じ内容であり、侵略戦争を禁止した規定であると解されています。2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と規定されており、繰り返しになりますが、戦力の不保持と交戦権の否認を定めたものです。「前項の目的を達するため」とあるため、2項は自衛権を否定していないという解釈もありますが、政府は、この解釈を採っていません。

 憲法制定議会において、吉田茂総理は、「これは直接には自衛権を否定していないが、一切の軍備と交戦権を認めないもので、自衛権の発動としての戦争、交戦権を放棄したものである。」であると答弁し、自衛権の行使を完全に否定しました。しかし、朝鮮戦争が勃発し、警察予備隊、保安隊を経て、自衛隊の設置が必要になると、政府は、憲法は必要最小限度の自衛権の行使までも否定したものではなく、そのための自衛隊は「実力」であって、「戦力」ではないという解釈を採るようになったのです。

 こうした経緯を踏まえ、憲法学者の大半は自衛隊を違憲と考え、教科書の一部においても「自衛隊の保持が違憲であるとの意見もある。」とする記述が行われています。確かに自衛隊を「実力」とする政府解釈には苦しいところがありますが、一方で、9条全体を通じた解釈として、「必要最小限度の自衛権しか行使できない。」という政府解釈を我が国は大切にしてきたのです。「必要最小限度」とは何かというと、これも国際情勢によって変わり得るものですが、例えば軍備について、国会では、大陸間弾道弾、長距離攻撃爆撃機、空母などの保持について可能かどうかという議論が行われてきました。

 こうした中で、自民党は、野党時代に、「憲法改正草案」を発表し、将来「国防軍」を保持することを表明しました。これに伴い、草案では、当然、戦力の不保持を規定した2項は、削除しました。世界中を見ても、憲法で自国の自衛権を制限した国はなく、都市国家のような小さな国を除けば、軍隊を保持していない国はありません。自民党は、「普通の国」となることを目指したのです。しかし、これは飽くまでも将来の目標を掲げたものであり、今すぐ軍隊を保持することについて、国民の大多数に支持していただけるものとは考えていません。

 そこで、安倍総裁の提案を受け、細田憲法改正推進本部長の下で、第9条の2を置くことにより、まず現行の自衛隊をそのまま憲法解釈を変えることなく憲法上位置付けることを「憲法改正素案」の中で決定しました。そのことにより、不毛な自衛隊違憲論争に終止符を打つことにしたのです。議論の過程で、「2項を残しながら自衛隊の保持を位置付けることは、憲法の中の矛盾を残すことになる。」との意見が表明されました。もっともな部分もありますが、もし2項を削除してしまうと、「必要最小限度の自衛権」という政府解釈の根拠が失われます。そうなると、いかに憲法上「自衛隊」と称したとしても、それは正に軍隊を保持することになるのです。このことに、現段階で、国民や他党の理解が得られるとは、とても考えられません。

 2項を削除する意見を述べている人たちから、新たな自衛隊の規定の中で別途「必要最小限度の自衛権」を規定するという考えは聞かれません。あるいはそうした考え方もあるかもしれませんが、現状では、現行の9条には一切手を加えずにそのままにしておいて現在の憲法解釈を大切にすべきであると考えます。


||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

磯崎陽輔議員は、安倍晋三総裁復帰にあたり重要な役割を担ったと告白している。

この一文を読むと

総裁選挙隔世の感
http://isozaki-office.jp/


首相にとって心の同志みたいな存在だったようだ。
この一文を行間を読んだ印象となるが、自衛隊条項追加説を首相に推奨したのは、磯崎陽輔議員ではないかと思う。
また、磯崎陽輔議員は、国会審議が難航した「特定秘密保護法案」の影の推進者であると私はみている。自らは表に出ず、しかるべき議員を要所に配置、自らはシナリオと必要な原稿を準備し備え、法案を成立させたという意味である。

磯崎陽輔議員は、石破茂が主張する2項削除説の致命的欠陥を二点指摘している。(もし2項を削除してしまうと、「必要最小限度の自衛権」という政府解釈の根拠が失われます。そうなると、いかに憲法上「自衛隊」と称したとしても、それは正に軍隊を保持することになるのです。このことに、現段階で、国民や他党の理解が得られるとは、とても考えられません。)


石破茂は、[もし2項を削除してしまうと、「必要最小限度の自衛権」という政府解釈の根拠が失われます]に反論できまい。これまでの「穏当な政府解釈」をぶち壊し、一体何がしたいのであろうか?

そこに、私は、石破茂の悪意と偽善を見る。

もう一つの説を読んでみたい。多少長く難解であるが、政権がなぜ自衛隊条項追加でとりあえずよしと判断できたのか、その背景が書かれている。


・国際法、大西洋憲章、国連憲章を関連づけ、戦後の歴史的経緯の視点からの包括的な解釈

篠田英朗の「ほんとうの憲法」からの転載。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

54~55頁

・国連憲章による武力行使の一般的違法か

国際協調主義を謳う日本国憲法にとって国際法との調和は、必須事項である。憲法学の分野では、しばしば「憲法優越主義」を掲げて、あたかも憲法によって国際法を否定することも容易だと言わんばかりの議論がなされるときもある。だがそれは憲法の精神に反する態度であろう。日本国憲法は、国際協調主義にもとづき、憲法と国際法の調和を求めている。

中略

日本国憲法制定当時、日本は独立国家ではなく、国連加盟国でもなかった。したがって憲法の条項を通じて、国連憲章の規定を守る法的枠組みを確立しておこうと憲法起草者が考えたとすれば、それは当然かつ合理的なことであったはずだ。国連憲章より後」に成立したものでしかない日本国憲法が、国連憲章を追認する内容を持っていることを不思議に思うのは、単に日本人の国際的な歴史感覚の欠如による。
このように論じることは、しばしば憲法に対するロマン主義的な感情を逆なでする。日本国内では、多くの場合、憲法9条が非現実的なまでに先進的であり、国際法も凌駕していると信じられているからだ。しかし実際にはそうではない。憲法より先に成立した国連憲章のほうに、憲法よりも包括的な形で武力行使の一般的違法化が定められている。

56~57頁
・9条は「ならず者国家」を「平和国家」に作り替えるための規定

確かに、憲法9条2項にもとづいて、一切の軍隊を保持しない状態を維持したのであれば、日本は世界でも非常に希有な国家として知られることになっただろう。ただそれは発生しなかった。自衛隊が問題視されることが多いのだが、実は在日米軍によって先に、憲法制定当時から、9条2項が純粋に一切の戦力の存在を禁止する規定ではなかったことが証明されている。在日米軍は、憲法成立よりも前から日本に存在し、現在でも5万人規模で駐留している。
「前項の目的を達するため」、つまり「国権の発動たる戦争」を放棄しながら、なお持てる軍事力だけを持つのは、世界のほとんどの国が採用している仕組みである。自衛のための軍事力しか持たないというのは、全く普通のことである。いったい世界のどの国が、自営以外の目的で軍隊を保持しているだろうか。
憲法9条は、世界でも例外的に希有な規定として価値を持っているわけではない。むしろ憲法9条は、日本が国際標準の規範を遵守することを宣言しているという点において、大きな意味を持っている。「戦争の回避」は、画期的な原則でも、世界最先端の原則でもない。憲法9条の価値は、例外性にあるのではない。その国際標準的な性格にある。

1947年当時の日本が、国際社会において、どのような国であったか、客観的に振り返るべきである。日本は満州事変によって国際連盟が象徴した第一次世界大戦後の国際法規範にあからさまな挑戦をし、東アジアにおいて空前の侵略行為を繰り返した挙句に、世界のほとんど国が同盟関係を結んだ「連合諸国(United Nations)」に敗れ去った。いわば「ならず者国家」であった。

中略

「ならず者国家」を「平和国家」に作り替えるための規定が9条であり、平和国家に生まれ変わったことは誇るべきであるとしても、9条を持っていることが日本の誇らしい行為の結果だと誤認すべきではない。


57~59頁

・憲法9条の真の価値とは

多くの日本人が、国連憲章の中に、日本などの枢軸国を刺す「敵国」という概念があることを、批判的に語る。だが国連が、第二次世界大戦を戦い抜いた連合諸国側の「集団的自衛権」の同盟陣営であることは、一つの史実である。その中核は米英両国であり、ローズベルトとチャーチルが1941年8月に発した「大西洋憲章」は、国連憲章の内容を先取りしたものであった。ちなみに日本国憲法「前文」の「恐怖と欠乏から免かれ」といった文言は、大西洋憲章における「恐怖からの事由と欠乏からの自由」という概念の引き写しである。国連検証にも同じ概念構成が見られる。「平和愛好国」という日本国憲法と国連検証に見られる概念も大西洋憲章で登場した。

中略

憲法9条2項は、「大西洋憲章」で語られている敵国の「武装解除」を国内法制度化したものであったものであったと考えられる。そして、「一般的安全保障制度」の度合いの進展に応じて、「武装解除」の度合は緩められた。
1950年に設置された警察予備隊は、主権回復後に自衛隊となった。日本は主権回復を果たして国連に加盟し、「一般的安全保障制度」に加入したので、漸進的な武装解除の修正が図られた。国際法を逸脱しない国になったと認定されて主権回復が認められた。そこで国際法と憲法に違反しない戦力保持が認められるようになった、これは憲法が予定している。論理の流れの中の出来事である。
大西洋憲章が、アメリカ主導で表明されたものであることを考えれば、「一般的安全保障制度」に準ずる機能を持った制度が、日米安全保障条約によって設定されていることは自明だ。米軍は現在もなお日本に5万人規模で駐留する。それだけではない。日本本土有事の際には、自衛隊は米軍の指揮下に入るだろう。むしろ政治の実態を見れば、9条2項が大西洋憲章の想定のままに段階的に適用され、現在の自衛隊の姿になっていることがわかる。

国連検証が「敵国」についてふれているのは論理的にも、歴史的にも、必然的なことである。集団安全保障体制は、国際社会全体の共通の「敵」を持つ。そして第二次世界大戦時に連合諸国が共通の「敵国」を持っていたことは疑いのない事実である。日本に期待されているのは、そして日本が求めるべきなのは、国連検証からの「敵国」概念の排除ではなく、生まれ変わった日本がもはや「敵国」ではなく、むしろ連合諸国の同盟陣営に属している国であることを証明することである。

日本国憲法は、日本の軍国主義の復活を防ごうとするアメリカを中心とする連合諸国が、自分たちが標榜する国際法規範を日本に守り続けさせるために作成した法体系である。憲法9条は、その日本に国際法を遵守させるプロジェクトの成功に、大きく寄与した。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

これら二説は、現状の政府解釈は、国際法、国連憲章と齟齬はないとしている。
無難で穏当な見解だと、読んで思う。こういう憲法解釈があることを知り、安堵している。
これら二つの有用な解釈があれば、今敢えて無理をして、9条2項廃止を必ずしも急ぐ必要はなさそうとの根拠になるだろう。正攻法でも石破茂への反論は十分可能なのだ。

そのうえで、石破茂が政府解釈を一旦リセットした発言(自衛隊は国際法上の解釈として軍隊ではない)があったことを思い出したい。

―― 参考情報 ――――――――――

自衛隊員の命の保証に係わることに関する「言葉遊び」は許されるのか
http://sokokuwanihon.blog.fc2.com/blog-entry-1123.html

―――――――――――――――――

石破茂の主張は、三つの意味があるように思う。

・政権が、無理筋を選んだ場合、支持率の低下、政権流動化することを見越したもの、
・これまでの政府見解(憲法解釈)を一旦リセットする主張であるため、国際紛争に巻き込まれた場合、日本がリスキーな状況に追い込まれる可能性があること
・自衛隊を国際法上の解釈として軍隊ではないと主張すると、自衛隊員の命の国際法上の保証が消滅する可能性が強いこと

正攻法で石破茂に反論を試みようとすればするほど、石破茂の悪意、偽善が透けて見えてしまうのである。

以上

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2018.08.25 (Sat)

スパイ防止法  地図的視点で法制化を急ぐべきこと

中国資本の土地買い漁り、目的は自衛隊の監視活動強化にあるようだ。

―― 参考情報 ――――――――――

【中国】宮古島で中国資本が土地買い漁り  陸上自衛隊の駐屯に合わせた「監視活動」
http://blog.livedoor.jp/news_aru/archives/54039012.html

―――――――――――――――――

拙ブログは、問題だー、問題だーと煽ることで、事態が改善するとは考えていない。
冷静に状況分析したうえで、在るべき姿を示し、その前提でどう実現すべきか、現実的手段とアプローチを想定している。

本稿では、地図的視点での、スパイ防止法について、言及する。

実は、その昔、海外出張の都度、当該国の地図を買い漁ることを趣味とし、会社の書庫には、数十か国の地図が残った。もちろん、旧共産圏の国も含まれる。旧共産圏の場合は、出張した人に、自分のポケットマネーで精算するからと伝え、お願いして入手した。

そういう習性なので、個人用で地図は購入している。気に入っている地図は、ザルツブルグ、イングランド東北部周辺。スイスの地図も買っておけばよかったと思っている。


さて、日本と中共の紛争勃発が懸念され、韓国が政治的に中共に取り込まれる前提で想定すると、日本が、西側の最前線となる関係で、地図等に係わる機密管理はより厳格とせざるを得なくなるように思う。

韓国、中共、ロシアでの地図情報管理実態について書かれた本があるので、参照したい。

||||| ここから引用開始 |||||||||||||||||||||||||||||||||||

地図で読み解く日本の戦争

竹内正浩

11~12頁
近代においては、戦争という国家の非常時に際して、作戦地域の地図の精確さが、軍事作戦の成否を決定づける局面が少なくなかった。ある意味、地図が国家の存亡をも左右したのである。そのため、自国の領土はもとより、戦域となる可能性の高い地域の正確で詳細な地図や地理情報が、切実に求められた。

ただ、時間と手間のかかる地図は一朝一夕には完成しない。軍事衛星や航空機による測量手段のなかった二○正規初頭までは、なおさらである。敵兵や占領地から地図を欧州するのは当然として、あるときは平時からひそかに測量スタッフを送り込んで、他国の主権を犯してまで測量が行われた。

第二次世界大戦後、日本国内では地図情報は広く開放され、取り扱いも自由になった。だが、世界的にみれば、いまなお地図情報が国家機密となっている地域は珍しくない。日本の周辺に限ってみても、韓国では、外国人が官製地図を購入する際はパスポートの提示が求められるほか、国外に持ち出すことは禁止され、違反した場合は測量法という法律にもとづき処罰される。また、中国においては、五十万分の一以上の大縮尺地図は国家機密とされ、一般人が入手することはまったく不可能といった状態である。

ソビエト連邦崩壊で初めて明らかになったことだが、ソ連軍参謀本部はユーラシアを中心に全世界を網羅する地図を多数編纂しており、最終的にその数は一〇七万面(枚)にも及んだという。そのなかにはもちろん日本も含まれており、十五万分の一の縮尺で日本全土を網羅していた。日本に関する地図が作成されたのは、一九五〇年代から六〇年代だといわれている。軍事衛星が未発達の時代、橋梁の構造や規格、あるいは日本の地形図に記載されていない植生区分まで詳細に表記した地形図が存在する事実を、どのようにとらえたらよいのであろうか。

||||| ここまで引用 |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

特徴的なのは、日本の地形図に記載されていない植生区分まで詳細に表記した地形図が作成され、存在していたという指摘である。共産主義国が、平和国家であるというのは幻想であり、世界侵略の意図があったとみなす証左となるだろう。
さらに、各地にある、共産主義的な名称の山岳会が、日本の地形図に記載されていない植生区分の調査を進んで?請け負った可能性はあるだろう。そのために、理学部生物学系の大学教官と学生が動員された可能性があるのだ。

本題に戻りたい。

相互主義を前提とするかしないか、適用対象国をどうするかという議論があるとは思うが、地図的視点でスパイ防止法を眺めると

・地図作成等のための写真撮影、衛星写真情報(日本政府、日本企業関与分)、測量情報、特定秘密指定対象の地図等の収集禁止
・特定の地図についての購入は、パスポートの提示が求められ、国外持ち出し禁止

くらいのことは、法制化すべきだろう。

なお、海外地図については、JRお茶の水駅から神保町に向かう途中に、専門書店があった。今も営業継続しているようだ。

内外地図
http://www.naigai-map.co.jp/index.html

以上

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06:24  |  法整備  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)
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